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庭園  作者: 俊衛門
15/21

15

 あれは何という花か――庭園の大半を占める、淡い水色の花が、映える。花の名などまるで知らないが、その花を美しいと思った。

 天蓋が開き、オレンジの光が差し込むと、庭園は朱色に染まり、名も知らぬ花に光りを落としていた。強い光の元では、花は朱を表し、弱い光りの中では、花弁は青色を保っている。

 木々が揺れていた。人工の風が葉を揺らしている。朱の陽光は葉に遮られるが、枝が揺れ、葉が揺れる度に、こぼれた陽の光が地面に映っている。

 湖までは一人で行った。リオは庭園の脇に控えている。山辺はベンチに座り、バイオリンを取り出す。

 弓を構える。一つ、弾いてみた。なめらかな音が奏でられ、美しい旋律が響く。たわむれに初歩的な練習曲エチュードを弾くと、すぐに手の中に弦楽器の感触がなじんだ。

 一曲弾き終えたときに、背後から声がした。

「今日は遅いのね」

 その声を聞いた瞬間に、心臓が跳ね上がる心地がする。振り向くと、月慈がいた。

「やっぱり来たんだ」

「だって週末だし。あなたもそれが分かっているから、こんなに早く来たんじゃないの?」

「ああ、まあ」

 月慈は、いつもとは少し違った様子だった。束ねた髪を下ろして、豊かな黒髪を流れるままにしている。白のブラウスの袖口に、紫糸で花の刺繍を施している。今までにない服装だった。

 そんな格好をしてきたことなど今までなかったので、少なからず動揺した。それを気取られないよう、山辺は少し視線を逸らした。

 月慈はケースからビオラを取り出して、膝の上に乗せて弦を調整する。二度、三度と弦を弾いて音を確認してから、向き直った。

「ところで、あの噂」

「噂って?」

「だから、宇宙に行くって話。なんだか最近、よく聞くのよね」

「あ、ああ。移住するとかいう」

 鼓動が早くなるのを感じる。それが表に現れていないか、心配だった。そんな露骨に変化しては、月慈にそれと伝えるようなものだ。

「よく聞くってどういうことだい? そんなこと、吹聴して回る人間がそんなに大勢いるってことか」

「吹聴っていうか、やっぱりもうこの星はダメだ、って話。もう人類はここを離れて、どこか遠くの惑星に行く、いや政府はもうその準備を進めているんだって話。今では、みんなそんな話している」

「そんなに信用ないのかな、政府って」

「うん、正直ね。役人のあなたの前で言うことでもないけど」

 役人であれば、どんなに楽に聞いていられただろうか。政府筋でも、計画を知っているものは一握りだ。官庁レベルの役人で、計画を知っているものはまずいない。

「ねえ、本当に人類は移住するの? もしかしてそんな計画があったりするの?」

 月慈が訊いてくるそれを、どう捌いたものか迷った。

「そんな計画が、本当にあれば、わざわざ秘密になんかしないよ」

 そう答えるのがやっとだった。

「移住するんなら、それは人類にとって希望なんだろう? でも現実はそんなこと難しい。それより地下ドームの補修をした方がいい。これは前にも話したけど」

 月慈の顔を見ることなく、山辺は言った。

 月慈は黙っていた。もしかしたら、疑われているのかもしれないと思った。けれども仕方ないのだ、顔を見れば、きっと隠し通せない。

「そう、残念ね」

 やがて月慈はそうもらした。

「それも悪くないかもしれないなって、思っていたから。新しい星に移住するのも。あんな地下に閉じこもっているのも嫌だし、移住先で新しい人生、ってね。それもいいんじゃないかなって」

 それに同意していいのかどうか迷った。新しい人生と形容するならば、今までの人生を前提にしていることが多い。だけれども月慈の場合、そこに行けば文字通りの新しい人生となるのだから。

