一
不知火ヒナ
微腐ノーマル少女で主人公。
運動は苦手で勉強もイマイチ。
少食で小柄。肩くらいまである髪をポニーテールにしている。
趣味は、ドロドロした恋愛ドラマの視聴やBL本や百合本を読むこと。最近はヤンデレにハマっている。
マンションの五階、五ーCと書かれたドアを開ける。
「ただいま〜」
返事は返って来ない。一人暮らしなので当たり前だ。
入ってすぐ、正面の扉を開ける。見慣れた自分の部屋だ。鞄を部屋の奥にある机の横に放り投げる。うむ、今日もジャストな位置。満足してベッドに倒れ込む。
今日は本当に疲れた。新学期早々悪目立ちしてしまった。
いつもそうだ。こういう重要な時に限って何か大きな失敗をしたり、邪魔が入ったりする。
一昨年の文化祭では劇の重要なシーンで手元が狂ってしまい、照明がピンク色なって劇が台無しになったり(なんか卑猥だった)、去年の修学旅行では妹が私の目覚ましの電池を抜き取ったせいで寝坊してしまって、一番行きたかった甲子園球場に行けなかったりもした(私は有名な場所が好きなのだ。マチュピチュとか好き。行ったことないしどこにあるかも知らないけど)。
今日はクラス発表で今年も幼馴染と同じクラスになれず、何故か幼馴染が泣き出してしまい、私が泣かせたと周囲から非難の目を浴びて(幼馴染はとても可愛く、学校ではマスコット的存在だ)、新しいクラスでも浮いてしまったのだ。
一体私が何をしたっていうんだ。日頃の行いは悪くないはずなのに。
「はぁ……」
ため息を吐くと運が逃げるというが、正直どうでもいい。
今日は宿題もないし、テレビでも見ながらゴロゴロしよう。そう思い、テレビを付けたが、時間的にニュースや天気予報くらいしかやっていない。
「ふぁ〜」
眠くなってきた。疲れたしお腹は空いていないし、今日はもう寝ようかな。まだ六時前だが、勝手に瞼が下がってくる。制服のままだけど、まあ、いいや。
「ほやふみなは〜い……」
返事は返って来ない。
次の日、目覚ましをつけ忘れていて、起きたら既にホームルーム直前(私はロングスリーパーなのだ)、天然パーマでただでさえセットに時間がかかる髪はどこから手をつければいいのか分からないくらいボサボサ、制服には無数の小さなシワが付いていて鞄の中身は昨日のままだった。
ため息を吐きたくなったが、また悪いことが起きそうだったのでやめた。
◆
現在時刻、午前九時三十分三十七秒。
遅刻が確定した事を受け入れ、制服をアイロンがけしたりシャワーを浴びて髪を整えたりいつもより凝った弁当を作ったりして、万全の状態で登校した。
二時間目に間に合うように登校したのに、生徒指導の村山にがっつり絞られたり担任の山中からアイアンクローを食らったりして、気づけばこの時間になっていた。
もう二時間目は始まっている。まあ、二時間目の古典は優しい女性の教師だと聞いているので、さほど怒られないだろう。
「じゃあ、今から問題を出します。正解するまで終われません。間違えた問題の数だけ、宿題としてプリントを提出してもらいます」
とても魅力的な、私が女じゃなければ惚れてしまいそうな笑顔でそう言ってきた。この人は悪魔か。
古典は私の苦手な教科だ。なんの勉強もしていない今、問題に答えられるとは思えない。勉強していても答えられないと思うけど。
「プリント三枚提出するので許してもらえませんか?」
ここは交渉する。全然解けずプリントが十枚、二十枚と膨れ上がっていくのはなんとか避けたい。
「あ、簡単な問題なのでそんなに警戒しなくても大丈夫ですよ? ちょっとした準備体操です。去年と一昨年、しっかり勉強していれば誰でも解ける問題です」
む、もしかしてこれはガチなやつではなく、ちょっとしたお遊びなのか?教師が生徒に休憩がてら雑談するのと同じようなものなのか?だとしたら私はかなりマヌケだ。
そもそも、既に担任や生徒指導に怒られていることを彼女は知っているはずだ。更に追撃するようなことは流石にしないだろう。
……しないはずだ。
「分かりました。受けて立ちましょう」
「では第一問。『筒井筒』を全て、何も見ずに音読してください」
知るか!確かに去年やったけど!何故か暗記もさせられたけど!私テスト終わった後直ぐに忘れたから覚えてないよ!テストボロボロだったし!
「わ、分かりません……」
「おや? サービス問題なんですけどねぇ」
これでサービス!?ざけんな!
