でゅっと
何か楽しんでくれればいいなって思います。
私の大学には、ちょっと有名なカップルが居る。大学内で彼らを見かけると何時でも一緒で、五メートルくらい離れると死んじゃうんだろうと私は思っている。最近は服装まで一緒にしちゃって、この前なんかドッペルゲンガーが仲良く並んで歩いていると思って、びっくりしちゃって、ドブの畔で昼寝してる亀をぶん投げてやったら、ドッペルの片割れが追っかけてきて、逃げて、あんまり追いかけて来ないから、やっぱり離れると死んじゃうんだなって思った。
そんなことがあったからか、ある日の講義後、ドッペルズが私に話しかけてきた。どっちが彼氏か彼女か見分けもつかないので、背の高いドッペルをドッペルO、背の低い方をドッペルKとすることにした。私がそんなことを考えていると、Oの方が
「お前に頼みたいことがある。」
なんて云う。たいした面識もないのにお前呼びなんて失礼なやつだなぁ、ドブの鯉の尻尾でビンタしてやろうかしら、なんて思いながら、私は何の頼みなのか、どうして私なのか尋ねた。Oは鷹揚な態度で私に云った。
「お前は以前、僕たちに亀を投げた。その償いとして頼みを聞くほかないのだよ。なに、頼みと云っても簡単だよ、これから僕たちはデートをする。そして、そのどこかで『でゅっと』が出てくる。それを拾って欲しいんだ。」
私は黙っていた。うん、動機は理解できる。亀を投げつけたのは悪い。亀にもドッペルズにも。うん、だから頼みを受けない訳にはいかない。うん、で、『でゅっと』だって?聞き間違いじゃないかしら。そんなの知らないんだもの。私は何を拾うのかもう一度聞いた。
そしたら『でゅっと』であるという返事しか返ってこなかった。何かしら、生き物かしら、物かしら、概念かもしれない。いや、デート中に出てくる、拾えるなら物体に相違ない。でもそんな物体知らない。生まれてこの方二十年、そんな言葉は見たことも聞いたこともない。私は一旦トイレに行くと言って、急いでGoogleで『でゅっと』を調べた。そしたら、『デュエット』『デュオ』が出てきた。二人組などを指す言葉だ。ドッペルズにはピッタリではないか。きっとこれだ、私が外国語が苦手だから、リスニングが上手くないから、変に聞こえたのだろう。拾うというのも何かの譬喩で、写真に収めるとかなんとかなんだろう。ああ、恥ずかしい。私は戻って、ドッペルズにどのような共同作業をするのか、どのようにそれを収めればいいか聞いた。すると、今までドッペルOの腕にナメクジみたいに絡まっていたドッペルKが金切り声を上げて、
「デートって言ってるだろうが、理解力ねぇのかよハゲ、『でゅっと』を拾えって云ってるんだから普通に手で拾えよ馬鹿かてめぇ。」
って怒るもんだから、私も恐縮しちゃって、はい、分かりました、とかなんとかゴニョゴニョ云って、結局、ドッペルズのデートに付いて行かなければならなくなった。デートの場所は若干遠いようで、私はドッペルKの運転する車の後部座席に乗った。ドッペルOは助手席にちゃっかり座っている。私は手持無沙汰なので目的地に着くまで、窓の外を見ながら、はじめてこの車に乗った日のことを回想し始めた。
