女だけの集落
フィンに強引に腕を引かれ、ラズリィはひときわ大きな天幕の中に引き入れられていた。
フィンの豹変ぶりに驚く暇もなく、体格の良い者たちに両脇を抱えられ、自由を奪われてしまった。
ラズリィよりも上背のある者たちばかりで、ほとんど抵抗できないまま、天幕の中央へと引きずられていった。
この場にいる者たちが全員女とは思えないほど、みな屈強な戦士のようにたくましい風貌と装いだった。
しかし、天幕の奥へ進むほど、色鮮やかな薄い生地を身にまとった、艶めかしい女たちがひしめき合っていた。そして、彼女たちは一様にラズリィを注視しては、意味ありげにクスクスと笑うのである。
「また男の集落から連れてきたそうよ」
「あれで男? 本当に?」
「まだ子供じゃない」
「でも、使えないほど幼くはないでしょう」
「綺麗な銀の髪、きっと美しい子が生まれるわ」
「美男が同時に二人も得られるなんて」
「お祝いしなくちゃ」
女たちは、品定めするようにラズリィを無遠慮に眺めては、ひそひそと囁き合っていた。
隠しきれない彼女たちの好奇の眼差しが、全身を這いまわるようで、ラズリィは本能的に嫌悪感と危機感を抱いた。できることなら、今すぐこの場から逃げだしてしまいたかった。
フィンに助けを求めようとしたが、大勢の女たちに囲まれて、いつの間にか見失ってしまったようだ。
ここにラズリィを連れてきたのは紛れもなくフィンであり、この状況はまさにフィン――彼女が作り出したものだ。それでもラズリィは、まだフィンのことを信じていたかった。
女たちの笑い声が飛び交う中、その雑音に紛れ込むことのない、柔らかく澄んだ声が、この天幕の中に響いた。
「新しい殿方というのは、どこにいらっしゃるのかしら? 私にも見せてちょうだい」
「エーデル様」
天幕の最奥から、一人の少女が現れた。すると、今まで高慢だった女たちが、一斉に少女の前でかしずいていく。まるで、水面に波紋が広がるように。
ただの一声で女たちを黙らせた少女に、ラズリィは心中で舌を巻いた。
その場で立っているのは、ラズリィと、ラズリィの両脇を抱えた女たちが仕方なく、――そして、目の前のエーデルと呼ばれた少女だけだった。
年は、ラズリィやフィンと同じくらいに見えた。腰まで届く金の髪が印象的で、瞳はラズリィと同じく深い青だ。
あまり女性を見慣れていないラズリィでも、容姿の美醜までわからないわけではない。この少女は、とびきりの美人だった。
「あなたが、フィンが連れてきたという殿方ですね。初めまして、私はエーデルと申します。想像していたよりも、ずっと可愛らしいお方。あなた、お名前は?」
「あ……は、初めまして。僕はラズリィです」
「ラズリィ……。素敵なお名前」
そう言って、少女はラズリィに微笑みかけた。
ラズリィは無意識のうちに、このエーデルという少女から慌てて目をそらした。
とても、彼女の目を直視することなどできなかった。彼女が美人だからか……それも少しはあったかもしれない。しかしそれ以上に、この少女に図り知れない神秘性を感じた。
なんといっても、声がよかったのだ。この世の何物にも例えがたい、一度聴いたら決して忘れられないほどに、美しい声をしていた。
彼女の神秘的で高貴な雰囲気は、その唯一無二の声によって作り出されている部分も大きかった。
「大空洞の聖地、セノーテホールへようこそ。私たちはラズリィ――あなたを歓迎いたします。まずは、清潔な部屋と温かい食事を用意させましょう。旅の疲れを存分に癒すといいわ」
「あ、ありがとうございます。えっと、エーデル様……?」
すると、少女はもう一度にこりと笑った。
「どうぞ、エーデルと呼んでちょうだい、ラズリィ。私たち、きっとそれほど年も違わないでしょうし」
