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庭園  作者: 俊衛門
2/21

 庭園。

 その日の夕暮れに彼女がそんな言葉を口にした。

「なんと言った?」

「ええ、せっかくなので行かれてはどうでしょうか。ちょうど今日は、日没を見られます」

 リオは食器を片づけながらそう言う。

「それほど出かける気分ではないのだがな」

「しかし、それほどお疲れのようにも見えません。走路に乗ればすぐですので、気分転換には良いのではありませんか?」

「気分転換が必要なほど、気分が滅入っているわけではないのだが」

「しかし、ずっと家にこもりきりですよ。この一週間、外出されておりません。軽い運動もしたほうが良いかと」

 ついに、アンドロイド風情に身体の心配をされるようになったか。そう考えると、さすがに落ち込まざるを得ない。

 リオがあんまりしつこく勧めてくるので、山辺はその提案に乗ることにした。確かに庭園へは一週間前に行ったきりで、その後足を運んだことがない。久しぶりに行ってみるのも良いかもしれない、と思った。

車で移動して今はドームとドームを結ぶ連絡走路に乗っている。ドームを出ると、走路の停留所より上昇用誘導走路に乗り込む。乗る、といっても車を走路のリフトに固定すればそのまま勝手に上昇してくれるので、いちいち降りる必要はない。車ごと、山辺は上方向へひた走る。上へ上へ、そうして行き着く先は地上に設置されたドームであった。

 庭園といえば、地上庭園のことを指す。地下何千メートルという地点にまで居住地を追われた人々が、唯一地上に戻ることができる場所がある。もともとは人が地下に潜る前は、各地にドームを作り、そのドーム内で生活していた。やがて人々がドームを放棄し、地下に移住をした後も、人工庭園を施したそのドームだけは今でも使われる。

 人々の憩いとして。

 手入れが行き届いた庭園ばかりが憩いではない。一日に一度、日の入りの前後二時間ほど、ドームの天蓋が開き外の景色を見ることができる。もちろん、天井が開いたところで遮蔽ガラスが幾枚も敷き詰められているのだから大気に触れることはない。そのガラス越しに人工プラズマではない、本物の太陽を見ることができる。

 山辺がそこについたときには、まさに今天蓋が開かれ、太陽が地平線に沈みかけているところだった。

 庭園の中央には、湖がある。そこに至るまでのあちこちに、花壇が設けられている。色とりどりの花は、それはそれで美しいのだが、あいにく山辺は花の名前などほとんど知らない。

 山辺は走路を降りた。他の皆がそうするように、庭園の芝生のどこか適当な場所に腰を下ろすと、ふと湖の方から弦楽の音色が聞こえた。

 山辺が音のするほうに向かうと湖畔に立つ一人の少女を認める。人工の微風で長い黒髪がかすかにそよぎ、少女は目を閉じてその弦楽を弾いている。琴筒を肩に乗せ、顎で挟み、弦を押さえながら弓で弾く。少女はその楽器を自分の体の一部であるかのように扱う。山辺が近づくと少女は演奏を止めて向き直った。

「また会ったわね、おじさん」

 そうして微笑みかける、年の頃は十八歳頃いったところだ。山辺は笑い返して、少女の向かい側のベンチに腰掛ける。

「またその楽器を弾いているのかい。バイオリンを」

「ビオラよ、というかそれ前にも言ったじゃない」

「年をとるとどうもな」

 少女は笑いながら、その楽器を脇に置いた。バイオリンによく似ているが、よくよく見ればその楽器はバイオリンよりは少しだけ大きい。奏でる音の範囲も低く、その音域は声楽に近いのだと――楽器に詳しくない山辺に少女が懇切丁寧に教えてくれたのが、一週間前のことだ。会話の内容も、覚えていられなくなっている。

 本当に、年は取りたくないものだ。

 少女が腰掛けているベンチの左端に、山辺は座った。楽器を挟んで二人して並び、日没の方をみる格好となる。そんなに距離を置かなくても、と苦笑する少女に、ここでいいんだと山辺は笑い返した。

「今日もまた、即興なんだね」

 地平線の方に顔を向けると、ちょうど湖をはさんだ側が、陽の沈みゆく空だった。オレンジ色の陽光が、空との境界を曖昧にしている。陽の沈む様を、庭園の老人たちもまた思い思いに座り込み、眺めている。彼女のような若い人間は一人もいない。

