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草原の歌 ~20世紀初頭 満州競馬物語~  作者: mafork(真安 一)『目覚まし』書籍化&コミカライズ!


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第三話



 勿論、馬に乗れさえすれば競馬に勝てるわけではない。

 先を読み、レースを組み立てる頭脳が要る。他にも、地面の特徴、競争相手の脚質など、知っておかなければならないことも多い。

 スルテはなるほど優れた乗り手かもしれないが、勝てる騎手であるかは全く別の話だった。


「一番手っ取り早いのは、実際にレースに出ることだ」


 清三はそう決めて、さっさと彼女をレースへ蹴り込んでしまった。資本家の強みである。

 でかいレースではない。平日の昼過ぎにやる、小口のレースだった。

 一周三里(2000メートル)のコースには、青々と芝生が敷かれている。春の風が渡って、李文は一瞬草原にいるような錯覚を覚えた。


「思ったより、広いですね」


 スルテは言った。

 すでにヘルメットを被った、騎手の装いである。服装は、星彩の毛並みに映えるよう、紅白の上下で纏めていた。

 他の騎手よりも、明らかに華やかだった。


「不安か?」

「いえ。これなら、展開も安定すると思います」


 スルテは、何度か草原の競馬に出たことがあるらしかった。

 基本的な技術、ルールを習得していることは、牧場で確認済みだ。


「ここで走って、一着になればいいんですね」


 スルテはひらりと騎乗した。

 馬は、李文の星彩である。騎手が乗ると、白馬はより凛々しさを増して見えた。


(やはり、星彩は大きいな)


 馬の場合、肩から地上までを体高と呼ぶ。この辺りの馬は、体高が人の胸くらいあれば、でかい方だ。ロシアが近いため、車を曳いて走るトロットレースが盛んなためだ。

 背が高く速い馬よりも、腰が低く、がっしりとした馬が求められるのである。

 星彩の肩は、李文の目の高さにあった。腰も細い。速く走るための体だった。


「さすがだな。やっぱり、お前の星彩が一番大きいよ」


 清三が合流し、嬉しそうに笑った。


「おまけに、美人が乗っている。目立つぞ。あんまり大勝ちしないように、スルテに言っておいた方がいいな」


 目立てばその分、警戒の対象になるからだ。

 ただでさえ、新設の駈足競争は注目されているのだ。


「ああ、そうだな」


 李文は気のない返事をしてしまった。

 騎手を手配し、実際に星彩がもう一度レースに出るというだけで、夢のような話である。

 しかし物事が進めば進むほど、李文はなぜか自分が冷めていくのを感じていた。


「他の馬は」


 スルテが、鞍上で言った。李文は危うく聞きのがすところだった。


「ん?」

「他の馬は、随分落ち着いているようです。自信満々って感じの子も」

「ああ、ウチと似て、新設のこのレースでやろうって馬もいるんだろう」

「そうですか。一着は、接戦になるかもしれません」


 スルテは真剣な目で、競争相手を見つめた。

 清三はそれを、緊張と受け取ったらしい。


「後があるし、目立っても困る。二位でもいいんだ。むしろ、一着よりいいくらいだよ」


 それは緊張を解くためでもあったろう。

 スルテはほっとしたように笑顔を見せた。


「では、行って参ります」


 スルテを乗せた星彩が、出走前の待機場へ駆けていった。

 周りの騎手達も、彼女に注目している。禁止ではないが、やはり女性は珍しいのだ。

 観客が口笛を吹くと、そちらに向かって、ぎこちなく手を振っていた。見よう見まね、でも、なかなか様になっている。


「勝てるかな」


 李文はぽつりと言った。


「なんだ。心配なのか」

「うん」

「技術的なことは、言うことは何もない。後は待ち方、飛び出し方、つまり戦術だ。これを頭に入れとけば、後は馬が言うこと聞くか。相性次第だろ」


 ここまで順調にきた反動だろうか。李文は、どこか悲観的になっていた。


「そう上手く行くかな」


 とはいえ、もはや李文にできることは何もない。

 馬主として、騎手と馬を信用するのみだった。

 ほどなくして、全ての馬が位置についた。

 発馬機の長いロープが、十四頭の馬の進路を塞いでいる。スタートの轟音と共に、ロープが上に跳ねあがり、馬達が一斉に駆け出す仕組みだった。

 白い台の上に、スターターが現れた。

 観客席が、静まる。

 緊張感。

 自分の馬が出るレースは、特にたまらない。次点は馬券に突っ込んだ時だ。


「遊牧民の中にも、馬術を競う催事はある。オリンピックみたいなもんだ。スルテは何度か出たこともあるから、勝負勘はあると思うんだよな」

「静かに」


 スターターが、空に銃を向けた。

 破裂音と共に、ロープが跳ねあがった。試合開始である。

 十数頭の馬が、一斉に駆け出す。その四倍の数の蹄が、地面と空気を揺るがせた。粗末な見物席の柱が、ビリビリと揺れるのが分かる。


「始まった、始まったぞ」


 清三はひたすら楽しそうだった。

 李文は気が気ではない。


(出遅れている)


 スルテの星彩は、現在十四位。最下位だ。


(後半から差すつもりか? でも、それにしたって、待つ場所があるだろう)