「では、次はもっと簡単な問題にしましょう。第二問。『死ぬ』の文法的説明をしてください」
なるほど、確かにさっきの問題よりは簡単だろう(動詞の選択に悪意を感じるが)。一年生で習う基本的な内容であり、これが分からなければ古典のテストで高得点どころか平均点を取ることすら難しい。
しかし、
「分かりませんっ」
クラスが少しざわめく。
分からないものは分からないのだ。用言の活用はどれだけ頑張っても理解できないし、暗記しようにもどれだけ声に出してもどれだけ書いても抜けていくのだ。歴史や生物は覚えられるのに。
「あなた、一年と二年で一体何をやってきたの?」
そんなこと言われても……。
出来ないものは出来ない。古典は私の苦手分野なのだ。
その後、十三問目でようやく正解し、無事(?)準備体操を乗り越えた。頂いた十三枚のプリントはどれも裏表ぎっしりで、かなり萎えた。ため息はなんとか我慢した。これ以上運に逃げられても困るし。
◆
昼休み。
いつもの場所、体育館裏のベンチへ行くと、
「ヒナぁ! なんで今日待ち合わせ場所に来なかったの! 心配したんだよ!」
「寝坊しちゃって……ごめんね?」
「ううっ……かわいいから許す……」
いつも通り、幼馴染がいた。何故か涙目になっている。幼い顔立ちと私よりも少し低い背丈から繰り出される涙目の上目遣いは、一体何人の男子生徒を葬ってきたのだろうか。
謎の理由(私はそんなにかわいくないと思う)で私を許した彼女は幼馴染のユカ。学校のマスコット的存在で人気者。私よりも小柄な体躯にショートヘアーという親しみやすい見た目、そして、彼女の誰にでも分け隔てなく接するその性格から、多くの男子、そして一部の女子が勘違いして彼女にアタックし、玉砕していった。
彼女とは幼稚園からの付き合いなのだが、まさか高校まで同じになるとは思わなかった。まあ、流石に大学や就職先まで同じということはないだろう。
ベンチに座って弁当を出しフタをあける。
「ヒナ〜、今日のお弁当なんか凝ってない?」
「ん? あぁ、今日起きた時もうホームルーム直前だったから手遅れだったし、ゆっくり準備しても大丈夫かなって」
「へぇ〜、ホームルーム直前だったんだ〜。じゃあ何で何も連絡なかったのかな〜?」
いや連絡してもどうせ携帯は回収されるから……ホームルーム前ってことはまだ使えたのか?でも直前だし、やっぱり間に合わなかったはず……。
「今年から携帯の回収は一時間目の最初に変わったはずなんだけどな〜。連絡する時間は十分あったはずなんだけどな〜」
「あっ……」
目が笑っていない。これは死んだやつだ。
「……ごめんね?」
「……かわいいから許す……」
生き残った。チョロいな。
「でも気を付けてよ? 本当に心配したんだからね?」
「分かってるよ〜」
「……むぅ」
幼稚園の頃から思っていたことだが、この子、重い。ちょっと連絡を忘れるくらい誰でもあることだろう。まあ、悪いのは私なので何も言えないが。
というかさっさと弁当食べたい。
食後。
「ふぅ〜、美味しかった〜。やっぱりヒナがアーンしてくれたらどんな食べ物も美味しくなるな〜」
それは私が食べさせないと私の弁当は不味いということか。邪推だが。ちなみに私もアーンしてもらった。唐揚げ、美味しかったです。
「さてとっ」
勢いよく立ち上がったユカがおもむろに私の頭を抱いて髪の毛に顔を突っ込む。私の目の前にユカのまな板が……こころなしかユカの私を抱く力が強くなったような気がする。
「すぅ〜……はぁ〜……すぅ〜……はぁ〜……」
私の髪の匂いを嗅いでいるようだ。
正直、気持ち悪い。これは中学の時からのことなのだが、未だに慣れない。まあ、慣れる方がおかしいのだが。
元はといえば私の自業自得なのだ。
中一の時、ちょっと高めのシャンプーを買ったのだが、ユカに自慢したらユカに、私は匂いでシャンプーの種類が分かるから嗅がせて、と言われて嗅がせてしまったのが最初だ。それ以降、ほぼ毎日私の髪の匂いを嗅ぐのだ。
正直、やめてほしい。一回本気で逃げたら学校中を巻き込む大騒動になってしまい(詳しい内容は思い出したくもない)、しかも全面的に私が悪い、髪の毛くらい嗅がせておけばいいという結末で終わってしまったので、再び抗おうという気にもならないのだ。
「すぅ〜……ハァハァ……すぅ〜……ハァハァ……」
ユカの胸部しか見えないので分からないが、興奮してるようだ。一回吸って二回吐いている。
私が思うに、この子は髪フェチというやつなのだろう。全く、髪が好きなら親のを嗅いでいればいいのに。まあ、そういう性癖を親に言うのは恥ずかしいのだろう。親がいない私にはよく分からない話ではあるが。
「ハァ……ハァ……ハァ……ハァ……」
もはや吸っていない。大丈夫かこの子。窒息死しないだろうか。
