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庭園  作者: 俊衛門
16/21

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 木々が色づいてゆく。


 冬の訪れを知らせている。


 街路樹。赤く燃える葉が、ひとひらと落ちてゆく。紅葉の樹は間もなく枯れ木へと姿を変えるだろう。冬の間はそうして、樹木自体が眠りに入るのだと、遙か昔に聞いたことがある。いつだったのかと覚えてもいない。それほど年をとったということだ。

 電動の移動イスに寄りかかりながらレバーを進行方向に押し倒して、山辺は紅葉の並木を行く。はらはらと落ちてくる赤い葉が、膝の上に舞い落ちてきて、それはあっというまに茶色く縮れてしまった。所詮、クローン培養の植物などその程度なのだ。この紅葉も、特に必要のないものだ。

 ただここ、庭園に季節感を演出させるための舞台装置であり、小道具でもあるこれが、四季というものを忘れた人類にとってはありがたいのだろう。ちゃちな仕掛けでも、それを求めて足を運ぶものは少なくない。山辺自身もまた、そのうちの一人なのだから。

 湖までたどりつくと、老人たちが似たようなデザインの移動イスに寄りかかり、沈み行く陽を眺めているのが見える。その老人とは別に、岸辺近くで子供たちが駆け回っているのを認めた。

 山辺が湖近くまで来たとき、駆け回る子供の一人がこちらに気づいたように顔を上げた。まだ七、八歳ほどの少女はこちらに近づき、山辺はそれを見て動く方の手で帽子を持ち上げてみせた。

「こんにちは、お嬢さん。こんな老いぼれにどのような用ですかな」

 自分でも、どことなく皮肉めいた響きになってしまったと思ったが、少女にそんな意図が伝わるわけもなかった。少女はちょっと不思議そうに首を傾げて、たどたどしい言葉遣いで訊いてくる。

「みたことのない乗り物」

 ああ、と山辺は声を上げる。彼女ぐらいの年齢ならば、移動イスを見たことなどないだろう。磁気浮遊装置で絶妙なバランスを保ちながら動き、すこしふらつきながらも走る速度は人が歩くのとそう変わらない。それどころかその気になれば自動車と変わらないスピードも出るという代物だ。電力をそれほど使わないから、エネルギーの少なくなったドームでは重宝する。

「もう私は歩けないからね。こんなものに頼るしかないんだよ。君たちみたいに健康ではないから」

「病気なの?」

「いいや。ただ、年を取った。昨日までのこともよく覚えていられないほどに年老いているから、必然そうなるのだよ」

「私もそうよ」

 と少女は、磁気浮遊のイスに軽く触れた。ふわふわと浮かんだままのそれがわずかに揺れた。

「私も、あまり昨日のことは覚えていないわ」

「お嬢ちゃん、それは単純に君が必要ないからだよ。昨日のことを覚えなくても良いぐらいに、今が充実している」

「昨日のことはね。でも、ちょっと前だと分からない。私ね、このドームによく来ていたみたいなの」

 少女は、そういって眼を伏せた。

「私の家にはね、この庭園について書いたノートがいっぱいある。見たことのない記号と、習ったことのない文字が一杯。でもその中で、庭園って言葉だけがたくさん出てきた。私、その言葉を見たときに、なんだか落ち着いていられなくなって。ドームの外には出ちゃいけないって言われたけど、特別に来させてもらったの」

 少女が振り返った先に、年若い女性が立っているのが見える。女は山辺の方を見て会釈をしてきたので、山辺の方も会釈を返した。

「お嬢ちゃんの家はどこにあるんだい?」 

 山辺が訊くのに、少女は何故か一瞬だけ躊躇した。

「人に言っちゃいけないって言われたんだけど、みんなが移住者ドームって呼ぶところ」

「そうかい、すると君は宇宙に行くんだね」

 宇宙に行くために集められた子供たちがいるドームがある。以前にそう聞かされた記憶が、かすかによみがえってきた。それは随分前であったような気がするし、昨日のことのようでもある。

