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新しい人生

 会見のあと、私は見事に「小鳥真冬」になった。録画を見せてもらったけれど、演技した私は我ながら不憫でけなげな少女そのものだった。

 世論の力というのはすごい。

 なにもかもを動かしてしまう。

 竜巻のように私を飲み込み、もみくちゃにして、新しい場所に置き去りにした。


 あの会見がきっかけで、私たちに捜査の手を伸ばしていた警察も、私をモノじゃなく人として扱うことにしたようだった。


 結局、剛明さんら関係者は取り調べは受けたものの、不起訴となった。

 既存の法で裁けなかったのだ。合法ではない。でも、非合法でもない。想定されていなかった、限りなく黒に近いグレー。でも、倫理的には許されないことだ。


 社会的な議論になったことで、日本では厳しい条件のもと全身の機械化手術は法制度化される見通しになった。でも、第二、第三の機械化手術は、すぐには無理だろう。

 医師会は基本的に禁止というガイドラインを発表したし、そもそも機械化技術を実用レベルで持っている医者が晴海しかしない。そして、晴海はその技術を広める気も、今後同様の手術をする気もないという。




 私はあいかわらず「真冬」の戸籍を使い生活している。

 しかし、変化したこともある。大学を中退し、家を出たのだ。大学でできた友人たちとはときどき連絡をとっている。引っ越しした先では新しい名前を名乗り始めた。今はただの通称だけど、その内この呼び名も浸透して、改名申請が通るようになるだろう。

 家を出るときに、剛明さんから真冬のために貯めていたお金を渡された。受け取れないと断ったけれど、後日バイト用に秘密で作っていた口座にお金が振り込まれていた。迷ったけれど、ある考えもあり、ひとまずこのお金は預かっている。



 私は心に決めたことがあった。

 誰にも内緒で晴海に「真冬」の脳を取り出してもらう。

 あ、誰にも内緒っていうのはうそだ。奈津子は知っている。




 ――いいのかい? 真冬くんの脳を取り出したら、キミはもう、生きた人とはみなしてもらえない。もちろん僕は口外するつもりなんてないが、秘密はどこから漏れるかわからないものだよ?


 ――今だって、本当にそうみなしてもらえているかどうか……。


 ――それに、わかっているのかい? 彼女を取り出したらキミはどうなるかわからないんだよ? キミの身体は生身の脳に依存するように設計されている。生身の脳が無くても、補助脳の機能で身体の制御や五感を感じることはできるが、キミという意思は偶然の産物で、再現できないんだ。つまり「生き返らせる」ことはできない。


 ――それは私がいちばん、よくわかっています。それでも、お願いします。そうしたいんです。そうしないといけないと思うの。



 この話をしたとき、晴海ははじめ渋った。

 しかし、私の覚悟を知ると渋々了承した。その顔はもう、変態医師には見えなかった。金属フレームの向こうの切れ長の目が、心配と困惑に揺れている。彼は見かけによらずお人好しなんだって、もうわかってる。



 彼女を眠らせてあげたい。死から不当に切り離され、安らぎを奪われた彼女を休ませてあげたい。



 彼女が私のなかからいなくなって、私も目覚めなくなるかもしれない。

 私という人格は、彼女の死の間際に見ている幻のようなものなのかもしれない。

 それなら、それでいい。

 もし、彼女と共に私も眠りにつくなら、私もまた真冬だったということだ。剛明さんはたしかに娘を救っていたのだし、私は偽者ではなかったということになる。 

 もし、私が残るなら、私は私だったという証し。新しい人生を生きたい。




「わかった。どういう結果になっても、僕はキミを支持するよ」


「必ず起きて。寝坊は、いやだよ」


 施術の直前、私と奈津子と晴海しかいない手術室は、声がふしぎに響いた。脳を取り出すこと自体は簡単ですぐに終わるらしい。トータルで30分もかからない見込みだ。私と真冬の分離作業はとてもインスタントに行われる。