いや、人の心配をしている場合ではない。私の今の状態もあまり良くない。貞操の危機を感じるし(髪の毛の貞操だ)、目の前のまな板からは哀愁が漂ってくるし、何より息がしにくい。しかも、私が息を吐くとユカの身体が一瞬ピクッと震えて、私を抱く(締め付ける)力が少し強くなるのだ。
「……そろそろやめてもらっていい?」
「ひゃうっ! ……急に動かないでよぉ……」
そんなこと言われても。
「あと五分! あと五分だけ!」
約五分後に次の授業が始まるのだが。
仕方がない、アレをやるか。私の九十九の奥義の一つ、AOO(ペースメーカーではない、アンチ幼馴染奥義だ)。
「えい」
「ひゃっ! ちょ、やめて、あははははははっ、やめ、やめてあはははっ」
「えい、えい、えい」
「あははははははははははっ、はふっ、はふっ、やめて、はなれるかりゃ、はなれるかりゃ、ゆるひて、ゆるひてぇ」
「えい、えい、えい、えい、えい」
「いやぁ、らめぇ、これいじょうはらめなのぉ、じぬぅ、じんじゃうぅ」
※脇腹をくすぐっているだけです。
一旦手を止める。これが私の奥義、くすぐる攻撃。ユカには効果抜群だ。
「三秒以内に離れないとまたやるよ。三、二、一……」
「んっ!」
なぜかより力強く抱きしめてきた。まさか効果がなくなってきたのか?くそ、最近はほぼ毎日使ってきたから慣れたのかもしれない。
やらかした。次はどうしよう。愛の言葉でも囁くか?
「……焦らさないでよぉ……」
なんだこの子。もっとくすぐってをして欲しいのか?訳がわからない。最初はちょっとくすぐっただけで本当に死にそうになっていたのに。くすぐる攻撃はもうやめた方がいいな。……まさかこの子、くすぐりフェチなのか?
「……はやくぅ……我慢できないよぉ……」
変態じゃねえか。
キーン コーン カーン コーン
「「あっ」」
どうやら私の腕時計は少しずれていたようだ。
次の授業は数学。教科担任は私のクラスの担任でもある山中だった。
その後、授業に遅れて、担任から再びアイアンクローを食らった。
それと、さっきのユカとのごたごたがクラスメイトに見られていたようで、私はクラスで、学校のマスコットに自分の髪の匂いを嗅がせてよろこぶ変態、というレッテルを貼られた。普通は逆だと思うが、ユカは学校では純真な、穢れのない娘だと思われているため、私の方に問題があると思われるのは仕方のないことである。本当はユカの方が髪フェチ、くすぐりフェチの変態なのに。
◆
放課後。
私はユカの家に遊びに行くことになった。
これは別に珍しいことではない。むしろほぼ毎日行く。昨日も行ったし、一昨日も行った。ユカの家は私の別荘のようなものだ。
もちろんユカが私の家に来ることもある。だが、私の家には遊べるものがあまりないので、大抵はユカが私の髪とイチャつく(ユカ持参のシャンプーで洗われたり、色々な髪型に変えたりしてくる)。
ユカの家は豪邸だ。『ドラえもん』に出てくる『スネ夫』の家に勝るとも劣らない豪邸だ。しかも、たくさんの使用人に、ユカ専属の執事やメイドもいる。ユカはいわゆるお嬢様なのだ。
「ただいま〜」
「こんにちは〜」
「おかえりなさいませ、お嬢様、ヒナ様」
ユカの執事さんに挨拶をする。今日もバシッと執事服を決めた、整った白髪に手入れの行き届いた白みがかった髭のザ・執事な執事さん。
彼はこの時間になると必ず門を開けて、私達を待っているのだ。最初は驚いたが、今はもう慣れた。
ちなみに彼の性格や雰囲気、顔は私のストライクゾーンのど真ん中をぶち抜いた。彼が既婚者だと知った時は相当絶望したなぁ。まあ、年齢差的に私と彼が結婚することはほぼ不可能なのだが。
小学生の頃、将来のパートナーは彼のような人がいいな、とユカに話したら大号泣されたのはいい思い出……ではないかな。もしかしたらその頃からユカは私の髪を狙っていたのかもしれない。
「じいや〜、ヒナ酷いんだよ? 今朝寝坊したのに私に何の連絡も無かったの。普通はメールくらいするでしょ? そしてお詫びに私に指輪の一つでも贈るでしょ? なのにヒナったら何もないのよ。酷いでしょ?」
「ご、ごめんって。……指輪?」
「ヒナ様も物忘れの一つくらいするでしょう。そんな小さな事で一々怒っていらしてはヒナ様も呆れてあなたの元を離れてしまいますよ」
「えっ! ヒナ、いなくならないよね? 私のせいで嫌な思いをしたなら謝るから……いなくなっちゃやだよぉ」
また涙目で言ってくる。
ユカは執事さんの言うことにはめっぽう弱い。中学の頃、ユカが親や使用人に反抗していた時期があるのだが、それを見かねた執事さんが私に相談を持ちかけてきた。使用人やユカの親が、そんなことばっかりしたり言ったりしているとヒナちゃんに嫌われるよ、とユカに言ったら私がユカを嫌うフリをしてくれ、と頼まれたのだ。