一年ほど前のこと、入学したての頃だったように思う。私の大学には少人数でグループ化するという制度があり、私とドッペルズ、その他二名の女学生の計五名が一つのグループになっていた。それで、親睦を深めようとファストフード店に行ったときも、このドッペルKの車に乗ったのだ。その時はドッペルOは後ろの席に座っていたように思う。いや、この時は二人は付き合っていなかったから、ドッペル呼びはやめよう。Oは後ろの席に座っていたと思う。ファストフード店に着くと、KがOの横に座った。その向かいに私ともう一人の女学生が横並びで座る形になった。メンバーはもう一人いるはずだったのだが、体調不良で休んだため、この四人での親睦会になった。各々、メニューを頼み、雑談をしていたのだが、だんだんとKがOの方に距離を縮めていった。最初はニ十センチくらい離れていたのに、だんだん、十五センチ、十センチ、五センチ、ゼロセンチ、気が付いた時にはぴったりと、蛭みたいにくっついている。私は嫌悪した。男に媚びるかのように肢体を近づける姿は醜悪の他に形容の仕様がない。私の隣の女学生も変な雰囲気に気が付いたようだった。しかし、当の近づかれているOは気が付かない。なんなら気持ちが良さそうにしている。私は目を伏せて、ちびちびとラテを飲んで、目の前の地獄が終わるのを待った。しかし、KはOに甘ったるい声で恋人はいるのか、好みのタイプは?などと聞いて一向に終わる気配はない。私はそのやり取りから逃げるように甘いラテをさらに飲み続けた。そうして、ラテも底をつきそうになった時、Kが急に静かになった。それもそのはず、私が目をKに向けた時、Kは長い舌をOの耳に入れて、ぐるぐるぐるぐるかき混ぜていた。そして、舌で器用に何かドロドロした薄黄色い物体を掻き出して、もちゃもちゃと咀嚼している。私は隣の女学生を見た。彼女も私の方を見た。それで、お互いに苦笑いして、前を向き、新たな地獄が始まったと思った。Kは咀嚼が終わると、Oの耳に口をつけ、でゅるどりゅと変な音を立てながら咀嚼物を吐き戻している。その間、Oは恍惚とした表情を浮かべ、嫌悪の相は見て取れなかった。Oは自分が何をされているのか分からない様子で、その後も鼻の穴や口、人には云えないような部位に舌を入れられ、その度に何かを掻き出され、咀嚼され、戻されるという行為が続いた。Oは相変わらずうっとりしている。私は空になったカップを何度も口元に運んでは飲むふりをした。そうして三十分ほど経った頃だったか、ようやく帰ることになった。私は来た時と同じように後部座席に座った。Oは助手席に座ったように思う。
私がそんなことを思い出しながら流れる景色を見ていると、ドッペルKが何かを食べている音が聞こえた。こっそり、後ろから覗いてみるとドッペルKがドッペルOの口に舌を突っ込んで、何かをほじくり出して食べている。運転に集中して欲しかったが、またあの金切り声を出されては困る。私は黙って見なかったことにした。そういえば、あの親睦会の後、女学生は熱を出したっけな、と思った。
そうして幾分か揺られた後、車は神社に着いた。そこはそこそこの観光地で綺麗な桜が咲くことでも知られていた。ドッペルズは桜の満開の下にはしゃぎながら出ていくと、お互いの写真をパシャパシャと撮り始めた。無風流な奴等だと思った。このまま満開の桜の下で狂ってくれないかしら、お互いの生首を取り合ってくれないかしら、なんて考えていると、ドッペルOの怒鳴り声が聞こえた。
「何してるんだ!『でゅっと』が折角出たのにお前がぼーっとしてるから駄目になったじゃないか。いいか、次はちゃんとしろよ。」
私は困惑した。写真を取り合うドッペルズには特に変化はなかったからである。もちろんその周辺にも変化はない。地面にそれらしきものは落ちていない。強いて言えば桜の花びらか犬の糞くらいである。私は再び『でゅっと』について考えた。分からない。詳細を聞けば金切り声を出される。自分で正解を出すしかない。分からない、分からない、分からない。そうしていると、ドッペルズが一際はしゃぎだした。どうやら今しがた撮った写真を大学共有のSNSのようなサイトに投稿したらしい。所謂、匂わせというやつだ。皆が付き合っているのを知っている今、そんなことに意味はないだろうに、恥ずかしいドッペルズである。はしゃぐドッペルズの上を突風が走り抜けた。花びらがパラパラと舞い降りてきた。この幻想的な瞬間を逃すまいとドッペルズはお互いをまた撮り始めた。私の元には風に乗って犬の糞の匂いがした。ふっと。
