第四話 莉々音プレシャス
真朱莉々音、トラスーズ。
「あのさ、瞳子ちゃんはさ、人生において大事なものってなんだと思う?」
至極真面目な顔をした莉々音が私をまっすぐ見つめた。よく言えば素直ないい子、悪く言えば馬鹿な莉々音。何の策も感じられず、何の策も立ててはいないのだろう。わざと馬鹿に見せているのだといえば、相当に頭のキレるやつだが、裏なんて全く感じない。例えば、あの占術師舛花市子だって莉々音の裏なんてわからないだろう。それほどにまっすぐで、へし折り曲がった私には息苦しくなるのだ。
「……金」
「やっぱり、瞳子ちゃんもそうなんだね」
私は莉々音が『も』と言ったのを聞き逃すほど難聴が進んではいない。
「……お前、何か金に困ってるのか?」
私が聞き返すと莉々音はしまったと言いたげな顔をした。本当に単純な奴だ。
「え、そういうわけではないけど……。でも瞳子ちゃんのことはアタシ信用できると思ったよ」
読書感想文みたい。莉々音は指を顎に当てる。
「それはまたどうして」
「現実的だから」
ヒヤリと首を撫でられたようだ。莉々音は私のことを見ることが出来ようが、私は莉々音を見れない。あの莉々音にだって裏も曲がったところもあるのかもしれない。生きているのならば。
「いやぁ、この島には目の保養が数多あり、小官をこの場に呼んでいただいたことは小官の人生において最大の感謝しなければいけない事項であり、もう小官の寿命が年単位で伸びた故に、今この瞬間まで生きていて良かったと本気で思うのでありますな!」
「ククク……、我を満足させるとはやはり我が占術通りだ……。流石、《トラスーズ》真朱莉々音といったところか……」
キャラが濃い。今私と一緒にいるこの二人の台詞を文字におこしたとしても、確かにこの二人とわかるだろう。軍人貴族コスプレ外国人と白い中二病魔法使いもどき占い師だぞ。二人とも真っ先に読者に覚えられそうなほどに濃密なキャラクターをしていた。
読者諸君の想像通り(読者なんていないと思うが)、私は今イリア・エールと舛花市子と共にシアタールームで真朱莉々音の出演していたテレビ番組の録画を見ていた。映画だけではなく、このようなものもあるのだ。最初私は猫の映像集でも見ようかと思って来たのだが、この二人が先にこの部屋にいたのだ。二人から「一緒に見よう」と言われたらどうも断れない。そういうことだ。
鋼鉄の巨城を軽々と攻略していく精悍な美女。少し日焼けした綺麗な肌(何か手入れをしているのか?)が均等に程よくついた筋肉を覆う。天辺でVサインを作り、白い歯を見せながら笑う莉々音が目に焼き付いた。
「いやはや、これは次回作への参考にさせていただきたいものですな」
「……イリア、何か作ってんのか?」
「ん、フィギュアと同人誌を少々」
何の作品かはまあ、聞かなくてもわかる。市子はイリアの顔をじっと見つめていた。イリアの才能を私は時々忘れそうになるが、確かイリアは《スナイパー》だったはずだ。それなら、細かい作業が得意なのも頷ける気がする。スナイパーなんて、ゲームでしか見たことないけど。
「どのようにすればラビットピーチへの愛を伝えることが出来るのか、小官は日々研究を重ねている故、日常の些細なことにも目を配っているのであります」
「同人制作って、愛なのか」
「ククク……嫌いなものをわざわざ同人では書かんだろう……」
市子はいつものように含み笑いをした。私もイベントに呼ばれた時にそういう話を盗み聞きしたことがあるが、元の作品を愛する人達が粛々とやっているイメージがある。
「で、この莉々音の動画が何か役に立つのか?」
「莉々音殿のこの動き……、戦闘シーンを描くときの参考になりそうであります」
画面にでかでかと莉々音が跳ねる映像が流された。なるほど、これを元に描いたり造形したりするのか。
「我は今ラビットピーチに戦闘シーンがあることに驚いておる」
「ラビットピーチは魔法少女がやることを大体網羅しているのでありますよ」
「そうなのか」
イリアの表情を伺う市子。ふいとスクリーンに目線を戻した。映像は終盤に差し掛かっているようだった。
「うむ、次のネタが決まったでありますな! それでは、小官はアトリエに向かうでありますよ!」
イリアはピシッと立ち上がり、シアタールームを後にした。
「……嵐が去っていったようだな……」
「市子に同意だ」
真っ暗になったスクリーンとイリアが勢いよく閉めたドアを交互に見比べた。市子はぼおっと何も映っていないスクリーンへ顔を向けていた。
「……市子、何か見えるのか?」
心ここにあらずといわんばかりの市子であったが、名前を呼ばれたことで現世に戻ってきたようだ。
「ククク……そうだったな。もう映像は終わっていた」
市子はひょいと立ち上がり、「我はゲームルームへ向かうとしよう」と言い残し、去っていった。
私は一人、暗い部屋の中で黒々とした大きなスクリーンを見つめた。何が映るというわけでもないのに。
ところで私は屋上が好きだ。数少ない友人にその話をしたら、「それっぽいね」と言われた。どれっぽいのだろう。高い所から町並みや点々と蠢く人々を眺めるのはなかなかに気分がいい。馬鹿と煙は何とやらというが、それなら私は馬鹿でも煙でもいい。
なぜいきなりこの話をしたか。それは単純に私が屋上へ向かっているからだ。五階までエレベーターで登った後、屋上への階段を一段づつ上がっていく。
屋上の扉を開けた。
