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庭園  作者: 俊衛門
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 その日山辺が家に戻ると、家の前に見知らぬ女が立っていた。

「お待ちしておりました、ミスタ・山辺」

 白人の女が、そういって微笑みかけた。つややかなブロンドの髪の持ち主だった。見事なまでのプロポーションであるが、人懐っこい笑顔はまだあどけない少女のようでもある。

「ここは僕の家であっているよな」

 官舎の部屋号数を間違えたのか、などと一瞬思った。山辺が不信がっていると、その女は柔和な笑みを崩さないまま近づいた。

「あなたのお世話をするように仰せつかいました」

「聞いているよ。委員会からアンドロイドが派遣されるというのは」

 山辺はアンドロイドの女からの荷物を持とうという申し出を断って家に入った。当然の振る舞いであるかのように女も家に入る。

「所員には全員アンドロイドがつけられるのだっけ。あいにく、うちにはそんな余裕ないんだけど」

「人類委員会の決定です。今日からあなたに仕えるようにと。もちろん、それに係わる経費などはあなたにかかることはありませんよ」

「そういうこと言ってるんじゃない。というか、派遣されるとは訊いたけれども、それが何のためかという説明を、まだ十分に受けていないんだけども。あんたの、その――」 

「私のことは、リオと」

 アンドロイドは淡々と自己紹介をする。山辺に二の句を継がせない。

「たとえば家族がいない、もしくは家族が移住者ドームに行き単身である。そのような所員に対する心のケアを請け負っています。これから計画が実行されるまでの間に」

 リオは微笑を浮かべてそう説明する。アンドロイドにしては表情が豊かだと思った。むろん、そのようにプログラムされているのだろうが。

「カウンセリングでもやろうというのか」

「必要であれば、そうします。計画の実行にあたって、精神的負担が大きくなるものです。そのような場合に対処するあらゆる方法をプログラムされております」

「そんなもの、当分必要ない」

 乱暴に背広を投げるとリオはすぐさま拾い上げた。きちんと皺をのばしてハンガーにかける。

「委員会も余計なことをする。ある日突然、僕が自分の身の上に絶望して屋上から飛び降りたり手首を切ったりするとでも思っているのか委員会の連中は」

「あらゆる可能性を考慮してのことです。もちろん、他の事柄、あなたの心のケアといった抽象的なことだけでなく、すべてに対応しています。あなたの身の回りの世話なども」

「家政婦つきか、それはありがたいね。仕事を終えて、一人分で事足りる官舎に帰って、とくにすることもない家事をするためだけに、やたらと高級なメイドロボットを派遣するとは。税金なんてものが今更意味をなすとは思えないけど、だからって無駄遣いしていいとも思えないけれどもね」

 アンドロイドに皮肉が通じるか分からなかったが、案の定リオには通じていなかった。言葉はさすがに分かってはいるのだろうが、それの意図するところを理解しているのかしていないのか分からない。ただ微笑を浮かべているだけだ。

 これだから機械というものは。言葉だけとらえて、その背景にあるものなど読みとることなどできない。だから、アンドロイド相手に、本来的な意味でのコミュニケーションなど成立しない。

 それでも、この手のアンドロイドは、人らしさを追求している。極端に人口が減ってしまったドームの中で、必ずしもパートナーを得られるとは限らない人生の中の中でアンドロイドと生活を共にする連中などざらにいる。

 しかし山辺には必要がないのだ。パートナーたるものは、これから先は必要がない。

 だが、ただのアンドロイドならば遠慮なく家から叩き出してやってもいいのだが、委員会からの派遣ということは少しだけやっかいだ。世界政府が樹立されて一世紀、政府の意向に沿う形で、人類員会が動いている。山辺が関わっているプロジェクトにも委員会が絡んでおり、つまりはこのアンドロイドの派遣もその一環ということなのだろう。あまり無碍には出来ない。

「それで、何をいたしましょう、ミスタ・山辺」

 全く遠慮することがない――アンドロイドに遠慮というものがあるのかどうか分からないが――リオがそう言った。

「適当に片づけておけよ。特にすることなんてない。男の一人暮らしだから」

「一人暮らしだと、生活が不規則になりがちですよ。見たところ、食事はフリーズドライに頼っておられるようですが」

 そこまでリオが言うのに、ぎょっとして山辺は振り向く。

「お前、何を」

「それとお見かけしたところ、睡眠不足のようですね。お疲れのようでありますし、睡眠障害の解消のためのプログラムを提供することも」

「ちょっと、ちょっと待てよ。何でそんなことが分かるんだよ」

 確かにここ数日眠りの浅い日は続いたが――そんなことが見ただけでは分かるはずもない。  

 リオが口を開いた。

「あなたのクレジット履歴を、少しだけ閲覧させていただきました。あなたの網膜を、先ほどスキャンし、委員会からアクセスを許されている範囲で検索したところ最近の購入履歴が見ることができます」

