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庭園  作者: 俊衛門
13/21

13

 彼女の姿を、見なくなった。

 それは地下天井に律儀に昇るプラズマ体が、これまた律儀に季節にあわせて光量と熱量を抑え、あからさまに日の入り時間を遅くさせ始める頃――つまりは秋だった。 

 その頃には、学生たちはコンクールの準備に忙しくなる。コンクール自体は何度もあるのだが、そのコンクールだけは特別だ。審査員たちの前で演奏し、その出来が良いものであれば特進クラスへの道も開けるが、ダメだったらもう一年チャンスを待たなければならない。だから、皆真剣になる。

 だから、彼女もコンクールに向けて邁進しているのかと思いきや――その頃から彼女の噂を聞かなくなっていた。

 同じ弦楽クラスだ。一級下であっても、見かけることは頻繁に見かけていたのに。少し気になって、級友に訊いてみた。

「ああ、あいつなら辞めたみたいだ」

 もはや関心もないという態度で、級友は答えた。どうして辞めたのかと訊くと、彼は面倒くさそうに手を振った。

「そんなこと知らないよ。辞めたんだから辞めたんだろ」

 この忙しいときに余計なことを訊くな。彼は暗にそう言っているかのようだった。それ以上彼に訊くことは出来なかった。原因が分からないのであれば仕方がない。

 彼女の事を、次に教師たちに訊いてみた。しかし、彼女の話を持ちかけると、教師たちは皆一様に口を閉ざすか、話を逸らすかした。教師たちにとって、彼女の存在はなかったことにしたいかのように。

 ともかく、彼女はこのアカデミーを去った。そういうことだけ、分かった。

 彼女の名も知らないまま、一言も交わすこともなく。



 家に戻るとリオが出迎え、開口一番に告げてきた。

「委員会より連絡がありました」

「そうかよ」

 思わず舌打ちしてしまうが、リオはその行為自体には何も言うことが無かった。

「あなたの心理状態に不安が見られると」

「それは大変なことだな」

 とはいえ、自覚はあった。どうも、気が入らないという感じが。それはマックスのことだったり、オートヴァスに言われたこともそうだったが、最大の要因は自分でも分かっている。

「またぞろ、その高性能な皮膚センサとやらで測定したというのか、お前が」

「不安定な心理と判断されれば、すぐにカウンセリングの義務が生じます」

「お前がやるというのか」

「ええ、そのために私がいるのですから」

 今度は意図的に舌打ちしてやった。

「お前にとって僕は、ただ義務を果たすためだけの存在だろうが、僕にとってお前は厄介者なんだよ。それを、今はただの同居人にさせてやっているだけだ。その気になれば、疑似神経回路を焼き切ってただの鉄くずに戻してやることだって出来るんだからな。口の聞き方に気をつけろよ」

「あなたが可能と思っていることは、その大半は可能とは言い難いことですよ、ミスタ・山辺」

 脅し文句にも――アンドロイドに脅しが効くとは思ってはいなかったが――動じず、リオは微笑を浮かべている。

「私は委員会から派遣されています。ですから、あなたが実力行使をすれば抵抗することも許されています。あなたを傷つけない範囲で」

「そうかよ。ならばカウンセリングを強制させることも出来るのか?」

「それはあなたの意志一つです。カウンセリングとは手段の一つに過ぎず、無理に行えばかえって事態は悪化するものです」

「ならば、僕がしたくないと言えば?」

「それに従うしかなくなります」

 思わず鼻で笑ってしまう。委員会といえども人工頭脳の倫理回路には逆らえないようだった。人と同等の存在として生み出されたアンドロイドが、人の敵になったことがないのはひとえに回路に組み込まれた倫理性によるものだ。

「ならば放っておいてくれよ。お前は何の役にも立たないカウンセリングとやらをしたいだろうけど、生憎僕は誰かに同情されるほど寛容じゃない。お前はそのまま、今まで通りやっていればいい」

「では今まで通りにさせていただきます、ミスタ・山辺」

「そうしろ。そして二度と余計な口を利くんじゃない」

 ぴしゃりと言い放った。言い過ぎなんて思わない、そのぐらいは言ってやらなければこのアンドロイドはいくらでもしゃべってくる気がした。

「委員会から何を吹き込まれたか知らないけど、僕はお前に世話を焼かれるほど落ちぶれちゃいないんだ。僕は僕の意志でするときはする、しないときはしない。それ以上のことなんて何もないんだ、お前なんかが干渉できるようなことは、何もな!」

 最後には声を張り上げた。苛立っていた、矛先のやり場を、目の前のアンドロイドにぶつけたところで何の解決にもならないということは、分かっていたにも関わらず。

「もう行けよ」

 ささやくようにそう告げると、リオは一礼して部屋を出た。



 土曜になった。

 山辺はリオに知られることなく家を出て、走路に向かった。手には楽器を入れたケースを持っている。それを背負込み、一人走路に乗り込んだ。

 時刻は午後四時になろうとしていた。

 普段使う連絡走路は車ごと移動させるタイプだ。今、乗っている走路は直接人が乗り込むタイプだ。リニアの簡易版といえるもの。ゴンドラめいた座席に腰を落ち着け、上昇するだけのシンプルな形、乗客は山辺の他にも十人ほどはいる。

