魔女裁判
今回は、奈津子寄りの三人称視点です。
恋人が目の前から立ち去ってしばらく経ったある日。
奈津子は小さな1Kのマンションの一室で、服を着たままベッドに横たわり顔を両腕で覆い隠していた。朝から食事もとらず、そのままの姿勢でぴくりともしない。
カーテンは閉め切られており、昼なのに薄暗く重苦しい空気が漂っている。外の春の陽気の平和さが恨めしい。
人目を避けなければならないので、食料を買いに行くとき以外、滅多に外には出ない。
もう何日もこうして貝のようにこもっている。
奈津子は後悔の海に沈んでいた。
最後にあの子を見たときの光景が、なんどもリフレインする。
あの日、あの子は振り向きもせず、行ってしまった。
黒いスーツの男たちを盾にして遠ざかる背中が目に焼き付いている。小さくて細い肩。
名前を呼ばないでと拒絶された。
それにひるんでしまった自分。
どうしてあそこで無理にでも追いかけて、しっかりつかまえなかったのか。
あんな話を聞かされて、あの子がいちばんつらかったはずなのに。平気なはずがなかったのに。
あそこで引き下がるべきじゃなかった。独りになったのは奈津子じゃなくて、あの子の方だ。
そのことに奈津子が気がついたのは、あの日から数日後、朝のニュース番組であるスクープを報じているのを目にしたときだった。ある週刊誌の記事を取り上げていた。
そう、はじめはゴシップ誌の三文記事に過ぎなかった。
『恐怖! 現代に蘇ったフランケンシュタイン博士。実の娘を実験台に死者蘇生。ゾンビは実在する!?』
衝撃的な見出しに、目に黒線が入った白黒の真冬の写真。大学名まで出ていた。
真冬の身体の秘密を公に暴露する記事だった。
最初は眉唾ものとして見向きもされなかったのに、第二報、第三報と詳細記事が出るたびに、少女の事故とその復活の矛盾と疑問点がどんどん出てきて、人間の機械化手術という突飛な話題の信憑性が増し、社会的な事件となっていった。
いまでは連日連夜、マスコミがセンセーショナルに奈津子の恋人のことを報道している。テレビ、新聞、ラジオはもとより、ネットニュースやSNSでもこの話題で持ちきりだ。
テレビのどのチャンネルをつけても、小鳥家の家政婦であった女性のインタビュー映像が繰り返し流れている。台詞を覚えてしまったくらいだ。ハンカチを握りしめ、ときおり声を詰まらせながら涙をこらえて懸命に訴える、ふくよかで上品そうな初老の女性。
――誰よりもすばらしい子でした。あの子の母親が亡くなってからは、いつも一緒で。目に入れても痛くないというのにぴったりでした。いまでもあの子の天真爛漫な笑顔をはっきりと思い出せます。
私は真実を知りたい。だから皆さんの力を貸してください。私一人の声では足りなくても、皆さんの関心が集まればあの傲慢な○○社も知らないふりは出来ないでしょう。
私はただ、真冬ちゃんを取り返したいのです。誰にも弔ってもらっていないあの子を見つけて、ちゃんと天国へ行けるようにお葬式をあげたいのです。あまりにもかわいそうで。
一之瀬の悲劇の母のような態度に、牛乳に浸けて三日くらい放置した雑巾をかいだときのような嫌悪感がこみ上げる。あの人は、自分のことしか考えていない。あの人がマスコミにリークしたせいで、「小鳥真冬」が今、世間でなんと言われているか……。
あの子がこの数ヵ月、悩み、もがきながらつみあげてきたものが、一瞬で粉々になった。
大学にまでマスコミは押し寄せ、あたりかまわず「小鳥真冬」のことを聞いてまわった。同じ学部の同じコースの学生の間を回ったり、彼女が最近所属し始めた写真部にも突撃した。奈津子が家に引きこもっているのは、このハイエナたちが奈津子のことも嗅ぎ付けたからだ。
そのことを一之瀬は気にもしていない。
今いるあの子の存在を、頭から否定して、何もわかっていない。おそらく興味もないのだろう。彼女が関心を持つのは今はもういない『真冬』のことだけなのだから。
奈津子は一之瀬を殺人鬼だと思う。社会的にあの子を殺したも同然なのだから。
そのうちに、剛明の居場所がマスコミにばれた。
私物を取りに自宅に戻ったところから、マスコミに尾行されたのだ。
いや、彼は過熱するマスコミ報道が、あの子の人間関係を荒らしまわり、すべての居場所と思い出を根こそぎ破壊しつくす前に、自ら表に出たのかもしれない。
これは奈津子のそうであったらいいな、という思い込みかもしれないけれど。
そのころになると、マスコミに出てくる「専門家」たちが、剛明たちがやったことは死体損壊罪・死体遺棄罪にあたるのではないか、とコメントするようになっていた。SNSでは警察が捜査を開始した、とまことしとやかに噂された。
彼は真っ向から異を唱え、無罪を主張した。路上で囲まれフラッシュがバシバシ叩きつけるように焚かれるなかで、毅然と顔をあげる姿はまるで殉教者だった。
――娘は生きている。生きているからして、死体などと表現するのは非常にナンセンスだ。自分達がやったのは人命救助であり、娘を生かすために唯一絶対の措置だった。
自分は親であり、我が子を守る義務がある。我が子の命を救える手段があるなら、手を尽くさなければならない。自分は当たり前のことをやったに過ぎない。
これについては反応がわかれた。
親のなりふり構わぬ愚かな愛に同情する向きもあれば、人体実験の生け贄を確保するためならば親子の情すらも利用する悪魔と猛烈に批難する向きもあった。
議論はその後、『小鳥真冬』の戸籍で生活している人物が――正確にはその機械が収容している人間の脳が――生きているといえるのか、それとも死体の一部なのか、というところにまで発展した。
妙な熱に浮かされた昼のワイドショーで、お茶の間の人気者たちがにやけたり、顔をしかめながら議論する。
テレビをつけて、あの子の肖像写真を見ない日はない。
まるで魔女裁判だ。
あの子には一片の罪もないというのに。
ふいに、何の前触れもなく奈津子の携帯が鳴った。
深海のような陰気な部屋の静寂を、陽気で騒々しい音が塗り替えていく。
その着信音に奈津子は血相を変えて携帯に飛びつく。
この曲は『真冬』の番号に設定してある曲だ。
「もしもし……!」
あぁ! 何度かけてもつながらなかったのに。今どうしているの。どこにいるの。
言いたいことはたくさんあるのに気ばかり焦ってうまくしゃべれない。
「あぁ、奈津子くんかね。今、ちょっといいかな?」
聞こえてきたのは、あの忌まわしくうさんくさい医者の声だった。
ブックマークはげみになります。ありがとうございます。
書いていてよく面白いのかどうか不安になるので、なにかしら反応があるととてもうれしいです。




