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ロックンロールは終わらない

「少しくらい音を外したっていいじゃない」

 ケイは車のスピーカーからつんざくボーカルの声を代弁するように、俺に言った。

「ロックはね、ドラムがしっかりしてないと話にならないの。でも逆に言えばドラムがしっかりしてたら、どうとでもなる。ほら、こいつらだってさ」

 細い指がスピーカーに刺さる。

「ボーカルがぼろぼろでも、なんとかなってるじゃない?」

「俺にはなんとかなってるようには聞こえないけど」

 雪のせいで重たそうに動くワイパーにうんざりしながら言葉を返す。ときおり鮮明に見える視界からは、雪と同化しそうな白い軽自動車が前を走っているのがわかった。

「そもそもすべてが完ぺきに揃わないと、バンドとしてどうなんだよ」

「どうって?」

「いや、ドラムにしろボーカルにしろさ、やっぱ全員完ぺきにできてこその音楽なんじゃねって話」

「ジェン君ケンカ売ってんの?」

「は?」

 急カーブで体と一緒にハンドルを動かしながら、首をかしげる。こんな天気の日に山道を走るんじゃなかったと、後悔しながら左手でカフェオレの缶をさぐる。しばらく探って隣を見ると、ケイが酒をあおるように缶を傾けていた。

「おい!」

「ジェン君がわるいのー。音楽をバカにするから」

「ったく。バカにしてねーの。ただ俺はそーゆーの気に入らないだけ、だ、って」

 おっと、と言いながら急ブレーキをかける。

 そのとき一瞬目がくらんだ。

 目を開けると、白い車体が停車しているのが、窓から見えた。「何?」というケイの声を無視して、俺はサイドブレーキを引くと、そのままシートベルトを外し、外に出る。途端に吹き付けるような寒さが襲った。少し歩くと、帽子も何もかぶっていない頭にはすぐに雪の冷たさが広がっていった。

 同じく車体に雪を乗せ始めた白い車は、赤いブレーキランプを点けたまま、四十メートル先ぐらいで佇んでいた。俺が歩き始めると、左からケイが降りてくるのがわかった。「寒いから中にいろよ」と言うと、「いいの。気になるから」という雪でくぐもった声が聞こえて、結局一緒に向かうことにした。

 その縦長の車体の目の前までくると、急にランプが消える。何事かと二人で目を合わせ、両サイドから回り込むように車内の様子をうかがう。「あっ」と声を漏らしたのは向こうも同じだったのだろう。助手席にもたれかかる、若い女性がいたのだ。

 俺は左へ回り込んで、窓越しに彼女の様子を眺める。一見して具合の悪そうな彼女は、存在感のない細い体をだらしなく放り出している。長い髪がかかった顔は蒼白で、苦痛にゆがんでいた。

「ねぇ、助けてあげよう。なんかヤバそう」

「そうだな」

 俺はゆっくりと車のドアを開け、女性の無事を確かめるように顔を見た。彼女は何かをつぶやいているようだ。その様子を見ながら、同時にそういえばと、ある疑念にかられた。

「運転手は――」

 ケイに訊くように振り向く。しかしそこに彼女の姿はなく、ただ白い光景が広がっていた。俺はしばらく見回して「ケイ?」と声を出すと、立ち上がり、もう一度辺りを見回す。しかしいくら見ても、彼女の朱色のオーバーコート姿は見えなかった。

