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裏メニュー

作者: 怪力熊男
掲載日:2026/06/13

「ご主人、あの……『オムライスのタマゴ抜き』、お願いできますか」


 住宅街の片隅にある喫茶店。

 昼時を過ぎて客がまばらになった店内のカウンターで、一人の女性客が恐る恐るといった様子でカウンター奥の店主に声をかける。


「……別料金をいただきますけど、よろしいですか」


 女は緊張した表情でゴクリ、と生唾を飲み込んでから頷く。

 

「わかりました。ちょっとお待ちください、お作りしますんで」


 口ひげを蓄えたダンディな店主は、客に背を向けて何か作業を始めた。


 この喫茶店について、SNS上ではとある噂が囁かれていた。


『あの店には、裏メニューがある。キーワードは謎だが、あの店の裏メニューはものすごいモノがでてくるらしい』

『ヤバい。あの店はヤバい。あのマスターは確実にヤってる』

『裏メニューを引き当てたら、とんでもないモノを手に入れられる。でも人生が変わる。後戻りしたくても出来ないカラダになる』


 と、非常に物騒な内容がまことしやかに囁かれている。

 

 カウンター席に腰掛けた女も、この噂を聞きつけてやってきた客だった。

 裏メニューは一体何なのか、それは誰も知らないとのことだった。本当にあるのかどうかについても、SNSの投稿内容では分からなかった。

 ただ、投稿されたポストのひとつに、気になるものがあった。


『あの店の裏メニューを引き当てた。あれはヤバい。やめておいたほうが良い。この世に、知らないままで死んだほうが幸せな物があるとすれば、あの店の裏メニューがそれだ』


 それだけを呟いて、そのアカウントは過去の投稿をすべて消してしまったという。

 フォロワーが1万人を超える、インフルエンサーと呼べるアカウントであったにも関わらず、である。


「お待たせしました」


 店主が静かに、低い声でささやきながら、皿を差し出してくる。


「……こ、これ……これは……」

「ご注文の、オムライスのタマゴ抜きです」


 皿に盛られていたのは、鮮やかな色のケチャップ味の、タマゴ抜きオムライス。

 一般的に言う、俗名チキンライスである。


「あ……ありがとうございます……」


 納得行かないような表情で、オムライスのタマゴ抜き、世間一般で言うチキンライスを食べる女の隣に、男が腰掛けてきた。


「お姉さん、裏メニューをお探しみたいですね?」


 初対面にも関わらず、実に馴れ馴れしい言葉で話しかけた男は、中年のサラリーマンと思しき風体のスーツの男だった。


「いやぁ、失礼しました。私はこの店に通って結構長いんですがね、最近多いんですよ。マスターに『カスタマイズ』を頼む方が」

「……あ、あなたには関係ないじゃないですか。私はチキンライスが食べたかったんです」

「そうですか。まぁそれなら良いんですがね」


 中年の男の眼の前に、静かに冷水が入ったコップが差し出される。


「いらっしゃい」

「あぁマスターこんちは。いつもので」

「はい、いつものね」


 水を一口飲み込んで『ふぅ』とため息にも似た息を吐くと、中年の男はスマホを取り出し、液晶画面を女に向けた。


「お姉さん、これでしょ」


 写し出されていたのは、SNSのハッシュタグを使った検索結果の画面。


『例のあの店の裏メニュー』


 という、いかにもなハッシュタグだった。


「ちょくちょくね、見かけるんですよ。合言葉も知らないのにマスターに色々カスタマイズを頼むお客さん」

「……あの、あなたはご存知なんですか? その、合言葉」

「えぇもちろん。ここのマスターとは長い付き合いですから。ねぇマスター?」


 カウンター奥で背中を向けたままのマスターは、ひょいと片手をあげて答えた。それが肯定の返事なのか否定の返事なのかは、女には読み取れない。


「お姉さん、悪いことは言わない。やめておいたほうが良い。この世には『知らないまま死んだほうが幸せなこと』ってね、あるんですよ」

「そ、その言葉――」


 女はSNSの書き込みを思い出した。


 知らないまま死んだ方が幸せなこと、と言う言葉は、確かにSNSで目にしたものだ。


「あの、あなたはひょっとしたら、SNSに――」

「はいいつもの。おまたせ」


 まるで会話を遮るように、カウンターの奥から腕が伸びてくる。

 かちゃ、という音を立てて、中年の男の前に皿にのったコーヒーカップが差し出された。


「あぁありがとうマスター。やっぱりマスターのこれがないとね」


 ずず、と音を立てて中年の男はコーヒーをすする。

 嗚呼、とまるで法悦の吐息のような声を漏らし、男は天井へと顔を向けた。

 まるで極上の甘露か、そうでなければ違法薬物でも口にしたかのような、恍惚とした表情。どう見ても、ただのコーヒーを飲んだ男の顔じゃない。


 女は確信する。()()だ。

 きっと合言葉は『いつもの』だ。


「あ、あの! すみません! 私もこの方のと同じものを!」

「……追加注文、ですね?」

「はい。お、お願いできますか?」


 マスターは表情ひとつ変えず、じっと女の目を覗き込むと、『少々お待ちを』と呟いて、再び背を向ける。


 女は手元のチキンライスが冷めていくのも構わず、じっとマスターの動きを目で追った。

 豆を挽いて、ドリッパーに入れてお湯を注ぐ。

 一見したところ、本当に普通のコーヒーの淹れ方だ。


「お待ちどうさま、本日のブレンドです」

「え?」


 差し出されたのは、何の変哲もないただのドリップコーヒー。

 それも、この喫茶店のメニューの中で最も安い、『本日のブレンド』である。


「あ、あの、私その、この人と同じものをって――」

「はい。ですので、本日のブレンドです」


 呆気にとられた顔の女に、にた、といやらしい笑みを浮かべた中年サラリーマンは囁くような声をかけてきた。


「試してみてくださいよ、お姉さん。トぶよ?」

  

 騙された――そう考えながら、落胆とともにコーヒーを一口だけ口に含む。


「!?」


 信じられないくらい美味なコーヒーだった。

 芳醇な香りに、苦みの奥にある旨味とコク。

 女がこれまでに飲んだどのコーヒーも、このブレンドに比べれば泥水以下である。


「ね? 知らないほうが良かったでしょ。このブレンドを飲んじゃうとね、他のコーヒーが飲めなくなるんですよ」


 コーヒーなのに、チキンライスとも異常に合う。

 本当に何か怪しいクスリでも入っているのではないか、と思えるほどに美味いコーヒーだ。


「このコーヒーは知りたくなかったなぁ。スタバもタリーズも、もう行けなくなっちゃいましたよ」

「それはお生憎様で」


 マスターは苦笑交じりにそうつぶやくと、静かにカウンターを拭き始めた。


 いったい誰が想像出来ただろうか。

 裏メニューと噂されていたものが、ただの『本日のブレンド』だなんて。


 女は夢中で、時折舌をやけどしそうになりながらコーヒーを飲み込んでいく。

 確かに、このコーヒーを知ってしまったら、もう他の喫茶店なんて立ち寄れない。

 

 自分がもう他のコーヒーを飲めない、後戻りが出来ないところまで踏み込んでしまった事を理解した。


「ね? ここのブレンド、トぶでしょ?」


 中年男の言葉に、女は頷くしか無かった。

よくある「喫茶店の裏メニュー」の話題を、ちょっと逆手にとってみました。

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