写真をあらかた撮り終わると、今度はペットショップにやってきた。家で飼っている兎の餌を買うためらしい。同棲をしているという噂を聞いてはいたが本当に暮らしているとは驚いた。これで益々、離れたら死んでしまう説が確からしくなってきた。ドッペルKが兎の餌を抱えながらペットのハムスターを熱心に覗いている。それをドッペルOが見て、飼うのかどうか尋ねている。学生なのにそんなにペットを飼う余裕があるのかと驚いていると、ドッペルKがにこやかにドッペルOに云った。
「この前作った極上ハンバーグ美味しいって云ってくれたじゃない。だからもう一回作ろうと思って、新鮮な材料の方がいいから見てたの。」
ドッペルOはそれを聞いて感動したのか十匹ほどハムスターを買って私に持たせた。鼠の肉のハンバーグなんて、ヌートリアを食用にしてたようなものかしら、でも食べる部分が無さそうだなぁ、丸ごと磨り潰すのかしら、そう思いながら、もぞもぞと一つの箱にすし詰めにされて窮屈そうなハムスターを持ってドッペルズの後を付いて行った。ラット。
ショッピングモールを歩いていると、ドッペルKがまた例の金切り声を上げた。私は両手でハムスターの箱を持っていたものだから、耳も塞げず、鼓膜が破れるのではないかと思った。箱を床に下ろして両手で耳を塞ぐ。それでも大きいくらいの声でドッペルKは騒ぎ、ドッペルOは慌てふためいて何かを言っている。しかし、その声は金切り声にかき消されて聞こえていないらしい。とにかくドッペルKがまくし立てている。鬼の形相、いや、鬼も震えるような、般若百匹を煮詰めて出た煮凝りみたいな、そんな剣幕で怒るものだから、周りの人たちも逃げていく。ぱっと。迷惑なやつらだ。苦心して金切り声で叫ぶ内容を要約してみると、どうやらドッペルOが他の女を見ていたようである。それで、怒っているらしい。嫉妬。ドッペルKはスタスタと車の方へ向かう。オロオロしながらドッペルOは追っかける。本当に離れられないんだな、なんて思いながら私も箱を持って追いかける。ドッペルKは車のトランクからサッカーボールを取り出すと、ドッペルOに投げつけた。どうやら、プレゼントする予定だったらしい。ボールはあっけにとられているドッペルOの足元をポンポンと跳ねて止まった。ぴたっと。私は惜しいなぁ、と思った。ボールじゃなくって特性ハンバーグとか投げればもっと愉快なのに。びちゃっと。ドブ亀とか投げればもっと気持ちいいのに。スカッと。ああ、勿体ない勿体ない。私もハムスターとか投げてやろうかしら。そんなことを考えていると、ドッペルOがおもむろにリフティングを始めた。ポンポンポンポンとボールが上下に動いていく。何をしているのだろうか、気でも違ったのかしらん。ドッペルKはその上下に動くボールを見ている。目で全体的に捉えるのではなく、ボールにだけ焦点化しているのだろう、首ごと上下にカックンカックン動いている。赤べこみたいだなぁ、なんて思いながら見ていると、首の上下運動が加速してきた。カックンカックンカックンカックン。最早、ヘッドバンギングになってきた。それでも加速していく、ブンブンブンブンブンブンブン、ブチッと音がしたかと思うと、ドッペルKの首が勢いよく飛んで行った。びゅっと。生首はそのままドッペルKの足元に飛んでいき、ボールと入れ替わってリフティングされ始めた。首が取れた身体からは何か緑色の液体がジュルジュルと流れ出ている。