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晴海の治療

 翌朝、私はとうとうベッドから起き上がれなくなった。熱がある感じでもないのに、身体に力を籠めようとしてもなんだか歯車がかみ合っていないようなちぐはぐな感覚がして、気力を総動員しても上半身を起こすのが限界だ。


「真冬、どうした?」


 朝食に現れない私を探して、お父さんが部屋にやってきた。ベッドから動かない私の様子に不思議そうにしながら近づいてくる。今までなんとか体調不良をごまかしていたけれど、これはもうごまかせない。


「最近、身体がなんだか変な調子で……」

「どういうことだ?」

「いつもだるくて……。それに食欲も出なくて。風邪、かな?」


 実のところ、ただの風邪にしては一連の症状は変だと思う。でも、お父さんにはあまり深く突っ込まれたくなくて、「風邪」と言ってごまかす。

 お父さんは怪訝そうな顔をした。なにか不可解な現象を目の当たりにしたように。


「風邪……? おかしい、そんなはずはない」

「私だって、風邪くらい引くことあるよ。冬なんか毎年のように寝込んで一之瀬さんに看病してもらっていたじゃない」

「いや、おまえが風邪をひくはずがない」


 お父さんは断言する。どうしてそんなことを言えるの? 風邪を引く可能性がゼロの人間なんて、この世のどこにもいないのに。

 でも、ほんとうにお父さんは私の風邪が怪奇現象か何かのように、眉間にしわを寄せて思案気にする。


「晴海先生のところにちゃんと通っているか?」

「ええ、まぁ」


 唐突な問いに思わず口ごもり、すいっと視線をそらす。嘘だ。ほんとは年明けに一回行ったきり、ケンカして以来、晴海とは顔を合わせていない。


「まさか、行っていないのか! なぜだっ、今すぐ行くぞ」


 お父さんはそんな私の不審な様子をすぐ見破り怒鳴る。成人男性の大声に身がすくむ。


「いやだ。行きたくない。会いたくないの」

「わがままを言うな!」


 晴海に「もう来ない」と啖呵を切った手前、お父さんに抵抗するも一喝され、言い返せない。

 結局力の入らない身ではお父さんには逆らえず、強引に晴海の研究室へ連れてこられてしまった。


 久々に会った晴海は憎たらしいほど機嫌の良さそうなニヤニヤ笑いを浮かべて、芝居がかったしぐさで両手を広げて私たちを歓迎した。


「やぁ、来たね。待っていたよ」

「おい、どういうことだ。俺は何も聞いていないぞ」


 そんな晴海にお父さんが怖い顔で詰め寄る。晴海のうさんくさい笑顔は変わらない。「聞いていない」ってなにを? お父さんと晴海は私の知らないところで私の情報を密にやりとりしていたのだろうか。


「主治医のボクには守秘義務があるから」

「今さら痴れたことを。スポンサーは誰だと――」

「――それをここで言っていいのかい?」


 晴海がお父さんの言葉を遮ると、お父さんはハッとしたように口をつぐみ私を見て苦々しい顔をした。私に聞かれてはまずいことのようだ。「スポンサー」という言い方が妙に心に刺さる。

 お父さんはさっきからなにか変だ。冷静じゃない。晴海を睨みつけ、なにか言いたそうだけど必死に我慢しているようで、奥歯をぐっと噛みしめているのがハタから見ていてもわかる。晴海が挑発的な言動をしているせいもあるかもしれないけれど、それこそいまさらだろう。


「お前の顔を見ているとイライラする。少し気分を落ち着けてくる。くれぐれもきちんと診てくれ。とにかく、今後このようなことはないように」

「あぁ。僕もそれはいいアイデアだと思うよ。今後については善処するかな」


 お父さんは晴海をもういちどギッと睨みつけると、そのまま足音も荒く診療室の外へ出て行った。


 お父さんから解放された晴海は私にふり返る。その顔は存外真面目で、さっきのふざけた笑みなどかけらもなかった。


「さて、これで二人きりになった。こうなることはわかってたよ。思ったより遅かったね。で、どこがどう悪いの? 参考までに聞かせてくれる?」

「私からお話することはなにもないです」

「まあ、そう意地を張らずに」

「……」


 ただでさえだるいのに、晴海の相手なんてしたくない。


「キミが答えないなら僕が当てて見せよう――」


 そう言って晴海はつらつらと予測を述べた。まるで見て来たかのようにぴたりと私の症状に当たっている。一目でみただけで、問診もせずわかるものなのだろうか。名医というより、予言者みたいだ。


「まあ、僕はキミの主治医だしね」


 晴海が得意そうにウィンクしてくる。別にかわいくない。疲れるだけだ。


「それで、お父さんには内緒の話だけどさ。キミは答えにたどり着いた?」


 例の「秘密」のことだろう。私は晴海のふざけた「ヒント」を思い出す。


 ――キミは魂がどこに宿ると思う?


