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晴海の種明かし

 ――僕とキミのパパ、小鳥剛明さんは、古い付き合いなんだ。小鳥さんの会社と僕はある共同事業に取り組んでいた。

 キミはお父さんの会社がどんな業種か知っているね? 医療精密機械だ。


 僕の専門は脳科学と義肢装具の融合で、博士号の論文のテーマは、いかに人間の五感をリアルに再現するか、いかに思った通りのなめらかな動きを機械に反映するか、だった。

 理論上は生身と変わらない動きをする機械はすでに開発されていたんだけど、従来の技術では生身との接続と変換がうまくいかなくて、違和感が強くとても普段使いできるものではなかったんだ。脳が出す電気信号を解析し受信する変換器のノイズを限りなくゼロにするのがなかなか大変でね。


 キミもこの部屋で義手を見つけたことがあったよね。あれは違和感を従来品の十分の一に減らした画期的なものだった。

 我ながらけっこう評判がよくて、色々なところに呼ばれたりしたよ。

 そんななかで、キミのお父さんの会社に声をかけられた。


 キミのお父さんの会社は、古代からの人類の永遠のテーマを求めていた。


 不老不死だ。


 あぁ、そんな顔をしないでくれよ。キミたちが思っているようなオカルトな話じゃないから。


 このテーマに古代は魔術的な手法でしかアプローチできなかったけれど、現代は技術の進化に伴い、より現実的な方法でアプローチできるようになった。


 血の通った肉体は老い、傷つき、病んでしまう。しかし、決して老いない身体にとりかえてはどうか。つまり、機械の身体にとりかえたら。


 実のところ、こういった発想はもう一世紀以上も前にSF小説なんかで発明されていた。


 人間の脳を機械でできた身体に移し替える。

 ずっと若いまま、強靭で、完璧な肉体。


 倫理的な問題から公になってはいないけれど、身体の機械化技術自体はここ十数年、軍事産業のなかで研究・一部実用化されてきた。傷つかない兵士というのは最強だからね。四肢を欠損しても新しいものに取り換えればいいんだ。通常ならば再起不能なけがをしても、機械の身体に取り換えれば経験豊富で有能な兵士を無駄にせずに済む。まあ、それでも今までに脳以外すべて……という例は確認できる限り他にないみたいだけどね。

 けれど、やはりネックは身体の拭いがたい違和感だった。軍事面で導入されたサイボーグ化技術は、強さと利便性を優先し、本人の生活の質というものを軽視してきた。動けて戦えればいいという方針は、人間らしい感覚を置き去りにしたんだ。



 キミのお父さんの会社は、それでは不完全だと考えていた。生きるうえで、生身の肉体と遜色ない、いやそれ以上の身体の開発を目指していた。

 だから僕に協力を依頼したんだね。


 痛覚や暑さ寒さの感覚、ゆるやかな季節の色彩の変化を感じ取る視覚、人の皮膚のやわらかさがわかる繊細な触覚、音楽の情感を聞き分ける聴覚、料理の風味を楽しめる嗅覚と味覚。やわらかくはりと弾力のある肌に、人と変わらない体温や、生き生きとした表情。感情と連動した自律神経の反応など。


 完璧な不老不死のために、およそ戦うのに必要ないとされたそういう感覚の再現を、僕たちは研究していた。


 この技術さえあれば、たいていの不治の病なんて恐れる必要はなくなる。臓器移植という他人の死を当てにするような治療からも解放される。寿命という限界を突破して生きることができる。


