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庭園  作者: 俊衛門
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「セカイ系・フィクション」

あるいは

「趣味に走った・フィクション」(笑)

 最初に彼女を見かけたときは、それほど気にはならなかった。

 まだ覚えきらない楽譜を読み、ときに声に出し、弦を押さえながらまた楽譜に目を落とすという繰り返し。子供用とはいえ、アカデミーに入学したばかりの時分ではそうそう楽器の扱いに慣れるはずもなく、必死にバイオリンを肩と首で支えて、不器用に弓を引いていた。

 自分も、一年前はそうだったなと、その少女を見て微笑ましく思ったものだ。顎と肩で重量のある楽器を挟み、さらにそこから弦をひくという面倒な所作を一生懸命に行う姿にシンパシーを覚えたものだ。

 かといってその少女に話しかけようとか、そういう気は起きなかった。クラスも違うし、そのときはただ珍しいという気しか起きなかった。

 次に少女を見かけたのは、その一年後だった。

 彼女がどういう練習を積んだのか分からないが、すでに彼女はその楽器を使いこなしていた。

 幼年クラスはおろか、高学年クラスにも匹敵するほどの奏法を身につけており、教師達も驚いていたようだった。この子は天才だ、と。

 しかし、その頃からか彼女に関していい噂を聞かなくなった。それは彼女の素行が悪いとかそういう類のものでは決してなく――ただそれは、彼女がこの世界から異端であったがゆえに、彼女は次第に世界から弾かれてゆき、彼女自身もまた世界から遠ざかってゆかざるを得なくなっていたときだった。

 それはいつのころだったか。それを思い出すことは、容易なことではない。

 

 まるで鮮やかな世界が、突として色を失うような感覚に陥る。 

 それがリアルな質感を伴っていれば、なおのことその感覚は強くなる。たとえその夢の内容は目覚めた瞬間に消えてしまうものだとしても。触れていたものが、急激にその手から滑り落ち、その手の中にあったものが二度とは戻らないものだと分かれば喪失感は少なくはない。そうなれば夢だったそのものが色みを帯びて、限りなく広がる現実が色あせて見える。 

 そんな、妙なとらえどころのない思いに囚われながらの目覚めだった。ひどく現実的な夢を見れば起きるのがためらわれる気になることは良くあるが、それはそうした生半可なものとは思えない。あまりに生に近づいているような。

 今までに、そうしたことがあったということはない。それはあまりにも、その夢が甘美であったからという証なのだろうか。

 そして、それは自分がその甘美さを現実には望むべくもないほど年を取ったからなのだろう。

 山辺はベッドから這い出た。寝違えたのか首の筋がやたらと張っていて、肩がひどく凝るような感じがする。腕を軽く回して凝りをほぐしてやる。

 ただ睡眠をとるだけで疲れるなど、睡眠の存在意義すらない。若いときにはこんなことはなかったはずであるが、これも年なのか。

 そこまで考えが及ぶと、その先思うことが嫌になった。山辺はかぶりを振って、このごろめっきり弱くなった足を引きずりながら洗面所まで行き、ひどく緩慢な動作で顔を洗う。適温に計算された湯の飛沫が頬を濡らし、たるんだ顎をしっかりと拭い、ようやく重たく閉じかかる眼をあけることができた。

 鏡の中、のぞき込む自分の顔はあまり正視に耐えうるものではない。額に走る深い皺のせいで何もしていなくとも苦痛じみた面となり、下がったまなじりと目の隈が、より一層老けているかのように見せている。

 ため息をこらえて、顔を拭き、再び鏡と対峙したときには、自分の顔以外のもう一人の顔を映しているのに気づき、一瞬だけ息を飲む。鏡の中には、整いすぎるほど整った顔立ちの女が薄く笑いを浮かべていた。

「お早うございます、ミスタ・山辺。今朝のお目覚めは如何でしょうか」

 その声を聞くや、山辺は忌々しく舌打ちし、タオルを投げ捨てた。

「主をおどかすなど、あまり良い趣味とはいえないぞ、リオ」

 いつまでも若いその女は微笑みを絶やさず、悪びれた風もなく一応の謝罪を口にした。が、その謝罪が本当に一応のものであることも知っている。あいつはまた明日になれば、鏡の前に立つ山辺に音もなく忍びより、鏡の中にいつの間にか現れるだろう。アンドロイドは主に対して忠実であれ、従順であれ、などということはこの女に対しては当てはまらない。いわく、人らしくあること。機械らしさを極力排除して、ユーモアや愛嬌といったものも含まれるよう、人格がインプットされているという。

 リオの薄笑いを眺めていると抗議もバカらしくなり、重たい足を苦労しいしい引きずり、リオが手を貸そうとするのも押しのけてリビングに行くと、壁に埋め込まれた有機ディスプレイの映像に出迎えられる。椅子に腰を落ち着け、緑と赤のプレートが食卓に全自動でせり上がってくるのと同時に画面が変わった。

