古城に住まう美女
カテゴリはホラーですが、どちらかといえば耽美的な方向のものです。
ばあやは醜い。
どうしてお前はそんなに醜いの、と皺の塊のような顔に問いかけたくもなるが、そうすれば、そのぎゅっと一点にすぼまれた口から腐った息が漏れるので、彼女は懸命に我慢している。ただ、目の届かないように城の窓から空を見上げてみるのだ。
彼女は美しいものが好きだった。なぜなら、彼女自身が美しいものであったからだ。象牙の肌も、しなやかな肢体も、何もささなくとも朱に染まる唇もすべては彼女の所有物。この身が汚されるのはたまらない。そこに黒いシミ、黒子などついていようものなら、彼女はそれを嫌悪する。ナイフで切り取ってしまいたいという衝動が彼女を苛むのだ。骨の奥までえぐりとれば、その一点の汚れはまったく抹消されて二度と肌に顕われることはないだろうから。
ばあやは右の薬指と人差し指が欠けている。それも彼女は許せない。だから、ばあやには彼女の影さえ踏まぬようにと厳命している。ばあやは彼女の後ろを這いずっているおぞましい怪物というべきものであり、姿が映れば目を覆い、体臭がすれば鼻をつまみ、鼻をすする音でも聞こえようものなら、耳をふさぐ。
「奥方様」
ばあやが歯抜けの口を開いた。口の奥に広がる闇に、彼女は慄いた。
「わたしに話しかけるときは他の傍にいる者に伝言を頼みなさいといったのに」
ひえっとばあやはがたがた震えた。背中はせむしのように曲がってしまったばあや。どうしてこんなものをおいていかなくてはならないのか彼女にはわからなかった。
「どうして学習できないの? ばあやはやはり耄碌してしまったのね」
仕方がないわ、もう年だもの、と彼女はばあやが怖がっているさまを見て嗤う。彼女にとってこのばあやを貶めることは楽しくてたまらない。ばあやの存在はまさに彼女によって生かされているのであり、彼女のこの楽しみという点において意味をなさなければ簡単に抹殺されてもおかしくはなかった。
「汚いばあや。お前の目はどこにあるのかしら。あら、皺に埋もれているじゃない。じゃあ口は? まあどうして、はっきりものを言えないの? お前にせめて、黄色に染まった不揃いな歯がもう少しあったなら、いいでしょうにねえ!」
くすくすと彼女は朗らかに柔らかく笑ってみせる。天使の微笑みといっても何ら違和感のないことだろう。
「湯浴みはしているのかしら。お前はいつも臭いわねえ。皺のすきまに垢がこべりついて取れないのかしら」
ばあやはぶるぶる皺を震わせている。ばあやはいつもうつむいているのでどんなことを思っているのかわからない。彼女がそう命令しているからだ。
彼女は上機嫌で鏡を覗き込む。すると見たことのない女が映っていた。美しい、満たされた女の顔。それなのに。天才画家の絵筆で描かれたような整った目の形。そこに一本の線が増えていた。両目の目尻に幼稚な子供のいたずら書きのような線だ。
鏡の中の女は顔を歪めていた。すると、彼女は醜い化け物となっていた。ばあやと同じ、おぞましい化け物。誰にも愛されない罵倒を浴びる物。
そうなのだ、彼女もいつか年をとる。彼女も、皺の塊になり、美しいものに憎悪される。そんなものに彼女はなりたくなかった!
彼女は果物ナイフを衝動的に取り上げて、自分の胸にめがけて振り下ろす。なのにばあやが邪魔をした。ばあやの背中に銀の輝きが無情にもつったっている。
気づけば彼女は無我夢中で抱きついてくるばあやを振りほどきながら、咆哮していた。恐ろしい獣の咆哮だ。夜になく狼よりも恐ろしい。
彼女の手にはばあやの血がまとわりついている。薔薇よりも鮮やかな赤色に、彼女は目を奪われた。なんて深い赤なのか。ばあやという醜悪な化け物から本当にこれが迸っていたのだろうか。
彼女はいつしか自らの手を舐めていた。その味に天啓を受けたような恍惚とした心地に酔いしれる。
「ああ、ばあや」
血を舐めて、血を浴びて、またも鏡をみた。そこには老けかけた女はいなかった。赤に映える白い肌の色。彼女に必要な化粧はこれであるのだと悟った。
血だ。血こそが彼女を若返らせる。
どくんどくんと体内を血が巡っている。心臓の鼓動は忙しない。
ぴくりとも動かないばあやに血だまりができているのを見とがめて、彼女は目を眇めた。そこには美しい血などない。赤黒い。床の埃が浮いている。
これでは駄目だ。彼女は冷静にそう考えた。
石の城に足音が響く。彼女の叫びを聞きつけて誰かがやってくる。
できれば若い女がいい。見目麗しいならなおさらよい。秀麗な若い男でもいいだろう。
きっと、彼女をさらに美しくする、甘美な血なのだろうから。
元ネタはバードリ伯爵夫人(たぶん、こんな名前でした)です。
彼女の行為は背筋がぞっとする一方で、思わず凝視してしまうような妖しさがありますよね。その後の彼女の処遇といったら、きゅっと心臓が掴まれます(不整脈ではありません)。




