人喰いレンガ塀
町のはずれに、用途を失ったレンガ塀があるのだが、それはただ古びているというだけでは説明のつかない、ある種の嫌悪と拒絶の気配を帯びて、まるで自らが境界であることを忘れぬために存在しているかのように、何も囲わず、何も守らず、それでもなおそこに立ち尽くしているのであった。そして人々がそれに近づかぬ理由は、単なる噂話として片付けるにはあまりにも具体的で、しかも否定しきれない数の「消失」が、その周囲に静かに積み重なっているからに他ならないのである。すなわち、その塀は人を食う、という言葉が、冗談でも比喩でもなく、ひどく現実的な響きをもって囁かれているのであった。
問題の箇所は、塀の中ほど、腰の高さに穿たれた不自然な穴であり、それは崩落とも損壊とも異なる、あたかも最初からそこに“口”として用意されていたかのような滑らかな輪郭を備えていて、覗き込めば光を拒むような暗黒がただ沈殿しているばかりで、奥行きも底も、ひいては内部という概念そのものすら曖昧にされる奇妙な空虚がそこにあった。私は半ば好奇心に、半ば嘲笑に背中を押されるようにしてそこへ赴いたのだが、近づくにつれ、空気がわずかに湿り気を帯び、鼻腔にまとわりつくような古い匂いが感じられ、それが土とも鉄ともつかぬ、しかし確実に生き物の内側を連想させる何かであると気づいたとき、私はすでに引き返すべき距離を越えていたのである。
そして、穴の前に立った瞬間、予兆も警告もなく、ただ決定的な力としてそれは始まった。すなわち、私の身体が、否、身体というよりもむしろ内側にある何かが、静かに、しかし抗いがたく前方へと引き寄せられはじめたのである。足を踏ん張ろうとする意志はあったが、それは床に根を張ることなく滑り、指先でレンガを掴むも、そのざらついた感触は現実への最後の接点でしかなく、次第に私の重心は穴へと傾き、抗うほどに強まる見えざる牽引に、思考は恐怖より先に理解を拒絶した。これは落下ではない、引き込まれているのだ、と。
声を上げた瞬間、それは応答した。力がわずかに強まり、まるで私の存在を確認したかのように、引力は意志を帯びたかのように振る舞ったのである。私はそのとき初めて、これが自然現象でも錯覚でもなく、何らかの選別の過程に他ならぬのではないかという、説明のつかぬ確信に囚われたが、その思考が形を取るよりも早く、身体は半ば穴の内部へと呑み込まれかけていた。
だが、その過程は、あまりにも唐突に中断された。ぴたりと、まるで飽きたかのように、あるいは拒絶したかのように、すべての力が消失し、次の瞬間、私は後方へと放り出され、現実の地面に叩きつけられたのである。その衝撃とともに呼吸を取り戻した私は、恐る恐る再び穴を見たが、そこには先ほどと変わらぬ暗黒があるばかりで、しかしその奥底から、確かに、言葉ともつかぬ低い振動が、意味を伴って浮かび上がってきたのであった――不適、汚染、排出、と。
その日以来、私はあの塀を単なる怪異として捉えることができなくなった。あれは無差別に人を喰らう装置ではない、むしろ何かを基準として選び取り、そして不要と判断したものを拒む、きわめて冷徹な機構なのである。そして最も耐えがたいのは、その判断から私は外された、という事実であった。すなわち、私は喰われるに値しなかったのだという、理由も基準も示されぬまま下された否定が、夜ごと私の内側に残響のように繰り返されるのである。もしあのとき、ほんのわずかでも異なる性質を有していたならば、私はあの暗黒の内部へと迎え入れられていたのかもしれない――そう考えるたびに、あのレンガ塀はもはや外部の怪異ではなく、私自身の欠落を映し出す鏡として、静かにそこに在り続けているように思われるのであった。
