第2話「葬式と失恋のタンゴ」 4
目覚めると午前三時だった。
原因は、所謂、悪夢。
誰かに追いかけられて、自転車のペダルはどんなに踏み込んでも空回りして、そのくせ速度は増し、ブレーキが効かない――。
そんな夢だったかも知れない。けれど、寝覚めのダメージはそうでもなかった。
――だって、あたしは悪夢から醒めない女の子。
なんて自分を茶化してみても仕方がない。真っ暗な部屋で、あたしは大きなため息をつく。
「ああ、美弥ちゃん起きたか? 寝苦しそうだったし、大丈夫か?」
大丈夫なはずないあたしに、鈴木田さんは聞きにくそうに声を出す。それでも、鈴木田さんが心から心配してくれていることは伝わったから、あたしは初めて声に出して、鈴木田さんに返した。
「うん、ありがと。鈴木田さんはずっと起きてたの?」
真っ暗な部屋でそう口にすると、あたしの近くに本当に、生身の鈴木田さんが居るような気がしてくる。
「うーん。どうだろ? 寝たのか起きてたのか、よく分からないんだ。美弥ちゃんが寝ていると、こっちの心も薄まるみたいだな?」
「へえ――」
あたしはなんだか感心した。けれども安心には程遠い。そんな心の内を知ってか、鈴木田さんはなだめるような口調で続ける。
「美弥ちゃん、あのな。俺の葬式。図々しいお願いをしたと思ってる。美弥ちゃんには、なんとお礼を言えばいいか……。本当にすまない。でも、なんとか頑張ってくれないか?」
鈴木田さんは、随分心配しているようだ。
「うん……。行きたいっていうと変だけど、鈴木田さんの家族にお礼を言いたいし、鈴木田さんだって、会いたいでしょ? 頑張るから安心して。でも――」
あたしはその先を言い出す事が出来なかった。
(もし、鈴木田さんの体を目の前にしたら、なにがどうなるのか。)
あたしの中の鈴木田さんと、心を失くした抜け殻の体とが対面したら……。
もしかすると鈴木田さんは、体に帰るのではないだろうか。
なぜなら、それが自然だから――。
(自然だけど……それは嫌だ!)
今こうして話している鈴木田さんが居なくなることは、まるで同じ人が二度死ぬような感じで、あまりにも可哀想すぎる。あたしはその他にも、とても人には言えないような心配とか憶測を繰り返したが、そのうちにうとうとして、いつの間にか眠っていたと思う。
「あのな、美弥ちゃん。実は俺、自分の体に帰ろうと思ってる……」
夢だったのか、ほんとだったのか分からないそんな言葉を抱いたままに。
今度はいつも通りに目が覚めた。朝の六時の少し前。いろいろ済ませて部屋に戻ると、携帯が鳴っている。
(多分、野島依子だ――)
野島さんは悪い子じゃないけどいつも黙っていて、好かれる要素の少ない女の子である。
いつも一人で居て、時折交流の必要な事があると、大抵あたしの側にいた。
小柄で、髪は二つ結びで、いつもうつむいている。授業で二人でやる課題の時とかは会話が成立せず、結局あたしが一人でやる羽目になる事も多い。その時は少し腹が立つが、こちらに積極的に介入してこない野島さんは、あたしの性格にはあっていた。
鳴り続ける携帯を手に、あたしは鈴木田さんに助けを求めた。
「どうすればいいかな?」
「どうすればって、出ればいいだろうに? 友達だろ?」
「うん。でも、やな予感するんだよね。ちなみに友達ってほどじゃ無い……」
「でも心配してかけてくれてるんだろ? 出なきゃ」
「そ……か……」
そうだ。あたしは何を『構えて』居るんだろう。ただ電話に出て、元気な声を出せばいい。それだけの事なのだ。あたしは通話操作をすると、スマホを耳にあてた。
「もしもし――? 鷲尾です――」
妙によそよそしく声が出た。返事は無い。
「もしもし? 野島さん? おはよ……どしたの?」
どうしたか聞かれるべきはこっちなのに、心配の言葉を出すのはあたし。野島さんとは、いつもこんな感じだから慣れてはいる。けれど今回は場合が場合だけに、ちょっと嫌な感じがしたから、少し強めにもう一度。
「もしもし? あたし、大丈夫だよ。大事をとって休むけど、元気だから。心配かけてごめんね?」
結局、なぜか謝るあたしが居て、そうするとようやく野島さんの声が聞こえてきた。か細い、吐息のような声――。
「鷲尾さん、ほんとに良かった。鷲尾さんに何かあったら、私、もう――」
(『私、もう――』って何っ? 怖いんですけど――!?)
あたしは直感する。この野島さんの中で、(薄々感じてはいたが)あたしの存在は結構大きいのだ。高二から同じクラスで、何かにつけて一緒に居て。そういえば、勉強を教えてもらう事もあった。野島さんは口で教えることはせず、必ずノートに書いてくれる。こちらが聞く以上の事を返してくれる、真面目な女の子なのだ。
色々思い返していると、野島さんはさらりと次の言葉を出していた。
「鷲尾さん、今、近くに誰かいるよね。電話してごめんね――」
「――――!?」
絶句するのはあたしの番である。
「でも……ほんとにほんとに良かった。鷲尾さんが頑張っている間は、私も頑張れる。早く会いたい――」
結局電話は、あたしの安否確認より野島さんの意思表明といった形で終わってしまった。が――。
「ねえ? 聞いてた? あの子、鈴木田さんたちの事、分かるのかな?」
あたしはそこが気になった。
「うん、電話先の気配ってのは、結構分かるからな。それより、その、野島さんだっけ? 随分切羽詰まってるように思ったが……、いつもそんなか?」
鈴木田さんは、あたしより野島さんを冷静に見ている。言われてみれば確かに、いつもに増して悲愴感漂う声だったけど。
「大丈夫じゃないかな? それに今のあたし程困ってる人、いないと思うよ?」
(――言っちゃった!)
「そりゃそうだ! こんなおっさんに心に入り込まれて、美弥ちゃんは日本一不幸な少女だ! だが、それを聞いたからには、簡単には出てやれんなあ? 俺も居心地よくなってきた事だし」
「もう! じゃあいつ出て行ってくれますか? あたしこのままだと、おっさん化しちゃう!」
異常な会話だけど、それなりに楽しい。こんな風に冗談を言い合えるのが、本当の友達なんだろうか。
「もう! あんたたち、いちゃつかないでって言ったわよね? まだ眠いんだからっ!」
あたしの中のもう一人、大下さんがぴしゃりと言った。でもその声は何処か、笑いをこらえたような弾みがあった。