第二話 柳哉アミューズメント
烏羽柳哉、自称奇術師。
「時に瞳子ちゃん。もし世界が虚構だったら、どこからどこまでなんだろうね」
不気味なほどに綺麗な顔を笑顔に歪めて、烏羽は中二の少年がほざきそうな事を平然と言った。片手に割れたグラスの破片を弄びながら。
「私は知らねえな。どこもかしこも嘘まみれなんじゃねえの? クソスバ」
烏羽の言葉にまともに返答した私を少し責めたくもなった。烏羽はニヤニヤと気味の悪い笑みを浮かべながら頷いていた。
「瞳子ちゃん、それが瞳子ちゃんに見えるものなんだね。瞳子ちゃんが思うように、俺もまだ中二病街道まっしぐらだからさ」
虚ろな瞳に私が映る。私の存在が吸い込まれそうだ。見透かされたようで気分が悪い。烏羽はいつの間にやらグラスの破片ではなく、二、三個のビー玉を転がして遊んでいた。
「瞳子ちゃん、俺の手元のこれ、ビー玉だと思ったでしょ? それが違うのよ、瞳子ちゃん。これはエー玉と言ってビー玉の上位の存在なんだ」
それも嘘だな、と私が言うと、烏羽はビー玉を一ヶ所に集め、消してしまった。
「俺の言葉だからといって、信じるのも鈍いし、疑うのも愚かだね、瞳子ちゃん」
烏羽は私のリュックサックを指差す。開けてみると、そのビー玉――もしくはエー玉――が入っていた。私はそれをまとめて烏羽に手渡す。
「でもね、俺は、瞳子ちゃんは本物だと思っているよ」
戯れ言だよ、と烏羽は笑った。
ある晴れた昼下がり。私は市場に売られる訳でもなく、部屋のベッドでゴロゴロしていた。
流石と言うか、私のボロアパートとは居心地が違う。一部屋で私のいつもの部屋二つ分くらい。白を基調としていて、天井には小さなシャンデリアが輝いている。大きなベッドはふかふかで私を捕らえて離さない。風呂もキレイだったし、収納も多い。これでは帰った時にちゃんとボロアパートに順応出来るか心配である。
いつものようにオンライン格闘ゲームに興じている(なんとこの喜彩島、Wi-Fi完備である)と、扉を控えめにノックする音が聞こえた。
「瞳子ちゃん、いるかな?」
巷でよく聞くアニメ声、百瀬桃が私を呼んでいるようだった。
「何の用だ?」
「あ、あのね、皆で遊ぼうと思って、瞳子ちゃんを呼んで来て欲しいって言われたの。なんか、ゲームをするんだって」
扉越しに桃は話す。なるほど、ゲームなら一緒にやってもいい。
「しょうがない。少しだけだ」
私は扉を開ける。そこには――。
「瞳子ちゃん、なんだかんだ言っても百瀬ちゃんには甘いよね?」
廊下の壁にもたれかかり、ニンマリ笑う烏羽柳哉がそこにいた。
陶器のような冷たい手で、扉を閉めようとした私の手首をつかみ、烏羽は私を部屋から引きずりだした。
「瞳子ちゃん、このまま抱き締めていい?」
「地獄に落ちろ」
甘ったるい声でほざく烏羽。私は勢いよく烏羽の手を振りほどく。
「あ、皆は食堂に集めてあるよ」
これは私に食堂に行けと促しているようだった。反抗してやろうと思ったが、ニコニコ笑う烏羽の無言の圧力には勝てない。――何故だろう?
