お父さんとの決別
「あぁ、真冬。よく無事で」
私が目覚めたと連絡を入れるとお父さんはすぐにホテルへやってきた。
マスコミに嗅ぎ付けられる危険より、真冬のことを優先したと喜べばいいのか、ちょっと複雑な気持ちだ。でも、これからのことを考えるとお父さんは避けては通れない。
久しぶりに見るお父さんは変わらなかった。私の無事な姿を見てほっと安堵の表情を浮かべるこの人は、やや疲れた印象だけどひたすら真冬のいい父親で、私の存在を完璧に無視するひと。
「お父さん、今日は話があるの」
場所は変わらず晴海たちが私を閉じ込めていた部屋の寝室で、今は二人っきりにしてもらっている。部屋から去り際、奈津子は私の方に「後悔はないんだね?」と確認するような視線を寄越してきたからひとつ頷いておく。
お墓参りの一件からなんだかとても時間がたった気がする。何も知らなかったときが遠い昔のよう。
「ああ、今世間はちょっとうるさいけれど気にすることないさ。真冬は真冬だからな。みんなわかってくれる。お前はなにも変わってないよ。大丈夫だ」
「私は変わったよ」
「いや、変わらないさ」
私を否定するお父さんの口調には迷いがない。それは私に不変を請け合うというよりは、まるで自分に言い聞かすようだ。
ずっと、こうだった。私とこの人との関係は。でも、これじゃだめなんだと私は知っている。
「私、外に出たい。出してほしい。お父さんから、研究仲間の人にも説得してほしいの」
「だめだ。今は危険だ」
にべもない。とりつく島もないとはこの事だろうか。お父さんは子どものわがままをなだめるような、仕方なさそうな顔をしている。
「でも、どうしてもやらなきゃいけないことがあるの」
「もう少し落ち着いてからでもいいだろう。そもそもなんのために?」
「もう隠れるのはやめにしたいの。だから、自分の口から自分のことを話す。みんな私のことを知りたがっている。きっと、実際の私をなによりも見たいはずだよ」
「なんだって!? そんなこと許せるはずがないだろ」
私の言うことにぎょっとしたお父さんは怒鳴った。いい年をした大人が赤鬼みたいになって取り乱すのは迫力があるけれど、同時にそれは必死さの現れだとも思う。
「お父さん、ありがとう。今まで私を必死に守ってくれていたんだよね。私、外で自分がなんて言われているか知っているよ。
本来なら私に直接投げつけられるはずの言葉を、あなたが矢面に立って遮ってくれていた。
あなたはあなたなりに、私が平和に他の人と同じように生活していけるように、いつも気にかけてくれていた。
この身体のこと……どうしても許せないし、あなたは間違っていると思う。でも、今ここにいるのを間違いだと言いたくないから、ありがとう」
目の前の初老の男性は、なんだか頭を殴られたみたいにひどくショックを受けた顔でこちらを見る。いつもこの人に怯えるだけだった私の思いもかけない態度に、毒気を抜かれたみたいだ。
そうだ。私はこの人のことを怖がって言いなりになる前に、ちゃんと向かい合わなくてはいけなかったんだ。
「お前は俺の娘だから……」
答える声にそれほど力はない。不気味な巌のような人だと思っていたけれど、実はナイーブな心を隠す鎧だったのかもしれない。
「ううん。私は、あなたの真冬じゃないよ。ごめんね、あなたの娘はもう、どこにもいないの。
いくら守ってくれても、私はあなたの期待通りの存在じゃない。だから、その気持ちはちゃんとほんとうの家族に向けてあげてほしい。真冬に死を返したいの。家族とか思い出とか、名前とか、なにもかもといっしょに」
こんなふうにこの人にきちんと言葉を伝えたことがあっただろうか。父と呼んでいた人は、こんなにふつうの、なんでもないただのおじさんだったのだろうか。ぴしり、とオールバックにした白髪まじりの髪の毛も、ダークグレーの高級スーツも、口を一文字にした頑固そうな顔も、こうして覚悟を決めてまっすぐ見ればそれほどこわいものじゃないことに今はじめて気づいた。
「真冬のことを愛しているのはすごく伝わっていたよ。私の中には真冬の記憶がある。真冬はあなたのことをとても大切に思っていたよ。たまにしか会えなくても、そのたまに会える日を指折り数えていた記憶が残っている」
これだけは、伝えないといけないと思う。今の私のことを決して認めてくれなくても、私にとってこの人は親しい父親じゃなくても、真冬にとっては紛れもないただ一人の肉親なのだから。
「そんなの、だめだ。お前は真冬だ。真冬はここにいる。認めない」
「それでも私は……真冬じゃないよ。
私はあなたの作った人形でしかない。それももう、やめるの。真冬のふりはしない。あなたがどれだけ望んでも」
否定の言葉は、おどろくほど残酷に冷たく響いた。
言うべきことは言った。
それを受け入れるか、受け入れないかはこの人次第だ。
お父さん……剛明さんは両手で顔を覆って、石でできた彫像のようにじっとしていたけれど、しばらくすると長い長いため息をついて、顔をあげた。
「だって、それなら真冬は……真冬はもういないってことじゃないか。そんなのだめだ」
「うん」
「だって、それなら真冬は、最後のときどんなに悲しかったろう。さびしかったろう。事故の直前、俺がつまらない偏見であの子を否定したせいであの子は泣いていたんだ。
それがあの子の人生の最後なんて、許されない」
ずっと大きくて、不気味でこわいと思っていた人が、気の抜けた風船のように肩を落とし悄然とするさまは、本当に悲しくなる光景だった。
私のなかに、肝心の事故の日の記憶はない。だから、奈津子と剛明さんが会った様子を知らないし、その後の喧嘩のことも知らない。車にはね飛ばされた瞬間に真冬の脳もダメージを受けたのかもしれないし、その記憶だけは真冬が抱いて飛び去ったのかもしれない。
事故の瞬間、真冬がなにを思ったのかは、この世の誰も知らないのだ。
はじめから私が真冬のふりなんてしなければ、この人はもっと早くに娘の死に向き合えたのかもしれない。
ちゃんとお葬式をあげて、一ノ瀬さんとも和解して……こんなふうにスキャンダルの中心でやり玉にあげられることだって、もしかしたらなかったのかも。
全部が私のせいとは思わないけど、やりきれない気持ちになった。
私はこの人のことが好きになれないけど、この人は父親になろうとしただけなんだと、痛いほどにわかってしまう。できるなら真冬の生きていたときに、そうしてほしかった。そうできていたら、よかったのに。
剛明さんは最後に、「続きがほしかっただけなんだ」とつぶやいた。
◇◇◇
剛明さんは、最終的には私の意思を尊重して、記者会見の手はずを整えてくれた。
もちろん私が自分のことを自分の口で話したいと言ったのが一番大きいけれど、もう色々と限界だったのかもしれない。
結局のところ、当事者である私が出てくるまで世間の追及は終わらないんだろう。
動画で……という意見もあったのだけど、今の時代いくらでもフェイク映像が作れてしまう以上、直接私が表にでなければ私が“あの”小鳥真冬だと世間に信じてもらえないかもしれない。だから、私にとってより厳しい場になることが予想できたけど、記者会見という手段をとることになった。
そして当日、会場には国内外のありとあらゆるメディアが集まり、史上最大規模に注目度の高い記者会見となった。
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後半、父親の台詞や主人公の台詞などを変更しました。




