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庭園  作者: 俊衛門
6/21

 地上に蔓延する環境負荷物質が、地上に浸透するまでの間に。人々を移住させる必要があった。

 その移住者たちが集められたドームは、各地域に一つは存在する。各地区から対象者が集められ、政府から居住地を定められたのがおよそ一〇年前のことだった。

 表向き、彼らがそこに集まったのは、たとえば仕事の都合であるとか、家の購入であるとか、ともかく理由は様々であったが、それらはすべて政府の誘導によるものであることは移住者ドーム、その他大勢のドームに住むものは知らない。彼らが宇宙に行くことも、また自分以外のすべての人間が地球に取り残されることも知らされず、彼らは集められた。

 やがて来る、移住のために。彼らにが知らない間に、ある準備が進められた。


 朝の目覚めには一層気を使う。頭をもたげ、腰を起こしてやると、体中がぎしぎしと悲鳴をあげてくる。一晩寝ただけでは、まだ疲れがとれない。年を取った、とベッドの上で自嘲する。

 青年期に出来たことが出来なくなってくる、否が応でも老いを感じることが、どうにも我慢出来なかった。こんな何でもない動作でも、そろそろ人の手が必要になるかもしれない。けれども山辺は決して自らの体を触らせようとはしなかった。同居の、アンドロイドに。

 そのアンドロイドが寝室のドアをノックして、朝食の準備が出来たと告げに来る。山辺は車イスに苦労しいしい乗り込み、リビングまで行く。アンドロイドのリオがせわしなくキッチンとの間を行き来していて、その傍らで何故かモニターが作動している。

「何を写している」

 そう訊いた、自分の声はひどくしゃがれたものだった。リオは作業の手を止め、モニターと交互に見比べた。

「フィルムですよ。古い時代の」

 テーブルに流動食のプレートを置きながら、リオは言う。場面は、どこかの湖だ。湖のほとりで、一組のカップルが隣り合って座っている。どちらも東洋人であるようだった。

「映画を見る趣味でもあったのか」

 アンドロイドに趣味などという言い回しもおかしな話ではあるが。

「これはフィクションではありませんよ、ミスタ・山辺」

 リオが見つめる画面の中で、女が立ち上がり、男と向かい合って、一言二言交わしてから立ち去る。そこで映像がとぎれた。

「どういう意味だ」

「そのままの意味です。これはフィクションではなく、過去に存在したことです。今ではもう見ることもかなわないことでありますけれど、手の届かない場所にあるものではありますが。それでも存在したという確認のために、ただ映像としてのこしてあります」

 リオの言うことはすべて理解しかねたが、今までこのアンドロイドが意味のあることを言った例などない。ならば放っておくのが一番だ。

 流動ペーストをすべて喉に流し込むと、急に眠気がおそってきた。もう一寝入りする、とだけ告げて寝室に行き――どうせやることもないのだから――ベッドに潜り込む。夕方までは、まだ時間がある。そのときまでに起きれば良い。そう思い、山辺は眼を閉じた。

 

「サトル、おいサトルってば」

 何度も呼びかけられて、ようやく山辺は気づいた。右端に展開された小さなウィンドウに注目し、指先で触れて画面を拡大する。

「ああ、すまない、マックス」

「珍しいこともあるもんだな。あんたが他事考えるなんて」

 画面の向こうでマックスが、何か好奇に満ちた目をしていた。

「で、何か調べ物か?」

「用があったんじゃないのか」

 まさか本当のことなど言えるはずもなく、強引に話を逸らす。マックスはすぐに真顔になって、画面にグラフを展開させた。

「原子の分解効率が、ここの部分、少し悪い気がするんだ。そんなに気にすることでもないかもしれないけど」  

 山辺はグラフをのぞき込み、演算式を展開させてグラフと見比べた。グラフの曲線が急激に上がったり下がったり――そのようなことがなく、綺麗な反比例グラフになっていれば問題ない。そうでなければ、それはバグであり、取り除くべき問題箇所である。

「確認する」

「そうしてくれ。対象が人なら、こいつのせいで細胞崩壊を起こしてしまうこともあるからな。人体ってのは繊細だから、熱交換がうまくいかなきゃすぐに瓦解しちまう」

 マックスはそこまでいって「ところで」とすぐいつものようなにやけ面をつくった。

「さっき何を調べてたんだ」

「別に何だっていいだろう」

 こういうときに誤魔化す術というものを山辺は知らない。知らないことに引け目を感じたことはないが、このときばかりはマイナスに働いた。

「ああ、音楽アカデミーな。昔流行ったな」

 そしてもう一つ迂闊だったことは、回線をそのままにしていたことだった。秘匿が可能なプライベート回線でなく、パブリック回線でだ。ほんの出来心でネットで、音楽アカデミーを検索し、そのまま放置してしまっていたのだ。

「そういや、お前さん。音楽アカデミーにいたんだっけな」

「どこからそんな話を聞いてきたんだ」

「あ? お前の履歴に載ってたけども」

「勝手に人の履歴を」

 しかし、職員の個人履歴は対外的にも公開されているものだから文句は言えない。マックスはますます興味深そうな顔になる。

「それで、何だ? 昔のことを調べてどうしようってんだ?」

「用が済んだんなら、もう切るぞ」

 まだ何か言い足りなさそうなマックスを無視して、回線を一方的に切った。ついでに検索画面を閉じ、マックスの送ってきたデータに向き直る。数値を操作しながら、ふと十年前のことを思い出していた。

ノースエリアに数多くある学術機関でも、音楽を専攻しているのはそこだけだった。

 音楽アカデミー、と誰もが呼んでいたが正式名称は誰も知らない。もともとあったそれは、今では何もない更地になってしまっていた。

 アカデミーにいたことは、その後のキャリアに良くも悪くも影響を与えたことはない。結局そのとき以来、楽器に触ることもなくなった。弦楽クラスでバイオリンを選んでいたが、今同じように演奏しろと言われてもおそらくできないことだろう。せいぜいドームの人々が知らない楽器の種類を正確に当ててやるぐらい――それこそ先日、月慈が演奏していた弦楽器がビオラであると見抜くぐらいだ。彼女が言ったように、ドームの連中はあれを大きなバイオリンぐらいにしか思わないだろう。それほど現代人の音楽知識というものは乏しい。

 そう思い、ふと思い当たることがあった。

アカデミーの頃、一つ下の学年にビオラを扱う少女がいた。その少女と、山辺は口をきいたことがなかったし、山辺も特に話しかけようともしなかった。彼女はいつの間にかアカデミーからいなくなっていたのだが――。

 そこまで思って、山辺は首を振った。ビオラを弾くというだけで、そんな考えに至る自分が馬鹿らしくなった。

 くだらない。

 そうしてグラフに向き直る。そのとき、画面端の日時表示に目を落とした。今日が金曜、明日は土曜であった。

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