「……なあ、烏羽。お前ってモノマネ得意なの?」
私はせめてもの反抗心のつもりで聞いてみた。
「それまたどうして? あ、俺に興味もってくれた?」
心底嬉しそうに烏羽は笑う。女子にキャーキャー言われそうなスマイルだ。私はこいつには絶対ときめくことはないし、こいつはキャーキャー言われなれているのだろう。
「……私を呼ぶときに桃の真似をしていたからな」
「それこそ、烏羽さん七つ道具の一つ、《声帯模写》だよ。大概のモノマネはできるよ、声だけなら」
只の声真似を格好つけて言いやがった。
「柳哉様愛してる結婚してー」
「私の声でそんな事いうな、気持ち悪い」
気持ち悪いほどに私の声だ。抑揚のない、低い声。
「よし、しばらくはこれをおかずにしよう」
「……キモい上に寂しいやつだな……」
冗談だよー、と烏羽はおちゃらけた。
烏羽の言うとおり、食堂にはもう皆が集まっていた。照柿二三のオカリナの音が響いている。円卓の中央には山盛りのドーナツが置いてあった。山吹奏が一人一人に紅茶を入れて回っている。なかにはオレンジジュースを貰っている人もいるが。
「瞳子ちゃん、こっちこっちー」
キンキンのアニメ声、本物の百瀬桃が自分の右隣の空いている席をバシバシ叩いた。
そして、桃の席から一つ置いた場所には、すでに仙斎款那が座っていた。
「あ、私の隣で大丈夫?」
款那は花のほころぶように笑う。烏羽とは違い、品がある。
「烏羽の横よりは天文学的数字でマシだ」
私がそういうと、款那は苦笑いを浮かべた。
烏羽は少し悔しげな顔をしながら、常磐聖司と墨雪代筑の間に座った。
「瞳子さん、紅茶どうぞ」
穏やかに微笑んで、奏は私の目の前のティーカップに紅茶を注ぐ。メイドのいる生活もいいものだ。
紅茶はとてもいい香りがする。私は茶の道には詳しくないのだが、きっといいお茶であるのだろう。やはり紅茶を入れる人の腕も重要で、その点奏は優秀である。流石、メイド。――本人はあくまで《家政夫》と言うのだろう。
奏はお茶のポットを銀のワゴンに乗せ、厨房まで押して片付け、空いている席の横に立った。頭から爪先まで針金の通ったようにまっすぐ立っている。
「奏君? 座っていいよ?」
烏羽が声をかけると、奏は「では、お言葉に甘えて」と、着席した。背筋をぴんと伸ばし、手を上品に膝に揃えて置く。控えめでありながらも、空気を美しくする姿だ。
「よーし、これで皆揃ったねー」
烏羽が不敵な笑顔を浮かべる。代筑がなんだこいつみたいな目で見ているのも気にしていない。
「じゃあ、始めようか。――王様ゲーム!」
「……王様ゲームと言いますと、アレですか? 王様の命令に背くと死ぬやつですか?」
紫苑の一言で暫しの沈黙が破られた。烏羽とそれ以外には違う空間があったようだった。気だるげな紫苑が頬杖をつき、ドーナツをくわえながら聞いている。
「いや、二藍ちゃんの好きなデスゲームの方じゃなくて、普通のパーティーゲームの方ね」
えー、と気の抜けた紫苑の声がした。……デスゲームなら、探偵大活躍だもんな。私のよくやる推理ゲームではそうだからな。
「異論はある? ないね。じゃあ、くじ引いてー」
割り箸がたくさん入れてあるクッキー缶を烏羽はどこからか取り出した。
誰も立ち上がらない。もちろん、私は引く気はない。
「もー、皆横着なんだからー」
烏羽は口を尖らせ、立ち上がる。くじを引いてもらいに円卓をぐるりと回り始めた。私は素直に従ってやることにした。烏羽が私の側に来る。私が無言で割り箸を一本取ると、烏羽も黙って次の人にくじを引かせるために移動した。
最後に代筑が引き、残りのくじを烏羽は手に持つ。
「皆くじ持った? じゃあ、いくよー。せーの」
烏羽の掛け声と同時に手にした割り箸を見る。端に小さく《十》と書かれていた。
