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保護者たち

 すべて話し終えた晴海は、すっかり冷めたコーヒーを飲み干すと、目を伏せて小さくため息をついた。


 途中から立っていられなくて、床にへたり込みそうになるのを、奈津子が抱きかかえるように支えてくれた。

 腕に食い込む指が、痛い。小刻みに震えている。

 奈津子の顔は蒼白だ。紫色になった唇が痛々しいくらい。


 最後のピースがはまった。

 晴海の言ったことはたぶん、ぜんぶ本当だ。


 ああ、やっと繋がった。

 腑に落ちる、という表現がぴったりくる。


 私は思った通り、偽者だった。


 覚悟していたけれど、やっぱり、こんなのはおかしい。

 偽りの命だったんだ。

 なぜ真冬のまま死なせてくれなかったの?

 そしたら、最初から最後まで、本物も偽者もないただの真冬でいられたのに。


 こんな、うれしかったこととか、悲しかったこととか、頑張って生きようとしてたこととか、宝石みたいに思えてきたのに、ぜんぶ屑だった。ゴミカスだった。


 まるで私は道化だよ。こんな、滑稽なことってない。最初から、どんなに必死になったって、私のすべては紛い物として作られていたのだから。



「どうして? どうしてこんなことを?」


 今さら言っても仕方のないことだとわかっている。でも、問わずにはいられない。


「あのときは、人命救助だと考えていた」

「でも、こんな重大なこと、勝手に決めて、勝手にやるなんて、酷い」

「あのときは命がかかっていた。ああしなければ間違いなく死んでいた。緊急時には本人の意思確認より患者の命が優先される。そもそも意思を確認できるような状態じゃなかったし、家族の了解だってあった」

「すでに死んでいた、の間違いでしょう。あなたたちは、人の命をおもちゃにして。じ、じっけんだいに……」


 それ以上は詰まって、言えなかった。口に出したら、取り返しがつかなくなる気がして。


「死んでないよ。キミは生きてる。新しい自分に向き合うって言ってたじゃないか。生まれ直したんだよ」


 なにか言っているけれど、今となってはそんな言葉、まったく心に響かない。私を造ったこの男に言われても、白々しくむなしいだけ。

 白衣を着た眼の前の人物が全く見知らぬ、得体のしれない悪魔みたいにみえた。



「そんな、うそだよ。だって、真冬は、息をしている。体温だってあるのに……!」


 ずっと黙っていた奈津子が、かすれ声をしぼりだす。


「でも、これが真実だ。キミはこのことを知って、この子のことが気味悪くなったかい?」


 問われて、奈津子の肩が震える。


 その反応が、こわい。

 奈津子のことは信じたい。聞いてほしいと望んで、ここに連れてきたのは、私だ。


 でも、人には限界というものがある。この事実が彼女の許容量をオーバーしてしまったとしても、不思議じゃない。『真冬』の身に起こったことは、それくらいありえないことだと思う。

 しかしそれでも、彼女に「聞かせない」という選択肢もまた、ありえなかった。だって彼女は、今の私を肯定してくれる、大切な、大切な人だから。そんな人にうそなんて、つけない。


 ここで奈津子が「はい」と言ったら、私はもう、消えよう。私がここにいることで、『真冬』の尊厳を汚している。

 『生きている』という表現が正しいのかすらあやしいけれど、思いつく限り試そう。機械の身体で自殺ができるのかわからなくても。


 しかし、奈津子は晴海に意外な質問をした。


「あなたは……この話を聞かせるために、今日、私に……真冬を迎えに行かせたの……?」

「結果的にはそうなったが、ここまでは想定していなかった。ただ真実の一端に触れて帰るに帰れず、不安定になっているだろうこの子の精神安定剤になってくれればいいと思ってさ。

 焦った小鳥さんから真冬くんの身体についているGPSの発信場所を教えろって、うるさいくらい催促が来ていたけど、あの人に迎えに行かせたら逆効果だからね」


 なるほど。私の居場所を知らないはずの奈津子が迎えに来たのは、晴海の差し金だったんだ。こいつは私と奈津子の関係、いや『真冬』と奈津子の関係を知っていて、今日私を彼女に迎えに来させた。