「車に戻ったのか?」

 そう思って車のほうを見るが、雪が視界を邪魔して、助手席どころか黒い車の姿もおぼろげに見えるだけだった。

 あまりの出来事に、頭を整理して、もう一度前に向き直ると、今度こそ信じられないことが起きていた。


 女性の姿が跡形もなく消えていたのだ。


「ひっ」と情けないくらい小さな悲鳴を出すと、俺は急いで車に駆け戻った。すると、近づくにつれて、ケイが座席に座る姿がはっきりと見てとれた。

「どーして先に帰ったんだよ」

 ケイは答えなかった。なんだかわからないがひどく不機嫌なようだった。少し伏し目がちに、じっと下を見ている。

「それより、今、あの女の人がさ――」

 俺は今、自分に起こったことを一気にまくし立てるように言った。それでもケイはうなずくともなんともわからない、あいまいな感じでただ首を揺らすだけだった。

 明らかに変だった。

「おい、どうしたんだよ、ケイ。なんだか様子が――」

 ケイはしばらく虚ろな目を漂わせると、それから急にこちら側を見て「ううん。なんでもない」とい裏返ったような声で言った。

「ホントか? 具合でも悪いのか?」

「う、うん。ちょっと、ね」

 どれ、とケイの額に手を当てると、雪に触ったときのような冷たさが伝わってきた。

「冷たっ! おい大丈夫じゃないだろ、これ」

「病院……」と小さな声が聞こえた。

「病院連れてってくれるかな。なるべく、急いで」

 その声に切迫したものを感じて、俺は「わかった」とシートベルトを締めなおした。

 かけっぱなしのロックの甲高い音。俺は車の発車と同時にそれを消そうとして、手を伸ばす。しかしボタンを押した感触があってもそれは止まらなかった。

「なんで止まらない?」

「いいから急いで!」と隣から声がかかる。

 ケイはそのまま独り言をぶつぶつと呟いている。

 俺はそれに、言いようのない不気味さを感じて、前だけを見て運転に集中することにした。

 ロックの音だけが車内を包み込む。

 ――それにしてもさっきからずっと同じバンドの曲ばかりだな。

 例の「ぼろぼろのボーカル」の、LIVE音源ばかりが流されていた。やはり時々大げさなくらいに外れる音程に、いちいちイラつきながら、やっと山道を駆け下りた。

 それからしばらく病院を探していると、有名なスーパーの向かいに『内科』の二文字が見えて、まっすぐそこを目指した。

 車をつけると、すでにケイは外に出ているようだった。いつの間に、と思う暇もなく彼女はさっさと歩いて院内に入っていく。俺は慌ててついて行った。

 中は外見より広かった。待合室には赤いロビーソファーが四列ほど並んでいて、看護師が慌ただしく動いている。

 ケイはその最前列に、静かに座っていた。まっすぐ前だけを向いて、固く目を閉じている。車の中であまり表情を見なかったから気付かなかったが、顔面はかなり蒼白で、まるで車内で消えた女のように眉間にしわを寄せ、ときどき口元を動かしている。

「保険証は?」

 俺が言うと、ケイはハンドバックから四角いそれを取り出して、渡した。

受付を済ませ、隣に座る。

横を見ると、やはりケイはさっきから同じ調子だった。目をつむったままぶつぶつと何かを呟く様子は、どう見ても気味の悪いものだった。

 俺は前に向き直ると、ずっと考えていたことについて整理し直す。

――そうだ。ケイがおかしくなってしまったのは、あの女に出会ってからだ。

 あの時、運転手のいない車内で彼女を見つけてから、ケイの行動や言動が不可思議なものになった。

ケイはどうして……?

 そしてあの女は一体……。

「アイジさーん。アイジ エンさーん」

 最初はだれのことを言っているのかと思った。

「え? 俺……?」

 呼び出されたのは『石見(いしみ)景子(けいこ)』という名前ではなく、なぜか俺の名前だった。

「行ってきなよ」

 ケイが言った。

「それで全部わかるから」

 どういうことか。診察されるのはケイじゃないか?

 ケイは俺の問いかけにも首を振るばかりで「とにかく行きなって」と言うばかりだった。

 俺はわけがわからないまま、しかしずっと繰り返される名前に返事をして、答えを探すようにゆっくりと歩き出した。














「ほら、また」

 俺は車内でたばこをふかしながら、隣に座るケイに投げかけた。

「こんなに音外してさ、こんなんでバンドって言えんの?」

「いーの。別にさ、ロックってボーカルがすべてじゃないんだから」

 ケイはひどい雪だねとコーヒーをあおって、空の缶を振った。おい、俺のコーヒー返せ、と言いながら、視界の悪い前方を見る。確かにひどい雪で、ときおり吹き付ける風が車のハンドルを取ろうとしていた。

 しばらく山道を進んでいると、急に前の車が止まった。あわてて急ブレーキをかける。雪のせいなのか、一瞬視界が消えるような違和感があった。

 落ち着いてから見ると、前の車はそのまま動かず、立ち止まっていた。何かあったのだろうか。

 俺はサイドブレーキを引き、車を出る。身の縮むような寒さに体を震わせていると、ケイが車から出るのが見えた。「中に入ってろよ」と言っても聞かなかったので、そのまま二人で黒い車へ向かった。

