第三:母の鏡、私の名前
第三話:母の鏡、私の名前
お風呂上がり、鏡の前で私と並んでいるのは、母の美咲だ。
「やだ、もうすぐ五十キロ。人生の終わりだわ……」
頬をつねりながら本気で絶望している母は、四十二歳。でも、驚くほど「可愛い」を現役で続けている。数グラムの増減に一喜一憂して、お父さんの前ではいつまでも「守られ系女子」を全うしている。その徹底ぶりには、娘の私から見ても少しだけ尊敬の念が湧くくらいだ。
母の名前は「美咲」。響きからして軽やかで、ピンク色の花びらが舞っているみたいだ。四十二歳の今でも、その名前は彼女に完璧にフィットしている。
対する私の名前は「悦子」。
……渋い。渋すぎる。
この名前がコンプレックスになったのは、小学生の頃。男子が隠れて見ていた雑誌に「悦楽」なんて言葉が躍っているのを見て、意味もわからず茶化されたのが始まりだ。あの時の、言葉にできないモヤモヤとした屈辱は、今でも心の隅っこに染みついている。
「えっちゃん、今日はどのスカートにするの?」
美咲という名前を背負った母が、鏡越しにニコニコと笑いかけてくる。
その笑顔は確かに可愛い。けれど、その「可愛い」の定義が、私と母では決定的に違う気がする。
母は、誰かからの「可愛いね」というまなざしを燃料にして、自分をその枠の中に大切に守っている。必死にその枠を維持しようとする姿は、私には少しだけ息苦しそうに見えてしまうのだ。
名前で人を判断する人たちは、きっと「美咲」には無条件の華やかさを、「悦子」には勝手な古くささを重ねるんだろう。
でも、名前の響きや、体重計の数字なんかで私の価値を決められてたまるか、と思う。
お母さんが鏡の前で自分を飾り立てるのとは、別のやり方で私は私を確立したい。
「悦子」っていう古風な名前が、いつか「強くてしなやかな私」の代名詞になるくらいに。
十五歳。名前の響きに甘えることなく、その向こう側にある「剥き出しの自分」を見つけるために、私は今日も鏡の前で、自分だけの戦闘服を選んでいる。




