大掃除
年が明けて、私は家に届いた郵便物を整理しながら自分に来た年賀状がないことを確認していた。
この年末、私は誰にも年賀状を出さなかった。
高校生までの真冬のふりをして、生きるのをやめようと思ったからだ。以前の知り合いに「真冬」を求められても、私は「真冬」でいることができない。だから、「真冬の知り合い」には年賀状が出せなかった。
そして、悲しいことにここ数か月間で、私には新しく年賀状を出したい知り合いを作ることもできていなかった。
晴海? あんな変態に誰が年賀状なんか出すものか!
晴海に対しての心情は、新年を謹んでお慶び申し上げる気持ちより、今年も不本意ながらよろしくしてしまうことの悔しさがまさる。
一通り確認して、私は首をかしげる。
お父さんにも年賀状が届いていなかったのだ。
正確には数枚なら父宛のものがあったが、それだけじゃ少なすぎる。
元々、付き合いの浅そうな人ではあったけれど、ここまでだっただろうか?
年賀のあいさつは、今年からメール派にしたのかもしれない。
なんにせよ、お父さんに直接聞くのははばかられた。
今、お父さんにはあまり近寄りたくないから。
◇◇◇
年末、私は自分の部屋を大掃除した。
家全体はお手伝いの丹羽さんがきれいに掃除してくれて、あまり大掃除の必要性を感じないけれど、私とお父さんの私室はそうじゃない。
部屋中のものを、いるものと、いらないものに仕分ける。
「真冬」は服をたくさん持っていた。どれもお嬢さま風のかわいいもの。
今まで私は、たとえ趣味じゃなくても「真冬のものだから」という理由で、これらを捨てられずに着ていた。
だけど、そういうのはもうおしまいにすると決めた。だから、これらは遠慮なく「いらないもの」の山に仕分ける。
「いるもの」の山には、最近買った服や、そんなに嫌ではないデザインのものなど、もともとあった服の十分の一程度の量しか残らなかった。「いらないもの」の山には、服だけじゃなく小物類もどんどんつみあげていく。
真冬が名前を付けて部屋中に並べていたぬいぐるみ類は、今では偽者の私を監視するように感じる。いったん片付けようとして、お父さんが変な顔をしたので再び部屋に飾っていたそれら。孤独だった幼少期の真冬のお友達は、捨てるのもなんとなく怖くて、みんなクローゼットの奥に仕舞った。
終わって部屋中を見わたしてみると、ビフォアは全体的にガーリーで甘く少し幼い印象だった部屋が、アフターは白い家具はそのままに(さすがに家具は買い換えられないからね)余計なものが一掃されシンプルですっきりとした印象になった。言い換えると「遊び」の部分がなくなり、シンプルすぎて刑務所のような人間味の感じられない部屋になった。
私はがっくりとうなだれた。私って自分の部屋にも、自分自身の要素がほとんどなかったんだ……。いちばん多くの時間を過ごすところなのに。
真冬からの借り物をなくしたら、私はからっぽの人間なんだ……。
せっかく部屋を片付けて心機一転図ろうとしたのに、現実を見せつけられたようで再び心がどん底まで打ち沈む。脳裏に奈津子の顔がちらつき、慌てて頭をぶんぶんと振る。
今は奈津子のことは考えない! 前を見よう! 「真冬」から引き継いだものに依存しないで、今の自分でできることをしよう。まずは自分を知るところからだ。
大掃除の途中、昔のアルバムを見つけた。生まれてすぐの真冬。大きな神社の境内で、着物を着た女の人の腕に抱かれ、隣にお父さんが立っている。お宮参りのときだろう。それから、よだれで顔中をべちゃべちゃにしながら離乳食を食べる真冬。幼稚園でかけっこをする真冬。庭先のビニールプールで遊ぶ真冬。
真冬の小学校低学年くらいまでのアルバムは、写真が多く、お母さんとお父さんも笑顔で幸せそうだ。
それが、途中からあきらかに写真が減る。そう、お母さんが病気になった頃だ。お母さんの病室での写真。みんな笑顔が堅い。お母さんが亡くなったあとの写真は、お父さんはめったに出てこず、真冬も無表情の写真が増えた。
それが、あるときから一変して真冬に笑顔が戻る。前のお手伝いさんの一之瀬さんが写真に写るようになってからだ。
一之瀬さん、それはお手伝いさんの範囲を超えて真冬の母親代わりになってくれた人だ。優しくて、豪快で、明るい人だった。一之瀬さんが居たから、真冬は明るく育つことができた。
事故前までは小鳥家で働いていたけれど、そういえば今どうしているのだろう? 自分のことに必死で気にしたことがなかった。
そうだ。お父さんに聞いてみよう、と思い立ち、さっそくその日の夕食でそのことを話題に出してみた。
「一之瀬さんか……彼女は一身上の都合で辞めたよ」
「一身上の都合って? ご病気でもされたの?」
「……いや、父さんも詳しく知らないんだ」
答えが返ってくるまでに妙な間が開いた。お父さんは顔をしかめた。嫌なことを思い出したというように。それから、不自然に明るい声を出す。
「突然どうしたんだい? 真冬は一之瀬さんによくしてもらっていたから、さびしくなったのかな?」
「ううん。ただ、今日、部屋の大掃除をしていたらアルバムが出てきて気になっただけ」
「大掃除?」
「うん。いらない服を捨てたり……私、変わろうと思って」
今の台詞を言うのには勇気がいった。これはお父さんに向けた、真冬のものまねをやめて私が私になるという遠回しの宣言だ。
「なぜ服を捨てるんだ? やめなさい。それは真冬の服だろう? おまえは変わらなくていい」
絶句した。それはアドヴァイスではなかった。命令だった。なぜお父さんがそんなことを決めるのだろう? お父さんは、私が決めた私のことをひっくり返す権限が自分にあると微塵も疑っていない。なぜ?
まるでいたずらをした幼い子どもをおやおや、と言ってたしなめるような、親身であり、それでいて有無を言わさない声色だった。
お父さんは、奈津子とは違うんだ。奈津子は、私の言いたいことを理解して、私の決めたことを尊重してくれた。
でも、お父さんは私の話を聞く気がない。私のことをすべてお父さんが決めるのが決めるのがいいことだと思っている。
そして、私に「真冬」以外のあり方を許さない。「真冬」との違いに戸惑っているとか、受け入れられないとか、そういうことじゃなくて、許さない。
背筋に冷たいものが走った。これは無理だ。お父さんに奈津子にしたような話はできない。ものすごく、ものすごく手ごわい。私と「真冬」の違いを認めてもらうのは、何十トンもある岩を重機を使わずに動かすことくらいに難しい。
「……はい」
私はお父さんに何も言えなかった。
その日から私はお父さんをそれとなく避けるようになった。
年越しの瞬間は、それぞれの部屋に引きこもってバラバラに迎えた。
あれからお父さんに特に変わった様子はない。
服は、お父さんの前では「真冬」の服を着て、お父さんがいないときには自分で買った服を着た。
年が明けて、年末年始に休みを取っていたお手伝いの丹羽さんが再び来てくれて、表面上は穏やかに時が進んだ。
けど、それは間違い。私は内心、緊張の連続だ。
事故の後、一緒にいる時間を増えて、お父さんは優しくなったように見えた。だけど、あれは優しさじゃない。「監視」という言葉が思い浮かんで気分が悪くなった。
私は、お父さんが、怖い。