 車内には女性がいた。助手席にぐったりした様子で座る彼女は、蒼白となった顔をひくつかせて、いまにも消えてしまいそうだった。

「助けてあげよう。ヤバそうだし」ケイは静かに言った。

「そうだな」

 俺はドアをゆっくりと開ける。彼女は歪んだ顔をこちらに向けて、何かつぶやいているようだった。

「じ…ん……きみ…、も、うし……で」

 よく聞き取れない声が、雪で余計にかすれる。俺はとりあえずケイにも聞いてもらおうと、後ろを向いた。

 しかしそこに彼女の姿はなかった。辺りを見回しても、ケイはいない。そして前に向き直ると、俺は無様に悲鳴を上げた。彼女の姿がなかったのだ。まるで最初からそこになかったかのように、消えてしまっていた。

 俺は急いで黄色のポルシェに戻る。

 助手席にはケイがうつむき加減で座っていた。

「どうして戻ったんだ」という俺の問いにも、彼女は無言のままだった。そして突然病院に連れて行ってほしいと言いだした。

 体調が悪いのか、と額に手をあてるとひどく冷たい。確かに普通ではなさそうだった。俺は車を再発進させた。

 車に流れ続けるロックの音。

 時々外れる声の調子が不快で、止めてしまおうと思ったが、なぜかスピーカーから音が途切れない。

「なんで止まらない?」

「そんなこといいから、早く病院に」

「……わかったよ」

 横を見ると、ケイは一人で何か呟いているようだった。口が細かく動くのが見える。顔色といい、様子といい、さっきの消えた女性によく似ていた。

 いや、似ているだけだろうか。

 それ以上の何かがあるような。

 あの女はいったいなんなのか。

 俺の知り合いなのか。

 思考をめぐらしながら山道を降りると、スーパーの向かいに病院があった。俺は迷わずそこに車を止めた。

 中に入ると、ケイがもう最前列に座っていた。様子は相変わらずで、ずっと独り言を続けていた。

 保険証を受付に渡し、しばらくケイの横に座っていると、自分の名前が呼ばれたことに気付いた。「高峰(たかみね)(けい)」という彼女の名前はなぜか呼ばれなかった。

不審げにケイを見ると「行ってきなよ」と言われた。「それでわかるから」という意味深な言葉とともに、俺は診察室へ送り出された。























「あ、音外れた」

「いいじゃない、別に」

 ロック好きの彼女は、音痴なボーカルを擁護するように声をあげた。

「バンドは完璧じゃなくても他の人で補えられるのよ」

 そこがいいところだよね、とケイはペットボトルに入ったお茶を飲む。

 外はひどい雪で、視界が何度も遮られていた。

 しばらく山道を進むと、前の車が急に止まった。俺は驚いて、咄嗟に急ブレーキを踏む。風雪の中でも車体の悲鳴がはっきりと聞こえた。

「何?」とケイが心配そうに聞くのをよそに、俺は外に出た。あまりの寒さに身を縮めて歩くと、隣りからケイが付いてきた。「気になるから」と彼女が言ったので、一緒に前の黄色の車体を目指した。

 面長の車には、助手席に女性が座っていた。

 窓越しにも見える蒼白さは、放っておいたら死んでしまいそうに見えた。

「助けてあげよう。このままじゃヤバそう」

「そうだな」

 そう言ってゆっくりドアを開けると、女性が苦しげにうめいているのがわかった。

 どうしようかケイに訊こうと後ろを振り向くと、彼女はいなかった。慌ててあたりを見回す。すると車のさらに前方に何か四角いものがあることに気付いた。いったん視線を戻すと、目の前の女性は消えていた。

 俺は小さく悲鳴を上げて後ずさる。そしてそのまま前のほうに行くことにした。

 近づいていくにつれて、それが車だということがわかった。黒い車だった。

 これは……?

