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電磁誘導の完全な自動運転式の車は、地上行き走路へとひた走っていた。
制御盤に行き先をインプットすれば完全自動の電磁駆動車はその通りの道筋で目的地を目指してくれる。機械の制御音を耳にしながら、山辺は流れてゆく景色を見ていた。
通常の連絡走路の合間に存在する、高速道路を走った先に、地下ドームの終わりを告げるゲートがある。そこをくぐり抜けとすぐにまた、隣のドームへと移動し、そんなドームとドームをつなぐ走路を走り続け――三十分も走れば、そこから地上への連絡路が伸びているステーションに着く。通常、探査ロボット以外は用いることがないエレベータ、人どころか有機物の一切の通過を許さない、縦方向への走路が、今はそのゲートを開いている。
リフトに車を固定し、エレベータの上昇に任せていると、やはり同じようにリフトに乗ったバイオフレームの車たちが、山辺のリフトと併走、あるいは追い越してゆく。
行き先は、庭園。
庭園とは俗称であるが、誰もその正式名称を知らない。地上の、砂の上にひっそりと建てられたこのドームの特徴を表した、地上庭園の名だけが広まっている。
日に一度、ドームの天蓋が開き、そこから太陽を臨むことができるというその場所。もちろん天蓋が開いたとしても、幾層にも張り巡らされた装甲ガラスが大気を阻んでいるので、環境負荷物質に体をさらすことはない。ただ、いくら日没に環境負荷物質の量が減るのだとしても、地上が危険であることに代わりはなく、ドームの天蓋は日没の前後、三、四時間ほどしか陽を見ることができない。
だが、たったそれだけのことでしかない場所でも、人は集まる。
山辺がついたときにはすでに多くの人間が集まっていた。
庭園の中央には、人工の湖がある。それを取り囲むように植林され、小さめの森を形成している。そこかしこに花壇があって、季節の花が植えられている。どうせバイオ生成の花だろうが、考えてみれば花などは天然物を目にすること自体が少ないのだからこれはまだマシな方だと思うべきだろう。
すでに天蓋は開いていた。西の方角にはオレンジ色の陽が傾き、地と空との境界を際だたせている。
人工プラズマとあまり変わるところはなかった。子供の頃から眼にしていたプラズマは、東に没すれば同じようにオレンジ色の光を放ち、徐々にその輝きを失いながら消える。そもそもプラズマ自体が太陽を模してあるのだから、同じものと写っても仕方のないことだろう。
それなのに何故引きつけられるのか、人々は人。ここには、おそらくは遠方からの人間もいるのだろう。そうまでしてみたいものであるとはとうてい思えない。
リオは車で待っていると言っていた。そろそろ戻ろうと山辺は踵を返した。
だがそのとき、奇妙な音が耳に入り足を止める。湖畔の方からだった。
一つの音があった。
あるいは弱く、あるいは強く、それは明確なメロディーラインを成しているが、しかしどこでも聞いたことのない曲である。
だが音そのものには、聞き覚えがあった。弦楽の音色だ。ただし、昔聞いた音よりは少し音域が低い。
山辺は音のする方に歩いた。湖の東側、太陽を真正面に捉える場所に木が生い茂っていて、そこを抜けたところで音の出所を知る。
後ろ姿を見ると一人の女がベンチに座っている。黒い髪に細身の体つきで、東洋人らしいということは分かった。
女が弓を引く。肩に乗せたその楽器の、弦を弾くと、滑らかな音色が奏でられる。主張するような、甲高い音ではない。むしろ音そのものは人の声のように、低い音だ。あまり強く響くものではない。
だがそれ故に、その音は馴染むようであった。
しばらく山辺は、女の後ろ姿を見ていた。演奏が終わり、女が弓をおくとともに言葉を発するまでは。
「そんなところで見ていないでこっちに来たら?」
自分以外の誰かに言ったのかと思ったが、周りには自分しかいないことを悟る。山辺は観念して林の中から出た。
「いつから見ていたの」
「弓を構えたあたりで」
何となくどう答えて良いのか分からずに、山辺はそう口にする。
「見てはいけなかったか、それとも」
「そんなことはないけど。ただ盗み見られるのも、あまりいい気はしないね」
「悪いね、つい。ビオラなんて珍しかったから」
女が唐突にこちらを振り向いた。そろえた前髪の下に気の強そうな眼が、きっと上向き加減にこちらをのぞき、何かそれが睨まれているような心地にさせられる。
「これが何かわかるの?」
だが、睨まれていると思っていたのは山辺だけで、女は少なからず驚いたようだった。
「大抵の人はただのバイオリンって言うのに」
「そうだろうね、楽器に関する知識なんて誰もが持っているわけじゃない。ましてやオールドセンチュリーの楽器なんか、分かる方が少ない。ちょっと大きめのバイオリンとしか思わないだろうな」
山辺は一言断りを入れてから、女の横に座った。ちょうど楽器を挟んで右側に。女は半身だけこちらに傾けた。
