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庭園  作者: 俊衛門
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 物理法則は、因果律である。

 運動は力の法則であり、力を因とすればそれによって生じる運動こそが果である。その結果と原因が逆になることはない。運動は不可逆なものである。

 では時間は因果律か。時間というものを考えた場合、過去というものがあり、その上に現在、未来と続いてゆく。過去の事象が、未来の結果につながってゆく。人の実感としては、この因果性によって時間は造られていると感じられる。

 だが過去の物事が未来に結びついている、という確証はない。そのように感じるのは、観測する側の経験則に導かれた錯覚である。現在、今の一瞬一瞬――分や秒という単位で計れない刹那的な部分、それそのものの因果関係を証明することは困難である。

 時間は、過去の積み重ねではなく、瞬間が断続的に現れ、しかし観測側の錯覚によって一続きのものとして見ているにすぎない。

 もし、時間に因果性がないのであれば――そしてそもそも時間というものが存在しないのであれば。それは不可逆なものではなく、可逆性も持ちうる。

 そしてそれを応用することも可能であるはずである。

   

 山辺が対峙している黒いボックス、その中には粒子の群がひしめき合っている。

 ホログラム映像の粒子は自由運動を行い、その運動する素粒子に走査線を照射している。光線は秒の数万分の一程度の照射を断続的に繰り返す。

 物質が持つ熱量は、振動の周期によって決まる。素粒子群が持つ波動そのものだ。その熱量こそが生命の源ではあるが、それが途方もなく増大し、拡散してゆけば、やがてその物質は崩壊する。

 エントロピーの増大。生命は熱量を持ち続け、熱は拡散し、無秩序へと広がる。しかし実際はこの熱の拡散にあらがい続けている。それは生物の中に、エントロピーを外部に放出させることで、内部の恒常性を保つ事が出来る。

 ただし、エントロピーの放出サイクルは永遠ではない。それらの機能が衰えたときに、生命は死を迎える。

 生きているという原因があり、死滅するという結果がある――そのように考えれば、それは不可逆的な現象であった。しかしこのエントロピーの放出による恒常性維持のサイクルは、生物が孤立した系ではなく、外部環境に解放された系統であるから可能だといえる。ならば外部環境からのアプローチによって、生物内部に働きかけることも可能となる。

 粒子の群は、黒いボックスの中と外で分けられていた。

 外部の粒子の、振動数が上昇する。粒子の振動量が増えると、熱は拡散し、エントロピーが増大する。 

 その熱はボックスの中を漂う、粒子群の熱である。内部の系から、半ば強制的に熱を放出させる。自然に任せた放出を行うと、外部のエントロピーとの差し引きで、結局全体としてのエントロピーは増大する。エントロピーの増大は、すなわち老化だ。それを避けるためには、人の手でエントロピーの放出を行わなければならない。

 しかし、熱を奪うことは同時に生命活動を停止に追い込むことでもある。粒子の振動数を減らすことでもあるが、しかしそれは急激な減少を促すことではない。徐々に、徐々にその振動を逓減させ、恒常性を保ちつつ、最低限の生命活動を行う姿に戻ってゆく。それは通常の生命活動が老化に近づくのに対して、退行を促すものである。

 だが、内部の系が退行するのであれば、その分外部の老化は促進される。内部のエントロピーを強制放出させれば、外部のエントロピーは限りなく上昇するものであるから全体の差引はゼロとなる。

 そして、熱を吸い上げるための集束機は、外部に開放された系を生み出す。

 内部の振動数が逓減してゆく。それにつれて外部の振動数が上昇する。ボックスの内部は、対象となる移住者の身体だ。身体内部の熱量が減ると、その失った熱に見合う分の分子構成に秩序化されてゆく。身体の恒常性維持だけではない、徐々に小さくなる物理量を新たに秩序立てる。

 やがてシミュレーションがすべて終了したとほぼ同時に、山辺の通信チャンネルが開いた。

「順調か、サトル」

 空中にウィンドウ枠を固定すると、マックスの髭面が映し出された。

「今終わったところだ。それにしても、お前のそのいきなりチャンネルを開く癖はどうにかならないのか。こっちだって暇じゃないんだからな」

「その割にゃ、ちゃんと聞いてくれるじゃんかよ」

 マックスは画面の向こうでにやりとした。

「ところで、一息入れねえか。どうだ?」

「どうだって言っても、勝手に休むなりなんなりすればいいじゃないか」

「近くまで来てるからよ」

 マックスが少し身を引くと、その後ろに見慣れた光景が映っていた。毎朝律儀に通り抜ける職員専用ゲートと、ロビーの吹き抜けに鎮座するDNAめいた二重螺旋のオブジェが。

「本部に用事があってな。ついでに寄ったんだ。まあ茶ぐらいつき合えや」

 山辺はため息をつき、十分後の合流を約束してから通信を切った。


 ラウンジには人は誰もいなく、ビオトープガーデンのベンチに二人して並んで座っている。マックスと山辺は合成着色のコーヒーを片手に座っていた。

「ビオトープってのもなかなか良くできているものだ」

 マックスがいきなり切り出す。

「何だよ、藪から棒に」

 コーヒーを傾けながら、山辺は時計をちらちらと見る。マックスは時間があるのだろうが、山辺はそうもいかない。まだ調整すべき事は山とあるのだ。 

「人類が森で過ごしたときの記憶を再現している。人間はどんなに開発を進めても、日常から植物を除去することはなかった。つまり、人間は本能的に緑を求めていて、たとえ人工的に植え付けたものであってもここは人類にとっての故郷を表しているといえるんじゃないか?」

