聖なる民
大空洞から外界に出たあとも、しばらくは様々な苦難が待ち受けていた。
ツタの梯子を登って這い上がった先には、丈高い木々が生い茂る森が広がっていた。植物もそこに棲まう動物たちも、大空洞の住人にとってはすべてが初めて目にするもので、戸惑うばかりだった。
しかし森の環境に慣れ始めると、男たちなどはすぐにも手際よく狩りをしだして食いつなぐことができた。森はとても豊かで、食糧となる動植物や、川や泉などの水源も豊富にあり、その気になれば飢え死にすることはなさそうだった。
大空洞での厳しく細々とした暮らしに比べれば、地上はまさに男たちにとっては楽園そのものだった。何より、太陽が出ているあいだは灯りがなくても自由に行動できるという点において、彼らの暮らしは飛躍的に向上した。
一方で女たちはというと、今までほとんど馴染みのなかった野蛮な狩りや、身体が汚れてしまう野宿を毛嫌いし、毎日のように文句を言っては、自分たちの不遇な身の上を嘆いた。
しかし、そうするしか生き延びる術がないとわかると、男たちの狩りを手伝ったり、自ら木の実を採取し始めたりと、意外と短期間で現実を受け入れ、現在の環境に逞しく迎合していったのだった。
大空洞から外界へと移ったことで、環境の劇的な変化を迎えたのは圧倒的に男よりも女の側であったが、その分を補うように優れた環境適応力を発揮したのも、また女だった。か弱そうな見た目とは裏腹に、彼女たちはなかなか図太かった。
かつては反目し合っていた男と女だが、この非常時に直面して、今は何をするのが一番大事なのか、そのことに気づいた者から少しずつ歩み寄り始めていた。
そして数日かけてようやく森を抜けると、彼らは一つの集落を発見した。初めて目にした外界で暮らす人々だった。
その集落の住人は、見たこともない派手な刺繍の衣服や装飾品を身にまとい、露出の多い健康的で浅黒い肌には、あらゆる部位にまじないめいた繊細な模様を刻み込んでいた。見るからに雄健そうな出で立ちをしていた。
大空洞の者から見て、かなり異質な民族であることには間違いなかったが、おそらくそれはお互い様である。
その集落は、現在混乱の真っただ中にあった。先日の地震により、多くの負傷者や死者を出していた。大空洞だけでなく、あの地震が地上にまでも甚大な被害をもたらしていたということが、よくわかる惨状だった。
それを目の当たりにした歌姫たちは、自分たちもつい先日同じような被害に遭ったことを思い、とても他人事として見過ごすことはできず、その場で慈愛の歌を歌った。
すると、負傷者の傷がみるみるうちに癒えていき、集落の住人たちは一様に「神の奇跡だ」と驚いていた。
このことがきっかけとなり、大空洞の住人たちは、その集落に受け入れられることとなった。
歌姫たちにとって、力を披露することは一種の賭けだった。昔のように、また迫害されるかもしれない。――しかし、そうはならなかった。
集落の住人たちは、過去に魔力持ちを迫害し追い詰めたことを悔いており、姿を消してしまった彼らの再来を、彼らがもたらしてくれる奇跡の力を、心から待ちわびていたのだった。
歌姫たちの多くは外界の歌を受け継いできたので、わずかであれば外界の言葉を理解することができた。中でも、父親から幼少の頃に外界の知識を教わっていたエーデルは、誰よりも外界の言語に通じていた。そのおかげで、集落の首長とも言葉を取り交わすことができた。
外界の民は、大空洞から来た者たちのことを「アルーシュ」と呼んでいた。アルーシュとは外界の言葉で、聖地や自然を守護する精霊という意味だった。彼らは大空洞の住人を、聖なる民と呼んでいたということだった。
それを知って、エーデルは大粒の涙を流していた。