 またぞろドームの老朽化と、地上に蔓延する環境負荷物質量を伝えるニュース映像が流れるばかりである。リオと同じような決して年をとらない人間、すなわちアンドロイドのニュースキャスターが棒読み口調で読み上げていた。

 それはそれで退屈ではあるが、それでも観ないよりははるかにマシである。ただそれだけの理由でつけている。プレートに乗った合成パンにかじりつき、ニュース画面を漫然と眺めていると、ふと画面の端が気になった。

「間違っているな」

「何が、でしょうか」

 誰に訊かせるでもなくつぶやいた言葉を、リオは律儀に拾い上げる。ちょうどカップにコーヒーを注ぎ終えるところだった。

「この日付が。今は四月だろう」

 それなのに、画面は十二月となっている。リオは画面を注視して、何かを考え込むように腕を組み、そして口を開いた。

「録画映像なのでしょう。地上から出ることができるのは作業用ロボット、それすらも最近は出来なくなっていますが、大抵は地上の景色はロボットによる録画なのです。中継など、望むべくもありませんから」

 言われてみればそうだろう。地上からここまでは幾層もの隔壁が張り巡らされ、また環境負荷物質の中にも電波を遮る性質の物は多い。

「それにしても、八ヶ月も前のことでは」

「地上の風景など、いつ撮っても変わりはありませんよ。撮影ロボットは、時には回路が焼き切れた状態で戻ってくるものもあるそうです。そんな地上に、おいそれとロボットを送り込めない事情もあるのでしょう」

 だから、数ヶ月も前の映像を流すことも、ある意味仕方のないことだと。そう言われれば納得せざるを得ない。

「それにしても、機械が焼けるほどの環境か。相も変わらず過酷だな」

「それでも、地上向けの機械は、過酷な条件で稼働できるようには設計されているようですが」 

「お前の身体は、どうなんだ。地上には耐えられるのか」

「私はもともと外の環境に耐えられるようには造られてはいません。それでもあなたよりは丈夫ではありますが」

 確かに、地上の空気をまともに浴びれば山辺などひとたまりもないだろう。人類が地上に文明を築き上げ、繁栄の代償として量産され続け放置されたそれらは、自然の浄化作用の能力を遙かに越えてしまっていた。生命が新天地として求めた陸は何人たりとも寄せ付けない死の砂漠となり、生命を生み出した海は微生物すら生存し得ない。地下奥深くに、わずかに残った人類がこれまたわずかばかりの生物量バイオマスをあるだけ詰め込み籠城しなければ生きられない。

 人々は、かつてそこから抜け出すことを夢見た。

 そこから抜け出して、さらなる新天地を求めた。

 そのことを、思い出すことは容易ではない。随分と昔のようであり、つい最近のことであったかもしれない。その日々のことは、今ではおぼろげにしか思い出せないが。

 そこに山辺はいた。


 今でこそ灰色の、亀裂の入った壁面を晒し、その表面には蔦がまとわりつく構造物体は、かつてはこの街の象徴だった。

 漂白された壁面と磨き上げられたガラスの窓。研究施設の棟が立ち並ぶその合間に、ビオトープガーデンを配置する。人が持ちうる、建築知識の粋を集めて設計され、頑丈かつ再生可能なバイオ素材の壁で固められた城。巨大で、平らかで、何一つとして無駄となるものが見あたらない施設。いかにも研究施設然とならないよう、流線形の屋根と木目調の素材をところどころに配置したそこは、どこか劇場を思わせる外観をしていた。

 その壁が頭上高くに掲げられた光に反射して、よりいっそうの白を際だたせたときに。その巨大な城塞の中に、白衣の群衆が吸い込まれる。

 この街にとっては、その光景こそが一日の始まりであった。太陽――といっても、地下ドームを照らすそれは人工の光源に過ぎないのだが、小プラズマの強い光を浴び、ひときわ目立つ白を放つそこを、誰かが宮殿に例えたことがある。そこに赴くものたちは、宮殿に参じる貴族では決してなかったが、しかし誰かがそう例えたとおりにここで行われていることは「高貴さゆえの義務ノブリス・オブリージュ」と呼べるものであったかもしれない。

最も、ここを宮殿呼ばわりしたものは少なく、ここはまた違う名で呼ばることとなる。


 ユーリー・オートヴァスは、齢五十と三月だった。この研究所ではまだ若い方だが、名実ともにここを統括する最高責任者という立場である

「残り三百日余りだ」

 一日の始まりは、オートヴァスの演説に始まる。誰にとっても見慣れた光景で、それをわざわざ待ち望んでいる者はいなかったが、オートヴァスにとってはそれが何よりも大きな意味を持つものであるらしい。だから、彼はそれをやめようとはしなかった。