 それはドーム外、庭園への定期便である。ドームを出る瞬間に、地上へ出る旨と注意喚起のアナウンスを一通り聞き、やがて走路は庭園内の停留所に着いた。

 相も変わらず、よく手入れされた庭園が広がっている。中央にある人工の湖を臨めば、すでに近隣のドームからの来訪者が、適当に散らばってこれから始まる日没ショーを見物しようとしている。

 湖についた時に、ちょうど天頂のドームが開いてくるところだった。天球の外郭が徐々に下がってくるにつれて、遮光ガラス越しの太陽が顔をのぞかせる。西に傾いた陽がオレンジ色の光を主張してくるのに、湖面がそれに反射している。この光の具合は、人工の太陽ではなかなか見ることが出来ないのだ。プラズマの光は地上で見る太陽の光に似せてはあるのだが、何度も通っているうちにその違いが分かるようになってきた。どこがどう違うのか説明は出来ないが、光はただの光だろうと思っていた最初の頃よりはずいぶん違って見える。

 山辺は辺りを見回すが、月慈の姿は無かった。いつもならば山辺よりも早くに着いているのだが、やはり外出制限がかかっているのだろうか。諦めて帰ろうかとしたときに、後ろから声がかかった。

「あれ、来たんだ」

 振り向くと、月慈が意外そうな顔をして立っている。背中には、やはりというかビオラ納めたケースを背負っていた。

「もう来ないかと思ったけど」

「それはこっちも同じ事」

 驚きのあまり十秒ばかり声が出なかったが、ようやく山辺はそれだけ言った。

「外出制限があるからって」

「ああ、それね」

 と月慈はベンチに腰掛けた。

「考えてみれば、うちの親とは映像通信で会話することが出来るし。それに貴重な外出時間を有効に活用しない手はないしね。やっぱりこっちに来ちゃった」

「でも、それだと――」

 とっさに口に仕掛けたことを、すぐに飲み込んだ。

「ご両親に、会えないとつらいんじゃないのか? 映像だけじゃなくて、もっとちゃんと、こう……普通に会うことをしなくても」

「ん、まあそれはそれでうまくやるわ。とにかく、先週からずっと演奏してなくて、早くしたくてしょうがないの」

 月慈が素早くケースからビオラを取り出し、弦を調整する。その様子からも早く演奏したかったのだろうということは分かった。

「ところで、今日は何を持ってきたの?」 

 調律しながら月慈は、山辺の荷物にめざとく目を付けた。

「な、何でもない。気にするようなことじゃないから」

 山辺は慌ててケースごと後ろに隠そうとするが、それより早く月慈がケースをつかむ。

「あなたがこんな大荷物を持ってくるなんてこと今までなかったからね……って、あら」

 半ば強引にケースの中身を改めた月慈の目にバイオリンがひとセット収まっているのが飛び込んでくる。そのバイオリンと山辺の顔を交互に見比べて、月慈は物珍しいというように聞いた。

「どうしたのこれ」

「何でもない」

「もしかして、前に言ってたあれ? アカデミーでは、バイオリンやってたっていう」

「だから何でもないといっているだろう」

 すると月慈はおもしろいものをみたというようにほくそ笑みながら、いたずらっぽく言う。

「何、私がここでやっているのを見て、あなたもやりたくなったってわけ? 影響されやすいのね、以外と」

「別にきまぐれで持ってきただけだよ。そんな、ちょっとリハビリ程度にやってみて、だめならそのまま持ち帰るつもりで」

「そうムキにならなくてもいいじゃない。どうせここで弾くつもりだったんでしょう、だったらちょうどいいわ」

 そういうと、月慈はビオラを構えた。

「音、あわせてみようよ」

「え」

「だから、音。カルテットなんてやったことないけど、本来そういうものでしょ?」

「いや、でも君は即興のもので」

「最初は練習曲でいいから。早く、ほら」

 月慈がせかしてくるのに、観念してバイオリンを取り出した。肩に乗せて顎で挟むと、忘れかけていた楽器の感触が戻ってくる。そうしていると、徐々に気が高ぶってくる感じがした。アカデミーの時に、初めてコンクールに出たときのように。