「先が赤くなっている人が王様だよー」
誰も名乗りを上げない。しんと場が静まりかえる。
「ねー、誰なの? 早くしてよね。あ、ボクじゃないよ」
割り箸を弄びながら月白唯兎が呟いた。くるくると手の中で割り箸を回す。こいつの目の前にはオレンジジュースが置いてある。
「…………だよ」
誰かが、話した。皆が声の主を探そうと、目線を動かし始める。
「くるみ、王様だよ……」
榛くるみの手には、確かに先の赤い割り箸が握られていた。
「じゃあ、くるみちゃん。何かご命令を」
仰々しく烏羽は頭を下げる。くるみは割り箸を見つめながら、頬を真っ赤に染めた。
「うーん、えっと、えっとね……」
「何でもいいよー。例えば、瞳子ちゃんのおっ――」
途端、烏羽の鳩尾に代筑の拳がめり込んだ。何を言おうとしたのかは、なんとなく私も察した。無表情で代筑は「おしぼり頂戴」と右手を上げた。奏がそそくさと代筑におしぼりを手渡すと、先程烏羽を殴った右こぶしを念入りに拭き始めた。
「代筑……。そこまで痛くはないけど、何か精神的にくるものあるよ……」
烏羽を黙らせた代筑に内心親指を立てる。
「で、貴様は何を命令するんだ? あまり僕を待たせるな」
代筑はおしぼりをたたんでテーブルの上に置き、悠々と腕を組む。くるみが更に萎縮する様子が見てとれる。
「…………欲しいな」
ぼそりとくるみが呟く。皆が耳を澄ませる。
「《九》の人は、一日だけくるみとお友達になって欲しいな」
前述の通り、私の番号は《十》であり、くるみの友人になる権は手に入らなかった。別にどちらでもいいし、くるみも私と一日一緒では困るだろう。こういうのは桃やらが向いているのでは。
「くっ、後一つ多ければ……」
桃は悔しそうに《八》の割り箸を握りしめた。どんだけくるみが好きなのやら。
「……《九》はボクだよ」
唯兎が手を挙げ、名乗りを上げた。今にもため息の嵐を起こしそうである。くるみが目を丸くする。
「……唯兎君だっけ……。嫌ならいいよ、お友達……」
おどおどとくるみが言うと、唯兎は眉をひそめる。
「ボク、そういうヤツは嫌いなんだけど。一度言った事には責任をもってよ。オマエ、ボクより年上なんデショ?」
チクチクと唯兎の言葉が刺さる。くるみは完全に小さくなっていた。
「……じゃあ、唯兎君。一日だけくるみのお友達になって……」
唯兎が言った「しょうがないなぁ」はほんの僅かに柔らかく聞こえた。
「さぁ、どんどんいこう。次々ー」
烏羽は皆から割り箸を回収し、混ぜていた。彼はどうやら自主的な行動を心がけるようにしたらしい。くるみの『命令』もおそらく烏羽の満足するような回答ではなかったのだろう。現在もイマイチ盛り上がりにかけている。私はリア充系のうえーいなノリが嫌いなので、別にいいが。
「はい君たち引いてねー」
再び烏羽は皆にくじを引かせに回りだした。学習能力の高い烏羽だ。
「いくよー。せーの」
結論から言えば、私は王様ではなく、《四》の民衆であった。
「誰が王様?」
「はい! 小官が王様であります!」
今回は返事が早かった。イリアはピシッと指を天に向け、キラキラと目を輝かせた。
「では、早速ではありますが、《三》の方は小官にサインをください!」
イリアはサッとスケッチブックを取り出した。表紙には小さくラビットピーチの落書きがしてある。
番号で指定しないといけない以上、直に桃へ「サインが欲しい」とは言えない。イリアもかなり大胆なかけにでたものだ。十六分の一。ただしそれは叶えられていないが。
「貴様、僕のサインが欲しいというのか。僕が《三》だ」
桃の持つ番号は《十二》であり、大きく外れている。そして、実際は白黒チビ代筑がサインを書くことになっていた。
「む、代筑殿でありますか。代筑殿はハッカーでありましたな」