それはユカには効果抜群だったようで、今ではすっかり大人の言いなりだ。特に言い出しっぺの執事さんは積極的にユカを脅したので、ユカは執事さんには逆らえないのである。
「いなくならないよ。私は一日一つ、ユカのお母さんが作るスイーツを食べないと生きていけないからね〜」
「むぅ、そこは嘘でも私が作るスイーツっていってよ〜」
「だってユカ作ってくれないじゃん」
「スイーツ作ってたらヒナと一緒にいれる時間が減っちゃうでしょ!」
そんなこと言われても。どれだけ私の髪が好きなんだ。
その後、ユカと遊んだりユカママが作ったスイーツを食べたり(いつも通り、滅茶苦茶うまかった)古典の宿題をしたりして過ごした。
そして、いつもと同じ時間にユカの家をおいとまして、今は自分の家にいる。
「ん? なんだこのノート」
明日の準備をしようと鞄の中身を入れ替えていると、見知らぬピンク色ノートが出てきた。もしかしたら、さっきユカが転んでユカと私のノートや教科書がごちゃまぜになった時に、間違えて持ってきてしまったのかもしれない。
そのノートの表紙には『絶対開くな!』と大きく書かれている。フリかな?『絶対〜するな!』と言われるとしたくなるというのは人間の性である。だから、これは仕方がないことなのだ。
私はそのノートを勢いよく、なんの躊躇もなしに開けた。
そして、開けたことを後悔した。
『ひなちゃんひなちゃんひなちゃんひなちゃんひなちゃんひなちゃんひなちゃんひなちゃんひなちゃんひなちゃんひなちゃんひなちゃんひなちゃんひなちゃんひなちゃんひなちゃんひなちゃんひなちゃんひなちゃんひなちゃんひなちゃんひなちゃんひなちゃんひなちゃんひなちゃんひなちゃんひなちゃんひなちゃんひなちゃんひなちゃんひなちゃんひなちゃんひなちゃんひなちゃんひなちゃんひなちゃんひなちゃんひなちゃんひなちゃんひなちゃんひなちゃんひなちゃんひなちゃん……』
私は勢いよく、ノートを閉じた。
◆
「……ん、ふぁ〜……」
あれ、寝ちゃってたのか。
昨日は……確かユカの家から帰ってきて……そのまま寝ちゃったのか?ん〜、何か忘れているような……まあ、いいか。
そういえば今何時だ?そう思い時計を確認する。
ん、私は寝ぼけているのだろうか。目をこすって、もう一度確認する。時計の針は今が十時十分三十五秒だということを示していた。
眠気が吹っ飛ぶ。
いや待て焦るな私。そうだ、もしかしたら今はまだ昨日の午後かもしれない(今が昨日というのは少しおかしいが)。
よく考えろ私。昨日はおそらく六時前に寝た。それから四時間だ。起きてもおかしくはない。カーテンの隙間から光が漏れているのはあれだ、今日は季節外れのスーパームーンなのだ。うん、月の光なら仕方がないな。
そんなことを考えながらカーテンを開ける。
「朝だぁー!」
「うるせぇ! 朝から大声出してんじゃねぇ!」
下の階の人に怒られてしまった。
というか、なぜ窓が開いているのだ。昨日開けたっけ?記憶が曖昧だ。
そういえば学校どうしよう。……休むか。そう決めたらまた眠くなってきた。学校に連絡したら寝よう。
プルルルルル プルルルルル
「もしもし、三年G組の不知火ヒナです。熱が三十八度程出てしまったので今日は病欠します。あと、連絡が遅れて申し訳ありません」
「分かりました。山中先生に伝えておきます。今日はゆっくり休んで下さい。プリントの提出は治ったらでいいですよ」
なぜ古典の小悪魔(私命名)が。私は事務室に連絡したはずなのに。まあ、いいか。
「ありがとうございます。それでは」
「そういえば不知火さん、鑑さんととても仲が良いそうですけど……」
くそっ、逃げられなかったか。私がすぐに切ろうとしていたことを予想していたのか、判断が早い。
ちなみに鑑はユカの苗字である。かっこいい(小並感)。
「過度なスキンシップはあまり良くありませんよ。親しき仲にも礼儀あり、というように、不知火さんも仲がいいからといって鑑さんにベタベタし過ぎるのはやめた方がいいです。自分はいいと思っていても相手は心の中では嫌がっているかもしれませんしね」
「ソウデスネ。デハ、コレカラハキヲツケヨウトオモイマス」
「はい、そうしてください。では、お大事に」
プツッ ピー ピー ピー
「……はぁ」
あっ。ため息、吐いちゃった。今すぐ吸えば間に合うだろうか。
「ふぅ〜、ほっ」
これで大丈夫だろう。さて、寝るか。
「おやすみなさい」
◆
午後三時ちょうど。
目を覚ました私は携帯を確認した。起きてすぐ気付いたのだが、ユカに連絡していない。
まずい。二日連続はまずい。
恐る恐る携帯を見ると、未読のメールと不在着信が合計四百件。全部ユカだった。とりあえず、今のユカの心理状態を確認するため、一番上のメールを開ける。
From ユカ
To ヒナ
件名: 自殺するよ?
