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イヴのレポート

  あれから数日たって、私は一人、街のファミレスで課題の資料を広げていた。もうドリンクバーだけで二時間は粘っている。

 レポート課題のための本や論文を読もうとするのだけど、目が上滑りしてさっきからなんども同じページを読み返している。参考になる箇所をチェックしようとふせんを準備しているのに、いつまでたっても本はまっさらなままだった。


 私はもう何度目かわからないため息をついて、本を閉じた。

 店内は赤と緑のクリスマスカラーで彩られ、いたるところにクリスマスメニューのチキンのポスターが貼ってある。

 学校帰りだろう女子高生グループの楽しげなおしゃべりや家族ずれの子どものはしゃぐ声が響き渡り、窓の外を見れば腕を組んだ男女が何組も歩いている。


 今日はイヴだ。世間はすっかり浮かれていて、「愛」とか「家族」とかそういうきらきらしいキーワードであふれ、各々もっとも親しい人と過ごしている。今日はそういう日なのだ。

 世間が浮かれるほど、さみしくてよけいに気が滅入った。でも、自業自得だ。


 あのキスを拒絶してしまった日から、私は奈津子に会っていない。その後、すぐに大学は冬休みに入ってしまったし、長期休暇の時期は前々から奈津子のバイトのかき入れ時だとも聞いていた。結局、気まずくてそのまま連絡もとっていない。奈津子からもなんの音沙汰もなかった。


 昨日、お父さんにクリスマスの予定を聞かれて、私は答えに窮した。「予定がない」とは言いづらく、微妙な距離感のお父さんとの二人きりのクリスマスもどういうテンションでいればいいのかわからなくて、なんとなく予定があるふりをして外に出てきて今の一人ぼっち状態に至る。

 実際の私は、予定なんてなんにもなかった。スケジュール帳は真っ白で、レポートの提出期限とかそんなことしか書いていない。大学に知り合い程度の人間はいても奈津子以外に友達と呼べる人はいなく、昔の知り合いには会いたくない。私の生活は大学と家の往復、たまに晴海の診察と、奈津子との予定でほぼすべてだった。バイトはお父さんが「必要ない」と反対したのでしていない。



 チラリ、と私はかたわらに置いた鞄を見た。その中には黒い艶消しの小箱が入っている。中身は赤い革の腕時計だ。それは前々から用意していた奈津子へのクリスマスプレゼントだった。なんの約束もしていないのに、私はあのときまで当然のようにクリスマスは奈津子と過ごすものだと思っていた。そんな自分に気づいたとき、その傲慢さに打ちのめされた。私はなにをうぬぼれていたのだろう。


 いたたまれなくてぎゅっと目をつぶった。脳裏にあのときの光景が浮かび上がってくる。いつもと違う切ない表情をして目の前に迫る奈津子、その一瞬あとに私に突き飛ばされてショックを受けて固まっている奈津子。


 どうしてあのとき私は彼女を突き飛ばしてしまったのか……。

 奈津子はとても傷ついたに違いない。二人ともとても楽しい気持ちだった。雰囲気も悪くなかった。理想的だったと言っていい。ましてや恋人同士、キスなんて当たり前だ。私に拒絶されるなんて思ってもみなかったに違いない。あれではまるで騙し討ちだ。

 なんてひどい仕打ちだろう。自分勝手で残酷なふるまいだと思う。

 それなのに、奈津子はそのあとも変わらず親切で優しかった。それが申し訳なくて、いっそ罵ってくれた方が気が楽だった。


 あの瞬間、私は「いや」ではなく「だめ」と言った。

 そう、「いや」ではなかった。

 むしろ、私はキスしたかった。

 もし夢のようなイルミネーションのなか、あそこにいた幸せな恋人たちのようにキスできたらどんなに甘い気持ちになれただろう。甘い蜜のような時間だった。

 でも、キスできなかった。

 拒絶したのは私なのに、まるで失恋したかのように、身体じゅうを空風が吹いているような心地がする。



 あのとき、私は奈津子の黒くて光る瞳にこめられた感情に、うれしさと気恥ずかしさで血が沸騰しそうなのに、同時に怖れと罪悪感に全身を貫かれて硬直した。


 突然のことに驚いて、それから「はじめてなのにどうしよう!」という思いが浮かんだ。そしてそれはおかしなことだった。

 奈津子とのキスははじめてじゃない。キス程度で動揺するなんて、ちゃんちゃらおかしいくらい事故前の奈津子と真冬はラブラブだった。でも、生還してからは、はじめてだった。


 そのとき、心の奥深くで私は悟った。奈津子がキスしたい相手は今の私じゃない、と。奈津子が求めているのは、私じゃなかった。

 彼女が求めていたのは、奈津子と出会って、まっすぐぶつかっていった少女。やがて恋人になって、キスも何度もしたことがあって、するときはもう慣れっこで余裕なのに、毎回あとでちょっぴり照れてはにかんでいた少女。そう、真冬だ。

 でも、今の私は別物だ。全然慣れてなかった。外見だけ同じ偽者だ。そのことを奈津子もたぶんなんとなく感じている。


 そんな状態でキスを受け入れるなんて、できなかった。

 なんていうことだろう、私は私自身に敗北した。恋敵は過去の自分。でも、とてもとても遠くて他人のようにしか思えない。これでは勝てっこない。わかりやすい恋敵ライバルなら、略奪愛なんてこともあるかもしれない。でも、自分自身から奪う方法なんて、思いつかない。お手上げだ。



 ふと、放置していた携帯が光っているのに気がついた。

 画面を点灯させると、着信とメールのアイコンが表示された。

 どちらも奈津子からだ。


 息をのむ。期待と怖れが同時に膨らんだ。

 メールを開けると


『真冬へ


 今日、会えないかな?

 クリスマスイブ当日に連絡ってやっぱり無謀だったかな。

 忙しかったらごめんね。その場合は無視してください。

 でも、もし暇なら連絡ください。いつでも待っています。


 奈津子』


 と書いてあった。


 冷え切ってすかすかだった心の中に、パッと熱が広がるような心地がした。そんな現金な自分に苦笑する。

 すぐに返信しようと画面を操作するけど、しばらく逡巡してからメールの新規作成画面を閉じて、電話をすることにした。

 大きく息を吸って、よし!と気合を入れて通話ボタンを押す。

 呼び出し音を数えるうちに、やっぱりメールにすればよかったとすぐに後悔した。

 四回呼び出し音が鳴ったあと『はい』という奈津子の声が聞こえた。


『真冬? いきなりでごめんね。これから会えないかな? 大丈夫そう?』

『ううん。連絡くれて、ありがとう。大丈夫。私も会いたい』


 奈津子とは一時間後に待ち合わせることになった。

 二人ともこの前のことに触れなかった。でも、電話越しの雰囲気から、なにか話があるんじゃないかという予感がした。

 私はこの前のことだと直感して、電話を切ったあと携帯を両手で胸に握りこんで、覚悟を決めた。

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