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新しい関係2

 奈津子を見かけた日の夜、沙月さんから電話があった。昼間私の元気がなかったから心配してかけてくれたらしい。

 私は沙月さんに事故のことなど詳しいことは伏せて、簡単に奈津子のことを打ち明けた。恋人がいたけれど、すれ違って別れたこと。今日久々に顔を見たのだけど、目が合うとすぐにいなくなってしまったこと。渉くん曰く「すごい目」で渉くんを見ていたらしいこと。


『それは嫉妬なんじゃないの?』

『えっ』

『でも、別れた恋人が異性と二人でいるのに居合わせて“すごい目”で見るって、そういう理由しか思いつかないよ』


 それはない、と思う。だって、奈津子が好きなのは「真冬」で、そうじゃない私のことは興味がないはずだ。そのせいで、私たちは別れたはずだ。

 でも、そんな複雑で微妙な事情を電話で沙月さんに説明する気になれなくて、私は反論できずに口のなかでもごもごするので精いっぱいだった。

 もし、嫉妬だったなら、つまりほんの少しでも奈津子の心が「真冬ではない私」に向いているなら、うれしい。




 ◇◇◇




「あのね、真冬にどうしても聞いてもらいたい話があるの」


 今、私の目の前には、真冬の恋人だった人がいる。大手喫茶店チェーンの安っぽく狭い二人掛けの丸テーブルに私たちは向かい合わせに座っている。

 私を見つめる奈津子の目は、不思議に力強い。

 私は奈津子の口から何が飛び出るのだろうと身構えて、自分の膝のあたりの服をぎゅっと握った。


 どうしてこんなことになったのか。それは少し時をさかのぼる。

 思いがけず奈津子を見かけたあくる日、夕方六時にバイトから上がると、奈津子に捕まった。

 捕まった、という言い方は誤解を招くかもしれないけれど、バイトが終わって制服のエプロンはずして、さあ帰ろうとしたら店の出入り口のすぐそばに奈津子がいた。奈津子は「ちょっと時間いい?」と言ってすぐ、驚きに固まる私が頷くか頷かないかのうちに手を引いて、風のように近くの喫茶店へとさらったのだった。



 奈津子は一つ息を吸うと、ぽつぽつ話し始めた。


「クリスマスの日にさ、真冬は『自分は求められている真冬じゃない』っていう話をしてくれたでしょ」

「うん」

「私ね、その話にちゃんと返事をしていなかった。だから、今日私は、あなたが『真冬じゃない』ことについて、どう思っているのかを伝えたくて来たの」


 話の続きを聞きたいような、聞きたくないような、どちらともつかない焦りのようなものが背筋を這い上がる。もし、あらためて現在の私を拒否されるなら、今すぐ耳をふさいで逃げ出したい。だけど、奈津子の切実な声の調子が、それを許さなかった。



「あの話を聞いたとき、私は正直『なんてひどいことを言うのだろう』と思った。私の努力はなんだったのだろうと思って腹が立った。私は真冬とずっと一緒に居たかったのに、そのためにずっと必死だったのに、あの一言ですべて台無しにされた気がした。私は、あなたに拒絶された気がしたの。すごくさみしかった。裏切られたような気がした」

「拒絶なんて――」

「――うん。いいの。今はわかっているから。

 続けるね。時間が経って、私は大学で真冬が知らない人たちと楽しそうに笑っているのをみかけるようになった。真冬のバイト先の本屋、実は私も常連でね、真冬が働き始めたときはすぐわかったよ。気まずくて気づかれないようにしていたけどね」


 奈津子は苦い笑みを浮かべた。よく見ると、その手は何かに耐えるように強く握りこまれていて、白くなっている。でも、その瞳にはあいかわらず冬の湖のような静けさと強さがあった。


「昨日もさ、男の子と一緒にいたでしょ。真冬は事故の後、私には見せてくれなかったような屈託のない笑みを浮かべていた。それを見たとき、喉のあたりがカッと熱くなって、真冬を盗られたような気がしたの。なんでって思った。隣にいるのは私のはずなのにって」

「それは――」


 ――嫉妬?と訊こうとして、やめた。意味のある質問とは思えない。沙月さんの言った通りなのかな。でも、奈津子が好きなのは、奈津子が求めているのは本当に「私」なのかな。