 何も知らない、赤子となってそこに行く。そこで新たな人生を歩み直す。音楽に関わるかどうかなんて分からない、そこでまた子供時代からやり直して、教育を受けて、働いて、結婚して、子供を産んで――そうして普通の人生として完結する。それ自体が目的であるのだ。

 これまでの人生で培ったもの、これからに生かせるすべての物、そうしたものはここで置いて行く。

 彼女が再びビオラを手にするか、どうか。そんな保証などどこにもない。

「そういうのも、いいかもしれないね」

 それを飲み込むのに、随分時間をかけたような気がした。言葉ではなく、もっと衝動的な何かだ。ほんの少しでも理性を欠けば口をついてしまったかもしれないそれを、封じ込めるのにはかなりの努力を要した。

 日が、そろそろ落ち掛ける頃、月慈はビオラを肩に乗せて弓をあてがう。

「あんまり時間ないけど、合わせてみる?」

 その言葉に、山辺は本来の目的を思い出す。バイオリンを顎と肩に挟むのを受け、月慈が先行して音を出した。

 オールドセンチュリーの、弦楽の譜面だ。ビオラの音色にバイオリンの音が追いかける形で旋律を奏でる。アカデミーでもさんざん演奏した弦楽二重奏だった。

 バイオリンの高音が主となり、ビオラがそれに寄り添う。音の幅が上下せず、変化が少ない。

 だが変化はしている。それは音の取り方だけではなく、音を奏でる自分自身もそうだ。月慈の音を聴き、その音に対して自らの音を重ねる。決まりきった譜面をただなぞるだけでも、実際の音は微く見れば違う。音は音、しかし連なることで楽曲が生まれる。その音は、誰かがすでに作ったもので、誰にでも共有できる物ではあるけれど。だが、それはその通りに弾かなければならないということではない。