 競馬の戦術にも、色々ある。序盤に先行して逃げ切るものもいれば、終盤まで下位で我慢して、飛び出してから一気に抜き去るものもいる。

 星彩は後者向きではないか、と李文は睨んでいた。

 瞬発力で勝負ができそうだからだ。馬群も厭わないし、砂をかけられるのも平気と、気性と戦術の相性もいい。

 それでも、最下位はよくない。

 順位が下がれば当然、抜かなくてはならない馬の数も増える。


(集団の中にいれば、前の馬を風よけにできるんだが)


 ここで星彩の弱点が出る。

 体が大きいため、他の馬の後ろについても、体がはみ出してしまうのだ。

 気を揉んでいる間にも、二つ目のコーナーを終えていた。

 すでに後半戦だ。


「第三コーナー」


 曲がり切った。スルテはまだ動かない。


「まずいな」


 このまま終わるとしたら。

 嫌な汗。

 最下位はまずい。廃業した後の、馬の売値に響く。


「スルテ、頼む!」


 せめて最下位はやめて。

 祈りが通じたのか、レースに動きがあった。

 一頭が飛び出した。栗毛の馬だ。星彩ではない。落胆した時、栗毛の後ろから、白い毛が見えた。


(うん?)


 栗毛がスピードを上げていく。

 見間違えではなかった。

 最後のカーブが終わり、観客席を馬群が横切ると、はっきりした。

 栗毛のぴったり後ろに、星彩がくっついている。

 栗毛はやり手の、差し型の馬だった。ハルビン競馬場で鳴らしている、駿馬だった。


(後ろに、ぴったり、くっつく気か)


 終盤から追い上げる、差し型の馬。その馬にぴったりとくっついていけば、それはゴールまでの案内人となる。

 理屈はそうだ。

 栗毛の差しが成功すれば、の話だが。

 李文の不安をよそに、栗毛と星彩はどんどん速度を上げていく。

 紐で結ばれているかのように、二頭の距離は変わらない。

 スルテの口が動いている。

 ホーミーだ。

 全力疾走する馬上で歌うとは。馬と完全に呼吸を合わせていなければできない芸当だ。

 星彩が、異様な昂ぶりを見せた。馬体が大きくなったように錯覚したほどだ。

 星彩の白い馬体が、かつてない勢いで、栗毛の後を追う。

 先行していた馬を次々と抜き去る。最後の直線で、ついに一番手の黒馬を、栗毛が捉えた。

 差は、一馬身。見る見る追いついていく。

 未だ、スルテの星彩に栗毛を抜き去る気配はない。

 李文は、スルテが鞭を控えて、巧妙に星彩のペースを保っていることに気が付いた。舌を巻く騎乗だ。


(このまま行く気か)


 一番手を走る黒馬に、勢いはない。

 栗毛と星彩は抜くだろう。

 スルテはこのままだと、二位になりそうだ。

 李文は、ふと気がついた。


(清三は、確か、出走の前に)


 ――目立っても困る。二位でもいいんだ。


 清三も同じことを思ったらしかった。二人して、顔を見合わせてしまった。


「狙って二位を獲る気か」


 栗毛、そして星彩の順番で、ゴールした。

 思った通り、そして狙い通り、スルテは二位となったのだ。


「うまくやったな」


 レースから戻ってきたスルテに、清三はそう言った。

 スルテは馬に乗ったまま、恥ずかしそうに頬を掻いた。


「あの、栗毛の子に着いていけば、大丈夫だと思ってましたから」

「どういうことだ?」

「元気そうだったので。お尻も張ってましたし。きっと一位になってくれるから、私はその後ろに着いていこうと思ってたんです。初めてで、あまり飛ばし過ぎはよくありませんから」


 当たってよかった、とスルテが胸をなで下ろした。彼女が上から首筋を撫でると、星彩も気持ちよさそうにする。

 ただ、いつになく息が荒い。目も血走っている。これは、彼女のホーミーを聞いたせいか。

 スルテが抑えたのも頷ける。

 清三と李文は、顔を見合わせた。


「李文。次は彼女に馬券を買わせたらどうだろう」

「馬鹿言うな」


 言い合っている間に、会場が騒がしくなった。

 一度は戻ってきた競争馬が、再びトラックへ向かう。


「次のレースが始まるまで、トラックをもう一周してくるといい」


 スルテが、きょとんとした。

 清三が補足する。


「いいレースだったからな。結果が確定するまで、そうやって場を持たせるのさ」

「そら、お客に顔を見せて来い」


 スルテは戸惑いながらも、トラックへ戻っていった。彼女が現れた瞬間、歓声が一際大きくなる。

 清三は高笑いだった。


「すごい人気だ! こりゃいいぞ」


 実力と見目を備えた少女騎手は、早速シーピン競馬の注目を集めていた。

 その後も、李文達は着実にレースを重ねた。

 一着が増えてくると、当初注がれてきた好奇と疑惑の眼差しも、消えていった。



    ■



『埋まった星、新設の駈足競争で、ついに飛翔』


 ある日、そんな見出しの記事を書きあげて、ロシア系の男が競馬場を去った。

 彼はそのまま、レース後の馬が控える小屋へ、足を運んだのだった。




お読みいただきありがとうございます。

本日18時に、もう一話投稿します。



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