 誰もいない車内。ただ助手席のドアだけが何故か開いていて、そこから入り込んだ雪が、車内に少し積もっていた。

 どうしてこんなところに放置してあるのか。

 まさかと思って、さらに前へ歩いてみると、またも車があった。今度は白い縦長の車で、同じように助手席のドアが開いていた。

 そこから前にはさらに何台もの車が連なっていた。俺は言いようのない薄ら寒さを感じて、途中で引き返し、自分の車に戻った。

 助手席にはケイが座っていた。

 そのことに安堵してすぐに車を発進させると、あったはずの車の列が消えていることに気づいて、さらにスピードを上げた。

「ねえ」とケイが体調の悪そうな声で訴えてきたのはそのときだった。

「具合が悪い」

 ケイの頬に手を当てると、人間とは思えない冷たさを感じて、その手をあわてて引っ込めた。

「病院に行ってほしいんだけど」

 俺は黙ってうなずいた。

 途中車内に流れるロックがうるさくなって、止めようとしたが、何故かどのボタンを押してもそれは止まらなかった。チューニングも無意味なのか、その場違いとしか思えない、気分を高揚させるような激しいロック調が、病院についても永遠と鳴り続けていた。

「クロキさーん。クロキ トオルさーん」

 待合室で呼ばれた名前は、ケイのものではなく、俺の名前だった。

「行ってきなよ」

 というケイは、いくらか具合が良くなったような明瞭な声で俺に言った。

「それでわかるから」

 釈然としない思いを抱えたまま、俺は診察室へと急いだ。







                   ※







 ようこそ。

 何が何だかよくわからないとは思いますが、そこにお座りになって、私の話を聞いていただけますか。

 ありがとうございます。

 まず、あなたに言わなくてはならないのは、あなたにとっての『ケイ』は死んでしまったということです。

 そしてあなたも死んでしまっているのです。

 どういうことか?

 疑問に思うのは当然のことですね。

 それをこれから説明いたします。

 まずある山道で玉突き事故が起きてしまったことをご存知でしょうか?

 その事故は、巻き込まれた車三台に乗っていた全員が死亡。天候の関係もあってか、とても悲惨な事故になってしまったようです。

 しかし事故によって死んだのは、その時の犠牲者だけです。

 話は変わりますが、あなたは疑似体験という言葉をご存知でしょうか?

 ある出来事が起きた場所で、全く関係のない第三者が、出来事そのものを体験してしまうことです。その手の世界では主に『強い思念』が原因になって起こることのようですが。

 あなたはその『疑似体験』の犠牲者なのです。

 こんな体験をしなかったでしょうか。

 山道を走っていたら、前の車が急ブレーキをかけて止まった。そしてぶつからないように自分も急ブレーキをかける。

 しかしその時点で、すでにあなたは事故を起こしているのです。

一瞬視界が奪われたでしょう?

そしてその時点で、『ケイ』は死んでしまっているのです。

 そこであなたは前の車の様子を見に行く。すると以前事故で死んだ『ケイ』が、車の助手席にもたれている。それをあなたは助けようとする。しかしいつの間にかあなたにとっての『ケイ』は消え、目の前の『ケイ』も消えてしまう。

 その後、あなたは『ケイ』を病院に連れていくことになります。

 しかしその『ケイ』は前の事故で死んだ『ケイ』が、あなたの『ケイ』のふりをしているだけなのです。

犠牲者を増やすため?

わかりません。そもそも『ケイ』とは一番最初に事故で死んだ女性の愛称なのです。それが疑似体験によって、あなたの愛する女性にすり替わってしまった。

彼女はロックが好きでした。

すでに体験したでしょうが、車内にはずっと同じロックがかかっていたと思います。それもまた疑似体験の一つだったと言えるでしょう。

つまり『ケイ』によって、玉突き事故の悪夢が繰り返し行われている、というのが真実です。

わかって頂けたでしょうか?

え? 結局俺は死んでるのかって?

最初に申し上げた通り、確かにあなたは死んでいます。ただし事故で死んではいないのです。事故で死んでしまった『ケイ』とは違い、あなたはその時点ではまだ生きていました。

しかし考えてほしいのです。

なぜ、前の車の運転席には誰も座っていなかったのか。


思い当たりませんか?


そうです。あなたは置いて行ったのです。本当の『ケイ』を。あなたの一番愛していた彼女を。

今、彼女たちは何を思っているのでしょうか。

愛する恋人に捨てられた彼女は、雪の中また思念を育てていることでしょう。それが新たな『ケイ』であり、犠牲者が増え続けることにつながるのです。

もう手遅れです。

それにあなたはこのナカに来てしまった。

先ほど私は、あなたのことを『その時点ではまだ生きていた』と言いました。

つまりどういうことかわかりますか?

ロックは鳴り続けるのですよ。


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