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『天気雨、彼女はコンと、喉を鳴らして。』

作者: がらんどう




     


          一



 薄暮の時間も近づく頃、僕は母屋の離れに充てがわれた部屋の畳の上に、どっかと腰を下ろした。思わず「ふぅ」と息をつく。緊張の糸が切れたんだろう。

 と、そんな僕の様子を見て、

「ごめんなぁ、そうちゃん。ウチの家って、色々やることが多くて。しかもちょっと変わってて。疲れるのも無理ないわぁ。」

 そう言って、胡夏こなつは僕の緊張した肩を、ぐいぐいと揉みはじめた。

「いやいや、そこまで気を遣わなくても」と僕は胡夏の手に自分の手を添え、続ける。

「だって、家族になる一歩を更に踏み出したんだからさ。二度に分けてやるなんて、たしかに変わってるけど。」


 ーーー今日、僕たちは、二度目になる婚約の儀を取り交わしているのだ。一度目は、胡夏の家と家との、ごくごく普通の結納。今回は、僕だけが訪れて、胡夏の家の本家が執り行う儀になる。


「それにしても、胡夏の本家さん、結構なお家柄でびっくりしたよ。」

うちは分家と言っても遠縁なんやけどなぁ。こういう大事なことは本家にもご挨拶というか、まあ、古い家柄やから。お手間取らせたお礼やよ。夜もまた、色々あるから、休めるときに休んでなぁ。」

 胡夏は、ふふっと笑い、僕の頭に顎を載せ、肩に置いた手をつうっと前に滑らせ、僕を軽く抱きしめ、しなだれかかった。はらりと胡夏の長い髪が、僕の肩から頬にかかる。とても落ち着く、いい香り。そして、胡夏は「コン」と喉を鳴らした。胡夏の癖だ。嬉しくなると、笑顔を伴って自然と出るらしい。

 あのとき、雨上がりに嗅いだ香りと「コン」という音。声。

 可愛らしいその声で思い出す。僕と胡夏が初めて会った日のことを。




          ニ                          

    


 僕が胡夏と出会ったのは、大学二回生の夏の日だった。夏と言っても前期の試験が終わって、暦は九月を過ぎていたのだけれども。

 愛知県から大阪府の大学に進学したのもあって、大学一年目は、学業とバイトと、初めての一人暮らしのあれこれで、バタバタと過ごし、あっという間に過ぎた。

 そして迎えた大学二年目の夏。もうすぐ休みも終わってしまうのに、バイトくらいしかしていない。これは良くないんじゃあないか? そうだ、昔、大阪に住んでいたっけ。七歳までだったので、あまり覚えていないけど、思い出めぐりもいいかもしれない。

 なんて、ノスタルジーを求める青さは、今振り返ると、ちょっと恥ずかしいけど、でもそれで胡夏に会えたのだから良しとする。

「もう会えへんと思ってたから。うちも良しとするし、青くて結構やん。」

 と、胡夏も言ったし。

 台風一過で、からりと晴れた日。小豆色の電車に揺られ、次々と塗り替えられていく車窓を眺め、僕はかつて住んでいた場所へ向かった。特に、ずっと心に引っかかってた場所があるというのを思い出したのが、決め手だった。

 急な衝動に突き動かされて。




          三



 最寄り駅についた。正直、途中の風景や、今降り立った駅も見覚えがなく、懐かしいという感じはしない。駅はピカピカに改装されていたし。仕方がないんだけれども。

 それで、肩透かしを食らって、このまま帰ろうかな。なんて思ったりもしたけれども、やはり、あの場所が気になって、見てくるだけでもと、気を取り直した。

 当時住んでいたアパートは、そのまま残っていた。

 段々と蘇ってくる記憶を楽しむ。そうそう、この先に小さい公園があって………。あった! 通学路も確かこういうルートだったよなあと、思い出しながら小学校へ向かってみたり。