 この言葉の意味を、もちろん考えてみた。何度も何度も。でも、それが私の違和感――高校を卒業する春までの「真冬」との断絶感とどう関係しているのか、さっぱりわからない。

 晴海はふざけた奴だけど、まったく意味のないことは言わない気がする。だから余計に混乱した。勘だけど、晴海は科学を信奉していそうだし、魂なんてオカルトな話はイメージに合わない。

 なにか意味のあるはず。でもそれが私にはわからない。それで余計に焦りとイライラが募った。


 私が小さく「いいえ」と答えると、晴海はちょっと眉根をさげて、残念そうにした。


「そうか……。僕としてはキミを応援しているんだけど、まだ時間がかかるみたいだね。でもそろそろヒントは出揃ってきたと思うよ。

 僕が思うに、あとキミに必要なのは、真実に向き合う勇気だけだ。キミは答えの糸口を掴みかけている。でも、無意識に直視するのを避けている。そうすることで、心を守っているんだ」

「まだ、答えは教えてくれないんですか」

「ごめんね」


 意外な返事に晴海を見上げると、銀色フレームの眼鏡に光が反射して、表情が読めなかった。でも声の調子は心から申し訳なさそうで、情けなくて弱々しかった。晴海は私に決して答えを教えない。それでいて私を心配しているようなことをたびたび言うものだから、本当によくわからない。

 世界を大雑把に敵、味方、無関心の三つに分けたとき、晴海はどこに入るのだろう。無関心ではないと思うけど、敵なのか味方なのか、そのどれでもない愉快犯なのか、想像もつかない。こういう相手は信用していいのかわからなくて、困る。



 黙って考えていると沈黙が続き、ちょっとしんみりした空気になってしまった。

 それを晴海がパンッと手を叩いて明るい声を出して切り替える。


「まあ、いいや。パパに内緒の話はこれで終わり。さあ、いつもみたいに診察台に横になってリラックスしてくれたまえ」

「風邪の診察にアレは関係ないじゃないですか」


 晴海の「いつもみたいに」という言葉に、悪い予感がして予防線を張った。アレとは例の脳波測定だ。晴海の反応を見るに、それで間違いない。

 アレの間、私は意識をなくし、その間過去の真冬の記憶に溺れる。自分が自分で無くなるような不安定な気持ちになる施術。必要性もいまいち分からないし、私はもう絶対に受けないと心に誓っている。アレだけはもう嫌だ。私は私になりたい。


「キミは医者でもないのになんでわかるのさ」

「自分のことですから」

「頑固だね」


 やれやれとため息をつく晴海。まるで私が駄々っ子みたいに。


「まいったな。実際、キミにはアレが必要なんだよ。今の不調も実を言うと僕の診察をさぼったせいでさ。まあちょっとくらいは大丈夫だし、キミにも時間が必要だと思ったからこの前はああ言ったんだけど、キミって意外に強情者というか」

「何を言われようと嫌なものは嫌なんです」

「そう言わずに」


 宥められても私は従わない。呆れたような困ったような目線をくれる奴に対して、私はだるい身体をベッドに投げ出したいのを必死にこらえて睨み返す。研究室のなかは一種のこう着状態に陥った。

 と、そこにお父さんが戻ってきた。晴海を睨んで動かない私を見て、お父さんは晴海に問いかけるような視線を送る。晴海は小さく首を振ってため息をついた。どうやらそれだけでお父さんには晴海の言いたいことが伝わったようだ。


「真冬、先生の言うとおりにしなさい」


 ――なおも私は抵抗しようとしたけど、お父さんの目を見て、思い直した。大人しく診察台に横たわる。反発心がなかったわけじゃない。今も本当は受けたくない。でも、言い方は高圧的だったけれど、こちらにまっすぐに向き直ったお父さんの目には、不安、迷い、心配、葛藤……そんな色が浮かんでいるのに気づいてしまったから。


 そんな目を見たら、私はこれ以上、わがままを言えない。

 子どもは親に、そんな目をさせちゃいけない。


 納得できないながらも私は目を閉じた。いつものように、過去の亡霊の夢に溺れる。


 再び目を開いたとき、それまでの不調が嘘のように身体が滑らかに動いた。ボタンの掛け違いが治ったみたいに。パズルのピースがぴったりはまったみたいに。変な言い方だけど、離れていた自分の身体とぐっと距離が縮まったみたいな感覚。


 不気味だ。普通の病気でこんなふうに治る、なんてありえない。つまり、私は、私の身体は、普通じゃないんだ。


 私が起きたとき、お父さんはほっとしたように肩の力を抜いて、晴海はかすかに深刻そうに眉間にしわを寄せていた。

 それが対照的で、たまらなく不安だった。


評価・ブックマークありがとうございます。励みです。

次回更新は日曜です。

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