「ということは、楽器の知識があるの、あなた」
「昔かじった程度だ。それほど役にも立たない知識をわざわざ習いにゆく余裕はあったものの、結局はそうも言っていられなくなって辞めたけれどもね」
女は不審そうな目で見て言った。
「音楽アカデミーにいたことが?」
「子供の頃の話だ。しかも在籍していたのは、せいぜい一、二年ぐらいのことだから。今じゃほとんど、楽譜すら読めないよ」
「そう、だから知ってたんだね」
女は視線を、夕陽の方に向けた。
気づけば陽は半分ほど隠れている。湖畔に集まった人たちで、そろそろ引き上げるものも出てきた。
「君は、何でここに?」
「練習のためだけど」
「練習ならば、地下でも出来るだろう。ここに来てやらなければならないということでも……」
「別にどこでやってもいいでしょ。ここでやるのが一番やりやすいってだけよ。もちろん地下でも出来るけど、あんなところでやったら息が詰まりそうだからね」
「しかし、ここが演奏に適した環境とは、思えないが」
「ドームの中にいれば、確かに設備の整ったいいスタジオはあるよ。コンクリートの壁を見ながら、まぶしい照明をあびながらいい音が出るとは思えないし。だから、ここがいいの。ここなら、思いっきり出来るからね」
「どこでやろうが同じことではないのか? 楽器は、習熟の差はあっても、人が操ればその通りに音が出るわけだし、楽譜の通りに演奏すればその曲が……」
果たして女の視線は、敵意めいたものに変わる。
「あなた、政府の人間でしょ」
「なぜそう思う」
「さっきからあっちの方にいるアンドロイド」
女は視線を向けている先、木々の合間に見える影があった。人間然とはしているものの、やはり佇まいに固さが残る、どうあっても機械であることの証左とも言えた。
「アンドロイドの付き人なんて、政府の人間以外に考えられないもの」
「ああ、いや……あれは……」
なんと言っていいのか分からず、言いよどんでいると、女は「別に良いけど」と肩をすくめた。
「政府の人間って随分と合理的というか、型どおりなんだね。楽器があって、弾く人がいれば、すべて同じ音になると思っているだなんて……いや、違うわね」
そういうと女は立ち上がった。そこで山辺は、あたりが暗くなっているのに気がつく。陽はすっかり地平線の彼方へと消えていた。群青の空を遮るようにドームの天蓋が閉まり始めていて、すでに半ばまで閉じている。気の利いた人間はすでに引き上げていた。
「でもまあ、あのアカデミーにいたのなら、それも仕方がないのかもね。そういう考え方も」
「え?」
山辺が聞き返すのにも構わず、女はさっさと楽器を片づけ、帰り支度を進める。
「いつもここに来て、練習を?」
「それは、まあ。行けるうちは行こうかと思っているけど」
天蓋が半分まで閉じている。女は時計と見比べて、しきりに時間を気にしていた。山辺がいつまでも言わなければ、そのままかけだしていたかもしれない。
「毎日、ここに?」
「そう毎日来るわけじゃないわ、けど大抵はここにいる。私も来れるときと来れないときがあるからね。あなたはここ初めて?」
「地上庭園の存在は知っていたけどもね、休みを持て余して来てみただけであって……」
「休みなんてあるんだ。存外暇なのね、政府の人も」
呆れたように女が言った。この女も、よくある誤解をそのまま信じているようだった。政府の人間は、寝る間もないほど忙しいのだという誤解を。実際はそんなことはないのだが。
「じゃあ、私は行くから」
「ああ、待って」
立ち去ろうとするのを、再び呼び止めるに、少し苛立つような顔で女は振り向く。
「まだ何か?」
「いや、その。名前を聞いていなかったから」
「そっちから名乗るのが筋じゃなくて?」
簡潔に端的に、彼女は言った。
「あ、ごめん。僕は山辺悟、君が言ったように役人をやっている」
「潘月慈」
最初、発音がほとんど聞き取れなかった。それほど女の名は特殊なものに思われた。
一度口にしてみたが、発音がなっていないと指摘された。
「分からない? 中国語だから難しいかもね」
「まあ、何とか言えるようにする」
「別に無理しなくてもいいよ」
月慈は本当に全く期待していないという風に、そっけない風に言った。
「じゃあ、そろそろ行くから。連絡走路を乗り過ごすと、私は帰れなくなる」
「そんなに遠いところなのか? 君のドームは」
「遠いってほどじゃないけど。東の230だから」
東の二三〇――聞き覚えのあるフレーズだった。というよりも、おそらくその名だけは人一倍なじみがあった。
「ミスタ・山辺――」
リオが近づいてくるのに、山辺は睨み返した。
「車で待っている、って言っただろうが」
「そのつもりでしたが、少し気になりましたので。何かありましたか?」
「何もない、ただ」
ただ、と口にしかけたが、その言葉を飲み込んだ。話したところで何になるのかも分からなかったから。ましてや、機械相手に。
庭園にサイレンが響いた。リオ曰く、それは連絡走路の最終が出る合図だということだった。
山辺はきびすを返した。