なんかもう続きを読みたくない。どうしてそうなった。件名だけでユカの今の心理状態のヤバさが分かってしまった。もう読まなくていいかな。……怖いが、一応読むか。
『なんで学校に来ないのなんでメール返してくれないのなんで電話出てくれないのなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなん……』
勢いよく携帯を閉じる。
最悪だ。最初の数行だけでもかなりヤバイ。
私は今までユカ以外の友達が(大体ユカのせいで)いなかったのでよくわからないが、多分これは友達に送るメールじゃない。相手が彼氏だと、いわゆるデートDVというやつになるのではないだろうか。ユカの夫になる人は大変だろうな。
……いや、これは他人事ではない。私の自意識が正常ならば、ユカは私の髪に恋をしている。
私だって鈍感ではない。流行りの『らいとのべる』というやつに出てくる、ヒロインの好意に全然気付かない男主人公とは違うのだ。私だって乙女だ。それくらい分かる。
私がユカに私の髪で作ったカツラをあげて終わり、ならばいいのだが、現実はそんなに簡単じゃない(カツラを作ることも簡単じゃないが)。おそらく彼女は私に生えている髪が好きなのだ。
何故なら、彼女は私が彼女の部屋にあえて落とした抜け毛に全く興味を示さなかったのだ。私がその毛を踏もうがゴミ箱に捨てようが、一切興味を示さずスルーしたのだ。
つまり、そういうことだ。私は将来、らいとのべるの主人公のようにユカに監禁され、一生ユカに髪の毛をいじられながら生きる道を歩んでしまう可能性があるのだ(発想の飛躍)。
それは避けたい。なんとしても避けたい。
一時期そういう本を読んでそういうことをされている主人公を見て、ちょっといいなぁ、私もそういう風に愛されたみたいなぁ、と思ってしまっていたが、今はこれっぽっちも思っていない。死んだ方がマシだとすら思っている。一生そういう人と付き合い続けるとか地獄だと思っている。というのは言い過ぎだが、少なくともいいなとは思えない。
別にLGBTを気持ち悪いと思っているわけではないのだ。むしろ同性愛、特にBLは大好物である。ヤンデレショタとか、よくね?もちろん百合もイケるし、私自身女子から告白されたとして、それに応えるかどうかは分からないが少なくともその人を気持ち悪いとは思わない。
だが、それが歪んだ愛となると別だ。そういうのは創作物の中だけでいい。むしろそういう創作物はもっと増やすべきだと思う。
まあ、つまり何が言いたいのかというと、私の幼馴染は髪フェチヤンデレズなのだ。そして私は彼女の標的で、私はそれを快く思っていないのだ。
今まで私はこの問題を気づかないフリをして先延ばしにしていたが、そろそろ決着をつけないといけないようだ。
始めよう、ユカ更生作戦。
深呼吸をして携帯を開ける。そして、もう一度深呼吸をして、携帯を操作し、
ユカをブロックした。
それからしばらくテレビをぼーっと見ていた。どの番組も再放送のドラマやニュースばかりで面白くなかったが、これからドロドロ展開が繰り広げられるだろうドラマがあったため、それを見ていた。
現在時刻、午後三時四十二分十五秒。
そろそろ学校が終わる時間だろうか。そんなことを思っている時、
ピンポーン
チャイムが鳴る。念のためドアフォンのカメラから外を確認する。
そこには、目が死んでいるユカがいた。
玄関へ行き、チェーンロックをなるべく音が出るようにかける。ドアの向こうでユカが何かを言っているが、内容は聞き取れない。聞き取る必要もない。ドアフォンの電源を切って、またテレビの前に戻る。
ピンポーンピンポーンピンポーンピンポーンピンポーン
無視する。
ピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポン
無視する。
ピンポピンポピンポピンポピンポピンポピンポピンポ
無視する。
ピンピンピンピンピンピンピンピンピンピンピンピン
無視する。
ピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピ
無視する。
ppppppppppppppppppppppppppppppppppppppppppp
無視、する。
いや連打早すぎだろう。高橋名人か。
テレビを消す。携帯を開け、いつも門を開けて待ってくれている執事さんに電話をかける(ユカの反抗期の時、連絡を取り合えるよう連絡先を交換していたのだ)。
