親友は悲劇のヒロインである
湘西カタリナ高校――旧聖カタリナ女子高校の正門を、黒塗りの高級車が堂々と通過する。
車は、校舎の目前に横付けされ、その運転席から燕尾服の美しい青年が現れる。
周囲がその青年に目を奪われ、その一挙手一投足に注目する中、青年は後部座席のドアを開く。
そこから現れた人物に、人々は呼吸を忘れた。
先程まで目にしていたものなどすっかり忘れて、ただそこに降り立った麗しい少女を見つめ続けていた。
重厚な存在感を放っていたはずの高級車が去って行っても、それを気にする人間はどこにも居なかった。
皆、ただひたすらに、そこに立つ少女に魅了されていたのである。
「――紅子ちゃん、おはよう!」
――周囲の時が動き出したのは、少女に声を掛ける人物が現れてからだった。
* * *
予想はしていたけど、これはひどい。
いくらあたしが美少女とは言え、ここまでの反応はなかなかされない。
確かに、元湘西高校の男子たちや新入生は、あたしを初めて見たのだろう。
それでも、これはやり過ぎだ。
それに、こうも視線が集まってくるといくら自分大好きなあたしでも居心地が悪い。
――そんな状況を打破したのは、一人の少女だった。
「紅子ちゃん、おはよう!」
人垣の間からひょこっと現れた、青いストレートのさらさらロングヘアー。
愛らしく穏やかそうな顔立ちに浮かべる笑顔は、華やかなのにどこか儚さを感じさせる。
あたしとは対照的な雰囲気のこの美少女。
名前は、水多村葵。
彼女こそ、あたしの親友であり――
――そしてこの世界、ゲーム『俺千』のヒロインの一人なのである。
* * *
彼女との出会いは小学生の時だった。
その頃からあたしは両親の付き合いで上流階級のパーティーやら何やらに付き合わされ始めていた。
礼儀正しく受け答えもきちんとしていて、その上美しい少女となれば、周囲の大人たちへのウケは非常に良い。
更にそれが財閥の令嬢なのだから、彼らはこぞってあたしを褒めそやした。
そしてなんとかコネクションをつくろうと自分の娘や息子を友人にとあてがおうとする人間も少なくはなかった。
そうしてあてがわれた子供たちは大抵、自分の親が手放しで褒めちぎるあたしに嫉妬した。上流階級の子息・令嬢なだけあってプライドが高かったのだろう。
特に女の子はそれが顕著で、大人たちの前では友好的に振る舞っていたのに、子供たちだけの場面では一転して敵対的な態度をとられるようなことも多かった。
また聡い子では親の思惑に従いあたしに取り入ろうとするような子もいた。
……正直な話、非常に面倒だった。
いくら前世の経験があって、周りより精神的に成熟しているとは言え、同年代の子供たちからこのような態度をとられるのはツラいものがある。
だからいつも、「これはお仕事、ビジネスビジネス」と自分を納得させ、嫌な時間をやりすごしていたのだ。
その日もあたしはお父様の友人の邸宅で行われたパーティーに参加していた。……少しだけ憂鬱になりながら。
友人の方の娘さんがあたしと同い年ということで、いつも通り親の方に気に入られたあたしはその娘さんと二人で話すことになった。
娘さんはパーティーには出ておらず、彼女の自室で休んでいるということだった。
親御さんなしでの対面は珍しいわね、などと考えながら家政婦さんに部屋まで案内してもらう。
ノックの後、「どうぞ」とか細い声がし、ドアが開かれる。
――満月が煌々と照らす部屋の中には、天蓋つきのベッドの上に佇む人影がひとつ。
まるで精巧につくられた人形のような造形美の少女が、こちらをじっと見つめていた。
もしその少女がパチパチとまばたいていなかったら、本当に人形と間違えていたかもしれない。
「きれい……」
つぶやかれた言葉に、思わず「その通りだ」とうなづきかけて――
「――えっ?」
その首を横にかしげた。
その言葉を口にしたのは、対面している少女本人だったからである。
「あっ……」
あたしの反応で口にしていたことに気づいたのだろう。少女はまたたく間に顔を赤く染め上げ、あわあわと口をわななかせた。
その様はとても愛らしく、さっきまでの人形然とした美しさよりも一層魅力的で。
――それだけで、この子と友達になりたいと思わせるには十分だった。
まあ要するに、惚れたのである。
「あっ、あの、その」
少女の慌てる様子に逆に落ち着いたあたしは、彼女を安心させるように微笑んだ。
「気にしないで大丈夫よ。――あたしは獅子宮紅子。紅子って呼んでちょうだい」
ベッドの側へと歩み寄り、手を差し出す。
彼女は慌てて膝元のタオルケットで手をぬぐい、
「わ、わたしは水多村葵といいます! その、葵って呼んでもらえると、嬉しいです……」