 ああそうか。これがそうなのか。

 奏でるものは、弦の響きだ。しかしその弦を繰るのは人でしかない。誰かに与えられた譜面と違って、人はその人でしかなく、出来合いのものでは決してない。

 そしてその人が人であり、その人がその人のままを表せば、そのときはもはや誰かに与えられたものは必要なくなるのかもしれない――

 そんな、ぼんやりとした輪郭でしかないものが見え始め、しかしそれも楽曲の終わりとともに潰える。余韻が残り、その余韻に浸る気分で、弓をおろした。

「ちゃんと練習したんだね」

 短い楽曲でも、山辺は一曲弾けば息があがってしまうのに、月慈は全く疲れた様子がない。

「最初全然だったのに、この短期間でこれだけ出来るってすごいじゃない」

 それどこか月慈は、やや興奮気味であった。体力の衰えを気取られないよう、山辺は無理やりに笑みを作って見せた。

「まあ、これでもアカデミーでは成績が良い方だったんだよ。ブランクはあっても、勘はすぐに取り戻せる」

「でも体力は戻らなかったみたいね」

 どうやら、誤魔化せてはいなかったようだ。月慈はいたずらぽく笑い、山辺はなにやら虚勢を張っていたことがやたら恥ずかしくなって肩を落とした。

「デスクワークの宿命だよ。こればっかりはすぐに戻るものでもない」

「うん、まあそれはしょうがないね。でもサトル、見栄張ってもどうせばれるならしないほうがマシよ。隠せてないし」

「うるさいよ」

 憮然として言うと、月慈はおかしそうに笑った。そういえば、最初と比べて月慈は、ずいぶんと笑顔を見せるようになった気がする。

「じゃあさ、今度は即興でやってみる?」

「即興? 君と、僕がか?」

 月慈はいきなり、とんでもないことを口にする。さすがにそれは、と言う前に月慈がそれを遮った。

「大丈夫よ。たぶん、今のサトルなら出来る。少なくとも、アカデミーにいた頭の固い連中よりは」

「だけど、即興音楽は、まあやったことないわけじゃないけど。ましてやセッションでとなると」

「私がリードするから大丈夫よ。まあ、今日はもう出来そうもないから、来週になるけど」

 と、月慈がドームの外に目を向けた。

 とっくに陽は沈んでいた。今は、遮光ガラス越しにドームの天蓋が閉じようとしている。いつの間にか時間を忘れていたことに気づいた。

「まあ、なんとかやってみるとして……」

 林の方から、なにやら視線を感じる。そちらを気にしながら、山辺は言った。

「もうちょっと練習してくるよ。君の足を引っ張らないように」

「あと、体力の方もね」

「そればっかりは……何とも」

 苦笑しながら、山辺は言った。

 月慈が荷物をまとめて去ってゆき、ほとりを囲っていた人々もいなくなるまで、山辺はその場にとどまっていた。

 一人になったその時に、背後にいるであろう者に告げる。

「こそこそ隠れているなよ、いるんだろそこに」

 山辺が言うに、木の陰からリオが歩み出てくるのを認めた。

「よくおわかりになりましたね」

「思い切り気配を出しておいて、わかったも何もないよ。それで」

 と山辺は向き直り

「その手のものは何だ」

 リオの手にある拳銃を指した。胡椒入れじみた円筒の銃身と、簡単な木のグリップ。あまり見た目は銃という感じはしない、玩具のようなものだ。

「殺傷能力は、これにはありませんよミスタ・山辺」

 リオは引き金から指を離して、撃つ意志がないことを示す。

「これを撃ち込めば一時的に神経を麻痺させる、そういうものです」

「それを僕に使おうとしたのか」

「あなたが口を滑らせるかもしれないと思いましたので」

 案外素直にリオは白状した。全く悪びれもせずに。

「あのとき、あなたが一言でも真実めいたことを口にすれば、これを撃つつもりでした。それほどあなたは思い詰めているように見えたので」

「思い詰めているってなんだ? お前たちは、人間がこういう態度をとって、こういう顔をしたらそれすなわち思い詰めているというパターンでも学習しているのか? だとしたら無駄なプログラムを積んであるな、ご立派な脳味噌には悪いが人間はそんな単純じゃない。僕が思い詰めていようがいまいが、お前の判断基準はそんな小さなところでしかないんだ」

 自分でも無茶苦茶なことを言っているとは思った。だけども口をついてくる言葉はどうあっても止めようのないことであった。苛立ちと焦燥感をすべて言葉にして目の前のアンドロイドにたたきつけてやらなければ、それ以上の実力行使をしていまいそうだった。

「人の心なんて、何一つ分からないお前が、何を口出すことがある」

 侮辱めいていた。それでいてそれは自分自身に向けた言葉でもあった。結局自分では、その気の向く先が分からないから、一人怒鳴っている。リオが何も言い返さないことをいいことに、ただの八つ当たりだと知っていながら。

「行けよ」

 そういって背を向けた。

「ドームが閉まります、ミスタ・山辺」

「走路で帰る。お前一人で車で帰れ」

「ですが、私はあなたをお連れする義務が」

「行けって言うんだ、ぶっ壊されたいのか!」

 振り向いた、その瞬間。リオがもたれかかってきた。

 正面から、山辺を抱き留める格好となる。山辺の体をいたわるような、柔らかな抱擁だった。

 次にわき腹に刺激を感じた。リオの手には麻酔銃が握られ、その銃口は山辺の体に押しつけられている。針でも飛ばすのかと思いきや、それほど痛みは感じなかった。

 それ以上のことはなかった。全身から力が抜け、すぐに視界がぼやけてゆき、ゆっくりと倒れてゆくのを感じた。リオが山辺の体を支え、耳元で何かを言った気がしたが、何と言ったかわからない。

 走路の最終便を知らせるサイレンが鳴った。

 曖昧な視界の中、ドーム天蓋が天頂で閉まるのを見た。

 すぐに目の前が暗くなった。

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