プルルルルル プルルルルル
「もしもし、私です。ヒナです」
「ヒナ様、今どちらに? お嬢様と一緒におられますか?」
「その質問に答える前に、私の話を聞いていただけませんか?」
私は執事さんに話した。
これからしばらくユカに会わないようにすること、声をかけられても無視すること、メールや電話はブロックしたこと、そうして、ユカを更生させようと考えていることを、話した。
「……随分と急なお話で。確かに近頃の……いえ、昔からでしたな。お嬢様は少しおかしかった。ヒナ様への過度なスキンシップやストーカー行為、何よりヒナ様に嫌われることへの異常な恐怖。今思えばお嬢様はヒナ様に大層依存されていた。このままでは取り返しのないことになることは明白だったはずですのに、私も見て見ぬ振りをしていたようですな。分かりました。微力ながら協力させてもらいましょう」
「ありがとうございます。早速で悪いのですが、ユカを連れ帰ってもらえますか。ユカ、家の前にいるのですが、さっきからピンポンピンポンうるさくて」
「かしこまりました。すぐに動けるものを寄越します」
「ありがとうございます」
ほっ。どうやら協力してくれるようだ。執事さんが味方なら心強い。
というか、ストーカー行為?なんだそれ私知らないぞ。
「それでは」
プツッ ピー ピー ピー
「ふう」
なんか疲れた。いつの間にかチャイムは鳴り止んでいる。
今日はお風呂に入ってもう寝よう。お腹も空かないし。
パジャマを着てテレビを消して、寝る準備万端の状態になった。よし、寝よう。そう思い、電気を消そうとスイッチに手を伸ばしたその時、
ピンポーン
チャイムが鳴る。こんな時間に誰だろう。と思ったら今はまだ五時だった。ドアフォンのカメラを見る。ユカかなと思ったが、違った。
私と似た顔立ちの、最近はあまり見ないツインテール。私からしたら結構際どいミニスカートに、上は真っ黒なジャンパー(下半身は寒くないのか?)。
私の妹、不知火マナだった。
玄関へ行き、ドアを開ける。
「やっほーお姉ちゃん。おひさ〜」
「マナ、来るなら連絡くらいしてよ。私もう寝るとこだよ」
「はやっ、おばあちゃんじゃん」
マナは私の二つ下の妹だ。
今は訳あって、マナだけ祖父母の家で暮らしているが、五年前まではここで一緒に暮らしていた。祖父母の家は県を跨ぐのでそう簡単には来れないはずなのだが……。
「サプライズだよサプライズ。明日、私の学校創立記念日でさ、明後日は祝日じゃん? それから土、日で四連休なんだよ」
「ふ〜ん、まあ、いいや。この時間に来たってことは泊まるでしょ? ちょっと片付けるから待ってて」
「は〜い」
まさかこのタイミングで来るとは。まあ、四日くらいなら大丈夫かな。うん。
ちゃちゃっと部屋を片付ける。最近は全然掃除してないし、軽く掃除機もかけるか。……新学期早々創立記念日って、逆に忙しそうだな……。
約十分後、片付いた部屋を見回してやり残しがないか確認したあと、マナを呼ぶ。
「マナ〜、いいよ〜」
「ほ〜い」
マナが来るのは冬休み振りだろうか。
春休みは、マナは受験のあとで忙しくて来れなかった。冬休みも来ない予定だったが、私に勉強を教えてもらうと言って祖父母を振り切ってまで来たのだ。
「ご飯食べたの?」
「まだ〜」
「そ、じゃあ簡単に作っちゃうね」
「ありがと」
冷蔵庫にあるものでちゃちゃっと済ませよう。……ふむ。カレーでも作るか。材料を取り出す。ちなみにルーはバーモンドカレーだ。
「お姉ちゃん、エロ本今度はどこに隠したの?」
「言う訳ないだろ」
料理中にあまりエロ本とか言わないでほしい。ちなみに、マナは毎回私のエロ本の隠し場所を簡単に見つけてしまうので、マナが帰ったあとはエロ本を違う場所に隠さなければならず、面倒なのだ。私の部屋はそこまで広くないので隠し場所のバリエーションもなくなりつつある。だが、今回は自信がある。マナが絶対に探さないような場所に隠したのだ。これで見つかったら諦めて本棚に入れよう。
「あ、あった」
絶望。いや早すぎだろう。今回は洗濯機の後ろに隠したから、軽い潔癖症のマナには絶対に見つからないと思ったのに。
「ふむふむ、『百合姉妹』に『百合馴染み』、『ショタランド』、『男と男の熱き戦い♂』ねぇ。お姉ちゃんって同性愛者なの? レズビアンなの? それとも腐女子?」
ちょ、私のエロ本を読み上げるな。滅茶苦茶恥ずかしいのだが。くっ、次は見つからないだろうと思って趣味全開のエロ本を買ってしまったのが悔やまれる。