「そうだが? ラビットピーチほどの知名度のない僕では不満か? ……ハッカーの中では有名な方なのだが」
眉間にシワがよっていき、代筑がみるみる不機嫌になっていく。イリアは慌て出す。
「いやいや、代筑殿のサイン、嬉しいでありますよ」
「……嘘ばっかり」
代筑の呟きはきっと誰にも届いていないかもしれない。イリアが差し出した未使用のスケッチブックに代筑はさらさらと筆記体のローマ字で名前を書き、小さく白黒のフクロウのイラストを入れた。
「おお、ありがとうございます。代筑殿、絵が上手いでありますな」
「貴様や桃ほどではない」
つんと代筑はそっぽを向いた。それは、照れ隠しなのか。
ここからは同じ行程を繰り返すのみなので、省略。
「そろそろ、俺にも王様回ってこないかなー?」
人々の間を歩き回りながら、烏羽は大きな独り言を言う。ちらりと私に向けられた視線は流しておこう。……烏羽、くじに細工でもしていないだろうか。
これもいつもの流れで、烏羽の指示に従い番号を見る。《十一》であった。ゲームが進むに連れて、烏羽がデスゲームのゲームマスターのように思えてしまう。このまま流れると、烏羽は紫苑に倒されそうだ。そういえば、私はデスゲームにおいてはどのような立ち位置になるのだろうか。
「まあ、わたくしが王様ですわ。わたくし、どちらかと言えば、ナンバーワンよりオンリーワンになりたいですわね」
心底どうでもいい感想を添えて、二三がすぐさま名乗り出す。烏羽はやはり王様ではない。細工の線は薄れる。
「では、《一》から《四》までの四人の方は、わたくしと共に踊ってくださいませ」
お嬢様らしい上品なお願いだ。なぜか人数が多いが。沢山いた方が楽しいということだろうか。
「あ、モモセ《四》だ」
隣の桃が反応を示した。桃は品のあるダンスを踊れるのだろうか。――中学校ではダンスを教えているようなので、大丈夫か。
桃以外には《一》の奏、《二》の聖司、そして《三》の紬の男子三人組(奏は男子に見えない)が選ばれた。
「奏さまや桃さまはダンスお得意そうですが、聖司さまと紬さまは大丈夫ですの?」
二三はいつもと変わらぬ表情でこてんと首を傾げた。そんな二三を紬はキッと睨み付ける。
「あ? 大丈夫に決まってんだろうが。少なくともこの貧弱そうな聖司よりはいいだろ。なんでオレが心配されないといけないんだ?」
ドスを効かせた低い声で紬は言う。しかし、二三はそれほど気に止めていないようだ。
「紬さまは色白でスリムですからそう思いましたが、心配は不要でしたわね」
「……筋肉つけるし。小麦色に肌焼くし」
静かに紬は言う。私には筋肉ムキムキのボディービルダーみたいになった紬の想像がつかなかった。
一方の聖司は不安そうな目で二三のことを見つめていた。例のごとく服をつまんでもぞもぞしている。素直な男だ。
その聖司の視線に気づかないのか、二三はラジカセを取り出し、カセットテープ(レトロだ)をセットする。
「それでは、ミュージックスタート、ですわ」
二三がガチャリとラジカセのボタンを押す。そこからはアップテンポな音楽が流れ出す。
「マイナーだけど、アイドルソングみたいだね」
私の隣の款那がそっと言った。やや広いところにいる五人に目をやる。
のっそりと動きそうな二三が案外軽快な動きでダンスをしている。服装がロングスカートで動きにくそうではある。
奏は《家政夫》らしく、与えられた仕事をきちんとこなす。メイドアイドルで人気が出そうだ。桃もアイドル声優の本領を発揮し、機敏に動いている。二人とも、二三の動きを真似しているようだが、大したものだ。