「なんかそれ、嫌」

 と少女はむくれたようになる。

「嫌かい?」 

「だって即興っていうと、なんか間に合わせって感じじゃない。私はそういうつもりじゃないんだからね」

「楽譜もなしに、しかも見知った曲じゃなくて、その場限りの曲を弾くのは即興じゃないのかい?」

 彼女が楽譜を頼りにしているところを、山辺は見たことが無かった。そのことについて、前に訊いたことがあったのだが、あいにくそのとき彼女が何と答えたのかきちんと覚えていない。

「違うよ。間に合わせじゃなくて、ちゃんとした曲よ。ただその時々で、弾きたいものが変わるから、だから前もって準備した曲じゃない方がいいってこと」

「だからそれが即興というものでは?」

「うん、でもうまく言えないけど、そのときどきで違うものを、私の場合ただ弾いているだけなんだけど、私の中でもう完成されたものを弾いている感覚で、だから間に合わせたものとは違う。それが即興といえばそうかもしれないけど、そう言われるとちょっと納得できない感じがするのよ」

「そういうものか」

「そういうものよ」

 どこがどう違うのか、理解できなかったが、少女が違うと言うのだから違うのだろう。それ以上突っ込んで訊くつもりもなかったので、そうかと相づちを打っておいた。

 陽は、地平線の付近にあった。

 淡い白を内包した橙の光は、何もない砂漠の表面を照らしている。砂の合間に差す影は、形を変える砂丘の形にあわせて変化をして、影自体もまた徐々に長く伸びてくるようだった。

 空は、群青の色が濃くなっていた。西の空を埋める雲の一群は、空そのものにとけ込むように黒く青く埋没してゆく。光が弱くなっている証拠だった。確実に夜が迫りくるなかで、最後まで抵抗するように、半分だけ没した陽は朱に燃えている。地上を縁取るように地平線上、橙の陽光が広がっていた。

「本当に、地上には何もないんだね」

 少女がそんなことを口にした。この世界に生きるものであれば、当たり前すぎる言葉であった。

「生き物は何も、全部地下に押し込めて、地上には草の一本すら生えないなんて、ちょっと信じられない」

「環境負荷物質は、地上にいる限りは影響を与えるからね。こういうドームでさえも、本当は好ましくないぐらいだ。地下に潜ってしまうほうが一番良い」

「地下って、息が詰まるのよ」

 と、少女は顔をしかめた。

「地下ドームは、かつて人間が暮らしていた地上とそっくり同じに再現されているはずだけどね」

「それでも、地下って嫌な感じ。空は本物じゃないし、太陽もそう。上から天井が落ちてくるんじゃないかって。そうでなくても、上に何かがあるってのは嫌な感じ」

「そうかい、私はそこまで気にしたことはないが」

 けれども、少女の言うことも分かる気はする。あの地下には何もない、生活するためのものはあるけれども、それだけだ。少なくともこの庭園のような、豊かな色を持つものは何も。

「宇宙に行けば、それも変わるのかな」

 少女が言うのに、山辺は首を傾げる。あまりにも突拍子もないことに思えた。

「宇宙に? どうして」

「それは、教えてもらえない。でも人類の希望として、選ばれたのだから、今しばらく我慢しなきゃいけなんだって。よく分からないけど」

「それは一体誰が言うんだい」

「アンドロイドよ。ドームにいるのは私みたいな子供と、あとはアンドロイドたちがいるだけ。おじさんみたいな大人って一人もいなくて、アンドロイドが全部仕切っているの」

 少女は不満をありありとその顔に浮かべている。全くもって想像がつきにくいことだった、ドームには子供ばかりでアンドロイド――つまりリオみたいな連中が闊歩していて、彼らが子供たちを管理している。想像すると、随分とそれは異様な光景だ。

 陽の光が弱くなるにつれて、空の色が深い藍色に塗りつぶされてゆく。まだ最後の最後に残った光が地平線で、ダイヤの指輪めいて輝いている。主張する光、それが薄暗闇の中でよく目立ち、少女の影を浮き彫りにさせる。