 晴海の少しかさついた手のひらが私の瞼を覆う。

 右手はずっと、奈津子のしなやかな白い指に包まれていた。

 暗くなる視界に、感じたのは深い、深い安堵だった。

 生まれる前に戻るような、そんな感覚。母親の胎内のようなあたたかい闇だ。




 ◇◇◇




 そして、ふたたび、私は目覚めた。

 白い天井が目にまぶしい。

 私の恋人が祈るように私の右手を両手で捧げ持ち自分の額に付けていて、視界の隅で白衣を着た男がそっと胸をなで下ろしているのがわかった。


 私は、真冬じゃなかった。

 気がついたら頬が濡れていて、奈津子がキスを落としてくれた。ああ私は生きている。私は私だった。

 胸がひりりと痛んだ。うれしいのか、かなしいのかわからない。


「おかえり。待ってた」

「うん。ただいま」


 奈津子に抱き締められて、頬にそのあたたかい体温を感じて、私は子どもみたいに声をあげて泣いた。

 もしかしたら、あの日目覚めて以来、はじめてのことかも知れない。



 私は「真冬」が入った壜を抱いて、奈津子と暮らす家に帰った。

 同色の糸で刺繍の入った白い絹の風呂敷に包んだそれは、遠目から見ると赤ちゃんのおくるみみたいに見える。

 私の親であり、姉妹であり、ライバルでもある人。

 その夜、私に隠れて奈津子はそれを抱きしめ一晩中すすり泣いていた。



 剛明さんから渡されたお金は、真冬のためのお金だ。このお金でお墓を買おうと思う。

 そこに私のなかに居た彼女を埋葬する。

 一之瀬さんにも知らせよう。剛明さんにも。

 今すぐは無理でも、みんなでお墓参りができるようになればいいと思う。




 ◇◇◇




 それからの私は世界中を旅して写真を撮って回った。歳を取らず、疲れを知らず、その気になれば睡眠も食事も必要としない身体は、旅をするのに非常に便利だった。紛争地にも積極的に向かい、そこに住む人の写真を撮った。

 行く先々でまめに奈津子にメールと写真を送り、年に数回は日本の奈津子のところへ帰る。

 奈津子は大手出版社の編集者になり、私の写真と紀行文を本にしてくれた。それはそこそこの評判となってシリーズ化し、今では私と奈津子のライフワークになっている。


 剛明さんはかたくなに私の新しい名前を呼んでくれない。でも、真冬の命日には必ず彼女のお墓の前に来て、一之瀬さんと奈津子と私と晴海とで一緒に偲んでくれるようにはなった。一之瀬さんにはあいかわらずすごい目でにらまれるけど、面と向かって罵られるようなことはない。


 全身機械化手術は、私の例から十年経ったころからぽつぽつと行われるようになった。日本では無理でも、世界中で研究が続けられていたのだ。世界で二例目となったアメリカの大富豪の家で育った難病の少年は、しかし三年もしない内に自殺してしまったらしい。

 まだまだ一般化することはないと思う。でも、時間の問題かもしれない。

 そのことを私はどう受け止めていいのかわからない。


 ひとつだけ言えるのは、命はその人だけのものだ。他者が侵してはいけない聖域。生きることとおなじように死も大切に扱わなきゃいけないと思う。死ぬことは、本当は忌み嫌うようなものじゃないのかもしれない。


 なーんてね。

 私は精いっぱい生きている。

 これまでも、そしてこれからも。


 奈津子が私に笑いかけてくれる。

 世界中でいろんな人と出会って、みんなが私の新しい名前を呼んでくれる。

 それがすごくうれしくて、幸せだ。


 もし、もしこんな機械の私でもいつか天国に行けたら、真冬に会いたい。

 それで語るんだ。私が見聞きした素晴らしい物事を。そこには先に逝ってしまうだろう奈津子もいるはずだ。三人できゃっきゃっしながら語り合えたら最高だ。もしかしたら、修羅場になるかもしれないけど、それも楽しそうだと思う。自己満足かもしれないけれど、きっと真冬なら喜んでくれる気がする。


 そのときまで、私は旅をする。

 それが、私が私になった意味だと感じるから。

やっと完結しました。はじめての連載小説で勝手がわからず何度か挫折しかけましたが、読んでくださる方のおかげでつたないながらも完結までこぎつけることができました。本当にありがとうございます。

感想等いただけましたら、とてもうれしいです。

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