使用人は変態じみている
まず感じるのは、窓辺から差し込む柔らかな朝の日差しと、それから、耳あたりのよい穏やかな調べのクラシック。
ぼんやりとしたまま、ほのかなアッサムの香りに誘われて体を起こせば、燕尾服姿の美青年が気づいて振り返り微笑みかけてくる。
「おはようございます、紅子様」
「ん……おはよ、築山」
差し出された温めのミルクティーをゆっくりと飲み下しながら、意識を覚醒させていく。
「ふう、ごちそうさま。」
カップを返すと、ベッドの上で軽くひと伸び。
「……よし、今日も絶好調ね!」
つぶやいて、ベッドからシュタッと降りる。
――あたし、獅子宮紅子の一日はこうして始まるのだ。
* * *
今日の朝食は一人でとった。
お父様やお母様が家に居る時には一緒にとるのだけれど、この頃は仕事で海外にあちこち行っていて不在が続いている。
まあ二人とも財界の頂点に君臨する方々だから、むしろ家に居る事の方が珍しいのだけど。
その代わり家に居ればたとえ徹夜明けでもスケジュールがギリギリでも一緒に食べるのだ。
あたしのこと溺愛してるからね。
無駄に広いダイニングでの食事を終え、シャワー室までまた無駄に長いストロークを移動し、朝シャンついでに洗面まわりを済ませる。
そして日課の全身チェック。
姿見に映る、均整のとれた美しい肢体。
色白で細身なのに、受ける印象は健康快活。
ミディアムショートの赤髪と強気そうな鳶色の瞳がそのイメージを更に強めている。
すっと通った鼻筋に、自信ありげに弧を描く唇。
いつもながら、まさに絵に描いたような勝気系美少女である。
……まあ実際絵師さんが描いた美少女なのだけれど。
前世では身だしなみなどほとんど気にしなかったあたしだが、今世ではことあるごとに鏡をチェックしている。
というか、映るのが美少女なので、ついつい目が吸い寄せられてしまうのだ。
……我ながらナルシストが過ぎるわね。
我に返ったところでさっさと制服に着替えると、メイクルームに移動して使用人の一人であるスタイリストの亀井ちゃんに髪をブロー&セットしてもらう。
無造作に見えて絶妙なバランスを保っているこの髪型は、彼女の努力の賜物なのである。
財閥令嬢の髪型にこんな秘密があったとは、前世では全く思い当たらなかった。なんとなくただ無頓着なだけかと思ってたわ。
薄くメイクまで施してもらうと、朝の支度は完了だ。
いつもありがと、と亀井ちゃんに微笑みかけると、感極まったのか、彼女は鼻と口元を押さえてぶんぶんと首を横に振る。
“いえいえそんな滅相もない!”と言った感じだろうか。
感謝の言葉だけでこれとか、この子ってばあたしに対してチョロすぎる。まあこの家の人間はみんなあたしに対してチョロいんだけどね。
すみません、失礼しますとぺこぺこお辞儀して彼女は部屋から退出したのだが……鼻を押さえていた指の間から赤いものが見えていたのは気のせいだと信じたい。
……使用人のデレが変態じみていてつらい。
――しかもそれは、なにも彼女に限ったことではないのだ。
「紅子様、やはり築山は心配でございます」
学校へ向かう黒塗りの高級車の車内で、執事兼運転手の築山はそう切り出した。
築山は、今日から始まるあたしの湘西カタリナ高校での生活――つまり、共学での生活を非常に心配しているのだ。
いや、むしろ異常に、か?
「……別に、大丈夫じゃない?」
あたしは生返事を返しながら、手鏡で身だしなみの最終チェックを行う。
さすがあたし、どの角度でも完璧ね。
そんなあたしの態度に、築山は、
「紅子様は男という生き物を分かっていません!」
なんか説教を始めた。
「いいですか紅子様、男は皆オオカミなのです! 特に思春期の男子高校生なんてものは皆ケダモノです! そんなヤツらが紅子様の美しさを目にすれば、一体どんな行動を犯すか……想像するだけで身の毛がよだつ思いです!」
「はあ……。」
突っ込みどころが数点。
ひとつ、男という生き物なら前世である程度把握している。
だからまあ、男の本性がオオカミなのは認めよう。それはその通りだ。
しかし。
ふたつ、男子高校生といえどそこまで短絡的じゃないでしょ。
ヤンキーや不良ならまあそういうのもいるかもしれないが、湘西高校は品行方正な生徒の集まる進学校だ。そういう類いはまず居ないだろう。
そしてみっつ。
……お前が言うな。
あたしの寝室に自由に立ち入ってる男である築山が、今更あたしに男への警戒心を持てと。
矛盾してない?
それにあたし、知ってるわよ。
築山のPCの中にあたしの隠し撮り画像ファイルがあるのを。
っていうかパスワードがあたしの生年月日ってセキュリティがザルよね……。築山を知ってる人間なら誰でも思い当たるんじゃないかしら。
まあ、健全な写真しかなかったから見逃してあげたけど。
……健全なものしかないっていうのも逆に怖い気がするけど。
とにかく、そんな変態たる自分を差し置いて男子高校生を警戒しろだなんて、よくもまあ言えたものである。
けど確かに、男への警戒心が薄いのは事実よね……。
「そうね……まずは寝室の鍵を新調しようかしら」
「紅子様?」
「『先ず隗より始めよ』って言うじゃない? それならまずは築山から警戒するべきかなって」
「そ、それは……」
バックミラーに映る顔色がみるみる悪くなっていく。そんなにあたしの寝顔が好きかこの変態。ちょっとは自制しなさいよ変態。
……でもまあ、今回はこのくらいにしてあげようか。
運転に支障が出ても困るしね。
「ふふ、冗談よ。朝はやっぱり築山の淹れたミルクティーを飲まないと始まらないもの」
「あ、ありがたきお言葉です……!」
すぐにぱあっと明るくなる顔。まるで大型犬だ。
……なら躾はきちんとしておかないとね。
停車したひととき、あたしはミラー越しに築山をぐっと見つめると、
「それに、築山のこと、信じてるから」
真剣な眼差しで射抜いてから、
「……ねっ?」
至高の微笑みを送ってあげる。
すると築山は目を見開いて顔を紅潮させ、ミラーから目を逸らしてぐっと唇を噛む。
そしてしぼり出すように一言、
「……はいっ……!」
その目には涙が浮かんでいた。
……効き過ぎたような気もするけどまあ良いでしょう。
多分築山は疑われるより、信頼を口にして罪悪感を煽った方が効くだろうなとは思ったけども。
でもまあ、これでしばらくは築山も大人しくなるでしょ。
「紅子様、」
「ん? なーに?」
「それはそれとして、男子にはくれぐれも十分な警戒をお願いしますね」
「あっはい」
……それもそうよね。