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アルーシュの歌姫 ~洞窟世界の住人たち~  作者: ゴリエ
第一章 常闇に生きるもの
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罠にかかった少年

 泉のほとりでしばらく休憩したあと、すぐにフィンはラズリィを連れ立って出発した。

 セノーテホールにたどり着くには、いくつかの山や峡谷、そして川を越えなければならなかった。人の手が入っていない未開の土地の道のりは険しく、一歩間違えれば命を落としかねないのは、この大空洞ではどこも同じだった。


 道案内のフィンは、迷わないために行きで付けた目印をたどって、迅速かつ慎重に道を選びとり歩を進めた。

 ラズリィも毎日のように、集落から狩場への険しい道のりを通っていたので、岩登りにはそれなりに自信があったが、対するフィンも、同等かそれ以上の運動能力を備えていた。

 聞けば、フィンはセノーテホール周辺の見張りや警備の任を担っているという。時には未開拓の土地に赴き、もろくなっている地盤を発見したり、川の水質や水位の調査をしに行ったりと、ずいぶん危険な仕事もこなしてきたようだ。


 ラズリィの集落では、そのようなリスクの高い仕事は、知識や技術に精通した大人が率先して取り組んでいたが、セノーテホールでは、どうもそうではないらしい。

 丸一日ほど寝ずに歩き続けて、今まで見たこともないような巨大な石筍せきじゅんの山を越えると、やっとかがり火で照らされた平地に出ることができた。セノーテホールが近い証だった。

 ラズリィたちはその道をまっすぐ進んだ。


 松明たいまつよりも明るいかがり火があるおかげで、ようやく周囲の景色全体を眺めることができた。高い天井のあちこちに鍾乳石が連なり、道の両端には、数千年ほどもかけてでき上がったであろう立派な石柱が何本もそびえて、背後に大きな影を落としていた。

 それこそが、セノーテホールの入り口だった。ラズリィが初めて目にした、自分の集落以外の人の住む土地だ。しばらくは言葉を失ったまま、その荘厳たる景色に目を奪われていた。


「ここで少し待っていてくれ」


 フィンに言われて、ラズリィは入り口付近でおとなしく彼を待った。

 フィンが見張りの者に話をつけているところだ。何を話しているのかまでは聞き取れない。しかし、怪訝な様子で睨み付けられたことで、急にとてつもない不安に襲われた。


 ラズリィはフィンに歓迎すると言われ、その言葉を真に受けてここまでついてきた。しかし、誰もが快く受け入れてくれるとは限らない。少し考えれば想像できたはずだった。無意識に考えないようにしていたのかもしれない。自分には、もうここ以外に行くあてはないのだから。


 ようやくフィンが話し終えたようで、「さあ、行こう」とラズリィを中に導いた。


 フィンが見張りから聞いた話によると、先日起こった地震によるセノーテホールの被害は、ほぼ皆無らしい。多少揺れはしたものの、怪我人なども出ておらず、ずっと平和そのものだったという。

 フィンが安堵する横で、その話を、ラズリィはほとんど上の空で聞くばかりだった。正直、緊張でそれどころではない。


 長い入り口の通路を抜けると、大きな広場に出た。そこには、ラズリィのまったく知らない世界が広がっていた。


 多くの行き交う人々で賑わうその場所は、眩しいくらいに辺り一面が明るく隅々まで照らされていた。天井のいたるところに、見事な燭台しょくだいが吊るされている。灰が下に落ちないように、火の下の一つ一つに受け皿が備え付けられていた。皿の底面には、繊細で美しい彫刻が施されている。


 ラズリィにとっては、それだけでもう壮観だった。大した設備だったが、毎日の手入れはどうしているのだろうと、不思議で仕方なかった。


 そして、真に驚くべきは住人の多さだった。大小さまざまな大きさの天幕がいくつも設置されており、その中を人々が忙しなく出入りしている。大空洞にこんなにも人が住んでいるとは、思いもよらなかった。

 この場で目にできる人数だけでも、ざっと数百人は超えているだろう。


 それからラズリィは、ある事実に気づき、さらに肝を抜かれた。


(女の人がいる。それも、こんなに大勢……)


 女性を見慣れていないラズリィには、男か女か、実のところ確実に判別できる自信はなかった。そのため、薄着で身体のラインがはっきり見て取れる者以外は、男なのか女なのか、正直見分けがつかない者も多くいた。なんとなく、ぱっと見た限りでは、男女は半々くらいの割合でいるように思われた。


 どの人も、高価そうな布をふんだんに使った、美しい刺繍を施した衣服を身にまとっている。中には、さらにきらびやかな装飾品までも、首や腕に身につけて揺らしている者もおり、見ているこちらの目までも踊ってしまうような華やかな装いだった。

 初めて目にしたときは、あれほど豪華に思えたフィンの衣服も、この場ではむしろきわめて質素なほうだった。


 人だかりができているところに目をやると、いくつかある大きな台の上に、見たこともない色とりどりの品が隙間なく陳列されていた。どうやら集まった人々は、そこに並べられた品を求めているようだった。その中には、ラズリィが口にしたリンゴなども混ざっている。


 目を奪われる景観ばかりで場酔いしてしまいそうなラズリィとは違い、かなり足早のフィンは、少しも寄り道したくない様子で歩を緩めることがなかった。


「ねえ、フィン。もう少しゆっくり歩いてよ。見たことないものばかりなんだ」


 ラズリィは、先を急ごうとするフィンの腕を掴もうと手を伸ばした。――が、しかし、さっとかわされて宙を掴む形になってしまい、思わず面食らった。

 フィンは途中でラズリィを振り返ることもなく、前を向いたまま、まるで独り言のようにつぶやいた。


「……笑ってしまうな」

「え?」

「ラズリィ、どうやらお前はまったく男だと気づかれていないみたいだぞ。男を連れていては、悪目立ちするのではと心配だったんだが……。何せその容姿だものな。まったくもって、俺の取り越し苦労だったわけだ。傑作だ」


 一人で笑っているフィンの言葉が理解できず、ラズリィは困惑するしかなかった。


「フィン、何を言ってるの?」

「言葉のままの意味だよ」

「悪目立ちするって、どういうこと? 僕が男だと気づかれていないって、いったい何の話をしてるんだい……?」


 フィンは堪えきれないとばかりに爆笑した。


「ラズリィ、やめてくれ。腹がよじれそうだ……ああ、おかしい」

「フィン?」

「まだ気づかないのか。周りをよく見てみろよ。今この場に、男はお前しかいない」

「え……」

「ここは、女だけの集落なんだよ」


 ラズリィは、フィンの言葉がまったく呑み込めなかった。「何を言ってるの?」と聞き返すばかりで、思考が頭の中でちっとも上手くまとまらない。

 フィンを見て、自分の身体を見て、それから周囲の人々に目をやって。それを何度も何度も繰り返した。

 そして、ようやく震える唇を開く。


「嘘だ」

「こんな嘘を吐いて何になる」

「だってフィン、君だって――男だろう……?」


 ラズリィのすがるような目を見て、フィンは小さく鼻で笑う。


「俺は、男だなんて一言も言った覚えはないぜ」


 そう冷たく突き放されたときには、もう広場で一番大きな天幕の前に連れてこられていた。

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