「ほむほむ……お姉ちゃん、妹にこう言うことしてほしいの? へむへむ……うわぁ、うわぁ、え、まじ? 包丁で刺されながらって、うわっ、痛い痛い痛い、見てるだけで痛々しいんだけど。お姉ちゃんMなの? ドMなの?」
や、やめろぉ。これ以上私の心を攻撃するのはやめろぉ。
妹が私のエロ本を見つけたらまずやることは、中身を読んで私の性癖を確認することである。このドSが。……ドSな妹にドMな姉って、嫌な姉妹だな。私はドMではないが。
ちなみにマナが私の部屋に来ることはあるが、私がマナの家、つまり祖父母の家へ行くことはない。全くない。まあ、理由は単純で、祖父母が私のことを嫌っているからなのだが。別に嫌われるようなことをした覚えはないのだけれど。
逆にマナは溺愛されていて、マナが私の部屋に行くことを良く思っていないのだ。全く、よくわからない人たちである。
そんなことを思っているうちにカレーが出来てきた。ちょうどご飯も炊けてきたし、そろそろ完成だ。軽く味見をする。うむ、我ながら中々の出来だ。あとは皿に盛り付けて完成である。
パパッと盛り付けて、そこで気付く。テーブルを出していない。まあ、だからなんだと言う話だ。出していないなら出せばいい。
そう思いリビング兼寝室へ行くと、マナが、オブラートに包んで言うと秘め事をしていた(全然秘められていないが)。
「…………」
「…………」
これではどっちがどっちの三点リーダーか分からない(恒例行事)。とりあえず、冷静になって大人な対応をしよう。
「そういうことをするのはいいけど、せめてトイレとかお風呂とかにしなさい。床が汚れちゃうでしょ」
「い、いや違うんだよお姉ちゃん! これは……その……そう! マッサージだよマッサージ! 今学校でこういうの流行ってるんだよ! これをすると肩凝り腰痛滋養強壮五臓六腑に染み渡るんだよ! しかも頭も良くなってテストで百点取れちゃうんだよ! ほら! お姉ちゃん古典とか全然じゃん! 私が手伝ってあげるから一緒にしようよ!」
そう言って私のズボンに手をかけるマナ。全く、どこから突っ込めばいいんだ。まあ、とりあえず、
「私のズボンから手を離せ」
◆
事態の収拾がついたのは三十分後だった。あのあと、結局脱がされた私は、自身の貞操を守るため懸命に抵抗し、マナの魔の手を無事脱したのだ。そして、マナは今、頭を冷やさせるためにトイレに軟禁している。
この部屋のトイレは十円で開けられるタイプなのだが、なぜか内側から鍵をかけられないのだ。このマンション、かなり老朽化が進んでいるし、鍵も壊れてしまったのだろう。だが、外側からは鍵をかけられるので、中にマナを入れて十円で鍵を閉めて閉じ込めた。そして私は今、本日二度目のお風呂である。
「ほへ〜、生き返るぅ〜」
マナに濡れた手で体のあちこちを触られたので、お風呂でさっぱりしようと思ったのだ。しかし、こんなことを言ってると本当におばあちゃんである。気を付けねば。
「ふみゅ〜」
なんか眠くなってきた。こういう時はさっさと上がろう。お風呂で寝たら風邪を引く。
二着あるパジャマのうち、一着は濡れてしまったので、もう一着、あまり着たくないが、猫のパジャマを着る。真っ黒の、上下がくっついているフード付きのパジャマで、フードには猫耳が、お尻の部分には尻尾が生えている。
別に自分で買ったわけではない。ユカからもらった十二歳の時の誕生日プレゼントだ。あの時は結構嬉しかったが、この歳になるとちょっと恥ずかしい。
というかなんで私、小六の時のを着てもぴったりなんだ。成長しなさすぎだろう。いやでも流石に小六の時よりは成長してるよな……。まあ、いいや。
リビングに戻ってテレビを付ける。そういえばカレー冷めちゃったかな。まあ、レンジでチンすればいいし、いいか。
ふ〜む。この時間だし何かやってると思ったけど、特に面白そうなのはないな。仕方がない。もうちょっとだけ放置しようと思ったけど、そろそろマナを出してやるか。
そう思い、トイレへ行く。このトイレ、無駄に防音はしっかりしているので中の音は外には聞こえない。が、なぜか外の音は中に聞こえる。ピンポンを聞き逃さないようにするためだろうか。出来るだけ足音を立てないように歩いて来たが、まあ、鍵を開ける音でバレてしまうし、正直バレたところで何かが変わる訳ではないのでどうでもいい。
トイレの目の前に来る。そして十円で鍵を開け、ドアを開ける。
ガチャッ
「お姉ちゃんっ!」
「っ!?」
マナがトイレから飛び出して来た!
