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第五話 くるみトラジック

榛くるみ、文学者。


「あのね、瞳子ちゃんが思う『愛』の定義ってなんだと思うかな?」


私も良く知る昭和の文豪の本を読んでいたくるみがいきなり顔をあげ、いつもの様に頬を赤く染めながら尋ねた。

愛なんて抽象的なものにこだわるのは中学生ならではだろう。私は顎に指を当て、考えた。考えても答えは直ぐに出ないものだ。

「えっとだな……、何かを大切に思ったら、それは愛じゃあないのか……? 忘れられなくなるくらい、固執してしまうくらいに」

しかし事実としては私は大好きで、くるみの言うところの愛しているに値する人物の顔がすっぽり抜けて思い出せないのだ。私は確かにあの人が好きだった。名前は分かるのだが、どう頑張ろうと顔は出てきてはくれないのだ。

「そうか、そうなんだね」

くるみは再び本へ目を落とす。しばしの沈黙。不意にくるみは顔をあげた。

「胸の奥が満たされたら、永遠に一緒にいたいと思えたら、それがくるみの『愛』なの……」

ぼそぼそ何かを言いながらくるみは微笑む。光のないアーモンド型の目は私のよく知るあの人に似ている気がした。


喜彩島の図書室には無い本はないのではないかと思えるくらいの本がみっちりびっしり詰まっている。しかし私が本に詳しくないだけであり、本好きのくるみなどからしたら全く足りないと思うのかもしれないが。

普段本を開けば三分で寝ると呼ばれる私が図書室にいるのは、ゲーム関連の本を探しにきたからだ。たまにはそういう情報も仕入れたい事だってある。

「……ゲームの攻略本まであんのか、ここ……」

私が先程クリアしてきたRPGの攻略本を手に取る。パラパラと見ると私がそこそこ苦労して収集した敵データとか倒し方とかがサラリと書かれていて、なんか少し虚しくなった。

「こういうのは自分で攻略法考えるのが楽しいんだよ、うん」

ゲームの攻略本を棚へ戻す。多分あそこのゲームルームに置いてあるゲーム全ての攻略本がある、そんな気がした。

近くに数人で出来そうなゲームブックみたいなのが置いてあったので、桃らと出来そうなものをいくつか手に取る。後でいる人を集めてやろう。

そして私が図書室を出ようとした時。

「おや、瞳子さん。ここで会うとは珍しいですねぇ」

間延びした呑気な声。二藍紫苑が緩く足を組んで文庫本を読んでいた。

「瞳子さんはゲームばかりをしていて本など読まない部類の人だとばかり思っていたので」

紫苑が失礼なことしか言わないのはいつものことである。私はなんだお前という気持ちをグッと飲み込む、大人だもの。

「なんだお前。私だってたまには本くらい読むわ。……マンガ本なら」

「マンガいいですよねー。私あそこにあるラビットピーチ読破しました」

ちなみに私はまだラビットピーチを全ては読んでいない。桃が聞いたら拗ねそうであるので軽く目は通しておこうと思う。

「で、紫苑何読んでんだ?」

「はあ、教えてもいいけど分かりますかぁ? タイトルを言って微妙な反応されると気まずいではないですかぁ。それに知っていても好みのジャンルと違ったらそれも変な感じになるではないですか。なので教えないです」

