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アルーシュの歌姫 ~洞窟世界の住人たち~  作者: ゴリエ
第三章 明けない夜の向こう側
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神の真似事

 歌はこの泉の広場中に響き渡っているというのに、どういうわけか、男だけがこの歌によって苦しめられていた。女たちはみな当然の報いと言わんばかりに、苦しむ男を冷酷な瞳で蔑視するのだった。


 ラズリィはこの歌には聴き覚えがあった。たった一度だけ、ほんの一部分だが、以前エーデルに教わったことがあったのだ。男だけに効果のある、非常に高い殺傷力を持つ歌だと彼女は話していた。その歌を教わったときは、ラズリィ自身に害が及ばないよう、エーデルが細心の注意を払いながら、小さくか細い声で歌い聴かせたために、そのときはなんともなかった。

 しかし、強い感情に魔力を乗せて歌われると、男はひとたまりもないのだと、ラズリィは身をもって知った。


 教わったときは、なぜそんな物騒な歌があるのかと疑問を抱いたが、今やっとそのわけを理解した。


(見える……歌を通して少しだけど、感じる。昔、必死に生きようとした女の人の魂が、この歌の中にある……)


 これは、昔男たちに喉をつぶされた女たち――その中で一人だけ声が出ないふりをし続けた女が、男を懲らしめるために、力の限りの声で歌った歌なのだ。耳を押さえてもなお頭に反響してくる歌を通して、ラズリィはその事実を知った。

 自分はまだ良い。両手で耳を塞ぐことができる。しかし、他の拘束された男たちは――――。


「やめてくれ! これ以上歌わないでくれ! 僕たちが悪かったって認めるから……お願いだから、どうか彼らを殺さないでっ……!」


 ラズリィがいくら叫んでも、その声は歌姫たちの大合唱にかき消されていく。

 必死の思いだけは通じたのか、エーデルと目が合いはしたものの、彼女はそら恐ろしいほどの冷たい微笑を浮かべるだけだった。


(言ったでしょう? あなたの大切な人をすべて殺すって――――)


 彼女の刺すような視線が、そう語った気がした。



 ――次の瞬間。

 ラズリィには、何が起きたのかすぐにはわからなかった。

 足元の地面が跳ね上がる。ドーンッと大きな音がして、突き上げられるような衝撃を全身に受ける。

 地が踊るように激しく揺れ始め、人々は立っていられなくなり、悲鳴をあげながら地面に這いつくばった。


 ラズリィはこの感覚を知っていた。思い出した。

 セノーテホールに来る前に、彼が遭遇した地震。――しかし、あのときとは比較にならないほどの、けた違いの激しい揺れが、この大空洞を襲っていた。

 今までに、誰も経験したことがないほどの大地震だった。

 歌姫たちももはや歌どころではなくなり、先ほどまでの覇気はすっかり消え失せ、恐怖に身を縮めていた。


 天井にいくつもの亀裂が生じ、岩石の破片とともに、大量の水がこの場に流れ込んできた。水流が多くの燭台やかがり火をなぎ倒して、この場の灯りを次々と奪っていく。広場は一気に暗闇に包まれてしまった。

 さらには、泉の水が地の底から押し上げられるようにあふれ返り、周辺にいた者たちを容赦なく次々と飲み込んでいった。

 集まった群衆すべてが、瞬く間にパニックに陥っていた。


 どれくらいの時間揺れ続けていたのか。その場にいた者たちには、気が遠くなるほど長く感じられた。ようやく揺れは少しずつ弱まっていき、やっとその脅威はいったん終息を迎えたようだった。

 ラズリィは水浸しになった地面からなんとか起き上がり、それからすぐにフィンを探した。彼女は泉に浮かべられていたのだ。あの揺れで、舟が転覆していてもおかしくない。


 今もあちこちから水がなだれ込んできているため、この場の水位は、すでに足元がやや浸かってしまうほどにまで上昇していた。

 暗くてよく見えない中で、ラズリィは必死に目を凝らした。多くの怪我人や倒れて動かない人、岩の下敷きになってしまった人、逃げ惑う人々などが次々と視界に飛び込んでくる。

