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お墓参り

 三月、大学は春休みに入り、バイトとたまに沙月さんたちサークル仲間や奈津子に会うくらいの私は、暇な時間を持て余していた。


 でも、今日は違う。お母さんの命日である。そして、私の事故からそろそろ一年が過ぎようとしていた。

 毎年お母さんの命日には、真冬の母親代わりだったお手伝いさんの一之瀬さんとお墓参りに行くのが恒例だった。お父さんはいつも仕事が忙しくお墓参りに一緒に行ったことはない。

 私の事故後、一之瀬さんはやめてしまったらしいので今年は一人だと思っていたら、今年はお父さんも一緒に行くらしい。二人でお父さんの自動車に乗り、郊外にある広い霊園に向かう。


 駐車場に車を停めて降りたところで、お父さんはお手洗いに行くと言って、私だけ先にお墓に行くことになった。


 喪服じゃないけれど、きちんとした襟付きのシャツを着て、こころもち改まったかっこうに身を包んだ私は、事前に購入していた仏花を携えて墓地を歩く。お父さんはスーツ姿だ。


 毎年来ていたはずなのに、やっぱりここにも馴染みがない。道は覚えているけれど、どの景色も目に新鮮に映る。



 そこはちょっとした公園みたいな広大な墓地だった。そこかしこの木々が芽吹き始め、犬の散歩なんかをしている人もいて平和で和む。


 すんなりと小鳥家の墓を見つけた私は、花を活けろうそくに火を灯し線香をあげ準備万端整い、さて何を祈ろうかと途方に暮れる。


 私からお母さんに話すことが、とくに思いつかないのだ。親の命日で、それが習慣になっていたから来たけれど、親近感よりも知らない人の墓を前にしたときのような他人事感しかわかない。お墓を前にすれば、少しは実感も持てると思ったのにな……。とても残念で情けない気持ちになる。


 せめて形だけでも、としゃがんで目を閉じ合掌していると、背後でざり、と砂利を踏む音がした。誰か来たのかと振り返ると、そこには喪服を着て手に花束を持ち、白髪のまじった髪を丁寧に結い上げたふくよかな体型の初老の女性がいた。目元の皺にそこはかとない悲しみが刻まれているように思う。


 その女性はなんとなく私に視線を落とした瞬間、幽霊に出会ったみたいな真っ青な顔で固まった。数秒間見つめ合い、その女性が一之瀬さんであることに気づいた。事故の後、知らないうちにお手伝いさんを辞めいていた真冬の母親代わりのような人。真冬とは久しぶりに会うはずだ。この人もまた、私に真冬を期待するのだろうか。


 一之瀬さんは血の気の失せた唇をわななかせ、なにか言おうとしているようだけど、口をパクパクさせるだけで言葉にならない。尋常な様子ではないが、やっと絞り出すように言葉を発した。


「真冬ちゃん……なの?」


 なんだろう?この反応。服装の趣味とか多少雰囲気の変化はあるけれど、私の容姿は一年前とそれほど変わらないはず。たった一年で、毎日顔を合わせていた人がわからなくなるほどじゃない。なんでこんなことを聞くのだろう? いぶかしく思いながらも、首を縦に振る。


「そんな、そんなはず……、真冬ちゃんはあのとき――」

「――あぶない!」


 なぜかさらに一之瀬さんの顔色が悪くなり、今にも倒れそうに身体が傾いだので、声を上げる。そうすると、一之瀬さんはハッとしたように顔をあげ「えぇ、えぇ、大丈夫。大丈夫よ」と繰り返した。


 あまり大丈夫そうに見えないので、慎重に身体を支えてお墓の前の石段に腰掛けさせる。私が触れると、一之瀬さんはかすかに身震いした。

 しばらくすると、一之瀬さんは少し落ち着いたようで、私の顔をじっと見つめてきた。凝視していると言っていい。


「あなたは……真冬ちゃんなの?」

「ええ、そうです」


 私が丁寧な口調で答えた瞬間、一之瀬さんの顔色がまたしても変わり、私から身を引いた。まるで化け物から逃げるように。明らかな緊張と怒りと敵意、そして怯えに顔が強張っている。なんだろう。私はなにか取り返しのつかない失敗をしてしまったらしい。怖い。一之瀬さんは地を這うような低い声を出した。