 そしてようやく主目的の場所に向かう。

 それは、特別な高架下。そしてその向こうの世界。

 子供なりに行動範囲を広げようとしても、なぜか怖くて、それ以上行けなかったところ。いつもそこまで行っては、そこをくぐろうとしても躊躇して引き返してた高架下の向こうの世界。

 学区が違えば、もうそこは知らない世界。友達の家もない。親とも行く機会がない未知の世界。あの頃行けなかった高架下をくぐった先に、行ってみようと思い立った。

 何かが変わる《ひかれる》ような気がして。




          四



 高架下までは、あっという間だった。昔は自転車で来てた距離も、今なら徒歩でも近いと感じる。そんな距離の場所。そして、当時、仄暗くて怖さを感じていた高架下も、さして今ではなんとも思わない自分が居ることに気づいた。

 今の僕と、子供の頃の僕とでは、見えている・感じている世界がこんなにも変わってしまうのかと思うと、あっけなく感じてしまい、途端、気持ちが冷めてしまった。あの頃の気持ちは、もう自分には感じられないのかもしれないと。

 引き返してもいいかな。知らない世界は知らない世界のままにしておいたほうが思い出として綺麗に残るのかも。さっき、駅舎を見て、がっくりきたみたいな思いはしないほうがいいのかもしれーー  

 ーーと、突然、ぱらぱらと雨が降ってきた。それも、あまりにも急な天気雨。幻想的だなんて思っていたら、そこそこ降ってきたので、慌てて雨宿り先を探す。

 咄嗟に飛び込んだのは、あの高架下。

 あの頃行けなかった、未知の境界線。




          五



 天気雨は思いのほか長く、かれこれ十分は降っている。こんなに長いものなのだろうか? こんこんと降る雨をぼうっと眺めているしかない。あたりは少し靄もかかり、でも陽はさんさんと差していて、不思議な情景で、美しくはあるのだけど、現実問題、なかなか止む気配がないと、移動ができない。でも傘は持ってきてないいし、濡れずに移動するルートもなさそうだし、どうしようと思っていると、

「………あのっ!」

 と背後から声をかけられた。結構大きな声だったのと、人の気配がまったくしなかったのもあって、僕はびっくりして、「うわぁ!」と思わず声に出して飛び上がった。ああ、情けない。今思い出しても恥ずかしい。だって未だにその時のことを弄られるのだから余計に。

 背後からの声に振り返ると、僕と同じくらいの年齢の女性が立っていた。

 そう、胡夏だ。これが僕と胡夏の出会い。

 天気雨の高架下で、僕らは出会った。




          六



「や、驚かすつもりはなかったんですけど、なんか、すみませんッ。」

 胡夏はそう言うと、丁寧に深いお辞儀をした。が、なかなか頭を上げない。なんでだろう? と思っていると、徐々にコン、コンと言う不思議な音が胡夏から聞こえてきた。そして、肩を上げ下げして、ふふふっっと、笑い声を漏らしながら、顔を上げた。その時の胡夏の顔は、今でも印象的で、本当に綺麗で、可愛いと思う。

「や、ごめんなさい。ちょっと、噛み締め? といいますか………こう………ふふっ。」

 ああ、多分、僕の反応がツボに入ったんだろう、素っ頓狂な声を上げたし。だから今でも胡夏に弄られるわけだし。

 僕は、恥ずかしさを紛らわすために、なんとか体裁を整えつつ喋りかけた。天気雨やまないですねえ、あっ、僕、新見総一朗にいみそういちろうって言います。愛知から来て、大阪の大学に通ってて、昔ここらへんに住んでて………。

 他愛ないけど、僕らの始まりの話。




          七



 胡夏も、自分のことを話し始めて、会話が弾んで来た頃、

「あっ、」

 と、胡夏が声を上げた。

 天気雨はいつの間にか上がっていて、空には虹がかかっていた。

「綺麗だねえ………」

 僕が胡夏にそう言うと、少し間をおいて、

「そうやねえ………新見さん、なんか天気雨に思い出とかあります?」

 いや、特には。そうそう遭わないしなあ。そう言うと、胡夏はちょっと残念そうな顔をほんの一瞬見せた。あれ? なんか話、失敗しちゃったかな? と僕は焦ったのだけど、胡夏は、僕のその反応を見て、すぐに笑顔に戻って、

