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⑥誓い

 「飛んで火にいる夏の虫!」


 代わりに、ハンヴェイの歌声だけが背後から聞こえてきた。レイディは慌てて視線を前に戻す。


「あ…っ! 王子…!」


 少し遅かった。リーチェはハンヴェイに捕らえられ、剣を突き付けて抵抗できないように威嚇されているところだった。リーチェはハンヴェイの狂気の歌に苦笑し、そのまま壁際まで追い詰められ、あっけなく手錠をかけられていた。


「……嘘でしょ!?」


 一国の王子が、ハンヴェイのような小娘相手にこんな簡単に捕まってしまうなんて。レイディはその事実に冷や汗をかいた。この国は大丈夫なのかと心配すると同時に、レイディは「ぢぃっ」と自分でも聞いたことがないような声を出して舌を噛む。


 あと少しでハンヴェイを捕らえられたのに。そうしたら、チャミルへの口実が一つできる。ブラックダイヤモンドに近づけたのに。どうしてここで邪魔が入るのか。人質が増えてしまっては、思うように動けない。人命優先。それがゴースト一族だからだ。それに、自分の正体を知っているのかいないのか。それすらも分からないから、どこまで自分が言うことを聞いてくれるのか分からない。加えて、心の奥底から湧き上がってくるこの感情はなんなのか。何も分からず、計画が狂ってしまったレイディはその感情全てを怒りに変換することにした。


「ハンヴェイ! その人は無関係でしょう!? 放して!」

「嫌です! 折角王子様を捕まえたのです! チャミルさんにお見せしないと…!」

「人を物みたいに扱うんじゃないの!」


 レイディは今度はハンヴェイと剣を交える。しかしその動きは互角のようで、永延と剣同士がぶつかり合うばかりだ。


「もう…っ!」


 レイディの怒りはとっくに頂点まで達している。剣の動きを早めて、一気にハンヴェイを牽制し、勢いに任せて追い込もうとした。読みは的中し、ハンヴェイの表情には余裕がなくなる。剣の動きについて行くだけで精一杯のようだ。


「いい加減、吐きなさい! チャミルはどこ!?」

「だから、言わないって言ったじゃないですかー!」


 半分泣きながらも、ハンヴェイは絶対に口を割らなかった。痺れを切らしたレイディは反対側の壁までハンヴェイを追い詰め、剣を壁に突き刺してハンヴェイの胸元を掴み、その力で壁に押し込み顔を近づける。


「ひ、ひえー…!」


 ハンヴェイがその威圧感に怯え、剣から手を放すと、カランっと床に落ちる音が響いた。だがその時、背後からは別の声が聞こえてくる。


「おい、王子だ! やった、これ以上の人質がいるか!?」


 早々に伸びていた二人が意識を取り戻したようで、リーチェに気づいて二人でその首元に剣を向けている。


「あ…っ、だめ…!」


 それに気づいたレイディは、ハンヴェイのみぞおちを膝蹴りで鎮め、慌てて壁から剣を抜き、反対側まで駆け出す。二人はレイディが走ってくるのを見ると、ニヤリと目配せをして同時に立ち上がった。


「とりゃっ!」


 一人が剣を振るうが、それはおとりのようなものだった。レイディは丁寧にそれを避けたが、もう一人がその避けた方向から剣を容赦なく振るう。


「……しまった!」


 冷静さを欠いたレイディはそんな初歩的な不意打ちに嵌り、美しい肌に一筋の赤い線が走った。咄嗟に庇おうとした腕にうっすらと血が浮かんでくる。刹那の戦慄の後で、その傷はズキズキと痛みだす。

 血がぽたぽたと垂れるが、構っている暇はない。すかさず次の攻撃を狙う二人から距離を取るようにぴょんぴょんと部屋を飛び回り、レイディは交互に二人を見る。


「それっ!」


 一人が飛び込んで切りかかってきたので、レイディは足元の低い二本足の長椅子の端を踏み込み、反動で跳ね上がった椅子の裏を盾にした。見事に剣は椅子を切りつけ、剣は一度ビヨンと音を立てて木面に嵌る。

