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庭園  作者: 俊衛門
19/21

19

 最後の日には、最後らしく。

 

 しかし、最後までいつも通りに。


「今から四七時間後に、振り子は動きだす」

 オートヴァスの演説はいつも通りの時刻に始まり、しかし今は違う心持で誰もが聴いていた。

 オートヴァスは少しやつれているようにも見えた。憔悴しきって頬がこけ、目の下に隈ができているが、眼は相変わらず鋭いままだった。すべての職員たちを前にして、よく通る声で熱弁をふるっている。

「この週末を終えたら、移住者ドームでは時間の巻き戻しが始まる。それに伴いすべてのドームでは、時間が進む。巻き戻す分だけの熱量が、徐々に奪い去られてゆく。それでも知らないままであるのが、まだ幸せなのかもしれないが、諸君はそうは行かない」

 山辺は群衆の後ろに立ち、オートヴァスを遠目に見た。

「今、諸君が感じているであろう不安、恐怖、それらも時間逆行が始まれば、徐々に忘れてゆくことだろう。それは私とて例外ではない。だから今の内に、言葉を残したい。今までの働き、感謝をしたい」

 誰も彼も、冷静にその言葉を受け取っているように思えた。不安がっているものもいない、来るべき時が来たのだというように。

「君たちは、人類を救うという大儀を果たしてくれた。君たちは、世が世なら英雄と称えられただろう。だがそれを知っているものは限りなく少なく、またその数少ない理解者も、あと一週間もすれば君たちの行いを忘れてしまう。むろん、君たち自身も。誰に誇って良いのかも分からず、誰にこの理不尽さを知ってもらえば良いかも分からない。誰にも言えないことを、君たちは君たち自身でしか知らない。私は誇りに思う、だけど君たちはそうとばかりは言えないだろう。それらすべてを加味して、私は君たちに感謝の意を示したい。これまでありがとう、たった今から君たちは英雄たるを止め、家族の元に戻り、友人と語らい、人間として過ごすことができる。この四七時間だけは君たちのものだ。どうか悔いのないように、その過ごした時間をたとえ覚えていないのだとしても、一瞬だけでも噛みしめられるよう祈っている」

 天を仰ぐもの、祈りを捧げるもの、うつむくものと様々だった。それでも誰か一人ぐらいは泣き崩れるものがいるだろうと思っていたが、彼らの態度は実に静かなものだった。最後であってもいつも通りであろうという意思なのだろうか。

 解散の号令がかけられるとともに、皆は速やかにホールを後にした。

 山辺一人だけそこに残っていた。すべての職員がいなくなったその場で、山辺はたたずみ、その山辺に声をかけるものがいた。

「お前も早く戻れ、山辺」

 振り向くと、オートヴァスが立っている。壇上にあがっていたときと、幾分印象が違って見えた。背中を丸めて、くたびれた老人のような声で話す。まだ時間の逆行は始まっていないというのに、オートヴァスに今まで存在した熱量の何割かがすでに奪われているかのように。

「最後の時間は貴重だぞ。こんなところで、時間を無駄に過ごすこともない」

「あなたこそ、ここにとどまる意味はないでしょう」

 するとオートヴァスは、あざけるように鼻先で笑い飛ばす。よたよたと噴水の方まで歩き、縁に腰をかけると本当の老人のようだった。

「人類のためにと、邁進してきた。この計画の実行がすべてだった、私がここに入所してから。気づけばこんな歳、そして今日が最後だ。今更何かしたいということもない」

「ご家族は……」

「いると思うかね? 私はずっと一人だったし、それでも構わないと思っていた。だがいざ一人になってみると、それはそれで寂しいものだ。少なからず老いてゆく恐怖やら不安というものを、人並み抱えているのに、それを紛らわす方法もない。この不安も、今だけはどうしようもない」