 その中に紛れて、舟ごと地面に投げ出されていたフィンをようやく発見した。舟と白い衣装が目立っていたので、すぐに見つけられた幸運に感謝し、ラズリィは即座に彼女の元へと駆け寄った。


「フィン!」


 水に浸かりかかっていたフィンを抱き上げ、必死で呼び掛けたり頬を叩いたりを繰り返した。


「フィン、しっかりして! ねえ、目を覚ましてよ!」

「……ううん……」


 彼女は眉間にしわを寄せながら、ラズリィの手をうっとうしげに払いのけ、そしてゆっくりと開眼した。


「――――…………ラズリィ?」

「フィンっ……! ああ、フィン! 良かったっ……」


 ラズリィは安堵のあまり、その場で強く彼女を抱きしめた。フィンは起きたばかりで状況が吞み込めていないようで、ラズリィに抱きすくめられたまま、ぼんやりとしていた。


「俺は、死んだのか……?」

「生きてるよ。大丈夫、君はちゃんと生きてるんだ」

「どうしてこんなに真っ暗なんだ。それにお前、こんなずぶ濡れになって……」


 そう言いかけたフィンが、ようやく周囲の凄惨たる状況に気づき、言葉を失っていた。


「なんだ、これは……」

「地震が起きたんだ。ものすごく大きな地震だった。もしかしたら余震が来るかもしれないから、まだ油断はできないけど……」

「そんな、こんなに人が倒れて…………早く、助けないと――」


 すぐさまフィンは立ち上がろうとしたが、思うように踏み出すことができなかったらしく、よろめき右足首を押さえながら座り込んでしまった。


「フィン、大丈夫?」


 フィンの抑えていた部分を見やる。出血はしていないようだが、ラズリィが触ると明らかに腫れあがっているのがわかった。


「怪我してるじゃないか……っ」

「……大したことない。ちゃんと歩ける」

「でも、これじゃあ……」

「ラズリィ!」


 背後から聞き慣れた声の主に呼ばれて、ラズリィは思わず歓喜の表情とともに振り返った。


「ハービー!」

「ラズリィ……良かった、無事で……」


 ラズリィたちと同じくずぶ濡れになったハービーが、ざぶざぶとこちらに歩み寄ってきた。ハービーは背後に一人の女性を連れていた。髪の長い小柄な女性だった。二人の手が固く結ばれているのを見て、ラズリィは、おそらくこの女性が話に聞いていた人物なのだろうと理解した。

 ハービーが悲痛な面持ちで告げる。


「ラズリィ、ここはもうだめだ。出口の穴が崩落している」

「え……?」

「先ほど確認した。私はここをくまなく調べて回っていたから、出口の箇所はすべて把握している。残念だが、ほとんど完全に塞がれていた。他の出口も水であふれ返っているし、もうどこにも逃げ場がない。このまま水位が上がり続ければ、いずれ私たちは溺れ死んでしまう」

「そ、そんな……」


 ラズリィは自身の足元を見た。たしかに、つい先ほどまでは足先が少し濡れる程度だったのが、いつの間にか、もうすでに足首までも浸ってしまっている。

 少しずつだが、確実に水かさは増していた。逃げ場を失くした水が、どんどんこの場に貯留してきている。

 ラズリィが言葉を失っていると、はっとした様子でフィンが言った。


「エーデル様は……? エーデル様はご無事なのか?」


 フィンは言うや否やラズリィから離れて、右足を引きずりながら歩き始めた。


「フィン、待って。むやみに一人で動くのは危険だよ」


 ラズリィの言葉にも耳を貸さずに、彼女はよたよたと進んでいった。しかし水に足を取られ、すぐにざぶんと尻から転倒してしまった。


「ほら見ろ、無理しちゃだめだ。君は怪我人なんだよ。まずは君自身の手当てをしないと」

「そんな悠長なことを言ってる場合か。このままではみな死んでしまうかもしれないんだろう? エーデル様にお力添えをしていただくんだ。あの方なら、きっとなんとかしてくださる」