「は、はあ?」

「体調のことでいえば、私の皮膚は空間センサとなっています。室内の空気に、疲労物質が残留していましたので。もちろん、今すぐ健康に深刻な影響を受けるレベルではありませんが」

 言われて山辺は片目を押さえた。網膜に非認知の光線でも当てたのだろうか、スキャンされたことに全く気がつかなかった。

 おまけに、なんと言ったこいつは。疲労物質が残留? つまり山辺の身体から出た汗か何かから採取したということか。

「……気に入らないな」

「しかし、身体の不調は心理的にも影響を及ぼします。あなたの健康管理もまた、我々に課せられた――」

「だから、気に入らないよ。健康管理? 管理されるほど意識が低いわけでもない。おまけに何だ? 心理的に影響? そんな些細なことで僕が心理的にどうこうなるとでも思っているのか、委員会の奴ら」

「ですから、あらゆる可能性を」

「お前に言われる筋合いなんかない、機械ごときに、心理がどうとか分かるはずもない」

 つい声を荒げてしまったが、相手はアンドロイドだ。構いやしない。

「いいだろう、この家に置いてやるよ。どうせ叩き出しても、委員会のことだ、また新しいの寄越してくるんだろ。そのかわり、僕の言うことを聞け。アンドロイドは主人の言うことを聞くんだろう、だったら僕が命令してやる。いいな、余計なことはするんじゃないぞ」

 山辺はそれだけ言い残して寝室に入った。ドアを乱暴に閉め、その閉じたドアを、リオはただ見つめていた。


 彼女が何をしたいのか、分からなかった。

「楽譜を使わないんだって」

 級友からそんな話を聞いた。何が? と聞き返すと、級友は向かいの教室を指さした。

 ただ一人と、机に向かって楽器の手入れをしている。彼女の手元には、バイオリンよりは大きめのビオラがあった。

「あんな地味な楽器使う時点でも変わっているけど」

 同じ弦楽器クラスのその少年は、呆れた口調で言う。彼は少し前までは、例のビオラの少女を憧憬のまなざしで見ていた一人だったのだが。それよりも、ビオラを地味と称する辺り、彼の底も知れるというものだ。

 楽譜を使わないとはどういうことか、と訊いた気がする。楽器だろうと声楽だろうと、このアカデミーに入学すれば譜面の読み方はまず教わるはずだ。彼女はそれができないのか? そう訊くと、級友は首を振った。

「そりゃ読めるだろ。読めるし、ちゃんと楽譜のついた曲もこなせる。課題曲の演奏は相変わらず見事なんだと。でも自由曲に選んでくるのは、先生が推薦してくるオールドセンチュリーのクラシックでも、最近流行の曲でもない。全くもってその場で、譜面をみないでやるらしい」

 作曲してくるのでは? と訊いた。自由曲は自分で作曲して、それを発表することだってある。そのたぐいではないのかと。

「いやいや、全くの即興。あいつが譜面を書いているところなんて誰も見たことないし。即興音楽は、ないこともないけど、なんかあいつはそれにこだわっているみたいで」

 確かに、即興で弾いてはいけないという決まりはないが、どうにも奇妙な気がした。即興は遊びの範疇、普通は既存の曲、あるいは作曲するにしても譜面を書いてくるものだ。

 そういう、どこか人と違っていて、そして誰も寄せ付けないような雰囲気が彼女にはあった。彼女の長く艶やかな黒髪と白磁めいた肌も、その近寄り難さに拍車をかけていたのかもしれない。笑えばそれは人を惹き付けるであろうが、彼女が笑ったところを誰も見たことがなく、それゆえ冷たい印象しか受けない。

彼女のことを、最初は憧れ、言い寄る男子生徒もいたが、最近ではそのようなことはなくなった。

 だから、自分もまた――遠くから彼女を見ているだけの一人だ。もっとも自分は最初から話しかけようともしなかったが。彼女の超然とした雰囲気を、ただ眺めるより他なかった。 

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