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7/8

この世界は創作物である

 改めて確認しておこう。


 ゲーム『俺千』の主人公は、いわゆる「どこにでもいる普通の高校生」というやつである。


 ただしここでいう「どこにでもいる普通の高校生」とは、美少女にやたらモテたり、しばしば大事件に巻き込まれたり、突然の非常事態に対する対応が異様に的確だったり、自分の命を投げ出してまで他人を助けたりするような、そんな人種である。


 ……突っ込んではいけない。


 とは言え、あくまで設定上は「どこにでもいる普通の高校生」のはずなのだ。

 容姿だってもちろん「普通」。まあヒロインとのバランスで多少背が高かったものの、それ以外は極々普通の凡百な日本の男子高校生だったはずである。

 少なくともヒロイン達からはそういう評価だった。


 ……しかし、いくら容姿の良し悪しが各々の主観に委ねられるとは言え、この“腐ったミカン”感溢れる不良スタイルは――


「――どう考えても『普通』ではないわよね?」


「……んだとテメェ……!」


 あ、やばい。煽っちゃった。



 * * *



「うぅ……胃がキリキリする。目が渇いてコンタクト落ちそう……」


 職員用の洗面所でひとりごちるスーツ姿の女性。

 彼女の名は勅使河原てしがわら桔梗ききょう。四年目の高校教師である。

 聖カタリナ女子高等学校の教師だった彼女は、合併に伴い湘西カタリナ高等学校にそのまま配属されることとなった。

 合併で職からあぶれる、なんてことにならなくて良かったなと安心したのも束の間のこと。


「共学なんて小学校以来なのに……しかもいきなり担任持たされるなんて何? どうかしてない?」


 中学から大学まで女子校で過ごしてきた桔梗にとって、男子高校生はまさに未知の生物である。

 そんな未知の生物相手に教鞭をとるだけでもおっかないというのに。寄りによってこのタイミングで初めての担任を任されてしまったのだ。不安とプレッシャーでナーバスになるのも無理はない。


 とはいえ、


「……ちょっとネガティブすぎるな。もう少し前向きに考えよう」


 初めて担任を持てる――これは嬉しい。教師としてやっと一人前と認められた気がする。

 男子生徒を受け持つ――遅かれ早かれ通る道だ。それに、彼らは偏差値の高い湘西の生徒である。皆優等生、という訳ではないだろうがそれに近い生徒達であろう。むしろファーストステップとしては最適なのではないだろうか。


「……うん、頑張れる気がする」


 気を取り直した桔梗は、その紫紺色の長髪をうなじの辺りで束ね、ヘアゴムでぎゅっと一本にまとめた。


 鏡を見れば、先程まで映っていた不安げな新米教師はどこにもいない。

 そこに立つのは、若さと頼もしさが同居した、いかにも「できる女」といった雰囲気の女性教師だ。


「よし」


 洗面所を後にし、出席簿を片手に教室へと向かう。


「おはようございます!」

「おはよーございます、せんせー!」

「おはよー、テッシー!」

「ああ、おはよう。あとテッシーはやめなさい」


 途中生徒達と挨拶を交わしつつ、歩いていく。合併したとは言え、半数ほどは聖カタリナの生徒である。見知った顔に、桔梗は少し安心感を覚える。


 そうしてそのまま歩を進めていくと、廊下を曲がったところで妙な人だかりに出くわした。


 ……何だかとても嫌な予感がした。


「どうした、朝から何事だ?」


 桔梗の声は教師らしく、よく通る。

 後ろから掛けられた声に、人だかりはすっと道を空けた。

 するとその中心があらわになる。


 教室の前の入り口、今にも泣き出しそうな女子生徒、彼女を庇うように立つ赤い髪の子。その子にメンチを切るオールバックの男子生徒に、面白そうにしている坊主頭。


 厄介事の香りしかしない。


 しかも寄りによってその教室は、桔梗の担当するクラス――2年A組であった。


 ――キーンコーンカーンコーン。


 鳴り響く予鈴が桔梗に事態の収束を促す。


(……あー、胃が。そんでコンタクト落ちそう)