「でも、フィン――」

「四の五の言わずに肩を貸せ。エーデル様を探しに行くぞ!」


 フィンに気圧され、ラズリィはしぶしぶ彼女に肩を貸しながらエーデルを探し始めた。

 至るところで歌が聞こえてきた。傷を癒す慈愛の歌だ。それでも重傷の場合は焼け石に水で、そう簡単に人命を救うことなどできなかった。


 ラズリィは歌の訓練の中で、召喚術を習得することばかりに気を取られて、治癒効果のある歌などは疎かにしていたことを、今さらながらに悔いた。せめて基礎だけでも教わっていれば、この場でフィンの怪我も自分が治せたかもしれないのに。


 もう辺りにはわずかな照明しか残っておらず、すっかり暗くなったこの広場で人を探し出すのは困難を極めた。二人で散々歩き回って、ようやく目的の人物を見つけた。

 自分たちの力で探し当てたわけではない。エーデルの高らかな歌声が聴こえてきたのだ。最上位に位置する慈愛の歌だった。

 彼女の歌が響き渡ると、今まであちこちでバラバラに聴こえてくるだけだった歌が、吸い寄せられるように次々と加わり、やがて一つの大合唱となった。


 薄暗い中で歌を歌う一人ひとりの歌姫たちが、ほんのりと青白い光を身体から放っているように見えた。まるでツチボタルのような光り方だ。そんなふうに見えたことなど今まで一度もなかったので、ラズリィは不思議に思った。

 もしかすると、彼女たちは歌唱することにより、もともとかすかに身体から光を放っていたのかもしれない。今までセノーテホールの明るすぎる環境にいたせいで、わずかな光に気づけずにいたのだ。暗闇の中に浮かび上がる彼女たちの姿は、なんとも神々しく神聖なものに見えた。


 エーデルは、腕に一人の歌姫を抱きかかえながら歌い続けていた。彼女の腕の中にいる女は重傷を負ったようだ。この暗がりではよく見えないが、むせ返るような血の臭いが、傷の深さを物語っていた。


 やがて歌は終わりを迎えた。

 エーデルは、目の前のラズリィやフィンに気づいているのかいないのか、独り言のように呆然と呟いた。


「間に合わなかった……。私の歌では救えなかった。ここまで自分が無力だとは思わなかったわ。彼女は死ぬ運命ではなかったはずなのに。私をかばいさえしなければ」


 エーデルの腕の中で穏やかに眠っているようにしか見えない女性は、第一クワイヤの歌姫の一人だった。

 放心しているエーデルの傍らに、フィンは膝をついて言った。


「お見事でした。今の歌で、多くの怪我人が救われたはずです。私の足もすっかり治りました。エーデル様は決して無力などではありません。多くの人々の命を救えるお方です」

「……そうかしら。もしかしたら、この事態そのものだって、私が招いたことかもしれないわ。傲慢にも、神になり変わったように人を裁こうとしたから、きっと女神様が私の所業を怒ってしまわれたのよ。少し前にも、一度小さな地震は起きていた。あれはきっと警告だった。それなのに、そのことにも気づかず、こうして罰が下った。集落の民たちをも巻き込んで……」

「いいえ。以前の地震も、先ほどの地震も、そんな因果関係は絶対にありません。ただの偶然です。誰も予測などできなかった。どうか、御心を強くお持ちください」

「あなたがそれを言うの、フィン。あなたこそ私に殺されかけたくせに、やけに優しい言葉をかけてくれるじゃない」


 挑発には乗らず、フィンはエーデルに向けて冷静に進言した。


「お辛いお気持ちはよくわかります。しかし、今は悲しんでいる暇はありません。これ以上ここに留まり続けるのは、非常に危険です。先ほどの地震の影響で、至るところで天井や壁が崩れ、出口もほとんどすべてが塞がれてしまったようです。さらに良くないことに、崩れた部分から水がとめどなく流れ込んでくるせいで、今もなおこの場の水位は上昇し続けています。このままではいずれそう遠くないうちに、ここにいる全員が溺れ死んでしまうでしょう。そうなる前にどうか――――どうか、この地を捨て去るご決断をお願いします」

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