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魂のありか

「はあ……」


 新年一回目となる憂鬱なイベントを控え、思わずため息をついて、眉間を揉む。

 1月も半ばを過ぎ、私はいつものように築100年以上は経ってそうな煉瓦造りの建物の薄暗い廊下を歩いていた。

 晴海の研究室は、現在私がいる建物の一番奥まったところにある。

 いつ来てもここはお化け屋敷みたいだ。

 だいたい、ここには人の気配がない。晴海以外の人間をここで見かけたことがない。


 主なのか、晴海はこの建物の主なのだろうか。


 突き当たりの研究室に着き、ノックする。返事がない。

 時間を間違えたのかと思って、腕時計を確認したけれど、時計の針は約束の時間ぴったりを指していた(私は晴海と一緒にいる時間をできる限り節約したいので、晴海の診療だけはいつも時間ぴったりになるように心がけている。5分前に来て、5分間診療時間が増えたら最悪だ)

 待っていても仕方ないし、受け付けもなにもないので、ドアを一気に開く。


「いない……」


 晴海の研究室は無人だった。いつも晴海が腰かけている黒い回転椅子の上は空っぽだ。

 パーテーションで区切られた奥にいるのかもしれないと、その後ろを覗く。

 そこはいつか垣間見たときと同じように、資料と本の歪なタワーが絶妙なバランスで林立し、用途不明のがらくたがごちゃごちゃと詰めこまれていた。


 好奇心に押されて、そっとわけ入って見学する。

 金属骨格と配線でできた不気味な人体模型(?)、死体から切り取ってきたのかと思うような人間の腕。……腕? まさか……。

 顔からサッと血の気が落ちる。一歩一歩、ゆっくり後退り、足音を立てないようにこの場を出ようとする。


 見てはいけないものを見ちゃった。なんでこんなところに腕があるの、もう。あいつ……やっぱりサイコパスだ。ここは妖怪の巣だ。こんなところに通うなんて、なんて私は間抜けなんだ。飛んで火に入るなんとやらだ。


「義手だよ?」

「ひぇっ」


 突然、ぬっと背後から現れた晴海に私は情けない声をあげた。

 晴海はおもむろに置いてあった「腕」を取り上げ、「ハロー、僕、義手。リアルさが売り」と左右にふりふりした。


「この義手は、体温まで再現する本物同様の質感と、違和感のない滑らかな動きが評判でね。値段は腕だけで高級外車と同じくらいかなぁ」

「驚かせないでください。なんでそんなものがここに……」


 動揺してしまった恥ずかしさで、私の声は尖ってしまう。


「言ってなかったっけ? こういうのも僕の専門領域。ちょっと動かしてみようか」


 晴海はへらへらしながら、手際よく義手の断面に神経のようなコードを装着し、私の脳波を診るときみたいな箱型の機械を経由して、自分のデスクトップパソコンに繋いだ。

 そこでいくつかのコードを入力すると、義手はひとりでに手を握ったり開いたり、腕を曲げたりのばしたり、果てはぐーちょきぱーなど、さまざまな動きを見せた。こころなしか、さっきよりも血色がよくなって生き生きして見える。なまじ、出来がいいだけに気色悪い。


「まるで生きているみたい」

「生きてないさ、こいつには中身がない」

「中身?」

「どこまでいっても、魂がなきゃ作り物ってことさ。キミは気にしなくていい」

「腕に魂?」

「そう。今こいつを動かしてるのはただのプログラムだ。そんなのは何の意味もない。ただの機械のごっこ遊びさ。こいつは人間に繋がってはじめて意味がある。魂を持った人が動かしてはじめて、こいつは『生きてる』と言える」


 晴海の言いたいことが掴めそうで掴めない。義手はただの義手じゃないのだろうか。義手が使われてはじめて意味を得るなんて当たり前の話だ。でも、今の晴海は存外まじめな様子だったので、なんだか揚げ足取りが不謹慎に思われて、口をつぐむ。