「出来る曲、ある?」

「この間、弦楽クラスの初級練習曲弾いたから……」

「じゃあそれでいこう」

 そう言って月慈は弓を携えた。

 出だしは月慈だった。単純な旋律を、探り探りといった様子で奏で始め、それに追随すべく山辺が音を出す。

 二つの音が、一瞬だけ合わさる。が、すぐに不協和音となる。山辺が音を外したせいだった。

「何、覚えていないの?」

「いや分かる、分かるんだが」

 自分一人でやろうとすれば、どうにも自分のペースで出来ない。もう一度、と二人して弦を弾き、しかしすぐに山辺の方でつっかえた。

「練習足りないんじゃない?」

「そんなはずはない。一人だったらちゃんと――」

「まあ、一人でやるのと二人でやるのは違うのは分かるけども」

 しかし数分もすれば、山辺もミスが少なくなっていった。ただやはり音をあわせるという点ではうまく出来ず、二つの音がそろわずにバラバラになってしまう。

 何度もあわせて、何度も外して、結局そんなことを繰り返している内に日が沈んでしまった。

「今日はだめね、これだと」

 月慈は閉じゆくドーム天蓋をながめながら、ビオラを片づけ始めた。

「なんか悪い……」

 山辺はもう、最初の高ぶった気も萎えてしまった。ブランクが長いとはいえ、少しは通用するのではないかという淡い期待が、もろくも打ち砕かれ、意気消沈してしまう。

「まあ、仕方ないよ。久しぶりなんでしょう? だったらそんなもんだって」

 あまりに山辺が沈んでいるので、月慈が慰めの言葉をかける。だが慰められるとかえって情けなくなってしまう。

 今日はもう終わりだよ、と月慈が言うので山辺はバイオリンをケースにしまった。 

 めいめい引き上げてくる人の群が、走路の最終定期便を目指していた。月慈が立ち上がるのを受けて、山辺はケースを担いだ。

「また、次の週末にくるのかい?」

 ふと何げなく、山辺の口をついた言葉の前に、月慈は怪訝そうに首を傾げる。

「前に言ったこと聞いてなかった?」

「ああ、いや。でも……」

 口ごもる山辺に、月慈は畳みかけるように言う。

「私は、本当はここに来て、あなたに音を聴かせるために通っていたわけじゃないってこと。私は自分のために来ている。だからここにくるのもこないのも、全部自分のためなんだから」

 少しだけ、きつい口調だった。あまりにもそれは断固たる様相で、いくばくかの拒絶も含んでいるようにも見え――

 それが、山辺への非難めいて聞こえてしまう。

「すまない、その――そういうつもりじゃ」

 なんといいわけするべきか、次の物言いを考えていると、月慈のこわばった顔つきがほころび、今度は微笑を浮かべた。

「でもまあ、それ以外にも理由は出来たかも知れないね。ここにくる理由が」

「え」

 その言葉の真意を確かめるよりも先に、月慈は背を向けていた。振り向きながら手を振って言った。

「心配しなくても、また来るわよ。来週末、また日没に」

 月慈は最終便の走路に乗り遅れまいと小走りに去り、山辺はその背中を見送っていた。最終便の出立前のサイレンが鳴るのに、山辺は停留所へと走った。月慈とは逆方向の走路に。

「車の用意が出来ていますよ」

 すぐに足を止めた。背後からの声に振り向いた。

「ミスタ・山辺。公共走路は混み合いますので、お迎えにあがりました」

 いつものような、微笑を浮かべて。簡潔で事務的な、涼しげな声でもって。もう、そこにいることが一つの規定事項であるかのように。

「何でまたここにいるんだよ」

「こちらで行かれた方が早いですよ。ドームが閉まる前に」

 リオは山辺の問いには答えず、早く早くとせっつく。山辺は仕方なくリオの言うとおりに、車両専用走路まで行く。

 車に乗り込むと、リオはいつもそうするように、山辺の隣に座った。

「あの女性、来ていましたね」

「ああ」

 車が動き出す。正確には、車が固定されている走路が。

「けれども、これからは週末限定ということになりますね。移住者ドームは外出制限がかかりますから」

「ああ、そうだな」

「しかし、バイオリンを持って行かれるとは思いませんでした。荷物があるのでしたらなおさら、車で行かれた方がよろしかったのに」

「お前の喋りが耳に障るからだよ、リオ」

 車窓から流れる風景から色が失せて行く。植林の緑から、鉄骨の灰色。灰色はやがて闇の黒に変わり、やがて走路は長いトンネルに至る。トンネルの中は、LED灯の青緑色に満ちている。

「何でついてきた」

「それが私の義務だからです、ミスタ・山辺」

「そうか、監視か。やっぱりお前たちの監視の目からは逃れられないってか」

「あなたを守るためですよ、ミスタ・山辺。あなた方総時局の人々は、あらゆる危険から保護されなければなりません」

「今の冗談はおもしろかったよ、機械のくせして。そういうのもプログラミングされているのか? アンドロイドジョークとかいうのでも」

「冗談でも何でもありませんよ。あなたに付き従い、危険があれば回避もさせる。そうでなくとも、あなたの心の支えとなるようにプログラムを」

「職員を守るだなんて、じゃあ何でマックスは守れなかったんだよ」

 リオは答えなかった。少しの沈黙の後、口を開いた。

「ずいぶん練習されたのですね」

「何がだよ」

「バイオリンです。ブランクがあるにしては、良い方だったのではないですか」

「世辞言うのも、アンドロイドの義務なのか」

「いいえ」

 やがてトンネルから抜ける。青緑の灯の中から、再び闇へ。地下ドームの人工プラズマすでに沈み、辺りは夜だった。

 闇の底には、街の灯があった。

 車は街へと滑り込んでいった。

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