 なかなか抜けない剣を一生懸命取ろうとしているうちに、レイディはもう一人の首元の急所を剣の柄でトンッと打ち、彼はふらりと倒れ込んだ。


「…王子……!」


 レイディはこの隙に王子の手錠を外そうと、壁際に座り込んだままのリーチェのもとまで駆け寄り、慌てて手錠を確認する。床に手をつくと、血が肌を伝って流れ落ちていく。もう痛みは感じない。レイディはどうにかリーチェを解放しようと頭を巡らせていた。


「…カーリー!」


 リーチェの声が頭の上で響くと、レイディは影に覆われた。「え…?」と、判断力の鈍ったレイディが振り返ると、その視界には椅子から剣を取り返した男が意地悪く笑い、レイディに剣を振り下ろそうとしているのが映る。


「……!」


 もう駄目だ。けれど、王子を守らなくては。そう思った時、ドンッと鈍い音に続き、どさっと影が消える。


「……え? な、なに…」


 王子を守ろうと、その身体にぎゅっと覆うように抱きついたレイディは、身体を離し、恐る恐る背後を見る。するとそこには、先ほどの男が白目をむいて倒れていた。


「え? え? …何、何が起きたの…」


 戸惑うレイディはきょろきょろと辺りを見回し、ふっとある場所へと目がいく。先ほどまで床についていたリーチェの足が、片方だけ立てられている。倒れた男のこめかみをよく見ると、そこには土がついていた。ここに土はない。だが、リーチェの立てられている足の靴には土がついている。


「……君が、ゴースト・レイディ?」


 茫然としたままリーチェの顔を見ると、前に会った時と変わらず穏やかに微笑みかけてきた。久しぶりに浴びたその屈託のない笑みに、レイディは一瞬たじろいだ。しかしすぐに暗い表情をする。


 ゴースト・レイディだとバレた。そのことが思いのほかショックだったようだ。本来の自分を隠すのは慣れている。それが日常だ。けれど、今回は何かが違った。レイディはその違和感が気持ち悪くて、顔をしかめる。

 それがリーチェには警戒に見えたのだろう。申し訳なさそうに眉を下げて頬を緩ませ、どうにか自分には敵意がないことを表明しようとする。


「……あなたが、彼を?」

「ああ、結構うまくいった」


 ゴースト・レイディであることには触れず、レイディは先ほどの出来事について尋ねる。リーチェは素直にそれに答え、元気なく座り込むレイディを気遣うように見る。その腕はすっかり真っ赤になっていて、指先までべったりと血が付いている。


「君がゴースト一族だと勘ぐっていたから、確かめたかったんだ」

「……何を?」


 どくどくと血が流れる振動を感じながら、レイディはそっとその手を引っ込める。


「ゴースト一族の噂は知っている。けど、その実態を僕らは知らない。街の人に聞いても、皆、印象は様々だ。いい印象を持っている人もいれば、気味悪がっている人もいる。だから自分で確かめようと思った。君は僕のような部外者に、どんな対応をするのかって。本当に、人命を優先するのだろうかってね」

「……随分と、用心深いのね」

「これでも王子だからね」

「王子はこんなところに来ないと思う…」

「それを言われたら何も言えないけどさ……」


 リーチェは弱弱しく笑う。試されていたという事実も酷いとは思ったが、自分は存在すら偽っていたのだ。それも当然の扱いだろうと、レイディはだんだんと冷静さを取り戻していく。


