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冬の日の夜

 私は駅の階段をかけ下りていた。危ないけど一歩で二段ずつ進む。

 今は待ち合わせ時間ギリギリ。ギリギリっていうのは、遅刻とほとんど一緒だ。もう奈津子は待ち合わせ場所にとっくに着いているだろう。


 家を出た時間は予定通りだった。けど、途中でお財布を忘れていることに気づいた。急いで取って返したけど、電車に乗れたときはかなり時間的余裕を失っていた。


 約束通り、奈津子は駅前の広場のモニュメントの前で立っていた。他にも大勢の人が待ち合わせして混みあっているのに、私はパッと見ただけですぐに奈津子がどこにいるかわかった。私の目には奈津子にだけ光が射してるみたいに浮かび上がって見える。


「ごめんなさい! 遅くなって」

「遅くないよ。時間ぴったり」


 シックなグレーのチェスターコートを着て、高い位置でひとつに髪をくくった奈津子は、赤い唇が大人っぽくてハッとするほどかっこいい。

 私は走ったせいで乱れた自分の髪を、慌てて手櫛で整えた。自分のウェーブのかかったショートヘアが急に子どもっぽく感じはじめる。


「急いで来てくれたの?」

「うん。本当は最低でも5分前には着いていたかったんだけど……ごめんなさい」

「大丈夫だってば。時間通りの到着は正しい。なにも間違ってない。それより私は真冬がこうやって少しでも早く着こうとしてくれたことがうれしい」


 今日は奈津子が「美味しいものを食べに行こう」と誘ってくれて、奈津子の家庭教師のバイトが終わった夕方、待ち合わせしていた。

 一年で一番日の短い日ももう間近で、さっと薄墨を掃いたように辺りは暗くなっていく。


 奈津子が誘ってくれた店は、ビーフシチューの美味しいこじんまりとした老舗の洋食屋さんだった。

 ビーフシチューは「前の真冬の大好物」で胸の奥がチクッとしたけど、でも本当に美味しかったので気にしないことにした。

 奈津子は赤ワインを、私は炭酸水を飲んだ。店を出ても奈津子の頬がほんのり上気していて、思わず見とれる。


「もう少し一緒にいよう」


 言って、奈津子は私の腕を取って歩き出す。

 街はすっかりクリスマスモードで、あらゆるところに赤と緑があり、往年のクリスマスソングが流れていた。

 そこを奈津子は軽い足取りで進む。口許には小さく笑みが浮かんでいて、私もつられて少し微笑む。


「どこまで行くの?」

「近くにある公園だよ。今はイルミネーションできれいなの」


 連れられて来たのは、広い公園だった。森とも林ともつかない木立のなかに大きい池があり、そのまわりをぐるっと数キロの遊歩道が囲んでいる。

 植え込みや木々に飾りつけられた金や青のイルミネーションが鏡のような黒い水面に反射して、夢のなかみたいだった。


「きれい……」

「よかった。連れてきて」


 はにかむ奈津子。下から照らされて神秘的で不思議な印象だ。

 二人で池の周りをゆっくり歩く。すると、男女の二人組とよくすれ違うことに気付いた。ベンチに座っているカップルもいる。


「あの、ここって……」


 私はようやくここを二人で歩くことの意味に思い当って、思わず足を止めた。なんだかとても、恥ずかしい。


「ちょっとあからさまだったかな? こういう場所、苦手?」

「あの、えっと……さむくて」


 うそだ。本当は寒さなんて全然平気だった。


「そう? じゃ、こうしよう」


 奈津子は手袋を脱ぎ、私の手を握ってそのまま自分のコートのポケットに入れた。素肌からじんわりと体温が伝わる。


「真冬ったら、こんなに寒いのに素手なんだから……指が氷みたいに冷たいよ」

「あのっ 手、冷たいでしょ? 私なら大丈夫だしっ」

「いいから、いいから」


 奈津子はにっこり笑って取り合わなかった。そのまま再び歩き出すので、何も言えなくなってしまう。奈津子のポケットに手を突っ込まれていると、必然的に肩と肩がくっついて寄り添うような形になる。隣の息遣いまで聞こえそう、というか見える。蒸気機関のように奈津子の息が一息ごとに白く広がる。ちゃんと生きてる証しだ。

 しばらくすると、ほとんど人とすれ違わなくなった。イルミネーションが瞬く池のほとりは静かで誰もいない。貸切みたいだ。


「他の人はもう帰ったのかな?」

「今日は冷えるからね」

「奈津子、鼻が赤いよ」

「……! 恥ずかしい」


 バッと空いてる方の手で鼻を押さえて顔をそむける奈津子。いつも冷静で大人っぽい彼女にしては珍しい行動だった。晴海の研究室で見た夢の奈津子を思い出す。内気でいつも猫背ぎみだった背の高い少女は、大学に行き、真冬と付き合ううちに自信をつけてとても魅力的になった。私はそのことを知っているけれど、実感はない。


「えっと、かわいい……と思うよ?」

「どうして語尾が疑問形なの?」


 目を細めて恨めしそうに見られて私は慌てて弁解した。


「やっ、ちがくて……あっ、ちがくはないんだけど、恥ずかしいって思ってることをかわいいって言われるのって微妙かなって思って」

「こんなにさむいのに、真冬は平気そうだね。いつも通りのかわいい顔。さすが冬生まれ」


 ふっと口元を緩めると、奈津子は両手で私の両頬をそっとつつむ。そのまま瞳を覗き込むように顔を近づけてくる。心臓がどきどきする。金縛りにあったみたいに全身が動かない。目前に迫った瞳が閉じられ、唇がふれあいそうになる……


「だめっ……!」


 咄嗟に私は奈津子を押しのけて逃げた。

 驚きに目を見開いている奈津子。目の前の人の表情に失望と悲しみを見つけたくなくて、私はまともにそちらの方を見れなった。一度視線をはずすと、もう振り向けなくなって、沈黙が痛くて、怖かった。なんで私はこんなことをしてしまったのだろう。奈津子はこんなに私によくしてくれてるのに、私も奈津子のことが……と、そこまで思ったところで、胸の奥がズキンと痛んで、もうだめだった。


「ごめん……、もう帰るね」


 震える声で言うと、「びっくりさせちゃったかな? ごめんね」と軽い調子で奈津子が顔を覗き込んできた。いつもと変わらない態度に安心したのと、申し訳ないのとで眼の縁が熱くなって、視界が滲む。


「たしかにずっと外にいたから身体も冷え切っちゃったよね。真冬の言うとおり、もう帰ろう」


 駅まで一緒に歩いた。今度は二人の間に30cmほどの空間が空いていた。さっきの私の涙目に気付いていたはずなのに、奈津子はそのことに触れなかった。ホームで「……今日はありがとう」と言うと、奈津子はいつも通り「またね」と言って別れた。あんなに楽しかったのに、今はとても、苦い。

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