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庭園  作者: 俊衛門
12/21

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 きっと季節は秋なのだ。そう感じさせるような、庭園の様相だった。一面咲くコスモスの花はきっと人造培養、時折感じる涼やかな微風はドームの空調によるものだろう。木々は、冬支度のために色づいてはいるが、ところどころに未だ青青と茂る樹木がある。

 それでも、四季そのものを生みだそうと、ほとんど必死ともとれる演出の数々だった。それが、リオの言うところの環境を作るためなのだろうか、などと思っていると、聞き慣れた二胡の音色が届いてくる。

 月慈の陰が、湖から反射する光に浮かび上がっている。しなやかな腕と指が弦楽器を支えている。人工風が吹き、それが長くまっすぐな髪を揺らしている。その姿に、しばし見とれて、一曲が終わるまでそのまま注視していた。

「今日はまた一段と激しい」

 演奏を終えた後に山辺が声をかける。月慈が振り向いて、その表情が若干和らいだのをみた。

「遅いのね、今日は」

「ちょっとあってね」

 山辺は月慈の隣に腰掛けた。もうそのぐらいは許される仲にはなっていると思う。

「何かトラブルでも?」

「そんなところだが、まあトラブルといっても大したことでは」

「そう、まあいいけど」

 特に興味もなさそうに彼女が言った。マックスのことは、彼女のドームで報道されたのか分からないが、この様子ならもしかしたら知らないのかもしれない。

 仮に、そのことに少しでも月慈の口から話されたとしたらどうか。自分はうまくごまかすことはできるだろうか。

「それで、少し荒れているようだったけど」

 山辺が話題を変えると、月慈は少しだけ驚いたような表情になる。

「分かるの?」

「音がね、少し合っていないようだったから。思い過ごしかもしれないとは思ったけど」

 月慈は肩をすくめた。

「だてにアカデミーは出ていないのね」

 出てはいないのだが――と、訂正を入れる間もなく、月慈が行った。

「外出制限がね、かかったの」

「外出って、ドーム外への」

 どこのドームでもそんなことが施行されているなんて話は聞いたことがないので驚いたが、そもそも月慈のいるところは違うのだ。老いてゆくほかのドームとは違う、人類の未来を背負い込まされた人々の住むところ。ほかと扱いが違うのは、むしろ当然のことだ。

「そう、毎日の外出が週一回、週末のみになって。ドームの中もだんだんと厳しくなってきて、楽しみがどんどんなくなっていく感じ。いくら何でもひどすぎない?」

「それは、まあそうかもしれない」

 しかし、それは必要な措置なのだろう。

 老いてゆく自分とは違う、未来がある月慈。

 生きてゆく人類と、死にゆく人類。

 選ばれ者と、選ばれなかった者。

 それを知らない月慈と、知っている自分。

 こうまではっきりとした対比の構造を、しかし庭園にいる誰もが――山辺以外の者は、知ることがない。

「じゃあ、ここにはもう来られないということかい?」

「週末はね、母さんたちのところに行こうかなって。もうそんなにここには来られないかもしれない」

 月慈は物事をそれほど深刻に捉えていないかのような物言いをする。山辺はしばらく、次に出すべき言葉を失い、そしてようやくひねり出した。

「それは、何とも……」

 ただ、言うべきことは、出てこなかったのだが。

「まあ、全く来なくなるということはないと思うけどね」

 そしてしばらく、二人して押し黙り、湖を眺めていた。

 沈む太陽は白と橙を内包している。地平線上にとどまるそれが、赤茶けた大地と乾いた空との境界を朱色の光帯で覆い包み、その地平をはっきりと際だたせていた。今こうして目にすることのできる太陽は、それでもドームの遮光ガラスによって幾分光りが弱められている。

 ガラスがなくなれば、人はどうなるのか。放射性物質に焼かれるのか、毒で身を崩されるのか。そんなリスクがあっても、人は太陽を眺めるという行為をやめない。今では太陽とは死の象徴であるにも関わらず、太陽を眺めて暮らしていた時代の記憶が人の中にあるのだろう。

「そろそろ日没だね」

 月慈が本当に何気ない風に言った。その横顔を見やる。はっきりと橙の光に際だつ月慈の面は、少しだけ翳りが見えていた。節目がちで、何かの憂いを含んでいて、まぶしそうではあるけどぼんやりと光の方を眺めている。長い睫が目元に揺れて、時折吹く人工の微風で前髪がさらさらと流れ、そうしている間は演奏しているときとは違う、少女のようでもあった。凛とした表情とは違う、あどけなさを残した。

「君の」

 そのままじっと見ていると妙な気分になりそうだったので、山辺は視線を逸らしつつ訊いた。

「君の両親は、どこに?」

「どこって」

 月慈が不思議そうな顔をして小首を傾げた。

「何でそんなこと」

「いや、今週末に行くって言ってたから……」

「サウスエリアに。走路を使っても一時間ぐらいはかかるかな。本当は同居したかったけど、手続き上それもできなくて」

 手続きなど、関係ないのだ。

「でも、会いに行くにもそれなりの理由がなきゃいけないの、それも最近決まったことでドーム外に出るためにわざわざ理由つけないといけない。で、帰ってきたら帰ってきたでいろいろ検査を受けさせられる訳が分からない」

