迎え
あれから三日間、あてもなく逃げて、逃げ続けて、たどり着いた見覚えのない駅前で、迷子のようにベンチにへたり込んだ。
一之瀬さんは言った。
真冬は死んだ。素人が一目でわかるほどに、身体がめちゃくちゃになって。
そうすると、いまここにいる私は「誰」なんだろう。あるいは、「なに」なんだろう。
ずっと考えないようにしていた。
その答えを突きつけられた気がした。
どれくらいそうしていただろうか。
あたりはもうとっぷりと日が暮れている。
途中、若い男が声をかけてきたけれど、なにも反応せずにいたら、悪態をついて去っていった。
携帯はひっきりなしに鳴っていたけれど、無視していたら電池が切れたのか、しばらく前に静かになった。
駅前のベンチなので、人通りは絶えない。
あたたかい家に帰るのだろう人びとが、足早に過ぎ去る。
身体の奥がすうすうと冷たい。凍えてしまいそうだ。
「――真冬」
どうして奈津子がここにいるんだろう
のろのろと顔をあげる
なにも話したくない、と思った。あのとき、一之瀬さんがどんな目で私を見たか、真冬のことをなんと言ったか、奈津子にだけは知られたくない
でも、そんな心配は無用みたいだ。奈津子がここにいるということは、誰かが、奈津子に知らせたのだ。
そして、その誰かは、一人しかいない。
お父さん。
お父さんはなにか、知っている。そしてそれを隠している。
奈津子もそうなのかな。奈津子も私になにか大事なことを隠しているのかな。
「奈津子は……知ってたの?」
「なにを?」
「真冬はあの日……」
その先を言えない。奈津子、奈津子は、真冬の恋人だった。
その先を言ったら、奈津子はどうする?
「真冬?」
しかし、奈津子の目は澄んでいた。やましさなど、どこにもなかった。ただ、私を心配しているだけ。
「奈津子は、どうしてここにいるの?」
「さっき電話があって、真冬がここにいるみたいだから、迎えに行ってあげてほしいって。自分は迎えにいけないからって」
質問を変えたら、拍子抜けするほどあっさり答えが返ってくる。
「それだけ?」
「それだけだけど……真冬、泣いてたの?」
「泣いてない」
「だって、そんな顔してる」
そっと、頭になにかが触れる感覚がした。やわらかくて、あたたかくて、やさしく私の頭を撫でる手。
そのまま胸にぎゅっと抱き込まれる。
私はベンチに座っていて、奈津子は立っている状態なので、ちょうど奈津子のお腹のあたりに顔が当たる。
「泣いていいよ。これなら誰にも見えない」
「泣かないよ。子どもじゃあるまいし」
「大人だって泣くよ」
奈津子って、馬鹿なんじゃないかな。泣いてる顔を隠してもらっても、こんな風に人前で慰められるのだってかなり恥ずかしい。だってここ、駅前のベンチだよ。
けど、少しだけ。
奈津子にしがみつきながら、彼女のお腹がゆっくり上下するのを黙って数えていた。
20を超えたあたりで、私は顔を離した。
いろいろなことを、思い出していた。
クリスマスのときのこと。仲直りの日のときのこと。私たちの新しい約束のこと。
真実をたしかめるのは、そしてそれをこのかけがえのない人に知られるのは、怖い。
けど、私はもうとっくに、決めていたのではなかったか。
暴風雨が過ぎ去ると、凪いだ湖面に真珠のようなまあるい月の影が浮かぶように、心が落ち着きおのずとしなければいけないことがわかった。
「奈津子、ついてきてほしいところがあるの」
一切説明をしなかったけれど、奈津子はなにひとつ問い返すことなく、うなずいた。
ついた先には、白衣を着た細身の男がいた。
私と奈津子がいきなりやってきても、晴海の態度は悔しいほど泰然としていた。いつも通り自分の研究室の回転いすにゆったり腰掛け、マグカップのコーヒーをゆっくりすすっている。
奈津子は晴海の研究室をもの珍しそうに見ていたけれど、ここに晴海がいること自体には驚いていなかった。
どうでもいいけど、もう夜なのに研究室にいるって、こいつここに住んでいるのかな。
「やあ、今日はどうしたんだい?」
「『秘密』について、答え合わせに来ました」
奈津子は静かに私たちを見守っている。
「聞かせてもらおう」
晴海が真面目な顔で私の正面に向き直る。心の底まで見透かすような視線。厳格な試験官のような雰囲気。
答えはずっと、私のなかにあった。あの日、目が覚めたときには、もう知っていた。
「くわしくは知りません。でも『真冬』は死にました。それは確実。私は『真冬』じゃない。私は、お父さんと、あなたが用意した精巧なニセモノ。それが『秘密』の正体」
奈津子がハッと息を飲む。視線がせわしなく私と晴海の間を行き来する。動揺する奈津子の様子に安堵し、切ない気持ちになった。奈津子は知らなかったのだ。彼女は私を疑ったことなど、なかったのだろう。
晴海は、微笑んだ。張りつめた緊張の糸がゆるんで、満足そうな顔。よくできたなって、まるでやっと満点を取った出来の悪いわが子をほめるみたいな。
「おしえて。私は……今ここにいる『私』は、なに?」
「キミはキミだ。それ以上でも、それ以下でもない。今、キミは生きている」
「もう、いまさらそんな誤魔化しじゃ、私が納得しないって、あなたもわかっているでしょう!!」
激昂しそうになる私に、奈津子がそっと手を添える。自分もすごく混乱しているはずなのに。
そんな私たちの様子に対して晴海は愉快そうにしている。
「僕は本当に、心からそう思っているんだ。
キミには、キミだけの心がある。
これからする話を聞いても、それだけは覚えていてほしい」
それでも私の決意がゆらがないのを見て取ると、晴海はそのまま続きを話し出した。