問題はあの男子二人だ。聖司は始め二三と同じように踊ろうとはしていたが、早いリズムについていけず、諦めてリズムにあわせてゆらゆら体を揺らすようになった。紬は無理矢理に体を動かし、踊っているようには見える。但し、息切れが激しく、真っ白な肌は赤くなり、相当無理をしているように思えた。
曲が止まる。
「……紬さま、大丈夫ですの?」
たいして心配していないようだが、二三が倒れ込んだ紬の様子を伺う。紬は反応しない。げほげほ咳き込むだけだ。聖司は心配そうに紬を見つめていた。
「紬君、医務室に行くか?」
コバトが紬の側に立ち、見下ろす。ゆっくりと紬は頭を上げ、首を横に振った。
「そうか。だが、ときには人の手を借りてもいいとは思うぞ。説教くさいようだがな」
「では、席に戻りましょう。お水どうぞ」
奏はコップ一杯の水を差し出し、紬が飲み干したことを確認すると、紬に肩を貸して立たせ、椅子に座らせた(介護されているおじいちゃんを見ている気分だ。もしくは糸の切れた操り人形か)。
「……オレだって……」
遠いどこかを紬は見ていた。
「つむちゃん、無理は禁物だよー。まずはこの島外周ランニングから始めたら?」
烏羽は意外に空気が読めたらしく、紬の回復を待ってからくじを引かせに歩き出した。
「……余計なお世話だ」
「あーそうなの」
烏羽はクッキー缶を持っていない方の手のひらを紬に見せてから、手を軽く握り、再び開く。いつの間にか烏羽の手にキャンディが握られていた。
「はーい、つむちゃん、塩飴だよ。百瀬ちゃんは受け取ってくれなかったけどね」
「毒でもはいってんじゃねーのか?」
「そんなの、手に入んないでしょー」
紬はしばらく警戒するようにキャンディを見つめていたが、さっと奪い、口に放り込んだ。
「……旨いな」
「大袋入だけどね」
にまりと烏羽は笑う。そして、また回り出す。
「あ、私が王様ですね。なので、烏羽さんデスで」
「二藍ちゃん、番号で指名してよ……。あと、なぜ俺」
「なんか、目立っているので」
紫苑はダルそうに割り箸を見つめる。理論がもう何かの犯人だ。
「しょうがないですね……。それでは、《十六》の人は私になぞなぞを出してください」
億劫そうに紫苑は皆を見回した。すっと綺麗に誰かが手を挙げた。
「私が《十六》だな。さて、紫苑君にはどのようななぞなぞがいいか」
コバトが顎に手をあて、考え始めた。イメージから、彼女は相当難解ななぞなぞを作り出しそうである。
「うむ、これなどいいな。では。『息子と父親が病院に運ばれた。医者の先生は息子を見て「私の息子だ」と言った。さて、なぜだ?』」
医者だけに、なぞなぞにも医者を絡ませてきた。さて、答えはなんだろうか。実際に回答するのは紫苑であるが、私も考えてみる。
「うーん、なんでだろ。聞いたことある気がするけど」
款那は空中を見つめ、考えこんでいた。
「息子ということは、下ネタ――」
烏羽の口に丸めたおしぼりが突っ込まれる。またか、お前。代筑は静かに手を挙げ、「消毒液頂戴」と言った。奏が即座に消毒液を持ってきて代筑に手渡す。代筑は念入りに消毒液を手に擦り込み始めた。
「もー、冗談で言ったのにー」
烏羽は口からおしぼりを取り出し、手前に置いた。そのおしぼりにも代筑は消毒液をかける。徹底している。
「貴様の言うことは冗談に聞こえない」
侮蔑の目を代筑は烏羽に向ける。烏羽はニヤリと笑うだけだ。
「……男性同士の恋とか……」
「はっ、隠し子の可能性も!」
くるみと汐太が口々に言う。コバトは楽しげに頷く。
「さあ、紫苑君。答えはでたか?」
紅茶をちまちま飲んでいた紫苑がコバトの方を見た。そしてティーカップを置き、ため息を一つ。
「ナメられたものですね。私、その答え知っているんですよ」
「そうか、それは失礼した」
申し訳なさそうにコバトは笑った。ドーナツに手を伸ばそうとして、先程二三が半分近くをたいらげて今はもうなくなったことを思い出して、手を引っ込めた。