「あなたがそのようなことを仰るとは、思いませんでした」

 それは確かにオートヴァスだったが、山辺の知るオートヴァスとはまた違っていた。かつてのような鋭さはなく、本当に彼は気勢を欠いてしまったかのようだった。

「私が以前言ったこと、覚えているか」

「ええ、よく覚えていますよ。視野狭窄であると」

「よりによってその部分だけ覚えていたか」

 そう言ってオートヴァスが、少しだけ笑った。この男の笑うところを見るなど、初めてだったかもしれない。

「あのときの君には、ほかに何もないという風に思えた。私と同じように、使命感に燃えていたけれども、それにばかり囚われている。だから余計なことを言ってしまったのかもしれないな」

「そんなことは」

 口に仕掛けて、口を閉ざした。その先を口にすることも、今更のことだ。

「けれどそうしなければならなかった。ここに来るものは、日毎、覚悟だなんだと口にしなければいけない環境にあったのだからな。そうでなければ自分を保つことなど出来ない。真実から目を背け続けなければ、正気を保っていられない。そうでなければ、彼のように、自ら死を選んでしまう」

 マックスのことか。口には出さなかったが、それと気づいた。

「本当に、すまないことをした。そんなこと、何度口にしても償いきれないほど」 

 オートヴァスの目に、かつての鋭い光はなかった。今、山辺が目にしている彼の姿は、くたびれた老人のそれだった。もしかしたら、これが本来の彼の姿だったのかもしれない。己の内にある不安を覚悟という人工のスローガンで塗りつぶし、拭いきれない感情の発露を無理やりに押し込め続けてきた男の姿――今ようやく、かつての自分に、ユーリー・オートヴァスという個人に戻ってきたかのようだった。

「これからどうされるのですか」

 山辺がそう訊くと、オートヴァスは魂の抜けた目で虚空をにらみ、肩を落とした。

「私には、誰か一緒に過ごそうという人間もいない。いつも通りの朝を迎えて、いつも通りに夜を迎える。そうして最後の時を迎えるつもりだ、いつもの毎日のように」

 そして、山辺の方に向き直る。

「君は」

 そうして向けたオートヴァスの表情は、今まで見たことのない柔和なものだった。

「君には、いるのではないか? 最後を迎えるときに、せめて君が傍にいたいと思うのならば、それを実行しなければ後悔する」

「それは……」

 次に山辺が言おうとするのを、オートヴァスは手をかざして制止の体を成す。山辺は軽く会釈してから、オートヴァスに背を向けた。

「ひとつだけ。あなたは後悔されているのですか」

 そうして告げたときの、オートヴァスはどんな顔をしていたのか定かではない。

「後悔しない人生などない」

 最後に一言だけ、オートヴァスが述べる。それを受けて、山辺は立ち去った。


 街の景色はどこにも変わりはない。

 今まで通り人々は勤めに精を出し、いつも通りショッピングモールは家族連れでにぎわう。テレビではドームの耐久性についての議論が交わされて、道行く人たちは明日への不安を漠然と抱えながらも、それでも今を生きるより選択する術はなく、不安でもそれはそれとして生活を送っている、そんな街の風景。

 そうした生活は、明日からまた始まると思っているのだろう。事実は違うと、仮に誰かに話したところで、あと少しでそのことを忘れてしまう。子供は大人になり、大人は老人になり、老人は衰えて死を迎え、そしてそれは当たり前のこととして受け入れられる。昨日までの自分を知らなければ、そうなるのだ。時間とは連続の概念、連続していたことを忘れてしまえばそれは呆気なく受容される。 

 過去から未来へ続く一本の先としての時間は存在しない。一瞬一瞬が分裂している。環境の周期性によって人は時間というものを知覚しているのだ。

 たとえば振り子のリズム、季節の変動、地球の自転による、太陽と月の運動……そういうものがあり、その周期の狭間に存在した記憶を持ってして過去が生まれ、振り子の持つ等時性により未来を予測しうる。 

 だが記憶は消える。それまでのことを忘れてしまえば過去はない。振り子の運動が乱れれば、未来への予測もない。これから先は誰しもが思い浮かべることはない。二四時間ごとに更新される現在、移住者ドームでは物質の時間が巻き戻されて、そのほかのドームでは熱量が奪われた分記憶が消える。連続の記憶がもてなければ、それはもはや時間とは言えない。連続してこそ時間であり、意味が通るのだ。楽曲の一部を切り取ってもそれはただの音であるのと同様に。