 理由などどうでも良いのだ。

 移住者ドームの人間は特別だ。誰にも知られないように特別な扱いをされている。その特別さを知るものが限られているだけで。

 本当ならばドームの移動も全くない方が望ましいのだ。こんなところに、庭園なんかに来ているのも、本来は望ましくないのだ。

 だから、彼女がここに来なくなることも、よいことなのだ。 

「戻るよ」

 そして日没がやってきて、月慈が言った。

「もうあまりこれないだろうけど」

「ああ」

 驚くほど簡単に、山辺はその言葉を口にすることが出来た。

「元気で」


 朝、目が覚めてもなかなかベッドから這いだすことが出来ない。

 それは意識がはっきりしても同じことだ。本当のところ、もう一時間前には目が覚めている。にもかかわらず、起きあがることが難しい。ベッド横のスイッチに手を伸ばして、補助歩行具を装着しようとしたものの、それをするにはあまりにも遠く思えた。

「お目覚めですか、ミスタ・山辺」

 機械然とした声音が頭上で響き、目線だけ上向けると無表情の女がのぞき込んでくる。はて、こんな奴は知らない、と数秒かけて睨んでいると、女がいくらか口元をあげて微笑んだ。

「お忘れですか、ミスタ・山辺。私のことを」

「知らんな」

 押しつぶされたようになった喉からようやく絞り出した自分の声は、ひどく醜いものとなっている。

 女はとくに気にした風でもなく、山辺の首の後ろに手を添えた。はからずも抱きすくめられるような格好になる。半身を起こされて、ベッドに腰掛ける形となり、ようやく補助歩行具に近くなった。

「あなたのお世話をさせていただいています。リオと申します」

「アンドロイドか」

 こうやって横になった男を片腕だけで持ち上げるなんて、人間の女にはまず不可能だ。リオは苦笑ともとれる表情になった。

「もうあなたにとって、私はそれほど重要な存在ではなくなってきているのですね」

「何を言ってる。昨日今日来た奴に、重要も何もあるか。さっさと履かせろ」

 山辺が命じるまま、リオは補助歩行具に手を伸ばした。こわばった関節と弱った腰にプロテクターを着け、背筋と肩に鉄柱じみた枠組みを当て込む。モーター駆動音とともに補助具の人工筋肉が作動して、その助けを借りてようやく山辺は立ち上がることが出来る。

「こんなものでもなきゃ、立つことも出来ないとはな」

 苦労しいしいベッドルームから出て、洗面台の鏡を見れば、すっかり肉がこそげ落ちたようなみすぼらしい老人が映し出される。それが自分の姿だとは、にわかには信じられない気分もするが、人が老いるのは仕方のないことだ、と山辺は顔をゆすいだ。

「今朝は調子が良いようですね」

 テーブルに腰を落ち着けると、滋養ペーストが乗っかったプレートが差し出された。不自由な手を、これまた補助具の人工筋肉を使って動かし、なんとか茶色いペーストをすくい取って口に運ぶ。甘ったるいような、舌先がしびれるような化学調味料の味がした。

「いつもあなたは、起き出せば不機嫌そうな顔をされるので」

「いつも? いつもとはどういうことだ」

「毎日、あなたのお世話をさせていただいておりますので」

 アンドロイドの女はそういうが、山辺には覚えがない。

ペーストを二、三すくい取って喉に流し込めば、もうそれで腹が膨れる感があった。トレーを押しのけて、それでその日の食事は終わった。

「それよりも、さっきから」

「何でしょう?」

「いや、この音楽は?」

 山辺の言うことに、リオは理解しかねているようだったが、すぐにああと声を発する。

「お気に召しませんか?」

「いや。ただ、変わった音だと思ってな」

 先刻、山辺がリビングに入った時から聞こえていたのはバイオリンの音色であったが、それに重ねるようにもう一つ弦楽の音色が奏でられている。バイオリンのそれよりも、低い音に聞こえた。しかしその響きは、バイオリンにひけを取らない。二つの音はうまくあわさり、互いに互いを引き立てるかのように、響いている。

「弦楽の音を、お忘れでしょうか。ミスタ・山辺」

 リオはペーストの入ったトレーを下げた。

「この曲の奏者たちは、出会ったその日に音を合わせ、この曲はそのときに生まれました。もし、もっと時代が古く、自由に音楽を奏でることが出来たのならば、あるいはもっと優れた曲を生み出していたかもしれない。けれども、二人が生み出したのはこれだけでした。これはそういう類の曲です」

「そうかい、しかし奇特なものだ。こんなご時世に音楽なんて、これから先も出来そうもないというのに」

 山辺は何の気なしに言ったが、リオはしばらくの間山辺を見据えて、約三秒ほど経ってから目をそらした。

「けれども、彼らにとってはそれが自然なことでした。音を奏でることが、だから時代がどうであろうとそうしたかったのでしょう」

 リオはやや語調を強めて言う。

「文明を持たない社会でも、音楽は行われていました。今際であっても、人は芸術を望むでしょう。それが人の心に自然であるのならば、誰も責める資格はありませんよ」

「責めてなどおらんよ」

 アンドロイドと言い争っても、何の得にもならない、と山辺は話を打ち切ることにする。

「あと貴様、主に向かってその口の聞き方はないだろう。お前はもういいから向こうに行ってろ、今度同じように口答えしたらお前の製造元にクレームつけるからな」

「失礼しました」

 リオは恭しく一礼してから部屋を後にした。山辺は一人、合成ポットの人工茶が注がれたカップに口を付けてから、ふと考える。リオの製造元とはいったいどこなのだろうか、自分で言っていて分からなかった。そもそもリオは、どこから派遣されて、誰が自分の身の回りの世話をしろと命じているのか。昨日今日来たわけでもないらしいアンドロイドは、いつからここにいるのだろうか。

 そんな考えが、一瞬頭をよぎったが、次の瞬間にはそんな考えもかき消えてしまった。弦楽器の音色を耳にしているとら段々と瞼が重くなってきて、山辺はそのまま眠りについた。

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