「あなた、誰? 真冬ちゃんは私に敬語を使わない」


 私は驚いて、返す言葉もない。私も「自分は真冬じゃない」とずっと感じてきた。でも、こんなふうに真っ向から糾弾されたことなどなかった。なんと返答したらいいのかわからなくて、うろたえる。それが一之瀬さんには図星を差された人間のように見えたのだろう。ますます眦が吊り上る。


「そこでなにをしている!」

「痛いっ」


 突然お父さんが現れ、叱責するような声を飛ばしたかと思うと私の腕を強い力で掴み、無理やり立たせて一之瀬さんから引き離した。お父さんは私を庇うように私と一之瀬さんの間に割り込み、一之瀬さんを警戒するように鋭く睨みつける。


「旦那さま! この人は誰なんです? あの子に……真冬ちゃんになにをしたんです?」

「失礼だぞ、この子は真冬だ。変なことを言うな」

「嘘です。真冬ちゃんをどこへやったのですか? あの日、連れて行ったっきりお葬式もあげないで」

「葬式など必要ない。真冬はここにいる」


 二人は激しい口調でやりあった。私は会話の流れについていけない。わけがわからないけれど、とにかくこの会話を理解したくないと強く思った。この先は聞いてはいけない。私は知ってはいけない。知りたくない。嫌だ。

 しかし無情にも一之瀬さんの口から決定的なセリフが放たれてしまう。


「あの子がいなくなってもまだ、あなたは自分の娘から逃げるのですか! 私はこの目でしっかり見ました。冷たいアスファルトの上に横たわるあの子を……息をしていなかった。あの日、同性の恋人を否定する旦那さまとけんかして真冬ちゃんは家を飛び出した。私はあの子の後を追いかけて、私の目の前で事故は起きた。

 かわいそうに、顔は綺麗だったけど、身体は暴走車に轢かれて一瞬でぐちゃぐちゃになって。あの事故のあと、旦那様が救急車よりも早く来て、真冬ちゃんをどこかへやってしまったけれど、それでもあの状態から生き返るはずがない。真冬ちゃんは死んだんです」

「行くぞ、真冬。頭のおかしい人間の相手をする必要はない」


 らちが明かないと思ったのか、お父さんが掴んだままの私の腕を引いて強引にその場から去ろうとする。一之瀬さんの声が背後から追いかけてくる。


「あたまがおかしいのは旦那さまの方です。そんな得体のしれない偽者を身代わりにして!」


 振り返ると、一之瀬さんの目はうっすらと張った涙の膜で爛々と光り、顔は般若のようで異様な雰囲気だった。一之瀬さんの一言一言が鋭く耳に突き刺さる。私は呆然として、身体に力が入らずお父さんのなすがまま引きずられていく。足もとがぐらついて、もつれそうだ。腕が痛い。今はそんなことくらいしか考えることができない。

 吐き気がして、しょうがない。悪夢なら一刻も早く醒めてほしい。


 お人形のように駐車場まで連れて行かれ、お父さんが私を車の後部座席に押し込めて自分は運転席に座ろうと私の腕を放したとき、脳裏に一之瀬さんが激しくお父さんを責める声が蘇った。『そんな得体のしれない偽者を身代わりにして!』――『偽者』とはくしくも私が感じてきた違和感そのものを表す言葉だった。


 一之瀬さんをなるべくしゃべらせまいとするあの態度、晴海との不審なやりとり、事故直後の真冬をどこかへ連れ去ったらしいことが脳裏で結びつき、私のなかに確信めいた思いが浮かぶ。お父さんは何かを知っている。――お父さんは、信用できない。


 お父さんが運転席のドアを開けた瞬間、私は車から外に飛び出した。


「待ちなさい、真冬! 待てっ」


 お父さんの怒鳴り声が聞こえる。しかし私は返事をしないで必死に走った。お父さんの追いかけてくる声も足音もすぐに後ろに遠ざかっていくけれど、決して振り返らず、足をとめない。なぜかずっと走り続けても息がちっとも苦しくならなくて、いつまでも逃げることができた。


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