13歳 1
少女は、ベッドサイドの手鏡を手に取った。そこには、ふわふわした栗色の巻き髪に、真っ黒のつぶらな瞳の少女が映っていた。
エリーゼ・フローレンス、13歳。それが、「今世」での彼女の名前と歳だ。
前世を思い出したショックにより、三日三晩寝込んだ後、エリーゼはようやく落ち着きを取り戻した。
「エリーゼ様、顔色が良くなってきたようで良かったです」
「ありがとう。心配をかけたわね」
ほっとしたように声をかけてきたのはメイドのハンナだ。ハンナは、エリーゼと同じ歳であることに加え、性格も素直で話しやすいので、主従の関係だけでなく、エリーゼは話し相手としても仲良くしていた。
「もう、本当に旦那様はひどいです。錠前作り好きの変人だと、平民の我々にまで伝わってくるような王子ですよ。そんな方をエリーゼ様の婚約者にするだなんて」
王家と雇用主の悪口を言うなんて、非常によろしくないし、誰かに聞かれたら危険なことだが、ハンナは誤解をしているので、エリーゼは、まず、その誤解を解くことを優先した。
「ハンナ、あのね、偶然、体調が悪くなっただけで、私は決して第一王子殿下との婚約が嫌だったわけではないのよ」
エリーゼが意識を失ったのは、前世の記憶を思い出したからであって、錠前作りが趣味の王子との婚約が決まったからではない。タイミングがタイミングなので、信じてはもらえないだろうと思いつつ、一応言っておくと、案の定、ハンナは「まあ、体面上、そう言うしかないですよね」と心の声が聞こえてきそうな視線を返してきた。
「エリーゼ様がお優しいことは結構ですが、ディラン王子は、現在の王妃様とは血が繋がっていなくて、冷遇されていると聞いていますよ。王宮では王妃様がお産みになった弟の第二王子ばかりが重んじられていて、ディラン様はいないものとして扱われているとか。こんなのエリーゼ様が苦労されるに決まっているじゃないですか」
曲りなりにも貴族であるエリーゼはそのことを知っていたが、平民であるハンナも知っていることに、市井までそんな噂が回っているのか、と少し驚く。
「そうねえ。でも、そんな事情でもないと、中堅貴族の我が家に、王家との婚姻話なんて舞い込んでこないでしょう」
そう、中堅貴族のフローレンス家にとっては、変人だろうが冷遇されていようが、王家との結びつきをいただき、悪くない話だが、第一王子殿下にとってはどうだろう。
ただでさえ冷遇されている王宮で、後ろ盾にも何にもならないフローレンス家と縁を結ばされるなんて、今後の展望が開けないことが確定し、暗澹たる気持ちになっているのではないだろうか。
そう考えると、エリーゼは申し訳ない気持ちになった。
さて、この三日三晩、高熱にうなされながら過去のことを思い出そうとしたが、前世でエリーゼがどんな人生を送ったのか、どうしても思い出せなかった。
ただ、アニメ、マンガ、小説から、女性グループのアイドルにはまっていたことは思い出した。歴史、お菓子作り、電車も好きだった。エリーゼの前世は雑食オタクだった。
好きだったコンテンツは思い出せるのに、自分の人生については全く思い出せない。家族・友人のことも全く思い出せないというのも、薄情な人間性のような気もするが、思い出せないものは思い出せないで仕方ない。
きっと人間関係については心残りなく人生を終えたからだろうと納得することにした。オタクとしてオタク人生を満喫し、きっと幸せなことに悔いなく人生を終えたのだろう、とエリーゼは思うことにした。
(異世界転生とか、前世の一大人気ジャンルだし、まさか実体験できるとはね。ここも、ゲームか物語の世界なのかなあ。)
そして、前世を思い出してみれば、エリーゼは、今の自分の性格にも納得がいった。小説・絵画が好きで、ついつい時間を忘れてしまうことがしょっちゅうだ。登場人物をイメージした刺繍を刺したり、絵画を真似して人形用のドレスを作ったりもする。小説の背景をより深く理解するため、淑女のたしなみよりはかなり深いところまで歴史も地理も勉強していると思う。
(好きな登場人物を絵で描いたり、イメージしたアクセサリーを作ったり、舞台になる場所を訪れたり、前世でも同じようなことをしていた気がする。全然違う世界に生きているのに、やってることはあまり変わらないのね。)
前世でも今世でも、「私」という人間は、こうしてオタクとして人生を過ごすんだろうなと、納得した。
一方、前世を思い出したことで、これまで当たり前と感じていたことが、物足りなく思うようになってしまった。
小説や絵画はあるが、漫画にアニメがない。
女性一人だと旅行にも行けない。聖地巡礼したい。
SNSもしたい。趣味仲間と二十四時間繋がって、気の向くままに、思いを呟き、語らいたい。
(これまで人生に満足してたけど、前世を思い出してしまうと、物足りない……。楽しみが減っちゃったなあ……。)
エリーゼは、ベッドでごろごろしながら、そんなことを考えていると、婚約者となった第一王子のことをふと思い出した。
(そういえば、第一王子殿下は錠前作りが趣味だっけ? もしかして、錠前オタク?)
奇人である象徴のように悪口として言われているけど、人の趣味にケチをつけるなんて失礼な話だ、と、エリーゼは、一人のオタクとして、今更ながら腹が立った。
(いいじゃない、錠前作り。私も刺繍とか裁縫とか好きだし。自分の手で何かができるって楽しいよね。)
王子としては、身を守るための剣だったり、外交に活かせそうな狩猟や外遊だったり、そういうことが趣味の方がきっといいんだろうけど、夫としては、女遊びや夜遊びが趣味とか、そういうのよりずっといい。
(私も錠前の魅力が分かれば、夫婦共通の趣味になって楽しいんじゃないだろうか。あ、でも、錠前作りが好きって言っても、錠前作りの何が好きなんだろう。頑丈な錠前を作るのが好きとか、錠前の細工を作るのが好きとか、精巧な錠前を作るのが好きとか。その辺りは押さえておかないとね。)
エリーゼはベッドを降りて、体を動かしてみた。どうやら体調は完全に回復したようだということが確認できた。
そして、気合を入れて、言った。
「よしっ。ハンナ、第一王子殿下のところへご挨拶に伺いたいわ。お父様にご挨拶に伺えるよう、掛け合ってみましょう」