「そ・れ・よ・り・も! キミ、ちょっと変わった?」


 義手の動きを止めると、晴海は急にこちらへくるっと振り返り、いつものチェシャ猫のようなにんまり笑顔を浮かべた。


「髪の毛なら切ってませんよ?」


 半歩、晴海から遠ざかって、両手で自分を守るように抱きしめる。


「そういうことじゃなくてなぁ。んー、僕の勘だけど、最近心境の変化があったんじゃないか? たとえば、部屋を片付けたりとか」


 ドンピシャだ。なんでわかるんだ、こいつエスパーか。

 警戒してさらに半歩下がると、晴海もずいっと前に出てくる。なんか前にもこういうことがあった気がする。


「勘と言ったけど、ちゃんと根拠もある。まず一つ、顔つきが変わった。前は人の顔色を伺うようなところがあったけど今はない」

「他には?」

「それからもう一つ。これはわかりやすいな。服装の系統が全然違う。今までのふりふりはどうしたんだい? 真冬らしくない(・・・・・・・)じゃないか」


 言葉に詰まる。私は晴海のこういうところが嫌いだ。人を見透かすようなこの態度。しかも当たっているからタチが悪い。なんだかとても悔しくて、ふいっとそっぽを向く。


「図星かい? とても良い変化だよ。僕はキミの変化を歓迎する。実のところ、僕はキミが過去に見切りをつけるのを、いまかいまかとずっと待っていたんだ」

「まだ、そこまでは……割り切れません」

「まぁ、いきなりは難しいさ。……さあ、そんなところに立ってないでかけなよ」



 そして、いつものように眠らされて、夢を見て、脳波を測られる。


 私はこれがとても苦手だ。

 このときばかりは真冬を生々しく感じて、私という存在がゆらぐ気がする。私はこんなにも真冬の記憶を抱えているのに、決して真冬になれない。そのことがわかって、吐きそうなほど気持ち悪い。過去に強引に引き戻されて、心のなかをぐちゃぐちゃにかき回されるみたいだ。こんなのはもう嫌だ。私は私になるって決めたのに。泣きそうになる。

 瞬間、私のなかの忍耐の緒のようなものがぶちっと切れて、私は天啓を得た。別名、開き直りともいう。


 そうだ。私は真冬のものまねをやめるって決めたんだ。だから、もうこんな夢を見る必要なんてない。


 薬が処方されるわけじゃない。この診察で、ただ私は晴海に話し相手になってもらっていただけ。それももう、過去にけじめをつけると決めた今となっては、相談すべきことなんてなにもない。そうだ、割り切れなくても、割り切ってしまえ。



「これは……いつまで続くんですか?」

「これって?」 

「診察です。私には意味のあることとは思えない。いつも寝て、変な夢を見て、無駄話して帰るだけじゃないですか。私はもう、過去に振り回されたくないんです」

「さっきは割り切れないって言ったばかりじゃないか」

「割り切りたいから、もう思い出したくないと言っているんです。あなたも『過去に見切りをつけるの待ってた』って……、こんなことを続けていたら、割り切れるものも割り切れません」


 決意を込めて目の前の白衣眼鏡男(マッドサイエンティスト)を睨みつけると、睨みつけられた晴海は眉根を下げてふーむと困ったように顎をさすった。


「ダメだな。キミには定期的な診察が必要だ」

「必要ありません。もう私はなんともありませんから」

「なぜ言い切れるんだい? 少なくとも僕はキミよりもキミのことを知っている。その僕が必要と判断するんだから、必要と決まっている。

 キミはまだ『秘密』を知らないだろう? キミの知らない『秘密』を知っている僕の意見は一考に値するとは思わないかい?」


 人を試すような言い方だ。


「なんなんですか、肝心なことはなにも言わないくせに、いつも、思わせ振りなことばかり。人を小馬鹿にしたようなあなたのそういう態度、我慢ができません。

 こんな無意味なことを続けるくらいなら、『秘密』ももう別に知りたくありません。知ったところで私が以前の『真冬』に戻るわけじゃない。私は今の私を受け入れると決めたんです」


 開き直ったら心が軽くなって、今まで抑圧していた本音がするする出てくる。いけないと思っても、パンパンに張り詰めていた空気が抜けていくようで気持ちがいい。晴海は苦笑して、両手をあげてなだめようとしてくる。


「わかった、わかった。悪かったよ。たしかにキミは頑張ってるし、おそらく割り切った過去に関わる『秘密』など邪魔になるだけで、必要ないんだろう。

 でも、それでも僕はキミに秘密の答えが必要だと思うし、できればキミ自身の力で『秘密』の答えにたどり着いてほしい。それがキミのためだと思うから。そのときは僕の言う意味がわかると思う。この診察の必要性も。すべてを知った上で、キミが要らないと思うなら、それでもいいさ。

 しかし、このままだとフェアじゃないな。ヒントをあげよう。さっき、魂の話をしたね。キミは魂がどこに宿ると思う? 脳かな? それともオーソドックスにハート?」


 鋭い目つきで心臓をまっすぐに指差さされた。私は射抜かれたようになる。


「それとも地球を覆う大気のように全身にまんべんなくある? はたまた魂など存在しないと考えるタイプかな? ――それがヒントだ」


 顔がカッと熱くなるのがわかった。晴海は――どこまでも! どこまでも、私をからかって! こんなわけのわからないヒントなんか出して、私が悩む様子を見るのが楽しいだけなんだ!


「私は、真剣なのに!」


 怒りのスイッチみたいなものが入って止まらない。そもそも、夢のあとはいつも神経がささくれ立って感情的になる。


「もうここには来ません」

「キミはそう言うけど、僕は待ってるよ。いつでもおいで。それからキミが真実に辿り着いて、悩んだら、僕のところに来なさい」

「馬鹿にしてっ」


 バンッと音がするくらい乱暴にドアを閉める直前、晴海の誠実そうなあたたかい声が聞こえて、それによりいっそう腹が立って仕方がなかった。


 わかっている。こんなのは子どもの八つ当たりだ。でも、もう私は「真冬」の記憶を覗くのに耐えられそうにない。


 私は振り返らなかった。

 だから、気づかなかった。

 別れ際、晴海がとても満足そうな表情を浮かべてたことに。

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