そして、私は自分がなぜ、排出されたか知っていた。それは、例の出来事ののち、私の内面に拭いがたい違和が残り続けていた頃のことであり、あのレンガ塀の前で経験した不可解な拒絶が、単なる外的な現象にとどまらず、むしろ私自身の内部に潜む何かしらの欠陥、あるいは汚濁の反映であるのではないかという疑念が、日を追うごとに静かに、しかし確実に増幅していった結果、ついに私はそれを医学的な領域において検証せざるを得ないという、半ば強迫めいた決意に至ったのであった。すなわち、もしもあの“選別”が何らかの物理的、あるいは生理的特性に基づくものであるならば、その痕跡は肉体に刻まれているはずであり、そしてそれを最も冷静に、かつ容赦なく暴き立てる存在は、他ならぬ医師であると考えたのである。
病院は市街地の一角にあり、外観はごく平凡で、内部もまた清潔さと機能性のみを追求した無機的な空間であったが、その均質さはかえって、これから私が曝け出そうとしている個人的な領域との落差を際立たせるものであり、受付を済ませ、待合室にて番号を呼ばれるのを待つあいだ、私は自らの判断が果たして正当なものであったのかどうか、幾度となく自問することとなった。しかし一度ここまで来てしまえば、もはや退く理由も口実も存在せず、やがて私の名が呼ばれたとき、私は奇妙な安堵とともに診察室の扉をくぐったのである。
医師は年配の男で、その態度には長年の経験に裏打ちされた無関心にも似た平静さがあり、私の曖昧な説明――すなわち、原因不明の違和感と、ある種の“選別”からの排除という、医学の枠組みにおいては説明不能であろう感覚――を最後まで遮ることなく聞き終えると、短く頷き、必要な検査を行う旨を告げた。その声音には、私の語った超常的な側面に対する興味も否定も含まれておらず、ただ純粋に「症状」として処理しようとする意思のみが感じられ、そのことがかえって、これから明らかになるであろう何かに対する不安を増幅させたのであった。
やがて検査は終わり、私は再び椅子に腰掛け、医師が机上のモニターに映し出された画像を確認するのを待つこととなった。数秒の沈黙ののち、彼はわずかに眉を動かし、画面をこちらに向けると、淡々とした口調で語りはじめたのである。そこに映し出されていたのは、言うまでもなく私自身の患部の状態であったが、それは私の予想をはるかに超えて、複雑かつ深刻な様相を呈しており、いくつもの不規則な陰影と腫脹が絡み合い、あたかも本来あるべき構造が何らかの理由で逸脱し、独自の秩序を形成してしまったかのような、異様な景観をなしていたのであった。
「これはですね」と医師は言った。「かなり進行しています。いわゆる痔瘻の状態ですが、通常のものと比べても瘻管の走行が複雑で、分岐も多い。炎症も広範囲に及んでおり、このまま放置すればさらに悪化する可能性が高いでしょう」その言葉は専門的でありながらも明瞭で、私の肉体に起きている事態を容赦なく言語化していくものであったが、私の意識は次第に、その説明の内容そのものよりも、むしろそこに含まれるある種の“評価”に集中していった。すなわち、この状態は、正常からどれほど逸脱しているのか、そしてそれは“排除されるべきもの”に該当するのか、という問いである。
医師はさらにいくつかの画像を切り替えながら、炎症の広がりや組織の変質について詳細に述べ、治療には手術が必要である可能性を示唆したが、その一つ一つの説明が、あのレンガ塀の前で耳にした不可解な言葉――不適、汚染、排出――と奇妙に重なり合い、私の中でひとつの結論へと収束していったのである。私は意を決して、最後にこう尋ねた。「……先生、これは、その……かなり、良くない状態、なんでしょうか」
医師は一瞬だけ言葉を選ぶように沈黙し、やがて画面に映る患部を指し示しながら、きわめて率直に、そして何の感慨も交えずにこう答えたのであった。「ええ、正直に言ってしまえば、かなり状態は悪いですね。見た目も含めて、相当――汚いです」
その言葉を聞いたとき、私はようやく理解したのである。あのレンガ塀が私を拒絶した理由は、超越的な選別でも、形而上的な純度でもなかった。ただ単に、あまりにも明白で、あまりにも即物的な理由――すなわち、私のそれが、あちら側にとってさえ受け入れがたいほどに、ひどく汚れていた、という事実に他ならなかったのだと。