「ならばほかの子たちも、同じように宇宙に行くんだね」 

 すると少女は、何か不愉快であるかのように顔をしかめて言った。

「みんなそういうけど、私にはわかんない。どうして宇宙に行かなければいけないの? そんなことしなくても、ここでみんなと一緒に暮らしていければいいのに」

「それが出来るならば、素晴らしいことだね」

 山辺は首肯して言った。少なくとも少女にとっては大きすぎる問題であるはずだ。それをうまく処理できないのは当然のことだ。

「この星はもう駄目なんだよ」

「駄目ってなに?」

 少女は山辺のすぐ近くに腰を下ろした。

「そのままだよ。今はドームで生きてはいられるけれども、一歩外に出てしまえば大気に焼かれてしまう。この庭園でさえ、日の入りの数時間しか開くことが出来ない。それも天蓋の遮光ガラスのおかげで、どうにか大気から遮られているだけで

 努めて、平易な言葉で説明しようとしたが、それでも少女はしきりに山辺の言葉の意味を考えていた。

「じゃあドームにずっといればいいんじゃないの?」

「そうもいかないさ。今は良くても、何年か経てばドームの方が保たなくなってくる。それを何度も建て直すほどの余裕はなくなっているから、結局は移住した方がいいんだ」

「おじさんも宇宙に行くの?」

 少女はそう問いかけた。

「私は行かないよ。もう先は長くない私みたいな老いぼれが行ったところで、皆の迷惑になるだけだからね」

「そんなの」

 悲しげに少女は顔をゆがめた。山辺がその先を語るまでもなく、この子は瞬時に山辺が迎える先の運命まで予測したのだろう。こんな見ず知らずの老人の行く末を思い、少なくとも悲哀じみた表情を見せるこの少女が、何かいとおしく感じた。

「いいんだよ、お嬢ちゃん。そんな顔をしなくても。私は十分に生きたのだから、これからを生きる君たちが気に病むことはない」

 周りの皆がそうするように、山辺は空を見上げた。橙色の陽は、地平線にかかり、空の色が薄い金色を帯びているのを見た。

「おじさんは平気なの? 置いてきぼりになるのに」

「私には、君がその星に行って、そこで人生を新しくする、そのことが遙かに重要なんだよ。いつか君も成長して、恋をして、結婚して、子供をもうけて……そうして君も私と同じように年をとってゆく。そうなれば君にも分かるだろう、後に残されることよりも、先を行くものたちの幸せを願い、そのためにならば犠牲を払ったとしても構わないよ。私のような人間に、少しの間だけでも気を払ってくれる君のような子が幸せになる。それだけでいいんだ」

 少女は、それでも納得ゆかないという顔をしている。このぐらいの子供では、山辺の気持ちを理解しろという方が無理なのかも知れない。

「おじさんは優しい人なのね」

 けれども、真心は。その心根は変わらぬものである、と信じるに足る。少女はきっとそのままで大人になるのだろう。大人になるにつれて、今日のことは忘れて行くだろうけど。きっと今日のままでいることだろう。そんな気にさせてくれる。