「わ、わかったよ、エーデル……。――でも、とうしてよく知りもしない僕に、そんな親切にしてくれるの?」
ラズリィが尋ねると、周囲の女たちが、こらえきれないとばかりにどっと笑いだした。ラズリィは、何か変なことを言ってしまったのかと、恥ずかしくなってうつむいた。
「本当に可愛らしい。どうか、そのままのあなたでいてちょうだいね、ラズリィ」
エーデルはラズリィの質問に答えることもなく、意味ありげな微笑だけをよこして、数人の供を連れてすぐに去ってしまった。
残されたラズリィは、相変わらずがっちりと拘束されたまま、別の天幕へと連行されていた。
そこでやっと、身体の自由はいったん解かれた。
エーデルの言葉通り、盆いっぱいの温かい湯を提供された。しかし、仕切りの薄い布をたった一枚隔てるのみで、すぐそばには見張りの女たちが控えているという中、ラズリィは身体を洗うことを強要された。
「本来ならば、エーデル様にお会いする前に、身を清めていなければならなかったのに……」
仕切りの向こうで、年かさの女たちがぶつくさと小言を漏らしていた。
ラズリィは恥ずかしいのを我慢して、無心で身体を洗った。途中で「お手伝いしましょうか」と女たちが笑いながらわざと覗き見てくるのを必死で拒否しながら、手早く湯浴びを済ませた。居心地は最悪だった。
湯から上がると、いつの間にか色とりどりの豪勢な食事が、卓いっぱいに用意されていた。食べるように促され、ラズリィは思わず喉をならした。
旅のあいだは少量の食料しか口にできなかったので、ずっと空腹感を募らせていた。正直、とてもありがたかった。
しかし、ふとわき上がった疑問がどうしても気になって、すぐ食事に手をつけることはせず、そばで給仕をしていた女に問いかけた。
「あの……さっきもエーデルに聞いてみたんですけど。どうして、いきなり来た新参者の僕に、こんなにも親切にしてくださるのですか? こんなに豪華な食事、いくらセノーテホールが豊かだとしても、きっと貴重なものには違いないはずです。もちろん、労働でご恩はお返しするつもりですが……。それに、こんなにたくさん、僕一人では食べきれません」
「いいのよ、そんなことを気にしなくても。あなたのような若い男の子には、元気で健康でいてもらえればそれでいいの。そのためには、栄養のあるものをたくさん摂って、精をつけてもらわないと。あなたは大事な種なんだから」
そう言うと、給仕の女はすぐにも仕事に戻ってしまった。
(種とはどういう意味だろう?)
誰に聞いてもそれとなくはぐらかされるのみで、これ以上は何も聞き出せそうにないと諦めて、ラズリィは食事を口に運んだ。すると、この世のものとは思えないほど美味なものばかりで、感動に打ち震えながら、夢中で次々と平らげていった。
だが、いくら空腹でも完食することはできそうになく、これらは自分が残すとどうなるのか、捨てられてしまうのだろうかと、ひどく残念な気持ちになっていた。
――そのとき。
「火事だ! 火事だー!」
天幕の外から、女たちが大声で叫び合っているのが聞こえた。
ラズリィの側付きの何人かも、外を確認しようと慌てて飛び出していった。残った者たちも落ち着かず、そわそわと持ち場を離れては、外の様子をうかがい始めた。
ラズリィも気になって席を立とうとしたとき、近くにいた見張りの女から腕を掴まれ、席を離れることを許されなかった。
「あ、あの、ごめんなさい。外が気になって。火事って大丈夫なんですか? 少し様子を見に行ったほうが……」
「心配ない。火を仕掛けたのは私だ。ただの小火だから、すぐに消し止められるだろう」
ラズリィはその声にはっとして、見張りの女の顔をまじまじと見つめた。
「ハー……ビー……?」
「静かに。時間がない、手短に話す」
ラズリィが驚く暇も与えないまま、女装して見張りに扮していたハービーが、小声で矢継ぎ早に話を進めた。