「傲慢もいいところだよね。私はやっぱり真冬の一番近くに居たいよ」

「それはさ、『私』でいいの? 私はさ、もう、前とは違うんだよ」


 問い返す。奈津子には私の言いたいことがわかるはずだ。だってそれが原因で私たちは別れたのだから。

 クリスマスの日のときと同じく奈津子はちょっと唇を噛んだ。図星をさされたように。


「正直、私は今も心のどこかで、前の真冬を求めている。自分ではどうしようもできないところで、あのころに戻りたいって思ってしまう。だって、あのころはすべてのピースがかみ合っていて、真冬がよく笑っていて、人生で初めてってくらい満たされていて、楽しかったから」


 ああ、こんな答えなら聞きたくなかった。奈津子はわざわざ私にとどめを刺しに来たのかな。耳をふさぎたい。ベッドに行って毛布をかぶりたい。うつむく。奈津子の方を向いて話を聞きつづけることができない。

 真冬がうらやましい。真冬になりたい。いますぐに。なれたらどんなにいいか。私が変にならなかったら、すべて丸く収まっていたのに。


「でも」と奈津子が続けようとする。


「やめて。もうこれ以上は」


 たまらず、とめる。しかし、奈津子は強引に私の頬を両手で挟み、顔をあげさせた。目が合う。鼻と鼻がくっつきそうなほど近くにいる奈津子は苦しそうな、申し訳なさそうな顔をしていた。なんで奈津子がこんな顔をしているのだろう。悪いのは変になった私で、勝手に傷ついているのも私だ。こうなることがいやだったら、せめて真冬のふりくらいは完璧にしておけばよかったのに。へたに我を通したから。


「でも、私は、いまここにいるあなたの傍にもいたいんだよ。そんなふうに泣いてほしくない。ごめん。ごめんね。私のせいで。苦しかったよね。さみしかったよね」


 奈津子は泣いていた。朝露のようなきれいなしずくがぽろぽろと、頬をつぎつぎに転げ落ちていく。この人は懺悔をしに来たのだと、やっとわかった。


「あの日、真冬が言っていたことを考えて、考えて、やっぱり『関係ない』って思ったの。人は変わる。どんな人も。

 真冬が変わったなら、私も変わればいい。『続き』じゃなくて、忘れたなら新しく作ればいい。やり直しじゃなくて、新しくスタートさせればいいんだ。まっさらなところから始めたあの子たちみたいに。

 そんな当たり前のことに、私はやっと気づいたんだよ」


 胸が詰まって「うん」と返事をしたけれど、鼻声だった。奈津子はかすかにほほ笑みを浮かべた。


「あれから色々考えた。私は新しい真冬を知ろうとしていなかった。変化を否定していたの。あのとき、真冬は謝ったけれど、本来なら謝らなきゃいけないのは私の方。

 真冬に……あなたに演技を強要して『偽者』にしていたのは私。本当にごめんなさい」


「あやまることないの。私、今の自分に自信がなくて、前みたい戻りたいって自分でもずっとずっと思っていたの。ううん、奈津子には意地張って、ああ言って別れたけど、今もそういう気持ちになることが、たくさんあるの。でも、それじゃダメだってこともわかっていて、でもどうしようもなくて。

 だって、私は『真冬』なのに、なんで?どうして?どうして前と同じじゃないの?って、奈津子やお父さんが私に思っていたのと同じくらい私も同じことを考えていたの。だからいちばんに私を否定していたのは、他でもない私なの」


「でも、真冬は自分と向き合おうとしている。私も今の真冬を知りたいの。ここにいるあなたのことを」


 どちらが先に腕をのばしたのか。気がついたら抱きしめあっていた。首筋に奈津子の息遣いが聞こえる。ぎゅっとしがみつく。やわらかくて、あたたかい奈津子の体温。


 なんか、すごい。身体の芯の方からじわっとあたたかいものが広がって、とても心地がいい。一番認めてもらいたかった人に、私という存在を初めてちゃんと肯定されたような気がした。



 照れくさくて「まずはお互い知るところからだね」と冗談めかして言う。声がへにゃっとしてしまったけど気にしない。


 奈津子は「そうだね。『まずはお友達からお願いします』」とまじめくさって返す。それが中学生の交際スタートの決まり文句みたいでおかしくて、うふふと笑いがあふれた。奈津子もつられて笑う。それがくすぐったくてしょうがない。


 私の心は新鮮なヘリウム入りの風船のように幸福でふくらみ、ふわふわと舞いあがった。


6/25 10時

大筋に変更はありませんが、

後半に台詞等をだいぶ追加しました。

読んだときの印象が変わったかもしれません。

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