 夢のような話さ。

 今は天文学的なコストがかかるけれど、今後技術革新でだんだんと一般の人の手にも届くようになっていくだろう。


 そして、キミの事故が起きる直前、僕たちはその技術をほとんど完成までこぎつけることができた。

 もうなんどか動物実験を繰り返してきて、一番ヒトに近いサルのボノボの脳ではなんの問題もないことがわかっていた。


 でも、ひとつだけ問題があった。

 そとがわの身体はもうできていたけれど、肝心な中身である人間の被験者が見つからなかったんだ。

 僕たちの研究は極秘のうちに行われていて、原則として秘密を外に漏らすことはできない。

 だから、必然的に被験者は身内で探すことになる。


 幸か不幸か、研究チームのメンバーはみんな健康だったし、やはり思い切りのいる手術だ。自分からやりたいっていう勇敢な人間はなかなかいない。


 僕たちのプロジェクトは最後の最後で停滞していた。

 そんなときだ、真冬くんの事故が起きたのは。


 突然、小鳥さんから半狂乱で電話がかかってきて、すぐに自分の娘の身体を抱えた小鳥さんが駆け込んできた。小鳥さんは血だらけで、すごい剣幕だった。真冬くんの身体にはまだぬくもりが残っていて、事故からそんなに時間が経っていなかった。


 彼は僕に例の処置をせよと迫った。真冬くんの命をつなぎとめようとなりふりかまわなかった。奥さんの死を引きずっていたんだね。


 ――まだ間に合う、真冬のあたまに外傷はない。おねがいだ。いますぐ手術してくれ。まだこの子は生きられる。


 僕は手術をした。時間がなかったから、僕とキミのお父さんだけで決めて、チームのメンバーには事後承諾という形になってしまった。

 応急処置として脳だけ生命維持装置につないで、半年かけて微調整し、外見も真冬くんそのままになるように努力した。

 キミが目覚めたあとは、キミを混乱させないようにキミに接する人間を最小限に制限し、小鳥さんと僕がキミの様子をモニタリングし、メンテナンスすることになった。



 そう、キミの身体には真冬くんの脳が入っている。

 でも、人間の脳だけではその精密な機械を動かすことはできない。だから、身体を統制し、制御する補助脳ともいうべきものが搭載されている。おもに、身体からのフィードバックを生身の脳が受け取れる電気信号に変換し、逆に脳からの命令を身体へ伝えるのが役割だ。

 定期的な診察は脳と身体との接続・同調性を調整する意味もあったんだ。

 それを怠ると、この前のように脳と身体の感覚がズレてしまう。逆にそれさえきちんとしていれば、理論上は寿命がないのさ。

 でも、真冬くんの脳波はずっと眠っている。深い眠りのなかにあるんだ。


 本来、記憶や感情といった心に関わる領域は、真冬くんの脳だけで担うはずだった。ところが、キミという身体を起動させると同時に活発に活動し始めるはずだった真冬くんの脳は、『目覚めなかった』んだ。脳波が植物状態にある人間のそれと同じなんだ。


 おかしいだろ? キミはこんなにも感情豊かで、必死に考えて生きているのに。とても眠っている人間の反応じゃない。

 僕の仮説では、真冬くんの脳とは全く別の場所、おそらく補助脳が今のキミの心を担っている。

 キミのお父さんはそのことを認めようとしていない。彼はあくまでも真冬くんを求めているんだね。





 結論を言うと、目覚めたキミは『小鳥真冬』の記憶をもっている別人だった。

真冬くんのたましいは事故の瞬間にいずこかへとびたち戻っては来なかった。しかし、かわりに別のたましいが宿っていた。立派な一個の人格を持って。


 僕は自分の誤りを悟った。

 キミはなにも知らされず、ひどく戸惑い、苦しんでいた。

 真冬くんではないことをキミ自身、確信していたね。でも、自分を否定して真冬くんになろうとしていた。

 僕はそれが気に食わなかった。

 この研究は人を幸福にするはずだった。僕は決して、そんな悲しい存在を作りたかったわけじゃない。

 キミに幸福になってほしいんだ。



 だから僕は、キミのお父さんに内緒でキミがキミらしくなれるように色々煽ったり、宿題を出したりした。

 そのことでずいぶんキミを怒らせてしまったね。


 キミのお父さんと僕の選択には賛否両論あるだろうけど、僕は自分のしたことを後悔していないよ。

 だって、いまここにいるキミは、ちゃんと生きているからね。僕はここにいるキミを否定したくないんだ。

 でも、キミには申し訳ないことをしたと思っている。


 僕が言うのはおこがましいことかもしれないけれど、キミが何者でもキミという存在の尊さは変わらない。

 キミの心は、キミだけのものだ。



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