表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
20/28

迎え

 あれから三日間、あてもなく逃げて、逃げ続けて、たどり着いた見覚えのない駅前で、迷子のようにベンチにへたり込んだ。


 一之瀬さんは言った。

 真冬は死んだ。素人が一目でわかるほどに、身体がめちゃくちゃになって。


 そうすると、いまここにいる私は「誰」なんだろう。あるいは、「なに」なんだろう。


 ずっと考えないようにしていた。

 その答えを突きつけられた気がした。


 どれくらいそうしていただろうか。


 あたりはもうとっぷりと日が暮れている。

 途中、若い男が声をかけてきたけれど、なにも反応せずにいたら、悪態をついて去っていった。

 携帯はひっきりなしに鳴っていたけれど、無視していたら電池が切れたのか、しばらく前に静かになった。


 駅前のベンチなので、人通りは絶えない。

 あたたかい家に帰るのだろう人びとが、足早に過ぎ去る。

 身体の奥がすうすうと冷たい。凍えてしまいそうだ。



「――真冬」


 どうして奈津子がここにいるんだろう

 のろのろと顔をあげる


 なにも話したくない、と思った。あのとき、一之瀬さんがどんな目で私を見たか、真冬のことをなんと言ったか、奈津子にだけは知られたくない


 でも、そんな心配は無用みたいだ。奈津子がここにいるということは、誰かが、奈津子に知らせたのだ。

 そして、その誰かは、一人しかいない。


 お父さん。

 お父さんはなにか、知っている。そしてそれを隠している。


 奈津子もそうなのかな。奈津子も私になにか大事なことを隠しているのかな。


「奈津子は……知ってたの?」

「なにを?」

「真冬はあの日……」


 その先を言えない。奈津子、奈津子は、真冬の恋人だった。

 その先を言ったら、奈津子はどうする?


「真冬?」


 しかし、奈津子の目は澄んでいた。やましさなど、どこにもなかった。ただ、私を心配しているだけ。


「奈津子は、どうしてここにいるの?」

「さっき電話があって、真冬がここにいるみたいだから、迎えに行ってあげてほしいって。自分は迎えにいけないからって」


 質問を変えたら、拍子抜けするほどあっさり答えが返ってくる。


「それだけ?」

「それだけだけど……真冬、泣いてたの?」

「泣いてない」

「だって、そんな顔してる」


 そっと、頭になにかが触れる感覚がした。やわらかくて、あたたかくて、やさしく私の頭を撫でる手。


 そのまま胸にぎゅっと抱き込まれる。

 私はベンチに座っていて、奈津子は立っている状態なので、ちょうど奈津子のお腹のあたりに顔が当たる。


「泣いていいよ。これなら誰にも見えない」

「泣かないよ。子どもじゃあるまいし」

「大人だって泣くよ」


 奈津子って、馬鹿なんじゃないかな。泣いてる顔を隠してもらっても、こんな風に人前で慰められるのだってかなり恥ずかしい。だってここ、駅前のベンチだよ。


 けど、少しだけ。


 奈津子にしがみつきながら、彼女のお腹がゆっくり上下するのを黙って数えていた。

 20を超えたあたりで、私は顔を離した。


 いろいろなことを、思い出していた。

 クリスマスのときのこと。仲直りの日のときのこと。私たちの新しい約束のこと。


 真実をたしかめるのは、そしてそれをこのかけがえのない人に知られるのは、怖い。

 けど、私はもうとっくに、決めていたのではなかったか。


 暴風雨が過ぎ去ると、凪いだ湖面に真珠のようなまあるい月の影が浮かぶように、心が落ち着きおのずとしなければいけないことがわかった。


「奈津子、ついてきてほしいところがあるの」


 一切説明をしなかったけれど、奈津子はなにひとつ問い返すことなく、うなずいた。




 ついた先には、白衣を着た細身の男がいた。

 私と奈津子がいきなりやってきても、晴海の態度は悔しいほど泰然としていた。いつも通り自分の研究室の回転いすにゆったり腰掛け、マグカップのコーヒーをゆっくりすすっている。


 奈津子は晴海の研究室をもの珍しそうに見ていたけれど、ここに晴海がいること自体には驚いていなかった。

 どうでもいいけど、もう夜なのに研究室にいるって、こいつここに住んでいるのかな。


「やあ、今日はどうしたんだい?」

「『秘密』について、答え合わせに来ました」


 奈津子は静かに私たちを見守っている。


「聞かせてもらおう」


 晴海が真面目な顔で私の正面に向き直る。心の底まで見透かすような視線。厳格な試験官のような雰囲気。


 答えはずっと、私のなかにあった。あの日、目が覚めたときには、もう知っていた。


「くわしくは知りません。でも『真冬』は死にました。それは確実。私は『真冬』じゃない。私は、お父さんと、あなたが用意した精巧なニセモノ。それが『秘密』の正体」


 奈津子がハッと息を飲む。視線がせわしなく私と晴海の間を行き来する。動揺する奈津子の様子に安堵し、切ない気持ちになった。奈津子は知らなかったのだ。彼女は私を疑ったことなど、なかったのだろう。


 晴海は、微笑んだ。張りつめた緊張の糸がゆるんで、満足そうな顔。よくできたなって、まるでやっと満点を取った出来の悪いわが子をほめるみたいな。


「おしえて。私は……今ここにいる『私』は、なに?」

「キミはキミだ。それ以上でも、それ以下でもない。今、キミは生きている」

「もう、いまさらそんな誤魔化しじゃ、私が納得しないって、あなたもわかっているでしょう!!」


 激昂しそうになる私に、奈津子がそっと手を添える。自分もすごく混乱しているはずなのに。

 そんな私たちの様子に対して晴海は愉快そうにしている。


「僕は本当に、心からそう思っているんだ。

 キミには、キミだけの心がある。

 これからする話を聞いても、それだけは覚えていてほしい」


 それでも私の決意がゆらがないのを見て取ると、晴海はそのまま続きを話し出した。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