表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
18/21

第4話「野島依子」 2

「鈴木田さんっ!? すぐだからね!? すぐ着くから、がんばってっ――」


 慌てて病院の自動ドアに飛び込むと、受付には担当の看護師さんが居て、すぐに気づいてくれた。


「あら? 鷲尾さんね、どうしたの? どっか痛くなった?」


「い、いえ、その……」


 ――痛くは無い。怖いのだ。


「それじゃ、座ってて? 順番が来たら呼ぶから」


「あのっ、できたら急いでっ――」


 ――悠長にしてる暇なんかない。


 あたしは一方的に、看護師さんにお願いした。


「先生いますか!? あたしの、あの、おじいちゃん先生!?」


 我ながら失礼な呼び方だけど、咄嗟に先生の名前が思い出せなかったから仕方がない。


「小根山先生ね。今日は休診なのよ。今日は違う先生だけど、大丈夫だから」


「えっ……」


 あの小根山先生じゃないと、大丈夫ではない。あたしの今の症状は、小根山先生にしか理解できないとも思った。逆に言えば、小根山先生なら、なんとかして下さると思っている。あたしは、もう一度、無理押しした。


「先生、いつならいますか? あたし本当に急いでて。もしいいなら、先生の居るところに行きますっ!!」


 あまりの強引さに、他の看護師さんたちもこちらを見ている。


(あーもうっ!? こうしてる間にも、鈴木田さんはどんどん消えて行っちゃうよ!? 誰か助けて――)


 あたしはもう、なにも構ってはいられない程にこんがらがっている。その時、廊下の奥からパタパタとサンダルの音が近づいてきた。ずんぐりした体型の、おっとりした歩き方で、白髪頭のその人は――。


「あ、あ、先生っ!? 助けてくださいっ!! 今にも消えそうなんですっ!! さっきまで話してたのに……もう、返事もしてくれないっ!!」


 必死にすがるあたしを見て、先生は言った。


「うん。なんかわからんけど、ちょっと先生の診察室へやで聞こか。鷲尾美弥子さん……やったか?」


 先生は外出するところだったらしく、外には車も待たせてあったらしい。それをキャンセルする事を看護師さんに伝える様子に、あたしはただただホッとした。



 診察室では、つい数日前座った椅子が、まるであたしを待っていたかのように見えた。


「じゃあ、聞こ。でも先生はなあ、たいていの事では、驚かんからなあ」


 小根山先生は、自分の事を『先生』と呼ぶ。そんな先生をあたしは本気で信頼している。だから隠さず、正直に吐き出した。


「あの事故のとき、あたしを命がけで助けてくれた男の人、鈴木田さんって言います。その人、実はあたしの中に生きてて、でも、なぜかさっき消えちゃって……」


「うん、うん。鈴木田さん、いうのか。どんなひとかいな?」


「はい。三十九才独身の、さえない、いつも作業服の、おじさんです!」


「ほう、ほう。ほかには?」


「えっ……? 他には……大家族でした! 両親とお兄さん、妹が二人、弟一人。みんな社会人で――」


 なんだか国勢調査のようなことを、あたしは答えた。


「すると、きみとはどんな関係なんや?」


 先生はズバリと核心に迫る。病院特有のひんやりした空気が、あたしの背中を震わせた。


「あの、えっと、それは……」


「答えようもない関係、いうわけやなあ。その鈴木田さんいうたか、幸せな男や。それが、消えた。運のない男でもあるなあ――」


「――先生! あたしいったいどうすれば!? 小根山先生!?」


 先生はもったいぶるような人ではない。優しくも冷たくもない視線が、あたしを見ている。


「うんうん、割とな、あるんや。そうゆう、なんちゅうか、命の恩人が宿るような――」


 言葉は答えでは無かったけど、あたしにとっては命綱的な情報だ。


「えっ!? そうなんですか!? 先生、診たことあるんですか!?」


 興奮するあたしに、先生は一言。


「あるで」


 一気に希望の光が射す。前例があるというだけで、なんと心強いことか。


「やった……良かったあ!? じゃあ助けてください!! あたしの鈴木田さんを今すぐ、起こしてっ!!」


 あたしは、鈴木田さんが今、意識を失っているのだと思っている。きっと先生なら、鈴木田さんを起こす方法を知っている。期待通り、先生は看護師さんを呼んで指示を出した。


「ああ、きみ(看護師さん)な。この鷲尾美弥子さんに砂糖水飲ませ。ああ、甘くしてな」


(砂糖水? 薬じゃないの? まあ効くなら何でもいいけど……)


 看護師さんはすぐにコップを持ってきた。あたしは先生に促されるままに、その甘いのを飲んだ。滅茶苦茶に甘くて、のどがおかしくなる。


「甘いかあ?」


「――はい。すっごく」


「うん。そうやろそうやろ。ほかには?」


「――はい?」


「その、鈴木田君言うたか? 今のとこ、その男は砂糖水なんや。甘くて、忘れ難い。でも、人間それだけやないで。辛い、酸い、苦い……色々ある。鈴木田君が戻るには、そういう色んな味を、君が知ってからやなあ……」


「……え?」


「そうや。先生はそれしか言えん。きみを最初診た時、そうやないかと、思っとったよ」


「そんな……だって……あたし……」


 もう、あとは言葉が出ない。

 わかった事は、鈴木田さんが帰らないという現実。夢を見ていたのだろうか。鈴木田さんの事は、ただの思い込みだったのか。あたしは何かに沈むような感覚にとらわれて、なぜか大下さんとの会話を思い出す。


 ――愛とは、分かつもの。


 今にして思えば、あたしはいったいどれほどの愛を、鈴木田さんと分かち合っただろう。


(ただの、女の子の、愛へのあこがれだったんじゃ……)


 あたしは椅子から立ち上がった。帰ろうとするあたしの意思を感じ取って、先生も立つ。


「あのな、先生、きみならまた会えると思うなあ。気、しっかりするんやで」




 そしてあたしは、一人で病院を出た。

 ぼっちの秋は肌寒くて、歩き出すのに掛け声が要る。


「鈴木田さんのバカ――」


 砂糖水の味は、いつのまに口から消えていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