「私もここに攫われて連れてこられた。若い男がもう一人捕まったと聞いて、悪い予感がしたので来てみたら、やっぱりラズリィだった」
「ハービー、良かった無事で……。もう、僕は二度と会えないとばかり……」
ほっとしたあまり、感極まって涙ぐむラズリィに、ハービーはゆっくり応じることはなかった。
「ラズリィ、よく聞くんだ。私たちの集落とは逆に、ここでは子供が女しか生まれない現象が起きているらしい。だから私たちは、彼女たちが子種を得る、ただそれだけのために連れて来られた。そして、用が済んだらおそらくは殺される」
「ま、待って、どういうこと? 殺されるって……」
ラズリィは息を呑んだ。ハービーの真剣な表情と不穏な言葉に気圧されるまま、彼の話を黙って聞くほかなかった。
「女たちがこっそり話しているのを聞いたんだ。男は危険な存在だから、用が済んだらすぐに殺さなければならないって。考えてもみろ、ここには、私たち以外に男は一人もいない。もしも捕らえた男をそのまま生かしているなら、男も少ないながらもこの集落で暮らしているはずだ。でも、ここには女しかいない……つまりはそういうことだ。――ラズリィ、本当にすまなかった。弟のお前を守らなければならなかったのに、私が不甲斐ないせいで、お前までこんな目に遭わせてしまった」
「何言ってるんだ、ハービーのせいなんかじゃないだろう」
言葉に詰まったハービーの手を、ラズリィは強く握りしめた。こんな状況でも、自分のことよりラズリィを案じてしまうのが、ハービーだった。
「時間がない。これだけは伝えておく」
ハービーは、ラズリィの目を正面から見据えた。
「彼女たちの……特に、歌姫と呼ばれている女たちの歌には注意しろ。何か妖術のような、不思議な力がある。私はその力に操られて、抵抗できないまま女たちに捕らえられた。ここの女たちは、男に対して冷酷であり無慈悲だ。男を同じ人間とは思っていない。子種を得るための道具としか見ていないんだ。死なないように衣食住の環境だけを与えて、あとは好き勝手に弄ぶ。ラズリィ、お前もこれからひどい扱いを受けるかもしれない。だけど、気を確かに持って、辛いだろうが耐えるんだ。
決して、下手に逆らったり刃向かったりしてはだめだぞ。彼女たちは、男など死んでもまた攫ってくればいいと思っているから、気に入らなければ容赦なく殺しにかかってくるぞ。できるだけ、彼女たちの機嫌を損ねないように……可能なら、有力者の誰かに気に入られるように振る舞え。私は今、幸か不幸か、身分の高い女の一人に気に入られて、おかげでこんなふうに、ほんの少しだけ自由な時間を与えられている。屈辱的だが、生き抜くためには彼女たちの要求を呑むしか道はない。耐えて機会を待っていれば、そのうちきっと女たちにも隙ができる。そのときは、もし逃げられそうなら、お前だけでも逃げるんだ」
ラズリィは思わず、目の色を変えてかぶりを振った。
「そんなの嫌だ、逃げるときはハービーも一緒じゃないと。一人で逃げたって、一人で孤独にのたれ死ぬだけだ。二人で助かる方法を考えようよ。僕も、辛くてもがんばるから」
「そうだな……。わかった、逃げるときは一緒だ。私も耐えるよ。どんなに辛くても、ラズリィがいると思えば救われる」
そう言って力なく笑ったハービーの、以前より少しやつれた顔を見て、ラズリィは胸が押しつぶされそうだった。
彼が自分と離れている少しのあいだに、どんな壮絶な日々を送っていたのかと考えると、ここの女たちを恨まずにはいられない。
「もうそろそろ行くよ。ここで見つかったら、それこそ二人とも殺されかねない」
「わかった。ハービー、どうか無事で……」
ハービーは力強く頷き、そして小火騒ぎの中に紛れて天幕から去っていった。