しばらく言葉を失った。二藍紫苑はこういった人物であるので気にしてはいけないのだろう。

「でもこの本の作者なら瞳子さんも絶対に知っているので教えますね」

ニマァと紫苑は笑う。国語の教科書に載っているような人物か。残念ながら私は授業中を睡眠時間と認識している。

「小学五年生でデビュー、その後悲恋の物語を紡ぎヒット作を連発。誰もタブーであるかのようにメディアミックスには手を出さない」

紫苑はおもむろに薄桃色の花柄の布カバーを外す。

と、同時に図書室の扉がギイ、と開いた。

「前置きはいいから」

「ですね、ちょっとドラマティックにしちゃいました」

扉が開いた、ということは当たり前のことだが誰かが来たのだ。

「これ、榛くるみさんの本ですよ」

振り向くと、出入口には榛くるみが立っていた。


「良かったジャン、くるみ人気者だよ」

真顔のまま茶化すように唯兎がくるみをつつく。

「……自分の書いたものを目の前で見られると少し恥ずかしいね……」

普段から真っ赤なくるみがさらに赤くなったように見えた。唯兎はふいとくるみの脇を通り『第二十七回目喜彩島滞在者様の著書』コーナーへ行った。

「……フリガナ振ってなくて読みづらい」

棚の詩集を一冊乱暴に取って、紙面を睨みつけていた。分厚く茶色い本の表紙には「最期の恋文」と書かれており、桃ではなくくるみの著書と分かった。

「……唯兎君本読むんだ……意外」

「確かに、意外ですねぇ」

「わかるそれな」

「……なにお前ら、シバくよ?」

本とにらめっこしようとしていた唯兎が私たちをぐるりと睨みつける。残念ながら、唯兎に睨まれすごまれたところで私は怖くもなんともない。

「まあ、くるみさんの本は読んで損はないですよ。あの耽美なラブストーリーを知らずにいたら、私死んでも死にきれなかったと思いますよ」

「うん、ちゃんと死にきれる話をかけてくるみ嬉しい……」

もじもじしながら笑うくるみ。ふわふわの小動物みたいだ。

「ええ、特にこの兄と妹の禁断の恋が好きですね。いけないことだと知っていながら惹かれてしまう妹の心情を表す濃厚な文章、最期に自身を罰するために命を絶ってしまう妹の婉曲的な描写……ええ、私の文章力ではとてもではないですが榛くるみ作品の良さを表せないです。とにかく、一読をオススメしますよ」

某金髪オタクとは違って演説のように大きな身振り手振りとゆっくりと大袈裟な抑揚をつけた話し方で紫苑は話す。くるみは目を丸くして聞いていた。

「ふうん……そんなにお前が勧めるなら読んでみるかな」

「ふふ、瞳子さんもゲームばかりではなく教養を高めた方がいいですよ?」

「余計なお世話だ」

私は棚の中から小説を一冊手に取る。黒い百合が表紙のどこか不穏な小説であった。

ニヤつく紫苑から離れた場所に座り、表紙を開く。インクの香りがした。図書室の香りだ。

「ボクもこれ読む」

くるみの詩集を手にした唯兎が私や紫苑から離れた場所に座る。くるみだけが入り口でぽつんと佇んでいた。

「……みんながくるみの本読んでる……。くるみお邪魔かな……うん、あっちに行ってるね」

もしゃもしゃ何か言ったあと、そろそろと後ずさりしてくるみは図書室から出ていった。ギィと静かに扉が閉められた。


「……ようやく離れてくれた……」

扉が閉まって暫く、小さい体に似つかわしくないため息を唯兎は吐き出した。

「私としてはくるみさんに慕われるなど大変羨ましいのですが」

本から顔を上げることなく紫苑は言う。

「羨ましいならあげるよ。全く、なんでボクなんだろう。くるみの『友達』になってくれそうな奴なら他にたくさんいるだろうに」

「私とか私とか、私とかですね」

ウザったいドヤ顔を向ける紫苑。私は無視して字を読み進める。活字を眺めるのはいつぶりだろうか。

「そう、オマエでもあの金髪ツインテでも、ボク以外に友達になれそうなやつならいるじゃんか。……あのクソハッカーとだけは仲良くして欲しくないけどネ」

唯兎は鬱陶しそうに紫苑を見た。そしてため息をまた一つついてから本に目線を戻す。

「本当、代筑さんとは仲が悪いのですねぇ……まあいいですけど」

未だニヤニヤしながら本を読んでいる紫苑。唯兎は代筑の名前が出た時に眉をひそめていた。

くるみの本は案外すいすいと読めた。ただ、あのくるみのイメージに合わないほど暗く重い話であった。――いや、私の勝手なイメージでくるみを決めつけるのは良くない。しかしくるみはもっとふわふわした暖かい話を書きそうな感じではあったので、ここまで胸を締め付けられるジメッとした話で驚いたのだ。