「それは、医者の先生が息子の母親なんです。簡単ですよね」
紫苑はつまらなそうにティーカップの縁をなぞった。
「先入観に捕らわれていては、探偵なんてやっていられませんからね」
続けて紫苑はそういう。
「ふむ、やはり紫苑君には簡単すぎたか。では次があれば更に良い問題を作るとしよう」
「ほう、楽しみに待っています」
紫苑は笑い、ドーナツに手を伸ばそうとする。ドーナツは皿の上にのっていない。
「二藍ちゃん、パンはパンでも食べられないパンは?」
烏羽はくじの缶を片手に、紫苑に訪ねる。
「カビの生えたパンは食べれませんね」
紫苑はくじを手に取り、そう答えた。
「ショパンも食べられないよ」
隣に座る款那が紫苑の方を向いて言った。紫苑は「そうですね」と頷く。
「誰も『フライパン』は言わないんだね」
「ありきたりじゃあないですか」
退屈そうに紫苑は頬杖を着いた。烏羽は苦笑する。
「おー、俺王様だ! 何しようかなー?」
汐太が足をパタパタさせる。こいつは変なことを言わないだろうので、安心である。
「んーとね、あ、決めたー!」
目の眩みそうな笑顔を汐太は浮かべる。悪意のない清々しい笑顔。
「ラッキーセブンの《七》! 俺と木登り勝負!」
なんだか 少年漫画の主人公に見えた。ちなみに、私は《十三》。汐太と木登りとは、インドアな私には向かない。この中で勝負が出来そうなのは。見渡しても莉々音くらいしか思いつかないが。
「あ、アタシが《七》だよ」
なんと好都合なことか。莉々音が手を上げた。
「おー、りり姉ちゃんとは、相手に不足はない!」
「あはは、喜んでくれて嬉しいよ。勝負なら、審判がいるよね?」
「それは私がやろうか?」
名乗り出たのは、コバトだ。いつもの不敵な笑顔を浮かべている。彼女ならどんな敵でも倒せそうだが。
「医者姉ちゃんありがとー。じゃあ、ヤシの木のところへゴー!」
勢いよく拳を挙げ、食堂の入り口へ駆けていく汐太。後をのんびり莉々音とコバトが続く。
結果発表。
「くっ、まだ俺はりり姉ちゃんには勝てないのか……」
「元気出して、汐太君……」
悔しがる汐太を莉々音がなだめながら帰ってきた。
「どちらもすごいが、莉々音君は人間離れしていたな」
淡々と状況説明をしてくれたコバト。外に生えているヤシの木をどちらが先に登りきれるかという単純明快な勝負であった。コバトのスタートの合図と同時、莉々音がヤシの木を駆け上がる姿は圧巻だったそうだ。莉々音が頂上に到着し手を振ったのは、汐太がまだ半分程度のところにいた時だった。
「でも、りり姉ちゃんが本気で勝負してくれて、俺は嬉しかったよ! いつかりり姉ちゃんを超えたいな」
汐太はヤシの木が似合う笑顔を皆に向けた。
「りり姉の木登り見たかったねー。動画とかないかな?」
割り箸をかき混ぜながら、烏羽は言う。
「ビデオ判定用に撮った物ならあるが。莉々音君、見せてもいいかい?」
「大丈夫だよ」
莉々音の返事に、烏羽は嬉しそうに笑った。
「ククク……我が王とは。時代も我に追いついてきたということか……」
ニヤリと市子は先の赤い割り箸を見ながら笑う。
「そんな大層なものではないよ、市子ちゃん」
なんか、烏羽も楽しそうだ。烏羽のくせにくじに小細工無しとは。よくよく考えれば、私は烏羽という男をよく分かっていないのかもしれないのだった。初対面のはずだから。今回も、裏なんて何もなくて、皆と仲良くしたいからという動機かもしれない。
市子は座っている皆をゆっくりと見渡す。紬のことを見つめる時間が少し長いように感じた。もちろん、私とも目を合わせる。初めて会って占ってもらったあのときと同じ感覚があった。
「うむ……第一案は難しいな……。では、第二案でゆくとするか……」