開放的な青い空。どこまでも続いている。当たり前だけど。
「あ、瞳子ちゃんだ。瞳子ちゃんも屋上好きなんだね!」
先客だ。年齢に似つかわしくない無邪気な笑顔を浮かべる真朱莉々音が、私の背丈よりも遥かに高い柵に座り、足をふらふらさせていた。私の姿を確認すると、柵から降りてまたニッコリ笑った。
「嫌いと言ったら嘘になる」
「あはは、瞳子ちゃんって素直じゃないよね」
「ほっとけ」
私は柵に背を預け、空を見上げた。鳥でもいるかと思ったけど、いなかった。そんなに都合よくいないか、鳥。
莉々音は私のすぐ隣に立っていた。目が合う度に微笑んでくれる。これは並の男子では惚れてしまうだろう。 罪作りな女、莉々音だ。
「……瞳子ちゃん、好きな食べ物は?」
突然莉々音が口を開く。会話の話題に困ったのだろうか、小学生みたいな質問をしてきた。
「オムレツナポリタン」
「そっか、アタシは白いご飯が好きだな。好きな動物は?」
「猫」
「うんうん、猫って可愛いよね。アタシ最近サーバルキャットが気になるんだ。好きなゲームは?」
「格闘系。リズムゲームも好きだ」
「格闘ゲームやったことないからすごいと思うな」
「……リアル格闘ゲームが何を言う……」
私の独り言には莉々音は気づいていないようであった。
「じゃあ、好きな場所は?」
「高いところ」
「アタシも高いところ好きだよ。木の上とか」
「お前は野生の何かか」
「そうかもしれないし、違うかもしれない」
笑顔を崩さない莉々音。
「好きな人のタイプは?」
「干渉し過ぎない人」
「アタシは優しい人かなー。好きな色は?」
「黒と赤。……ってさっきからなぜ私の好きなものを聞いているんだ?」
莉々音はきょとんと私の方を見つめる。整った眉が少し下がった。
「あー、瞳子ちゃんのことあまり知らないから聞きたかったんだ。嫌いなものの話よりも好きなものの話の方が楽しいでしょ? 迷惑だったらごめんね」
「いや、別に迷惑ではないが……」
「そっか、それなら良かったよ」
爽やかな、私には到底浮かべられないような笑顔を莉々音は作った。私と彼女は根本的に育ちが違うようだ。でも言葉に詰まったのか、彼女は一度空中を見つめる。そして、あの言葉を言った。
「あのさ、瞳子ちゃんはさ、人生において大事なものってなんだと思う?」
私の答えは省かせてもらうが、莉々音も大方私と似た回答をした。
「いくら綺麗事言ったって、お金は大事だよね。瞳子ちゃんにはアタシなかなか好感が持てるよ」
「……そうなのか?」
「アタシ、あまり嘘つくの得意じゃないよ?」
面と向かって好きだとか言う奴はあまり信用ならない気もするのだが。
「まあ、お前が嘘つくの苦手だっていうのは信じる」
馬鹿っぽいからという言葉はグッと飲み込んだ。
「あはは、アタシそんな頭良くないからねー」
莉々音の流し目にドキッとした。どこか見透かされた気がしてしまった。不覚にもあのクソを思い出してしまう。
「うん、医者さんに今度お勉強教えてもらおう、うん。ところで瞳子ちゃん、アタシに聞きたいことはあるかい? なければ別にいいよ」
莉々音への質問。私はコミュニケーション能力が決して高くないのでこういう時滅茶苦茶困る。
私が押し黙っていると、莉々音は緩やかに笑う。
「そうか、特にないか。何か聞きたいことあればまた聞いてよ」
じゃあ、また夕飯時に。莉々音はひらり手を振って屋上の出口へ向かおうとした。
唐突に、あの古めかしい懐かしの黒電話の音がもう少し電子音よりになった音が響いた。
「えっと……これ電話だっけ、メールだっけ……あ、すぐ止んだからメールか」
「メールと電話の音一緒なのかよ、お前」
「どっちでもすぐ携帯電話開くから一緒だよ」
スカートのポケットに手を入れ、莉々音は携帯電話を取り出した。……私は携帯電話には詳しくないが、薄くて結構最新型のような感じのやつだ。
「……また弟かぁ。必ず一日一通メール来るんだよね、弟から」
「お前兄弟いたのか」
「うん、そうだよ。あ、今のメールは一番上の弟」
「……何人兄弟なんだ?」
私が尋ねると、莉々音はパッと顔を輝かせた。
「十三人兄弟だよ。アタシが長女で一番上」
「弟が十二人もいるのか。多いな」
「弟と妹が合わせて十二人いるんだよ」
楽しげに莉々音は空を見上げた。鳥はやはり飛んでいなかった。
「みんないい子だよ。一緒に野草取りに行ったり、公園で遊んだり……。あ、近所でアタシの動画撮ってくれたりもしたね」
年齢に似使わない言動の莉々音。しかしやや子供っぽく見えても彼女が長女というのは納得出来た。
「本当、家族のこと好きなんだな」
「まあ、そうなるね」
私の家族と呼べそうな人を順に思い出そうとして、あの人しか思い浮かばなかったことが少し寂しくて思い出すのをやめた。今はどこで何をしているのだろう、あの人は。
「よっし、今度こそアタシはグラウンドへ行くね! また会おう、瞳子ちゃん!」
「グラウンド」
「運動しないと体鈍るじゃん?」
白い歯が眩しい。彼女が屋上の扉に手をかけた時、私は。
「……この島についてどう思ってる?」
莉々音はこちらを見ない。
「……お金貰えるし、みんないい人だし、とてもいい所だとアタシは思うよ。だけど、だけどね……」
『仙斎款那』ちゃんだけはどうしても信用出来ない。
バタリと扉の閉じた音がした。残された私の髪を風が揺らす。
「莉々音……」
乾いた私の唇がぎこちなく動くだけであった。