 やがて完全に陽が没した。闇が訪れるまでに時間はかからなかった。

「今日はここまでね。早く帰らないと、ドームから締め出されちゃう」

 少女はいそいそと帰り支度を始める。気づけばドームの天蓋が閉じるところだった。二重構造のシェルターがせり上がり、外界の景色を徐々にではあるが覆い隠してゆく。ゆっくりと、確実に闇が満ち、それに伴い他の老人たちも腰を上げてめいめい、帰り路につく。夕方の前後二時間以外はただの味気ないドームでしかないここに、長く留まる理由などない。

「またね、おじさん」

 少女が立ち上がった。

「今度もまた来るのかい?」

「時間が許す限りね。私、気に入っているから。この場所」

「私もだ」

 山辺は微笑みかける。

「また会おう、またここで」

「ええ」

 少女が手を振る。

「また日没に」


 ウェルカムトゥ・ホール――人工言語のなめらかな響きは、あまりにもこの場に馴染みすぎている。真っ白なバイオマテリアル壁に囲まれたこの場所は、建設当初こそ秘密主義を貫いていたものの、現在は施設の一部を市民に公開している。中に入れば、吹き抜けのロビーが出迎え、公開スペースには人類のこれまでの歴史――地下に潜るに至るまで――が閲覧できる。人工言語のアナウンスが事細かく教えてくれるだろう。

 もっとも、そこまでだ。ここで何が行われているのかということは公開されることはなく、これからも行われることはないだろう。

総時局ホール――あまりにも似合わない呼び名だった。その呼び名の由来は誰も知らないが、少なくともここは劇場ホールには相応しいとは思えない。幾百の職員が、楽器の代わりに空間ディスプレイを展開し、オーケストラではなく物理演算式を紡ぎ出す。その内容に関しては、市民の誰も知ることはなく、おそらく知ろうともしないことだろう。

 山辺がそこに加わってからもその役目は変わらない。ただし変化は、もうすぐオーケストラはクライマックスを迎えるということだけだった。

 

「精が出るな」

 そう話しかけられたとき、それが自分に対する言葉とは思わなかった。前後を見渡せば誰もが一方向、つまり前方のスクリーンに向き合っている。横一列にアルミのデスクが並び、白銀のホログラムがスクリーンを生みだし、デスクに座る人々の顔を明るく照らし出す様は、ある種異様な光景だ。

「こっちだ、こっち」

 山辺はスクリーンの端に覚えのない画面が展開するのをみる。一人の男の顔が映し出されていた。

「マックスか、何の用だ」

「ああ、こっちは今終わったところでな。そっちの進み具合はどうかと思って」

「どうといっても」

 現場のマックスとプログラマーの山辺では、仕事の質も目的も大分違う。すでに完成している設備の点検と整備を行えばいいマックスと、日がな一日スクリーンの前で数式とにらみ合って一つのミスも許されない自分とでは、仕事に対する構えも違ってくるのだろう。そうでなければ、そっちはどうか、などと聞けるはずもない。

「順調だ、とでも言っておけばいいのか?」

「そうか順調か、なら問題ねえな。何せこっちの方がうまいこといっても、それに乗せるプログラムがダメなら話にならんからよ」

 もう少し声を抑えて話すと言うことを、この男は知らないのだろうか。指向性スピーカーだから周りに聞こえるということはないが、感度がいいだけにやたらと耳に障る。

「そんなことのためにわざわざ通信を寄越したのかお前は」

「こっちゃほとんどやることもねえからよ。整備が終わりゃ、あとは解散。あんまり暇なもんだから」

「お前はそうかもしれないが、こっちはそうじゃない」

「相変わらずつれねえな」

 マックスは肩をすくめた。

「知ってるか? お前さんの仕事への忠実さはこっちの方でも有名だぜ。まるで仕事と心中するんじゃねえかってぐらいにさ」

「何だそれは」

「そのまんまだよ。ホールのプログラマーったって、お前ほどの堅物は今まで見たことないってね」

「嫌みか、それは」

「何、何。マジメなことはいいこった。人類のために尽くすんなら、そんぐらいがちょうどいい」

「やっぱり嫌味じゃないか」

 全く心外なことだ。こうしてプログラムを構成しながらも通信につきあってやっているのだから、感謝されこそすれ嫌みを言われることなどない。

 いい加減通信を切ろうと手を伸ばしたとき、マックスが思い出したように言った。

「ああでも、今日からは暇になってもいいんだったな。我が家に退屈しのぎの玩具が待っている」

「なんだそれ」

「確か今日だろう、委員会から例のものが支給されるのは」

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