「この日数が何を意味するのかは、もうここにいる人間は分かっていると思う。一つはドーム――ここを含め、我々人類が最後の砦とする場所が、あと四年も経たないうちに、一つ残らず崩落するだろう」

 オートヴァスは言葉をかけながら、所員たち一人一人を順番に眺め、そうすることで彼らの理解を計ろうというようであった。

 その所員たちに混ざって山辺悟が、他の皆がそうであったようにオートヴァスが次に繰り出す言葉を待っていた。

「すでにプロジェクトは大詰めだ。移住者たちは移住ドームに移り、ここから残りの月日をそこで過ごした後に、故郷を離れて新天地を求める。今、この話を聞いている諸君の家族にも、移住者ドームに移動させられたものがいるだろう。だがここでこの話を聞いているということは、すなわち諸君にはそのチャンスはない。君たちの役割は彼らを宇宙に送り届け、それを見送ってからこの死にゆく星と運命をともにすることだ」

 分かりきった演説、何万回聞いたか分からないその話から、一日が始まる。そんな芝居がかった言葉から業務を始めるところなど、おそらく政府関係施設でも少ないことだろう。

 確認のための言葉と、覚悟を問うための物語性。

 そうしたことの重要性が、ここでは必要なのだと、そう言われればそうなのかもしれない。けれども山辺は、彼の行動に賛辞の言葉を送る気にはなれなかった。

 ここにいる誰もが、ここで行うことの意味を十分に理解している。その確認にはまるで意味など宿らない。またその言葉によって自分には覚悟がないと決めつけられているような気がした。

 人類のためにそれを行う。

 それはすでに決定事項。それはすでに進行していること。

 確認のための言葉であるならば、もう今更という言葉を通り越している。覚悟を問おうと言うのならば、それは無粋なことだ。かつてここで生まれたときから、すでにこの世界のことはわかっている。その覚悟ならば、ここにくるずっと前から持っていることだった。


「山辺悟――」

 そのオートヴァスから山辺は呼び出され、今は所長室にいる。

「ノースエリア大学を主席で卒業。大学では生物物理学を専攻し、卒業論文は生体内時間制御における生命の逆行」

 オートヴァスは空中に固定されたウィンドウ枠を見、山辺の顔と見比べている。

「まさしく、ここに来るに足る人材だが、しかし本当のことを告げられて君は何も思わなかったのか」

「そんな話をするためにわざわざ?」

 山辺が苛立ち気味に言うと、オートヴァスは空中に固着させたスクリーンを指でなぞった。ピンクがかった小さな小窓が空中に溶けるようにして消えたのをうけ、オートヴァスは山辺と向き合う。五十という年齢相応の老け方ではあるが、目つきだけはやけにぎらぎらとしている。

「大方、ここに来てすべての事情を知ったものには、何かしらの措置を施すことになっている。事情を話せば、急激なストレスを抱えることになる。向精神剤を投与することになったもの、配置換えしなければならないほど病んだもの。中には催眠療法で記憶をいじらなければならなくなったものもいる。もっとも、すべてを受け入れたものだけが、ここに残ってもらうことになってはいるが」

 オートヴァスは背を向けて窓の外に目をやり、つられて山辺も外を見る。ドームの天蓋すれすれをジャイロが飛行するところだった。これが無限に広がる空の下であれば、技術的に千年も立ち後れたローターでなく、気の利いたジェットエンジンを使用できただろうが、あいにくと閉鎖された空間では空気でさえも有限である。

「君がここにきて、このことを聞かされたのはいつのことだったか」

「二年前です。プロジェクト全般のことについては、その時に。確かあなたは言ったのでした。聞けば後悔するかもしれない、と」

「それを知った上で、後悔はないのか」

「それが最良の方法であるならば」

「最良とは」

 オートヴァスはため息混じりにいった。

「常にそうであるとは限らないものだ、山辺悟。君は目の前にある事実を真実と疑わないタイプのようだな。よく言えば曇りのない、悪く言えば視野狭窄な」

「人類にとって必要なことです」

「まあよいだろう、ただしこれだけは言っておく」

 オートヴァスの声音が一段階低くなった、ような気がした。

「私が毎朝のように演説じみたことをしているように、人の覚悟などもろいものだ。いずれ君にも分かるようになるとは思うが、今の一時の覚悟が揺らいだらいつでも申し出てくれ。そのための措置はとるようにする」

 

 ああ、そうだった。あの日々のことを、あまり多くは思い出せないけれども、あの男のことはまだ記憶の端に残っていたようだ。

 今の自分はあのときのオートヴァスと同じぐらいの年齢だ。彼の言葉が、今唐突によみがえってきた。

 覚悟。あの男はそう言った。その意味など、当時の自分はそれほど考えなかった。そしてこの後もまた、考えることはないのだろう。

 それを忘れるために生きているようなものなのだから――。

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