海の肖像
6/25 10時
前話「新しい関係2」について
大筋に変更はありませんが、後半に台詞等をだいぶ追加しました。
読んだときの印象が変わったかもしれません。
塩っ辛いべたつく風が髪を巻き上げ、皮膚にぴしぴしと砂が刺さる。でも心は軽く、いまにも走り出したいくらいだ。
二月の後半、後期のテストもひと段落して、時間的余裕ができた私と奈津子は江の島に来ていた。
春までに私は写真部になにかひとつ作品を提出することになっていた。せっかくの機会だからと渉くんから譲ってもらったばかりの大きな一眼レフを首に下げている。
春のはじめの江の島の海には、まだ水も凍るように冷たいというのにヨットが数隻浮かんでいて、寄せては返す波の上をゆらゆらと揺れていた。
江の島というのは海の上に浮かぶ小さな島で、向かいの浜から江の島大橋でつながっていて徒歩で行ける。江の島観光にはいくつかのコースがあるが、私たちは複数の神社がつどい、さまざまな土産物屋やお茶屋のある情緒あふれる参道のあるエリアを散策した。色鮮やかな幟がそこかしこに立っていて、目に楽しい。
二月の風はコートのなかに容赦なく吹き込んでくるけれど、観光客と思しき年配の集団なんかもニコニコと元気よく歩いている。
しかし、江の島で一番多いのは若い男女の二人組だ。みな、身体をぴったりと寄せて、微笑みあい、手をつなぎ、あるいは腕を組んで歩いている。面白いことに、恋人というものはみんななにかしら服装の系統というか、雰囲気というか、そういうものが近づいてくるみたいで、すれ違う二人組はみんなきょうだいのように似通っている。
これはもしかして、もしかしなくても、とてもベタなデートスポットかもしれない。
江の島に行こうと言ったのは奈津子で、深く考えずにうんと言ったのは私だ。
しかし、これはその、なんというか、照れてしまう。
前にもこういうことがあった気がする。
思わずはにかんでうつむくと、奈津子が周囲に見せつけるようにわざと私の腕をぴたっと抱き寄せて、ますます頬が熱くなる。それがなんだかとてもくやしくて、私はもう片方の手で持っていた江の島名物タコせんべいを強引に奈津子の口につっこんでやった。小ぶりのタコをまるごと鉄板でぎゅっと挟んで焼いたタコせんべいは、小さな吸盤がそのまま模様として残っていて、うすしお味がほどよくパリッとしている。
あれから奈津子と私は、一つの約束をした。
それは「お互いにお互いを受け入れる」というものだった。
奈津子は以前と変わってしまった現在の私を否定せず、私は「真冬」のことが忘れられない奈津子を否定しない、というのが最低限のルールだ。
そして、それがなかなか難しい。
あいかわらず、私は奈津子の前では自分の奇妙な変化に負い目を感じるのをなくせず、ときどき「真冬」になろうとして失敗しそんな自分にあきれ返るということを繰り返しているし、奈津子はふとした瞬間に苦いものを噛んだみたいな顔になるときがあって、そういうときは私に「真冬」を無意識のうちに求めてしまった自分に罪悪感を持っているらしかった。
しかし、重要なことは、二人ともそういう葛藤を持っている、ということをちゃんとわかっているということだ。
もう葛藤がないふりをしない。問題がないふりをしない。
そういった了解があるだけで、ほっと肩の力が抜け、奇跡のように息がしやすくなった。
奈津子の表情もやわらかくなり、それまでいかに無理をしていたのかがわかる。
必ずしも、理想通りでなくていい。
それが、私たちの新しい関係だ。
江の島で気になったものがあると、私はパシャパシャと気軽にシャッターを切った。とりあえずたくさん撮って、あとで作品として提出するよい写真をピックアップする作戦だ。展望台から波間に浮かぶヨットを狙ったり、参道の土産物屋の軒先のこまごました民芸品を彩度高めで撮ったり。
そうしていると奈津子が「写真、見せて」と頼んできた。少し気恥ずかしいけれど、作品として発表するならどうせ人の目に触れる。カメラの液晶モニターにこれまでのログを表示して渡すと、奈津子は興味深そうに覗き込む。
奈津子は今日江の島で撮ったものだけじゃなくて、渉くんに譲られたその日から私が撮りためたすべての写真を見るつもりのようだ。パッパッと私の琴線にふれた瞬間が早送りのように切り替わって、奈津子の瞳に数秒ずつ反射し映りこんでいく。
すべて見終って、奈津子はひとこと感想を漏らした。
「人は、撮らないんだね」
「えっ、そうかな?」
「そうだよ。ほら、みてごらん。真冬の写真はモノや風景ばかりだ」
奈津子からカメラを返してもらって自分でも見直してみると、確かに人がメインに映りこんだ写真は一枚もなかった。意識してのことではなかったので驚く。人のいない画像群は人の不在を強調しているようで、静かで、さびしい。
「どうして人を撮らないの?」
どうして、と問われて、私は困ってしまう。だって今はじめて気づいたことなのだ。無意識のことで、いきなり理由を聞かれても答えられない。
「意識してのことじゃなかったから、わからない。でも、サークルのカメラを借りて練習で何度か撮ったことがあるけど、人を撮るのは、ちょっとこわい気がする」
「こわい?」
「うん。人を撮るとき、ファインダー越しに私の存在を問われているような気がする。うまくいえないけど、写真を撮るとき、そこに被写体の人物の内面を撮り手が引き出さなきゃいい写真にならないと思うのだけど、逆に相手よりも撮影者の私が強く引き出されるみたいな感覚があるの」
「真冬は自分を表現するのが嫌なの?」
不思議そうな瞳で見つめられて、私はぐっと詰まった。自分を表現するのが嫌なら写真を撮る意味がない、と言われた気がした。自分の気持ちを振り返って、嫌、というのは少し違うと思う。けれど、やはり今の私を出して人に対峙するのは、勇気がいるのだ。人を撮るときは、モノを撮るときよりずっと、被写体をまなざす私の人間性がはっきり写ってしまうのだ。
思いがけない問いに動揺して答えを返せないでいると、奈津子がふいに口を開いた。
「――もし真冬が嫌じゃなかったら、私を撮ってほしい」
意外な願い事に私は目をぱちくりさせる。
私を見つめる奈津子は真剣で、それは恋人の甘いおねだりとは意味合いが違うように思えた。
「どうしてって聞いてもいい?」
「私は今の真冬に向き合いたい。写真を撮る過程で、真冬に私の内面を引き出してほしいし、逆に今の真冬を引き出したいの。私たちにはなにか、共通の目的を介した方がもっとよく知り合えると思う。写真のほかにいい方法があるならそれでもいい。でも、前に約束したように新しく始めるなら、今までやったことのない新しいことをしたいって考えたの。それは私だけじゃだめで、二人でやる必要があると思う」
そうか、奈津子はちゃんと今の私を見ようとしてくれていたんだ。口だけじゃなくて、行動で。すべて飲み込んで我慢し自分のなかだけで結論を出す、まるで保護者のような態度はやめて、私を対等な立場とみとめて同じ目線に立ち始めた。一緒にやろうって誘ってくれる。それはどんなにありがたいことだろう。
その日の夕方、私は自分のカメラで初めて、人を撮った。しっかり脇を締めてぶれないようにカメラを構える。
宵の口、不気味なほどきれいなヴァイオレット色の空を背景に、風に髪をなびかせ黒いシルエットになったその人は、まっすぐに、ただまっすぐに私を見つめていた。