 山辺が言葉の真意を測りかねていると、マックスはさらに言う。

「思えば太陽を求めるのも、本能の一つかもしれない。生物が本来持っている振動周期を調整する因子の一つに、陽の光を浴びることでそれが成されている。あんな人工プラズマでも、なければないで寂しいもんだ」

 一体マックスはどういう意図をもって話しているのか、皆目検討がつかない。黙って聞き流して、適当なところで席を立とうとしたとき、急にマックスが真顔になった。

「自然なものは、自然だと認識しないもんだよな」

「はあ?」

「ああ、つまりよ。太陽だろうと森だろうと、これが自然だ、と提示されなければそれが自然界にあったものだったと分からない。けれども、そいつは実は、不自然なことだったりする。そう思わねえか? 自然なものなんて、もうここにはないのに、自然だと振る舞えと誰かに強要されているかのような」

「あの、言ってる意味が分からないんだが」

「人にとって自然じゃない環境だったら」

 マックスはコーヒーを一口すすった。

「人なんて簡単に壊れるものだな、と思ってな。だから外面をいくらか自然に近づくようにしても、本質がそうとは限らない。本質が違うと、やっぱり壊れちまうものだ」

「壊れるって誰が」

「この間ストレステストに、引っかかったんだよ」

 マックスの言うことを、最初山辺はよく理解できなかった。

「ストレステスト、なんだそれ」

「俺も、最近知った。全職員、現場の作業員も含めて――俺たちは心理状態を観察されていたんだとよ。心理状態を計って、ストレスの度合いを知って、それらが通常より逸脱するようならば、現場を離れさせる。そういう措置らしい」

「観察だと」

「思い当たるだろ? アンドロイドだよ」

 そういえば、リオが家に来たとき言った。疲労が蓄積している、そんなことは単純にアンドロイドの機能としてあると、そういう認識だったが。

「しかし、ストレスなんてチェックしてどうすると」

「追いつめられた人間は何をしでかすか分からないってことだろう。そうやってストレス状態を見るのは、監視の意味が大きいんじゃないか」

「追いつめられることなど……」

 山辺が口ごもるのを、困惑と受け取ったのかマックスの口調がやや強くなる。

「だってそうだろう。計画が始まれば、移住者ドームの空間内は時間が巻き戻される。それと同時に、外部のドームは時間が極端に進むんだ。すなわち、移住者たちはどんどん若返り、他のドームの人間は歳をとってゆく。急速にな。移住者の身体はその都度組み替えられてゆき、ほかのドームの連中は老化によって記憶も失われてゆく。最終的に、移住者ドームの連中は赤ん坊にまでなって、保育器とともに宇宙だ。しかし残された連中は? 地下で朽ちてゆくって寸法だろう」

 マックスの言葉にはやや熱がこもっていた。しかし、そんなことはここにいる誰もが知っていることである。

 そして、それについて異を唱えるものなどいない。人類の移住可能な惑星が発見されて以来、そこに送り込める人間は限られていること。そこにたどり着かせるためには、通常のロケットでは間に合わないこと。まず、移住対象者を幼児のサイズにまで退行させ、彼らをコールドスリープの保育器とともに積み込む。惑星に行くまでに、徐々に成長させ、惑星についた頃には移住者達は再び若い姿まで戻る。その計画の第一段階を担っているのが、この総時局である――などと、今更確認するまでもない。

「だがな。どんなに覚悟を決めようとも――実際、毎朝のように所長が演説たれるけど、それに耐えられない人間は必ず出てくる。そうすると、それが全体に支障を来すことだってあるだろう」

「しかしそんなことは、すべて納得した上で」

「分かっている。けどな、そういう覚悟も常に揺らぐものだ」

 マックスはコーヒーのカップを握りつぶした。

「いくら理解しようとしても、計画が始まれば自分は存在しなくなるのだ、と考えれば。人の決心なんて何度でも塗り替えられるものだ。だから、覚悟を何度も何度も固めるし、お前だっていつもそうしているだろう。俺もそのつもりだった。だが、どうも心の奥底じゃ違ったみたいだ」

 休憩時間はとっくにすぎていた。手の中のコーヒーはすっかり冷めていた。

 それでも山辺は、立ち上がれないでいた。

「それで……どうするんだ、お前は」

 やっとそれだけ絞り出す。マックスはもう、もとのようなにやけ面を浮かべていた。

「養生しろ、と言われたから養生するさ。なに、一時的に現場を離れるだけだ。計画が本格的に始動するまでには帰って来るわな」

 マックスはそう言って立ち去った。

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