「でもすぐに自分を許せなくなった。君たちを疑っていたことを」

「当然じゃない。疑わないっていうのも、それはそれで問題でしょう」

「そうだな…。でも…」


 リーチェは後ろに隠したレイディの片手を見やる。


「君を傷つけた」

「こんなの慣れてる。気にしないでください…」

「いや、それは無理だ。僕は今、自分が憎い。…ゴースト・レイディ」


 低くなった声に、レイディは顔を上げて小首を傾げる。再度見たリーチェの雰囲気が違うことに気づき、レイディにピリッとした電流が走る。


「だから償わせてくれ。僕は、君の味方になると決めた」

「…え?」


 リーチェの宣言に続いて、背後から「うぅーん」という呻き声が聞こえてくる。誰かが意識を取り戻しかけているようだ。レイディは身体を強張らせ、緊張感を取り戻す。


 リーチェは背中に回されていた手錠をレイディに向けてどうにか差し出した。同時に、腰に携えた剣を目線で知らせる。切ってくれといったところだろう。レイディはハンガー座の綻びだらけの剣ではなく、リーチェの美しく輝いている剣を抜き、その切れ味の良い刃を振り下ろして手錠の中央部分を切り裂いた。

 両手の自由を取り戻したリーチェが立ち上がると、レイディは剣を返すため柄の部分をリーチェに向ける。


「これはあなたのもの」


 王族の剣は特注品で、庶民が使っているそれとは比べ物にならない。その輝きも切れ味も、まさに威厳を放つのにふさわしいものだった。


「……ありがとう」


 リーチェが剣を受け取ると、レイディはリーチェに部屋を出るように急かした。レイディは部屋を出る前に窓を覆っている黒い幕の一部を破り、傷口を塞いだ。

 仲間が闘っていることを、屋敷のメンバーが気付かないはずがない。レイディは息を潜めて廊下の先まで進むと、黙ってついてくるリーチェをちらりと見る。


「ところで、どうしてここに?」


 今聞くべきではないかもしれない。しかし何か話がしたくなった。


「ああ。近頃、盗難被害がひどくて、警備隊の方で手を焼いているんだ。だから僕も協力したくて。ここにその一味がいるかもしれないと疑われていたから、調査に来たんだ。そしたら、偶然君もここにいた」

「……一人で?」

「ああ。……あまり派手に動きたくはなかったからね。もちろん、何かあった時のために応援は呼んであるけど。ある程度の時間が経ったら、ここに警備隊が来るよ」

「……そう。大胆なことをしますね」


 レイディは廊下の様子を窺い、頭の中で計画を練り直す。警備隊が来るということは、ハンガー座はその前に逃げてしまう可能性が高い。騒動になれば特に、チャミルが来ることなんてなくなってしまうかもしれない。ゴースト一族だけならば、嬉々として姿を現すだろうが。それとも、あるいは。


 無言で考え事をしているレイディを、リーチェはじっと見つめていた。その瞳は慈愛に溢れ、凛とした勇ましさの中に穏やかさを宿していた。


「あの…そういえば、噂で聞いたのですが…王子…」

「ん?」

「私を探していたのは、本当ですか?」

「…ああ、そうだよ。君の耳にも届いていたか?」

「はい。でも私は見ての通りカーリーではありません。だから…王子、考え直した方がいいかと」

「いいや」

「え?」


 食い気味に答えたリーチェは真面目な表情で首を横に振る。これには思わずレイディの口もぽかんと開いてしまった。


「何故それが君を諦める理由になる? 身分なんて関係ないだろう。この国にそんな制度もないし」

「え? いや、そうではなく…身分とかではなくて……」


 レイディは偵察の目が疎かになりながらも言葉を選ぼうとする。


「私は、犯罪者です」


 しかし言葉は思いつかず、直球の単語を放つ。


「例えそうだとしても、僕には関係ない」

「は…? い、いや、国民とか、王様とか…色々、気にする方はいるはずです」


 本当にこの国は駄目なのかもしれない。レイディはリーチェのことを困惑したまま見つめる。犯罪者を妃にしたいだなんて、この王子は少し変わっている。普通そんなリスクは避けてしかるべきだし、そう言われてもレイディとしても何の違和感もなかった。むしろ、王族のような存在とは距離を置くべきだとずっと思ってきた。その考えに皆が首を縦に振ってくれるだろうと。


