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第2話「葬式と失恋のタンゴ」 2

 マンションに帰りついて、お母さんとエレベーターに乗る。

 十一階までの時間がやけに長く感じるのは、隠し事をしているから。それを、お母さんは気づいている。

 聞かれた方が、気楽だろう。言い訳はもう、考えてある。

 だけど、お母さんは何も聞かない。あたしから言い出す事は、できなかった。


 ――あたしの中には、今、他人の心が二人ぶんも、入っている。


 そんなの、言えるわけない。


「ごめんな。美弥ちゃん……。出て行く方法があるなら、すぐにも出てくんだが――」


 鈴木田さんが、たまらないといった風に、呟いた。


「この男と同意見なのがしゃくだけど、私も出ていけるものなら、とっくに出てるわよ」


 大下梨夏さんも、もうたくさん、といった風に、呟く。

 あたしは言葉が無い。

 でも、やっと辿り着いた玄関を開けると、お母さんは人が変わったような笑顔で言った。


「紅茶でいい? 頂き物のアップルパイもあるわよ。当分、お母さんもお店を休むわ。二人でのんびりしましょう? 折角だから、旅行なんかしちゃったりして――」


 お母さんは、こんな大事故に遭遇したあたしに、何と言えばいいのか正直戸惑っているのだろう。そうでなくても、さっき記者の男に、意味不明なビンタを見舞ったあたしだ。お母さんはあたしが、滅茶苦茶に混乱していると、思っている筈だ。


 ――気を遣わせて、ごめんなさい。


 そう言おうとしたけれど、お母さんはもうキッチンへと消えていた。

 あたしはリビングに一人。(違うか……。鈴木田さんと、大下さん、三人だ……)

 ふとテーブルを見ると、制服セーラーと見慣れない携帯――鈴木田さんの――が置いてあった。不在着信を知らせるランプが、急かすように点滅している。


「鈴木田さんの……携帯。着信すごいよ……」


「――ああ。安否確認ってやつだろう」


 その後、少し沈黙があって、あたしはなぜだか着信履歴を読み上げ始める。


「賢一郎……」


「兄貴だ。長男。俺は次男」


「麻里……」


「妹だ。長女。嫁に行ってる」


「絵里……」


「これも妹。次女。家事手伝い」


「賢三郎……」


「弟。末っ子で、公務員」


「喜和子……」


「おふくろだよ――」


「賢造」


「おやじ、だ――」


 その後も、いろんな苗字や名前が並んでいた。会社の人や友人。みんな鈴木田さんの事故を知って、すぐに掛けたのだろう。着信時刻は事故のあった八時ごろに集中していた。そして最後に、一人だけ『さん』付けで登録された名前がでてきた。


「由奈……さん。誰……?」


 あたしはどうして、この人に限って「誰か?」なんて聞いたんだろう。鈴木田さんは、それまで即座に答えていたのに、今回だけは言葉に詰まった。

 待っていると、困ったような声で、鈴木田さんは言った。


「妹のともだち。親しくないから、『さん』付け――」


(嘘だ――)


 あたしはそう直感した。これは、そんな人じゃない。どうして妹の友達が安否確認するだろう。もう少しマシな嘘をつけないんだろうか。


「好きなひと、でしょ?」


 なんであたしは、そんなことを言うのか。違っていたら赤っ恥だし、そもそもこの世にはもう居ないはずの鈴木田さんにそんなことを言うなんて、あたしは何を考えているのだろう。でも自分が止められない。鈴木田さんは黙っている。あたしは更に意味不明な言葉を出してしまう。


「もし特別なひとだったら、あたし、会ってみたい」


「はあっ――どうして……!?」


 ――ホントにどうして!?


 あたしにも、それがさっぱり分からない。それから異様な沈黙が始まる。大下さんはまるで首を突っ込む気が無いみたいで、この居心地の悪い空気を中和さす気も無さそうだ。


 その時、鈴木田さんの携帯が震えた。

 ディスプレイには『由奈さん』と出ている。その名は、バイブと同じリズムで長いこと点滅を繰り返すと、寂しく消えた。


「出た方が良かった? でも、鈴木田さん、何も言わないから――」


(ああ、やめろあたしっ! それ以上しゃべるなっ!)


「好きなんでしょ? このままでいいの? この……由奈さんと」


(もう、ほんとにやめて! これはあたしじゃないっ)


「……ん、いいんだ。俺はもう死んだんだ。惑わす事になるだけだ。気を遣ってくれて、ありがとな――」


 鈴木田さんの、大人の対応のおかげで、あたしは救われた。でもどうして、あたしはあんな意地悪を言ったのだろう。ひょっとすると、あれは鈴木田さんの本心ではなかったろうか。それがあたしの中に滲んで、あたしの口から出たのではないだろうか。

 そんな勝手なことを考えていると、お母さんがキッチンから戻ってきた。あたしは全てを誤魔化すようにして、唐突な話題を出す。


「病院の駐車場で聞こえてきた音楽だけど。お母さん、知ってる?」


「ああ、タンゴだったわね。『ラ・クンパルシータ』。意味はね、仮装行列――」


 お母さんは、戸棚のレコードの中から一枚を抜き取ると、うやうやしく黒い円盤を出してプレーヤーにセットした。


「お父さんがね、好きだったのよ――」


 早くに亡くなった父はレコード蒐集が趣味で、聞きもしないレコード盤が未だにたくさんあった。


「久しぶりだわ。美弥のおかげで日の目を見たわね。懐かしい……」


 一度聴いたら忘れられない系のリズムが、大きなスピーカーから流れだす。あたしは気持ちよく、その音に聞きほれていた。


「美弥ちゃん……すまないが、一つ頼みがある」


「うん。なんでも言って……」


「俺の葬式に、行ってくれないか?」


 頼みに合わせて曲も終わった。あたしは、事故の時拾った携帯を返すという名目で、持ち主のお葬式に出席することを、お母さんに断った。


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