 遠くの方で、少女を呼ぶ声がした。例の女が手招きしている。いかに大気の影響が弱い庭園といえども、子供を長時間居させて良い場所ではない。

「もう行くわ、おじいさん」

「ああ、そうだね」

 山辺が笑いかけるに、少女も微笑み返した。

「月慈よ」

 少女はそのとき初めて名乗った。

「覚えておいてね。また来るときには」

「山辺だ」

 と、右手を差し出した。しわだらけの山辺の手に、ふっくらとした小さな手のひらが重ねられる。

「また来るよ、黄昏時に。この日没に」

 彼女はそうして去っていった。

 日没が終わる。地平線にすっかり日が落ちて、闇が降りてくる。めいめい引き上げる老人たちを脇に見やり、山辺は沈んだあとの陽を眺めていた。

「お体に障りますよ」

 そう山辺の声をかけるものがいた。浮遊イスをそっと押してくるその人物を見上げると、見慣れない白人女の顔が写る。

 それが誰であるのかを思い出すのに、たっぷり十秒ほど費やした。

「リオか」

「お忘れですか」

 いかにも人好きするような笑みを浮かべるリオを見て、一気に興がそがれる感じがした。

「いつからいたんだ」

「先ほどからずっと。あなたの逢瀬を邪魔してはいけないと、ここより五十メートル離れておりました。すぐにこちらに来られるかと思ったのですが、そうではなかったようでした」

「そうじゃなかったというのは、つまりどういうことだ」

「何か思うところが、ございますか」

 あまりに唐突に切り出すものだから、山辺はしばらくその意味を考えなければならなかった。

「何が言いたい」

「彼女と話されて、何かあなたの心に引っかかるものがあったのではないかと、そう思ったのです」

「お前に何が分かるというのだ」

「ええ、分からないかも知れません」

 山辺が移動イスの舳先を返すと、リオは後ろからそっと押してくる。

「けれど、推察する事は出来ます」

「推察だって? 心などがないお前たちアンドロイドが、どうしてそんなことができる」

「私の電子脳にあるニューラルネットワークは、人のそれを模したものです。身体性は、遺伝的アルゴリズムによって人の身体と同等のものを作り出しています。知覚は、あなたと同じレベルです。そうして情動を備えているのが私です」

「どうせコピーだ。オリジナルにはかなうまいよ」

「そうかもしれませんね」

 リオは山辺の方を見てはいなかった。歩きながら前だけを見て、山辺はその顔を下からのぞき込む形となる。無表情で、厳然としている、横顔を見ていた。

「ただ、私に分かるか分からないか。情動というものがどういうものなのか、私の認知レベルでは所詮分からないものかもしれません。脆弱で年老いて行く人と違い、少なくともあなたたちよりは頑丈で年を取らない、そんな私には本来の感情など存在しない」

「だったら――」

「それでも」

 山辺の言葉を遮ってリオが発した。

「それでも、かつてこの場所で交わされたすべてのことを、私は忘れたくないと感じています。そしてあなたと、先ほどの彼女との会話を聞き、それをずっと見ていたいと思う反面、見ることがつらいと感じること。真か偽かというプログラム通りではないものを、私の脳は選択しているのです」

 一体何を意図しているのか分からなかった。リオが言うことが、山辺に言い聞かせたいことであるのか、独り言なのか。アンドロイドが独り言など考えにくいことではあったが。

「ここで交わされたこととは」

 山辺の移動イスを、リオは走路のターミナルとは反対方向に押して行く。

「一組の男女がいました」

 何の前触れもなくリオがいう。

「その二人は、この場所で逢瀬を繰り返していました。それでも、二人には越えられない障壁がありました。その愛は始まることなく、それでも今でも繰り返されるのです」

「よく分からないな、最近のアンドロイドはよほど情感豊かに造られているのか?」

「ほかの仲間は知りません。私が、もしかしたら特殊なだけかもしれませんから」

 リオはそうして、はぐらかすようなことを言う。前にも似たようなやり取りがあったような気がしたが、いつだったかは思い出せない。車にたどり着き、後部座席に腰をずらして身体を滑り込ませ、移動イスはトランクに収納された。

「それで、その話には続きはあるのか」

 運転席に座ったリオに、山辺はそう聞いた。

「興味がおありですか?」

「特にはない。訊いてみただけだ」

「そうですか」

 エンジンをかけ、リオは車を走らせた。少し走ったところで、唐突にリオは口を開く。

「よろしければ、お聞かせいたしましょう。かつてあそこで何があったのかを」

 山辺はもう、それについて何かを言うことはなかった。

「かつてあの場所であったこと。過ちとすれ違い、一つの音色が重なったときに、初めてそれをそれと自覚して――」

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