「それは勿論、理解してもらう必要があるかもしれないが。それでも僕の気持ちに変わりはない」


 リーチェの意志は揺らぎそうになかった。あっさりと言ってのけているが、その声は真剣そのものだ。


「どうして…そこまで……」


 リスクを冒してまで望むことではない。心変わりしてくれていいのに。むしろそうしてくれた方がいい。それならば、この胸の奥でうずく気持ちに決心ができそうだから。

 レイディは血の味が残っている口内をぐっと閉じ込める。


「一目惚れだよ。それは罪になるのかな」


 にこっと爽やかに笑うリーチェ。薄暗い廊下に星が舞い降りてきたように仄かに心を照らしてくる。静めたい想いが見つかってしまいそうで、レイディはリーチェから目を逸らした。


「レイディ! 大変だ! 王子が……!」


 その時、廊下の曲がり角から巨体が走ってきた。その後ろには、正反対のスラッとしたシルエットが続く。ベアとスワンだ。レイディが一歩前に出ると、ベアは急停止し、スワンはぶつかる一歩手前のところで見事に足を止めた。


「えっ!? 王子…?」


 すでに合流している王子に気づき、ベアは目をいちだんと丸くして乱れた息のまま驚きのあまり声を荒げる。スワンが騒音を嫌い耳を塞いだのが見えた。


「やぁ、はじめまして。君たちは……」

「いいから! ちょうどよかった二人とも! 屋敷の中はどうなってる? ハンヴェイが待ち構えていて、もう騒動には気づいているはずなの…!」


 礼儀正しく挨拶をしようとしたリーチェを押しのけ、レイディはベアに詰め寄る。時間がないのは間違いないのだが、ベアたちのことをリーチェに深堀りされるのも避けたかったのだ。


「あ、ああ…! えっと……。そうそう! ハンガー座も動き出したみたいだ。俺たちに気づいて、さっきご丁寧におもてなしを受けた。チャミルもタイミング良いのか悪いのかここに戻ってきたみたいだ。今、仲間を連れて俺たちのこと探してるはずだ!」

「…! ついに…!」


 ギラリと瞳が輝く。レイディは興奮した様子でベアとスワンに指示を出す。


「二人は取り巻きたちをお願い! 私はチャミルを!」

「ああ、分かった」


 ベアとスワンはこくりと頷く、そして思い出したように王子を見る。


「……で、王子は…?」

「あっ…」


 その言葉を聞くと冷静さを失いかける。レイディは苦虫を潰したような顔をして黙ってしまった。


「僕はレイディを援護しよう」

「はっ!?」


 反応したのはベアだった。王子のことを未知なる生命体を見るような目で見る。


「頼む、レイディ。償わせてくれ」

「……あなたにそんな必要はありません」

「いいや、必要だ。君を守ると証明させてほしい」

「…………」


 二人の間に流れる気まずい空気を悟ったベアとスワンは目配せをし、同時に頷く。


「じゃあ二人は一緒に動け。どのみち王子を危険には晒せない。チャミルはたぶん上階に行く。事態を見届けた後にそこから逃げるはずだ。それ以外の奴らは俺たちが何とかする。チャンスは今日しかない。今度は逃すなよ」

「……分かった」


 静かな返事が聞こえると、ベアとスワンは来た道を戻り、颯爽と去って行った。黙ってしまったレイディを、リーチェは気遣うように見やる。


「レイディ」

「……一つだけ、お願いしても…?」

「…なんだ?」


 背を向けたまま、レイディは俯き気味に言葉を零す。リーチェは距離を保ったままレイディの望みだけを待った。


「…………怪我、しないでくださいね」


 レイディの望みは水溜りに落とした絵の具のようにリーチェの胸の奥までじんわりと広がり想いを彩った。


「…君の望みは必ず叶える」


 リーチェの凛々しい声に、レイディはようやく振り返って微かに口角を緩ませた。


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