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真冬の台本

 記者会見には、プロジェクトの現場責任者……つまり小鳥剛明と技術的な説明をするための晴海、小鳥剛明さんの会社社長ほか幹部、そして私が出ることになった。


 剛明さんの会社社長と会うのははじめてだ。

 六十代半ばのその人は、一見穏やかな老人だけれど、その眼光は鋭く油断のならない感じがする。なるほど野心的な人なのだ。こういう人の会社だから、秘密裏に全身義体を作ろうなんて大それたことを思いつくのだろう。


 私が「よろしくお願いいたします」と頭を下げても無感動な冷たい一瞥が返ってきただけだった。

 かわりに秘書が「よろしく頼みますよ」と軽く会釈をする。


 会見は三十分後に迫り、白い清楚なワンピースを着せられた私はくちびるを噛んで悔しさを飲みほした。



 ◇◇◇



「本番前にこれを覚えてください」


 会見の前日、社長秘書から差し出されたのは、びっしりと文字のつまった分厚い紙の束、私の話すべきことと話すべきでないことが細かく記された原稿だった。

 膨大な想定問答集に、その一つ一つに息継ぎのタイミング、声の抑揚、表情の浮かべ方などの演技指導がついている。……とても私が自由に話すような隙はない。そしてそれらはすべて、私が「小鳥真冬」の人格を保持していることを前提としていた。


「聞いてません。私はありのままを話したいのです。これはそのための場ではないのですか」

「いいえ。あなたは勘違いなさっている。世間の興味の中心は確かにあなたなのでしょうが、最終的に問われているのはわが社全体の責任なのです。あなたはわが社のプロジェクトの結果でしかありません。これはあなたの会見ではなく、わが社の会見なのです」


 思わず晴海と剛明さんらへ振り返ると、みんな苦い顔をしていた。一方、社長秘書は嫌悪感もあらわに鼻をならした。


「そこにいる彼らになんと言われたか存じ上げませんが、彼らには研究の私物化・横領の疑いがかかっています。真に受けないように」


 とにかく私に原稿を突きつけると、秘書は「ではまた明日」と言い残し帰っていった。




 その日の晩、晴海が折り入って話があると言ってきた。


「明日、キミは自分らしさを封印してくれ」


 開口一番、彼はこう言った。


 信じられない。今までとまったく態度が違うじゃないか。それがさんざん私を焚き付けた男の言うことなのだろうか。


 実は、秘書に台本を渡されても私は自分の話したいことを話すつもりでいた。それが誠実さだと思うから。

 そもそも、私が"真冬"で居ようとすることがすべての歪みのはじまりだった。物事の原点に立ち返り、ずっと保留になっていた真冬の死を確定させることでしか、この歪みは正せない。

 自分のありのままを話すのは、私の使命みたいなものだと思う。最低限、生きていくために必要なけじめだ。


 それをやめろ、とこの男は言う。

 私に自分らしくあれ、と言い続けた晴海がなぜ今さらそんなことを言うのか、理解できなくてひどく彼をなじった。これでも頼りに思い始めていたのに。裏切られた気がした。


「私の言葉で真実を話す。これは、絶対に譲れないラインなの。こんな私でもやっと見つけた人としての尊厳のために必要なことなの」


 私は晴海をなじりながら、そんなことを訴えたと思う。


 私がすべて吐き出すと、晴海は本当に本当に申し訳なさそうにしながら「でもこれはキミのためなんだ」と私を説得にかかった。晴海としても不本意だと言わんばかりに、白衣の膝のあたりを両手で握ってぐしゃぐしゃにしながら。


「恥を忍んで言うが我慢してほしい。

 あの台本通りに、小鳥真冬として完璧に振る舞ってくれ。会見のときだけでいいから。奇跡のヒロイン真冬になりきるんだ。

 キミが真冬じゃないと知れたらーーつまり小鳥真冬の意思は死んでいて、疑似脳が生み出した人格だと知れたらーー世間にとってキミは死体の脳みそ入り機械人形でしかない。人形にはなにをしても許されるのさ。けちがついたキミは即時解体されてもおかしくない。

 しかし生きた人間なら別だ。人間には人権がある。明日だけでいい、真冬だと信じさせて、必ず人権を手にするんだ。


 大丈夫だ。会社としては、なにがなんでもキミを成功例として社会に印象づけたいはずだ。事実と違っても全然かまわないだろうね。

 なぜなら、少女の死体をいじくりまわしたあげくに失敗した猟奇的事件とするより、一人の父親による英雄的行動によって救命に成功した世界初の機械化事例とした方がはるかに好印象だからね」



 甘かった。

 私が生きるということは、私らしさを否定しなければ成り立たないのだ。

 私の身体は私のものじゃなく、真冬の身分がなければ私は生存権すら保障されない。

 いくら私らしくと言ったところで、対外的には真冬の名前を奪わなければ存在できない私のなんといやしいことだろう。



 奈津子にはありのままを打ち明けた。

 彼女は同じベッドのなかで、私を抱きしめながら話を聞いてくれた。


 再び目覚めた日から私と奈津子は同じベッドで寝起きするようになっていた。

 ひとつにはホテルの部屋を移動できない事情がありベッドの空きに余裕がないのと、もうひとつには私が眠るともう目覚めないんじゃないかと奈津子がひどく心配するせいだ。

 奈津子の隣はとてもあたたかった。



「私は私でいたいよ。もうこれ以上は……。でも私は真冬から泥棒しないと生きていけない」


「私たちがあなたのことを知っている。ちゃんとわかっているから、大丈夫だよ。きっと真冬も許してくれる」


「死んだ人のことなんて誰もわからないよ」


「私が許すよ」


 奈津子の腕のなかで首を振る。私は自分の醜さにへどが出る思いがした。こうして奈津子に甘えている時点で、私はもう真冬から恋人を奪ったも同然なのに。今さら落ち込んだりして。とんでもない欺瞞だ。


「許さないで。お願い。奈津子だけはほんとうの真冬を忘れないで。生きているかぎり真冬から奪い続ける私を決して許さないで」


「わかったよ。ずっとずっと許さないから、あなたは生きてほしい。もう、置いていかないで」


 誰よりもやさしい奈津子の言葉は、呪いのように全身のすみずみに行き渡り、私をめぐる血となった。



 結局のところ、私はとてもずるい人間なのだ。

 生きたいという欲に気づいてしまったからには、なんでも利用してしまう、そんな人間だ。

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