 そんな当たり前のことであっても、それが目の前に迫っているのとそうでないのでは随分と違って見えた。最初の時に、抱いた覚悟というものは、頭の中で思い描いた覚悟であった。そんな覚悟とは随分簡単に瓦解するものである。

 せめて、その差し迫った覚悟に見合うだけの時間を過ごすことができれば、納得して死ねるのかもしれない。当然そのようなこともなく、無為に時間を過ごして、残りはあと半日となっていた。

 すべきことはあった。読みかけの本を読む、高級な酒を飲む、今までの人生を振り返る。しかしどれも、義務感から行うような心地であって、本当にそうしたいというわけでもない。本もそのままで、上等のスコッチはグラスの半分もあけられない。今までの人生を、思い返してみても、邂逅するに足るほどのものかわからない。安楽椅子に座って外を眺めていると、リオが部屋に入ってきた。

「人類委員会より通達がありました」

 杓子定規にそういって、ほぼ直立不動で応じる。

「なにが」

「たった今より、あなたに対する全ての任務を解く、ということです」

 山辺は返事をする代わりに、左手を振り上げた。

「これより先は、私はあなたの、身の回りのお世話をさせていただくことになります」

「今までだって半分そうだろう」

「いえ、若いあなたには必要のなかったこと、年老いたあなたにとって必要なすべてを請け負うこととなります」

「下の世話ってことか。これから死にゆく人間に、そんな堂々と言うべきことか」

 アンドロイドとはどうして肝心なところで気が利かないのか。情動型といっても所詮は機械だろう。死の概念がなければ、理解しろというのが難しい。それは電子脳の中での理解でしかない。それはちょうど、一年前の山辺が抱いた覚悟が、頭の中での理解だったようなものだ。

「いいよ、別に世話なんていらないし。任務が解かれたなら、勝手にどこへなりとも行くがいいさ」

「あなたはそのように言われるだろうとは、予測していました」

「じゃあどうしてここにいる」

「最後に、まだすべきことがありますから。週末の、日没のこの時間にすることが」

 リオが言うことを理解できないほどではなかったが、同時にそのことが忌々しく、舌打ちを禁じ得ない。

「よけいな気は回るな、相変わらず」

「それで、行かれないのですか。車を回しますけれども」

「行ってどうするんだよ」

 部屋の片隅には、ケースに入れたままのバイオリンがある。

 あの日から、庭園には行っていない。月慈と顔をあわせれば、何をしてしまうか分からない自分が怖かった。彼女の音を追いつづけたい反面、それを追ってしまえばもう、未来に絶望するしかない自分をはっきりと自覚してしまう。そんな気がしていた。

「演奏をされるのではないかと」

「お前は僕に、わざわざ意味のないことをしに行って、わざわざ惨めな思いになってこいというのか」

「惨めとは」

 リオは、いつもの無表情で言う。もちろんこのアンドロイドには分からないことであるし、 最初から分かるなどとは思っていない。

彼女に会いたいと思うようになって。それでももう会うことは叶わない、永遠に。そう知れば、そっちの方が惨めではないか。惨めにならないはずがない。

 分かっているのだ、リオを責めたところで仕方ないことだ。リオがどうであろうと、彼女に惹かれていたのは紛れもなく自分であり、それに気づくまいとしていたのも自分だった。

「会うこと叶わないと知っていてなお、お前はそこに行けというのか」

 だけども、微妙に互いの音がずれたままならば、そのままであれば気づかない振りのまま終わることも出来た。アカデミーで出会った変な女と再会し、ちょっと楽器を引っ張り出して昔を懐かしみ、だけれどもやっぱり音があわないまま終わる。まあいい思い出だった、そんな気分で最後を迎えられたかもしれない。