「んー………。気にせんで。思い出があったらなんか聴きたいなって思っただけやから。

気い悪うとかしてへんし、気を遣わんでええですよ。」

 しっかり胡夏に心の内を読まれていた。今もそうだけど、胡夏は人の機微をよく見ている。気遣いが嬉しい。

「そや、帰るなら、こっちから行ったほうが駅に近いから送りますよー。」

 と言い、手をこまねいた。僕は、じゃあお言葉に甘えて。と二つ返事で返し、とん、と足を踏み出した瞬間、時がスローモーションになった感覚を抱いた。そして僕は、はたと気づく。

 高架下、くぐって越えたんだ、自分。と。

 

 

          

          八



「ほんなら、続きはまた今度。」

 胡夏は人差し指を自分の口元に当て、次まで内緒。とウインクをして言った。

 また今度だからと、駅で胡夏から連絡先の交換を持ちかけられて、付き合いが始まり、今、こうして婚約に至る。僕のどこが良かったのか未だにわからないのだけど、それは、なんとなくだよとか、いや、運命だよとか、わかんないけどいいじゃんとか、聞くたびにはぐらかされるので、いつも狐につままれた顔をするしかないけれども、不思議なもので、僕も、まあ、いいか。一緒に居て幸せなのは事実だしと、化かされてたとしてもいいやと妙に受け入れている。

 と、色々思い出していると、胡夏が、

「あ、ちょっと夜まで寝とりーや、眠いやろ? 疲れたやろうし。なぁ?」

 と、僕に仮眠を取るように促した。そう言われると、なんだか眠い気もする。ふっと、以前に感じた感覚。畳の藺草と胡夏の香りが心地よく………。横になると、胡夏が僕の頭に手を触れる。と、ふわふわとした感覚が僕を包み、意識はゆっくりと夢の中へと……。

 

                                                    


          九



 まどろみの中。意識はふわふわと、うつつと夢を行ったり来たりしている。

 あの高架下の風景が見える。見えるのは子供の頃の自分の姿だ。自分を自分で見ている不思議。何度も行っては引き返していたこの場所。

 何故、何度も自分はここに来ては引き返していたんだろう。越える勇気もないのに、惹かれていたのはなんだったんだろう? 夢の中で、思い出す。たしか、そこには妖怪がでるとかそういう話があったんだった。怖さもあるけど、好奇心もある。だから僕はそこに通っていたんだなあと、気づく。

 子供の頃の自分の後を追う。高架下の手前で自転車を降りて、じっと様子をうかがっている。そうだ、毎回こんな感じで効果をくぐれなかったんだよなあと、苦笑する。

 と、高架の先の方から、聞き慣れた音がした。

「コン。」

 夢の中の僕の視点は、高架下へ進んでいく。と、そこには、まだ幼い少女がいた。物陰と暗闇に隠れて、子供の頃の僕をじっと見ている。白いパーカーを被って、ちら、ちら、と、自分に気づかないかな? 自分から子供の頃の僕のほうに行こうかな? といった様子でそわそわしている。耳を澄ますと、ボソボソと「来えへんかなあ………? うちから行こか? でも恥ずかしいし、どないしよ………。」と聞こえる。

 被ったパーカーには不思議と凹凸があり、まるで耳のように見える。猫耳パーカー? と、僕はその少女の顔を覗こうとすると、パッと、夢が途切れた。


 夢は場面転換して、あらたな情景を映し出した。


 場所は、胡夏の一族の集落。僕が今いる場所。先程伺った、胡夏の家の本家の広間が見える。先程とほぼ同じ風景なのだけど、胡夏と僕は、神前式の結婚装束を着て、三三九度をし、式典を進めている。まわりにいる人たちは………あれ? 不思議と靄がかかって顔が見えない。でもシルエットはわかる。長く伸びた鼻口部。頭から伸びた三角の耳。腰からのぞくふわふわとした橙の尻尾。 それはまるで………。