私はバランスを崩して後ろに倒れる。トイレの前はそんなに広くないので仰向けになることはなかったが、お尻を打った私にマナは容赦なく覆い被さってくる。
「お姉ちゃん」
マナは、私の胸に顔を突っ込んで私をしっかりホールドして、だが、そんな大胆な行動をした人間と同一人物とは思えないほど弱々しく言った。
「お姉ちゃん、私、将来お姉ちゃんと結婚する」
「ふぇ?」
それは、五年前、まだ一緒に暮らしていた時にマナがよく言っていたことだ。小五になってもまだ言っていたのでちょっと不安だったが、祖父母に引き取られて以降は言っていなかったので、ちゃんと姉離れ出来て良かったなあと思うと同時に、ちょっと寂しかった覚えがある。
「お姉ちゃんは、誰と結婚するの?」
これも同じ。マナはいつも不安げな表情で私を見上げて、私の答えを待つのだ。ここで私はいつも笑顔で、マナだよ、と言う。
マナは五年前まではさっきまでのような、世間一般から見たら(多分)普通な妹ではなかった。彼女はあらゆる面で私に依存していた。
何をするにも、何もしなくても常に私と一緒でなければ情緒不安定になり、ヒステリーを起こす。一緒にいても時々不安になるのか、私に今のような質問をしたり、急に抱き着いてきたりする。会話は私を通してでないと出来なかったし、食事は私が食べさせたり、マナの機嫌によっては口移しをしないと食べない時もあった。
実のところ、理由は未だによく分かっていない。一度病院へ連れて行ったが、よく分からないと言われた。本人に直接聞いたら、「お姉ちゃんとシたら分かるかも」と言われたので、結局分からず仕舞いだった(流石に近親相姦はまずい)。
だが、マナが祖父母に引き取られ、私と離れ離れになり、情緒不安定を通り越して発狂してしまうではないかと心配した私だったが、それは杞憂だった。
何があったのだろうか。祖父母に何か言われたのかだろうか、マナは何を考えたのだろうか。私は何も知らないが、なぜか、マナが普通の女の子になっていた。普通に話し、普通に食べ、私無しで普通に生活していた。その時はとても喜んだし、同時に少し寂しく思ったが、今思えばマナは我慢していたのだろう。
誰かに甘えたいのを。寄りかかりたいのを。依存したいのを。
初対面の祖父母に、私に対してするように甘えることなど、過度な人見知りだったマナにはできるはずがない。ましてや友人なんて、そもそもできるかどうか……。
だから、我慢せざるを得なかったのだ。
そして、さっきのことをきっかけに我慢できなくなった。甘えたくなった。寄りかかりたくなった。依存したくなった。
不安に、なった。
そして、こんな行動に出たのだ。
限界だったのだろう。ずっと一緒にいた、頼れる人と離れ離れになり、時々会っても、以前のように甘えてしまえば我慢できなくなるかもしれないから甘えられない。そんな、地獄のような毎日を送り、五年。持った方だろう。むしろよく五年も耐えられたものだ。私だったら一ヶ月も持たないかもしれない。
物凄い罪悪感に包まれる。私はあの子の姉なのに。あの子を守ってあげなきゃいけないのに。なのに、気付けなかった。これじゃあお姉ちゃん失格だ。
せめて、この四日間くらいは甘えさせてあげよう。前みたいに四六時中一緒にいて、甘やかしてあげよう。
私にはどうやらもう一つ、先延ばしにしていたことがあるようだ。流石にユカ更生作戦と同時進行でやると身が持たないのでもう少し先延ばしにすることになるが、それが終わったらすぐに始めなくてはならないだろう。
マナ更生作戦。
でもまあ、今は甘やかそう。まだ今なら、少しくらい甘やかしても手遅れにはならないはずだ。だから、私は心からの笑顔でマナに言う。
「マナだよ」