 そういえば、目覚めた日も、奈津子は『真冬』の部屋にいた。お父さんか、晴海が呼んだとしか考えられない。これまでの言動から、その提案をしたのは晴海の可能性が高い。


 奈津子は『真冬』を愛していた。

 目覚めた私は、引き合された彼女に何度も何度も助けられた。不安定な心を支えてもらった。彼女の存在がどれほど私のなかで大きかったか。彼女は私を繋ぎ止めてくれる錨であり、行き先のヒントをくれる羅針盤だった。


 あぁ、そうだったんだ。

 つまりこの男は、奈津子の愛情を利用したんだ。

 彼女に私が醜いまがい物であると知らせず、私という存在を安定させるために。


 そのことに思い当たって、私は奈津子の腕から逃れようとむちゃくちゃに暴れた。私には、このぬくもりを与えられる権利が、ない!


「はなしてっ お願い! はなしてってば」

「真冬! 落ち着いてっ」

「その名前で呼ばないで!!」


 絶叫した。あんまり大きい声を出したものだから、耳がキーンとしている。

 室内は痛いほどに静まり返った。奈津子がショックで固まり、腕の力を抜いた。その隙に私は抜け出す。


「待って! 逃げないで」


 かまわず出口のドアノブに手をかける。

 しかし、私は晴海の研究室から出ることはできなかった。 

 ドアを開いたら、そこには険しい顔をしたお父さんと見覚えのないスーツ姿の男たちが立っていたのだ。

 ちょうど向こうからも扉を開くところだったらしく、壁のように目の前に立ちはだかった男たちも驚いている。


「真冬、ここにいたのか! 晴海、なぜ真冬がここにいるのに連絡を寄こさなかった?」

「小鳥さん、それより今は彼女の保護を」


 晴海に詰め寄るお父さんを男たちの一人が止める。男たちはみんな、やり手の銀行家のような冷たく計算高い印象だ。


「ああ、そうだな。こいつがのらりくらりと真冬の居場所を吐かないから、直接聞き出そうと思って来たんだが、ここにいるなら話は早い。すぐ行くぞ。ホテルの手配は?」

「もう済んでいます」

「ならいい」


 そのままお父さんたちは何の説明もせず、羊を追いたてる牧羊犬のように私を囲んでどこかへ連れ出そうとした。


「待って、ください。……その子をどこに、連れて行くの?」


 その声にはじめて奈津子がいることに気づいたのか、お父さんは眉を寄せわずらわしそうにした。この忙しいのに面倒だ、と顔にありありと書いてある。そんなお父さんに晴海が非難めいた声をあげた。


「小鳥さん、須藤たちは彼女の前に顔を出さない約束では? なぜ彼らがここに?」

「スタンドプレーばかりのお前が言うな。それにあのあたまのおかしい女のせいで、もう隠す意味もない。俺たちが話さなくてもいずれ嫌でもわかる」

「どういうことですか?」

「週刊誌にすっぱ抜かれた。明日発売の雑誌の記事に真冬のことが載る。時間がないんだ。いますぐこの子を安全な場所へ移さなければ」


 お父さんの口調は苦々しい。焦りを含んで、本当にまずいことになっているのがわかった。


 真冬の父であるこの人は私のことを「真冬」と呼ぶ。それがとても、たまらなく、心の底から嫌だ。ずっとずっと嫌だった。この人のしたことは……とても受け入れられない。そばに、居たくない。


 しかし、私は奈津子を見た。彼女はすがるような目で私を見ていた。このやさしい女の子のことを、これ以上この男たちに利用させていいはずがない。


 晴海の口ぶりやお父さんの言動から、私の身体には発信機のようなものがついているのは確実だ。しょせん、造り物の私は、創造主から逃げることはできない。


 それなら――。それならせめて、奈津子を解放しよう。

 私が奈津子を頼るかぎり、この男たちは彼女の心を利用しようとする。それだけは、絶対にダメ。



「奈津子、これは私の問題だよ。口出ししないで。私はお父さんたちと行く」


 わざと、氷のように冷たく突き放した。

 今までもらったぬくもりをすっぱりと断ち切れるように。


 男の一人が奈津子の足止めをしている間に、私はお父さんたちに従って外に出た。存在しないはずの心臓が張り裂けたみたいに、胸が痛かった。


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