 シャン……。シャン……。と残響を纏った鈴の音が鳴る中、僕らは本家から胡夏の家まで行列をなし歩く。夕刻、パラパラと雨が振り、乳白色の靄がかかる。それを、提灯の暖かな光が、ぼんやりと照らす。ハレーションが幾重にも重なり、虹色の滲みが現れては消え、光学的色彩が万華鏡のように風景を彩る。


 いつのまにか行列の行進が終わり、僕らはしばし、腰を下ろしていた。と、胡夏がちょんちょんと僕を肘で小突く。

 僕は、胡夏の横顔を見る。深い綿帽子の縁から覗いた表情は、厳かながら、口元は照れを隠せない弓の形。

 「あんな? 総ちゃん。うち、ずっと待っててん。あの子ーーー総ちゃんやな。ずっと高架下をくぐってくるの。うちも高架下の反対側、行ってみたかってんな。でもくぐる勇気がなくてなぁ。やったら、総ちゃんが来なくなったら、高架下の先に行くのは諦めようと思ってん。」

 胡夏は両手の指を合わせて、人差し指同士をくるくる回しながら続けて、

「でも、総ちゃん。めっちゃ来るやん。来るのやめないやん。何回来るねんて、毎回つっこんだわ。で、うちもずっと来ることになってん。で、こう………なんか興味持ったんやな。総ちゃんからは見えんように隠れとったけど。そっから………」少し間をおいて言った。

「好きやったんやで。」「でも、うちの家は色々あるから、諦めんとあかんと思ってたけど………。なんや色々、時間が経ってから会って、やっぱり諦められんって思って、声をかけたんや。ほんで、今日、こうして式をあげられて、うち、幸せや。ありがとうな。」

 胡夏の微笑み。そこに子供の頃の高架下の映像が重なる。人の気配はなかった。でも代わりに何かがいた。パタパタとたまに見えるなにか。それも怖さの原因だったんだけど、それは今思えば、ふさふさした、尻尾………。


    ーーーコーン。   



 

          十

                     


「……ちゃん。総ちゃん。」

 胡夏の声で目が覚めた。さっきの夢のこともあって、頭がぼーっといる。あれはなんだったんだ……? そう考えて始めた寝ぼけ眼な僕に、「顔洗いっ」と、胡夏が冷たい手ぬぐいを僕の顔にかぶせたものだから、ぼくは思わずヒエッと声を上げる。おぼろげな夢の世界から現実へ。……夢?現実?

 胡夏はそんな僕を見て、「はよう夜の儀の支度してなぁ。にしてもびっくりしすぎや。」と言いながら笑うのだった。

 コン。と喉を鳴らして。


 さてと気合を入れた僕らは、無事、胡夏の本家との夜の儀も終え、離れに戻った。初めてのことだからぎくしゃくすると思ったけども、つつがなく終えられたのは、気のせい? 既視感があったのも気のせい? いやいや、さっきの夢と似通って、現実と混同して……?

 ………まあ、本当はわかってる。不思議なことだけど、確信がある。結納品に油揚げがあったり、角隠しを耳隠しと言ったりしているし。そういうことなんだろう。胡夏と一緒に居られるなら、そんなものは些細なことだ。ちょいと不思議な縁なだけだ。これはそういう幸せの形。

 そんな僕の心を読んだかのように、胡夏がいたずらっぽく言う。

「このまま、ずっと、うちと居ってくれる? ………この先、まだまだ色々あるけど? 」

「勿論。胡夏になら、化かされるのも、悪くはないし」

「化かすとは人聞きの悪い。まあ、秘密やからバレんし、ええか。」

 お互いに顔を見合わせ、胡夏も僕もコン、と喉を鳴らしながら笑った。



                                     了

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