恋に堕ちてしまったが故の悲劇。いくら読み進めようが負の連鎖は止まらないと知っていても、指はページをめくるのを止めない。そして、彼らが事切れることで物語は終わっていた。

「…………」

静かに本を閉じ、目を伏せる。恋に命を焦がすなど馬鹿らしかった。人の心なんて変わりやすいものなのに。

「……瞳子さん、眠いですか?」

「うるせえ。読み終わっただけだ」

紫苑ははぁ、と気の抜けた返事をしてから手元の本に目線を戻した。今度はくるみの本ではなく、別の恋愛小説を読んでいた。唯兎は本を開きながらうつらうつらとしていた。

スマホをポケットから取り出し時間を確認すると、図書室に来てから大分経っていた。この分だともう少ししたら奏からのお夕飯メッセージが届くだろう。そういえば、今日桃は何をしていたのだろうか、きっと今日も隣に座るのだろうから、尋ねてみたくなった。

本を元あった場所に戻して、私は図書室から出ていった。


図書室を出るとすぐ側には音楽室がある。よく二三が何らかの楽器を演奏しているので、人が聴きに群がっていたりする。――群がるほどの人はこの喜彩島にはいない気もするけど。

「失礼しまーす……」

音楽室の扉を開くと案の定二三がバイオリンを弾いていた。私に理解出来そうな楽器で良かった。時々本当に見たことの無い訳の分からない楽器を弾いているのだ。

「……あ、瞳子ちゃん……。読書はもういいの……?」

音楽室の片隅にはモコモコとした塊のようなくるみがいた。ノートパソコンを膝に乗せているので、ここで小説を書いていたのだろう。

「ん、ああ、まあ……」

くるみはちらりとこちらを見てからまたパソコンを打ち始めた。どうしてもくるみとは話が繋がらない。

「……小説、面白かったぞ」

「……うん、ありがとう」

また沈黙が流れる。いや、流れているのは二三のバイオリンである。

「……お前の恋愛観って、あんな感じなのか?」

くるみはパソコンを打つ手を止めた。そして、私のことを見ることなく答える。

「小説の人物の考え方はくるみとは違うんだよ」

「……だよなぁ」

「……たまに主人公に喋らせてしまうことはあるけど……」

「……マジか」

くるみがあそこまで暗い思想であったら私も人間不信になりそうだ。たまにはと言うことはまあ多感な年頃だからあるのかもしれない。

「……瞳子ちゃん、ひとつ聞きたいの」

「何だ?」

「瞳子ちゃんって恋愛についてどう思う?」

「くだらない」

即座に答えてしまった。くるみは驚いて目を丸くしているではないか。

「私はこの世で最もくだらない感情だと思うだけだ。あんなものに頭を悩ませるなんて、馬鹿のすることだ」

この理屈で言えば私も馬鹿になるのだろうが、そこは私も見ないふりをしてしまう。

「うん、答えてくれてありがとう……。次の作品の参考にする……」

くるみははにかみ笑う。笑うと可愛い子だ、いつも笑っていたら唯兎も案外堕ちるのではないかとも思った。

「ねえねえ、瞳子ちゃん……」

蚊の鳴くような声でくるみが何やら言っている。表情はいつものぼんやりした感じに戻っていた。二三は私たちの話に興味なんぞないのか、曲にクレッシェンドをかけていた。

「唯兎君はどこ……?」

「お前……。唯兎なら図書室で寝てたぞ」

答えても唯兎に害はないだろう、多分。付きまとわれるのが嫌な気持ちは少しわかる。と同時に、誰かが私の居場所を烏羽に教えることもあるのかと思うとちょっと不快であった。

「そう、そうなんだ……ありがとう」

俯いたくるみの顔は見えなかった。ただ、彼女らしからぬ笑顔を浮かべている、そんな気はした。

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