 * * *



 すっかり沸騰してしまった主人公(仮)を目の前に、どう宥めたものかと思案していると。


 チャイムの音とともに、一人の美人さんが現れた。


 紫紺色の艶やかなストレートロングを一本結びにしたパンツスーツ姿の彼女。涼しげな目元がややつり上がっている。


 いつの間にか集まっていた野次馬たちがすっと道を空ける様はまるでモーセのよう。


 彼女は気だるげな溜め息をひとつつき、左手の出席簿で自分の肩をこんこんと叩く。

 そして一言。


「取り敢えず皆、席に着こうか。……事情は後で聞く」


 彼女の言葉に、目の前の不良くんは、


「…………ウス」


 意外にも素直に頷く。まあこんな美人教師の言うことなら素直に聞いちゃうわよね。


 ……なんて思っていたらギッと睨まれた。そんなに顔に出てるのかな、あたし。

 肩をいからせながら席へと戻っていく後ろ姿を見ながら、あたしの表情筋の仕事ぶりについて思いを馳せる。


「ほら、君たちも席に着いて」


「あ、すみません先生。お騒がせしてしまって」


「……事情は後で聞くからな」


「いえ、それには及びません。ちょっとした行き違いはありましたが、先生のお手を煩わせるほどのことでは――」


「そうか?」


 先生はあたしの後ろに視線を向ける。


 ……ビクッと震える涙目の薫子さんがいました。


「……事情は後で聞く、いいな?」


「はい」


 どうやら呼び出しは不可避のイベントらしい。



 * * *



「――えー、これから一年間、このクラスの担任を務める勅使河原桔梗だ。教科は数学を教えている。もともと聖カタリナで教鞭をとっていたが、この学年は受け持っていなかったからな。知らない人間も多いと思う――」


 かつかつ、と黒板に名前が書かれ、自己紹介がされる。

 丁寧で少し角張った文字からは彼女の実直さが窺える。


「――私自身、初めて担任を受け持つのでな。色々と至らないこともあるかと思うから、そんな時は躊躇わずに教えてくれると助かる――」


 堂々とした立ち振る舞いからは、新人ならではの緊張や心許なさは微塵も感じられない。それどころかベテランの風格さえ感じさせるほどだ。

 これで容姿に若々しさがなかったら経歴詐称を疑ったことだろう。


「――それでは改めて。一年間、宜しくお願いします」


 最後に折り目正しく頭を下げると、紫紺の髪がさらりと艶めいた。


 ……わー、これイベントスチルのシーンだー!

 などと若干の感動を覚えながら教壇に立つ麗人を鑑賞する。


 そう、彼女――勅使河原桔梗はゲーム『俺千』の登場人物なのである。

 主人公たちの恋愛を温かく見守り、時に慰め、励まし、そして背中を押してくれる。そんな頼れる先生だ。

 しかしその包容力とは裏腹に、自身の恋愛に関しては非常に初心うぶという等身大の25歳らしい一面も持っている。

 そんなギャップが愛らしい、ゲーム中でも頭ひとつ抜けた人気を誇るヒロインである。


 ――そう、ヒロインなのだ。


 つまり主人公アレの攻略対象である。


 とはいえ。


(先生になすりつけるのはナシね……先生が教師をクビになる所なんて見たくないわ)


 ……そう。先生ルートは「教師と生徒の禁断愛」がテーマのルートである。その展開上、最終的には彼女が教師を辞めざるをえない状況に追い込まれるのだ。

 プレイ当時は何とかして避けられないものか試行錯誤を重ねたものである。

 ひと通り試して失敗した後、苦渋の思いで覗いたウィキに「不可避のイベント」と書かれていた時の絶望といったら……!

 ……実は抜け穴がないことはないのだが、それは全くもって本末転倒な方法なので割愛する。


「それでは次に自己紹介……といきたいところなんだが、その前に大事な開校式があるからな。これから体育館に向かう。並びは出席番号順だ。では順に廊下に出てくれ」


(まあ何よりこの素敵な女性をあんなヤンキー擬きに差し出すなんてもったいないわよね……もったいないおばけが出るわ)


 令嬢に生まれ変わっても心は庶民。もったいないおばけには逆らえないのである!


 ……そんなことを思いながら薫子さんを伴って教室を出た。

 薫子さんの姓は煤木すすき。だから獅子宮あたしのすぐ後ろだ。


 ちなみに彼女、うちの財閥とも付き合いのある、とある大手ゼネコンの社長のお孫さんである。

 ……そういえば社長であるお祖父さんは大の釣り好きだって聞いた覚えが……。平社員と一緒に毎週のように釣りへ出掛けてるとか……。


 ……絶対パロディだよなあ。

 友人の家の会社がパロディって……。


「はあ……」

「紅子さん……?」

「あ、ごめん。なんでもないわよ」


 妙なところでこの世界が創作物だと実感してしまった瞬間だった。

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