私は汚いなぁ、止めておこうか、と思って、千切れた断面にハムスターを詰め込んでおいた。ぎゅっと。詰め終えてドッペルズの方を見ると、生首はドッペルOの首元に吸い付いていた。蛭みたいに、チュウチュウ首を吸っている。ドッペルOの首元には無数の紫色の蛾が見えた。あれだけ吸引力があるなら掃除機に欲しいなぁ、やっぱり要らないなぁ、とか考えていると、生首はドッペルOの首に完全にくっついてしまった。それを見て私が、アンコウの一種はオスがメスと一体化するけど、それに似たものなのかしら、ドッペルじゃなくってアンコウだった、間違えた、アンコウと呼ぼう、それにしても離れると死ぬと思っていたけど物理的に離れなくなるとはなぁ、とか思っていると、アンコウは車に乗り始めた。しかし、発進せずにクラクションを鳴らす。プッと。どうやら私に乗れということらしい。『でゅっと』を回収する仕事はまだ残っているようだ。車は私を後部座席に乗せると急発進した。大きく揺れたのは元ドッペルKの身体を踏んだ為であろう。ぐちゃっと。
アンコウの棲み処に着いたのは夜更けだった。美味し荘というアパートの看板が擦れている。階段の下で酩酊しているボンボロやドロントを尻目にギシギシ鳴る階段を上ってアンコウの棲み処に入った。中はなかなか広かった。二人くらい難なく棲めそうであった。今は一人だけど。大部屋の隅には、耳の垂れたもこもこの兎の入ったケージが置かれている。なんとかホイップとかいう種類のやつだろうか、口をモゾモゾしている。ラビット。
アンコウは部屋に入るなり服を脱ぎ始めた。そして、蒲団に入り、何か卑猥な動きをし始めた。蒲団の中で大きな尺取虫が動いているかのようなその動きは次第に激しくなり、ニュルニュルと奇怪な音を立て始め、ガタガタと本棚や机が揺れ始めるほどに激しくなった。私はとりあえず机の下に隠れた。大きな揺れがあった時は机の下に隠れて頭を守る。これ、大事。数秒ほどして揺れが収まると、さっきまでの喧騒が嘘のように静まりかえっていた。静謐、静寂、音がしない。耳でも壊れたのかしら、そう思って床に転がっていたキーホルダーに付いている鈴を鳴らしてみると確かに聞こえる。私はピクリとも動かない蒲団へ向かった。バランスボールでも入っているのではないかと思えるほど大きく膨らんだ蒲団は、蒲団越しでも分かるほど温かかった。私はアンコウの次は卵かしら、と思いながら蒲団をめくると、そこには紫色をしたブニョブニョのゲルみたいな物体があった。そして何より臭い。私は思わず鼻を覆った。犬の糞の匂いがする。よく見ると、所々に薄黄色の物体がイボのようにくっついている。私はどうしようかしら、と思った。これが『でゅっと』かしら。でも、こんな大きくて得体が知れなくて、臭いものを持ちたくないなぁ、とかグズグズしていると、足元で何かが動いているのが見えた。ちらっと。白いもこもこが『でゅっと?』に齧りついている。私はケージを見た。どうやらさっきの揺れで鍵が緩んで出てきたらしい。とりあえず戻しておこう。私は兎を抱き上げた。途端、ブチッと音がした。紫色の玉から緑色の汁が面皰を潰した時みたいに噴き出した。どゅっと。どうやら兎が噛んでいた膜が引き離した影響で破けたらしい。そして、どゅっと出てきたからこれは『どゅっと』であり、『でゅっと』ではないことも分かった。緑色の汁はどんどんあふれ出てくる。そして、今までとは比にならないくらい臭かった。鼻が取れて落ちると思うほどだった。実際、花瓶に生けてあった花が急に枯れてしまった。私はあふれ出る汁を避けながら、『でゅっと』を拾う仕事も捨てて、兎を抱えたまま逃げ出した。脱兎。
何か楽しんでいただけたなら幸いです。