 だが今は。今ではもう、誤魔化すことなど出来ない、見ない振りが出来ないのならば、どうして今までと同じように会うことが出来るのか。

 もうまもなく、すべてが終わろうというのに。

「お前が僕を連れていかなければ良かったんだ」

 震えている、自分の手は固くグラスを握りしめている。どれほど取り繕っても、見ないふりなど出来るはずのない激情の象徴だった。いくら理性で糊塗して見せて、体裁を整えたとしても、その本質は覆そうもない。

「お前が余計なことをしなければ良かったんだ」

 リオは黙っている。黙って、山辺を見つめている。見つめているだけで、何もすることがない。

「最初からお前が、僕を連れて行かなければ。あそこに、連れて行くことがなければ――」

 最初とは、いつだっただろうか。

 あの庭園から、彼女と出会ったころからか。最初にリオと会ったときからか。あるいはもっと以前――初めて弦を取ったあのときからか。

 どの時点の最初が、この今につながったのか分かるはずもなく、どの最初が、この一瞬を作ったかなんて分からない。ただ、その最初がなければ、永遠に知ることがなかった「今」が、ここにあるのだ。一番知りたくて、一番知りたくなかったそれが。

「あんなところに行かなければ!」

 払いのけた、机の上のグラスと酒壜がこぼれ落ち、派手な音をたてて砕け散った。思い出も嗜好品も埋め合わせるには足らない、空虚さの象徴であるそれらが床一面に広がった。

「……あなたが以前におっしゃったように」

 リオは床にひざまずくと、ガラスの破片を一つずつ拾い上げる。破片が指先を切り、黒っぽい液が膚を伝うのを見た。アンドロイドの血液、ナノマシンの循環液を。

「私には、分からないことかもしれません」

 リオは床を見ているので、ここからはうなじのあたりまでしか見ることが出来ない。だから表情も伺い知ることがないのだが、あまりにも小さく肩を縮めている姿がどこかしおらしく見える。

「真に理解をしようとすれば、それは機械的な作業になります。私の場合は、あなたの求めに応じていれば、それで良かった。確かに余計なことでした、これは必要なことではありません」

「それなら何で」

「そう、したいと望んだからです。私がそうしたいと、あなたを見ているうちにそう感じたからです。あなたにとって良い選択とは何かと、そう考えたことが、私にとってはこの方法でした」

 リオはやがて、破片を集める手を止めた。立ち上がり、真正面から山辺を見据える。

「私がしたことは、あなたの望んだことではなかった。そうであれば、このまま最後の時をお過ごしください。私はあなたを見送る義務があり、あなたの側にい続ける必要があります。そうでないのだとしたら、あなたが今なにを望んでいらっしゃるのか、私に命じてください。それに応じます」

 山辺は言葉を失い、リオの眼を見つめる。単なるセンサでしかない機械の眼であるのに、それを見続けることがなぜだかできずに眼を背ける。

「どうすればいいんだ」

 問いかけた。真に自分ではどうすることの出来ないことを、今更口にしたところで――ましてやそれを聞かせるのが人でもないアンドロイドであるとは、何とも救いようがない話だとは思う。

「最後の時を過ごすのに、ちょっと前ならば自分一人でも良いって思っていた。人類を守って死ぬという、使命感を抱いたまま迎える最後も悪くないって」

 ただ、それを止めるにはあまりにも強い意志が必要なように思われた。それを発揮するよりは、思うままはなす方が楽であると思われた。

「彼女と会った。最初はまあ、それでも変わった娘だとしか思わなかった。だんだん会って、話をするうちに、自分も少しだけ同じようにと思ってしまった」

 リオは黙って聞いている。その表情がどうであるのかは、分からない。山辺は顔を伏せたままだったから。

「ほどほどでとどめておけば良いものを、なぜ僕は」

「それは」

 ガラスが触れ合うときの甲高い音が鳴って、それでようやく山辺は顔を上げる。リオが割れた破片をダストボックスに放り込む音だった。

「私が判断することではありませんよ、ミスタ・山辺。あなたが決めることではありませんか」

 そうしてリオが顔を上げた。

「あなたはどうしたいのですか」

 それを聞いて、山辺は少しだけ考え、そしてそれを口にした。

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