ぶつぶつ何かを呟いた後、市子はパッと顔をあげ、私――ではなくて款那の顔を見て、確かに目線を款那の方に向けて言った。
「《九》を持つ者よ、お主が何者かを答えよ」
款那の表情が強ばるのが横目で見えた。持っている割り箸は《九》。
「何者って、言われても……」
困ったように款那は笑う。それでも市子は探る視線を款那に向けた。
「言葉通りに捉えてもらってかまわないぞ。自分が何なのか、自分自身の言葉で言ってくれ」
「……私は私だよ。仙斎款那であって、それ以上でも、それ以下でもない。私は私」
款那は笑顔を崩した。真っ暗な瞳で市子を見返す。
数秒目線を合わせた後、市子は目を閉じ頷いた。
「分かった、よく分かったぞ。仙斎よ、くれぐれも過去を思い出そうとするのではない。お主の過去はお主自身を破壊する」
意味深な。款那は首を傾げている。
「うん、努力するよ、凡人なりに」
款那の笑みが自虐的に見えたのは私だけかもしれない。
「うん、俺もそろそろ飽きてきたね。これで最後にしようか」
言い出しっぺが何を言う。割り箸をゆっくり混ぜ、烏羽は立ち上がる。
「最後ぐらい俺が王様になりたいなー」
想像よりも烏羽は無邪気に笑えた。
私の持つ数字は《一》。思えばここまで私は何の指令もしていなければ、何の指示も受けていなかった。さあ、私は最後まで平和でいられるか。
「はーい、王様だーれだ……って俺だったよ」
わざとらしく烏羽は色の付いた割り箸を振った。最悪の事態が起きてしまった。烏羽の指令なんて、考えただけでゾッとする。
「んー、何にしようかな? 盛り上がるのがいいよね?」
ふと、烏羽と目があった。意地悪そうに烏羽が笑う。背中を下から上になぞられた心地がした。
「《一》の人は俺にキスして」
至極真面目な声色で、烏羽は言った。もちろん、《一》は私である。
「冗談はよせ、鳥羽。誰がお前みたいな粗大ゴミと口吸いをするか」
「瞳子ちゃん、俺は鳥羽じゃなくて烏羽。カラスバだよ。あと、世界中探してもこんなイケメンなゴミはないでしょ」
烏羽は一息に私の台詞にツッコミをいれる。烏羽をミキサーにかけたくなってきた。粉々になれ。
「どうせイカサマでもしたんだろ。男と接吻したかもしれねえじゃねえか」
「してないよー。それくらいの覚悟もしてたよー」
嘘だ嘘だ。全員のくじの引き方を記憶してその通りにくじを配置、私が取ったであろう番号を指定――被害妄想はなはだしい。私の運が悪かっただけだ。
「あーあー、すればいいんだろ、すれば。爆発して霧散しろ」
「うん、瞳子ちゃんの罵倒が愛の告白に聴こえる」
「失せろ」
私はわざと足音を大きく鳴らしながら烏羽の元へ向かう。桃が不安そうに私を見つめるのに目線で大丈夫と答える。通じただろうか?
烏羽のふとももの上に座り、腕を体にまわす。甘い香りが胸まで届く。烏羽の顔が近くで見えた。睫毛が長い。端正な顔立ちで、性格さえ良ければ惚れていたかもわからない。
私はゆっくり目を閉じた。烏羽に顔を近づけ、そして――
思い切りデコピンをかましてやった。
「痛いよ、瞳子ちゃん! 肉体的にも精神的にもきたよこれ!」
すぐに私は烏羽から離れて、デコピンした指を代筑の目の前の消毒液で洗浄した。危ない、烏羽の毒がついてしまうところだった。烏羽は額を押さえてうるうるしている。
「本当にすると思ったのか、ゴミが。そもそも、こんな公衆の面前でキスするやつは変質者しかいないだろ、ボケ」
何かツボに入ったらしく、代筑がクスクス笑っていた。
「でも、瞳子ちゃんが俺の大事なところに近いところに座っていたと思うと、俺、興奮するよ。よし、しばらくはこれをおかずにしよう」
「キモいぞ、ハゲスバ」
もう一発、デコピンをプレゼントした。