はにかみながら、おずおずと差し出される手が可愛くもじれったくて、あたしはたまらずその手を強引につかんだ。
「よろしくね、葵!」
「……こちらこそ、こ……紅子ちゃん!」
恥ずかしげに、でもぎゅっと手を握り返してくるのがまた愛おしい。
あたしは、彼女――葵をからかいたくなってこんなことを言ってみた。
「……実はさっきね、葵があたしを見て『きれい』って言ったとき――あたしもあなたと同じこと考えてたの」
すると葵は、期待していた照れ顔ではなく、きょとんとした顔をして言い放ったのだ。
「……あたしって綺麗だな、って考えてたんですか?」
「違うわよ!?」
――あたしたちの出会いは、そんなどこかラブコメチックなものだった。
* * *
葵は、あたしへの評価が異常に高く、自身への評価は非常に低い。
出会ったあの時も、「自分が初対面の女の子からそんなこと思われるわけない」という考えからあの発言に至ったそうな。
……決してあたしがナルシスト女に見えたとかではないことは明記しておく。
しかしあれから十年近く経つけれど、彼女のそういった性質は出会った頃からずっと変わりがない。
今もまさにそうだ。
「紅子ちゃん、あんな所でぼーっと立ってたらダメだよ? 紅子ちゃん美少女なんだから、みんな集まってきちゃって迷惑になっちゃうよ」
そんなことを少しの含みもなく言うのだ。
……あたしたちが並んで歩く姿が更に注目を集めていることに気づきもしないで。
いや、気づいてもどうせ「綺麗な紅子ちゃんの隣にわたしごときがいるのが」などと的外れなことを言うのだろうけど。
まあそういう所がまた可愛いんだけどね。
「それに今日からここは共学なんだからね! 紅子ちゃんはただでさえモテモテなんだから、ちゃんと気をつけないと……」
「もう、築山みたいなこと言わないでよ……」
「……あの人、まだクビになってないの?」
築山という名前を出した途端、ギッと鋭くなる葵の視線。
うっかりしていた。
葵は築山をなぜだか異様に敵視しているのだ。
「ごめん、葵はあいつのこと嫌いだったわよね」
「嫌いとかそういう問題じゃないの」
「……そう」
……こういう時の葵はちょっと怖い。
あたしが萎縮していると、葵は、はあと溜め息をひとつ。
そして、しょうがないなあといった風に首をすくめる。
「……とにかく、あの人も含めて、男の人には十分注意を――」
――そこで唐突に立ち止まる葵。
止まれず二、三歩歩いたところで振り返ると、葵は俯き胸を押さえていた。
その顔は青白く、冷たい汗が伝っている。
すぐに傍に寄り、肩を支える。
はやる心を抑えながら、出来るだけ落ち着いた声音を心掛けて訊ねる。
「発作ね?」
こくりと頷く葵。
「保健室まで歩けそう?」
また頷く。
「わかった。ゆっくり行きましょう」
「……ごめん」
「気にしないで、ね?」
葵の腰に手を回し、腕を肩に掛けてゆっくりと歩く。
葵のことを良く知らない生徒たちは彼女の突然の変調に驚きながら、あたしたちを遠巻きに見つめていた。
親切な子は声も掛けてきてくれたけれど、大丈夫よ、心配しないで、と伝えると引いていった。
きっとあたしが居なかったら救急車でも呼んでいたかもしれない。
――葵のコレは先天性の疾患だ。
昔から体が弱く病気がちで、たびたび学校を休む彼女だけど、元気なときでも時々こうして突然発作を起こすことがある。
この頃は体調も良く、発作もしばらく起きていなかったので良い兆候だと思っていたのだけど……
それにしても、あたしも慣れてしまったものだ、と実感する。
その場に遭遇した時には慌てるけれども、形だけは落ち着いて、きちんとした対応をとれるようになった。
初めて目の前で発作が起きた時には混乱して、「葵が死んじゃう」と散々泣きじゃくっていた。精神的には既に大人だったというのに。
あれから考えると随分成長したと思う。身体の成長によって感情も制御しやすくなったのかもしれない。その辺りは正直よく分からないけれど。
だけど、彼女のこうした姿を見るたびに、何故か「死」のイメージがちらついて、心臓が痛いくらいに脈打ってしまう。
それだけは、最初の頃から変わらない――
――そこまで思い至って、愕然とした。
……何故すぐに思い出さなかったのか。
恐らく今のあたしは隣の葵と同じくらい青白い顔をしているだろう。手の震えは葵に伝わってしまっているかもしれない。
……葵がこの世界の“ヒロイン”だと気づいた時点ですぐに思い至るべきだったのだ。
――ゲーム『俺千』において水多村葵は悲劇のヒロインである。
それはすなわち、もし仮に彼女が主人公と恋愛をすれば――
――彼女に待つのは「死」という悲しい結末だということなのだ。